0058話 タラバ商会本店
店舗とは違う入り口から、建物の中へ入る。そこはオフィスビルのエントランスというより、ホテルにあるフロントのような作りになっていた。ローテーブルとソファーがいくつも置いてあるので、内容によってはここで商談をするんだろう。俺たちの場合はかなり機密性が高いため、オープンスペースでの話は無理だ。そもそもこんな場所でカレーパンなんか試食したら、匂いテロになってしまうからな。
オレガノさんが受付に来訪を告げると、すぐセイボリーさんが来てくれた。今日のマトリカリアは白いブラウスに紺のジャケットを重ね、下はタックフレアスカートか。主人の後ろにそっと控えてる姿が、秘書っぽくていい。
「よく来てくれたな、奥で話をするぞ」
フロアにいた来客らしき連中は、セイボリーさんを見て一斉に頭を下げる。同業者からも恐れられてるって話だが、そこまでビクビクしなくてもいいんじゃないか?
確かに下から睨みつけられると、思わず腰を引きそうになってしまう。それによく通る声は迫力があるしな。だが理由もなく怒鳴ったり、当たり散らすような人じゃない。変に媚びへつらったり、あからさまな機嫌取りをすると、興味をなくした態度になるだけだ。
しんと静まり返ったフロアを後にし、建物の奥の方へ連れて行かれる。こっちの方にあるのは、事務所というより休憩室という感じだな。奥の方から漂ってくる匂いからして、厨房があるっぽい。
「人払いをしてるから、ここなら何をやっても大丈夫だ」
「ならさっそく本題に入ろう。とりあえず、家でカレーパンを作ってみた。揚げたてはサクサクとして旨いが、売るときはこの状態になる。まずは試食してみてくれ」
小さな食堂のような場所で、俺はマジックバッグからカレーパンを取り出す。ここは取り扱う食材で料理を試作したり、まかないを作ったりする場所だろうか。奥に見える什器の数々は、業務用の厨房みたいだ。
「これは……パンを油で揚げてるのか?」
「パン生地にパン粉を付けて揚げるのが、カレーパンという料理なんだ」
「パンにパン粉か。しかもそれを揚げるとは面白い。マトリカリアもちょっと食ってみろ」
「はい。頂きます、ご主人さま」
セイボリーさんはカレーパンをナイフで切り、小さい皿に乗せてクルクル回しながら観察する。そしてフォークに刺すと、匂いを確かめながら口に入れた。
こらシトラス、物欲しそうな顔をするんじゃない。あとから厨房を借りて作ることになってるし、その時ちゃんと食べさせてやるぞ。
「味が複雑に絡み合って、辛いだけの料理とは全く違うな。肉と野菜の旨味を、香辛料がうまく引き立ててるってわけか。俺が渡した香辛料、あれをどれくらい使ったんだ?」
「これは十八種類使ってる。減らすことも可能なんだが、最初は高級路線で行くだろ? だから肉はブラックブルだし、野菜もいいものを使ってみた」
「贅沢な料理でも香辛料は数種類しか使わん儂らには、思いつかん料理だろ」
「確かにこれは高級路線で行くしかないわな。とてもじゃないが庶民には手が出せん。だがこれは旨い。目新しさもあるから、富裕層は飛びつくぞ」
そう言ったセイボリーさんが、残っていたカレーパンを手づかみで食べ始める。後ろに控えていたマトリカリアが、そっとナプキンを差し出した。だからシトラス、どうしてしっぽが萎れてるんだ。さっきあれだけカレーパンを食っただろ。
「良かったらマトリカリアの感想も聞かせてくれないか?」
「よろしいでしょうか、ご主人さま」
「ああ、構わん。タクトに聞かせてやれ」
普段の食事事情は知らないが、健康そうな肌艶や毛並みを見る限り、かなりいい待遇で生活しているはず。二人だけで行動してることが多いということは、愛玩用ってわけじゃないだろうしな。この場に連れてきたのも、護衛や世話役とは別の意図だ。そんな彼女がどんな印象を持ったのかは、聞いておく必要がある。
「私はご主人さまのおかげで、色々なものを試食させていただいてます。タクト様がお作りになったこれは、その中でも飛び抜けて美味しかったです。ただ……高級な食べ物として売る場合、優雅さに欠ける部分があるのではないかと」
「確かに色も地味だし、形もシンプルだ。いわゆる調理パンの一種だから、気軽に食べられるよう作った料理だしな。その反面、セイボリーさんのように素手でつまむと、油で汚れてしまう難点がある」
「富裕層は体裁をとても気にします。そうしたお客様を納得させるだけの味があるとはいえ、今のままでは訴求力に欠けると思います」
凄いな、マトリカリア。商売のノウハウをセイボリーさんから叩き込まれている、あるいは門前の小僧習わぬ経を読むというやつか。物を売る側の目線で意見を述べてきた。
どれくらいの時間を従人として過ごしてきたのか聞いてないが、これは持って生まれた才媛というやつだろう。文武両道とも言える彼女の才能を開花させたセイボリーさんには、尊敬の念しか抱けない。
「腰を据えてナイフやフォークで食べる料理でない以上、新しいフードスタイルを提示してやらねばいかん。そのためには、単に店頭へ並べるだけではだめだろう。メインディッシュにはなり得ないこれをどう売るか、今からみんなで考えたい」
「……お前ら。俺がダメ出ししようと思ってたことを、全部言いやがって」
「もっ、申し訳ございません、ご主人さま」
「マトリカリアにカレーパンの欠点を印象付けるために、手づかみで食べたんだろ? セイボリーさんも人が悪いな」
「わはははははっ! 合格だタクト。俺が売れるといった言葉で舞い上がらず、しっかりマトリカリアの意見も聞いた。そして欠点を的確に認識して、全員で解決しようとする。それくらいの柔軟さがないと、商売人としてやっていけん」
俺は自由気ままな冒険者だぞ。商売人扱いされても困る。今のところ食堂を開いたり、なにかを売ったりして生活する気はない。モフモフ天国を作るまで、邁進する所存なのだからな。
とにかく俺は試されていたということか。まあいくらオレガノさんの知り合いとはいえ、今まで他国で暮らしてきた素性の知れない人物なんだ、これくらいはやって当然だろう。無事セイボリーさんのお眼鏡にかなったようだし、ここからが本番だ。
次回、セイボリーから提案された、あることとは?
「0059話 世界のバランス」をお楽しみに!