0054話 買い出し
油と一緒に香辛料を炒めていると、家中にいい匂いが充満していく。今まで嗅いだことのない香りにつられ、食いしん坊たちがキッチンを覗きに来た。
「そっちはどうだ、ユーカリ」
「丸ネギは炒め終えました」
「次はそこにすりおろした粒ネギと黄ネギを加えて炒め合わせる」
暗示が抜けて以降、積極的に料理を手伝うようになり、ユーカリの腕がメキメキ上達している。今ではほとんどの工程を任せられるほどだ。今日みたいな凝った料理をつくるときには、とても頼もしい。
スパイスを炒め終わった俺は、次の工程に必要な赤根のすりおろしを作り、更に赤玉を細かくカットしていく。ミントが食べる方には、蜂蜜とすりおろした赤実も入れておくか。
「ここからは俺がやる。ユーカリは付け合せの準備をしておいてくれ」
「はい、旦那様」
鍋を二つに分け、片方にだけ赤実のすりおろしを入れる。ここからは同時進行で、食材の水分を飛ばしていく。そろそろスパイスを入れようかというところで、ユーカリから声がかかった。
「旦那様。付け合わせのサラダに使う、葉物野菜が足りません」
「しまった、買い置きはもうなかったか」
味をなじませるため少し時間を置こうと思っていたし、煮込み始める前に買い出しへ行こう。ペースト状になった野菜にスパイスを混ぜ、軽く炒め合わせて魔道コンロを止める。
「ユーカリも一緒に出かけるか?」
「はい、お供させていただきます。着替えてまいりますので、少々お待ちください」
なら俺はシトラスとミントに、留守番を指示しておくか。なにせもうすぐオレガノさんとセルバチコが、訪ねてくる予定だ。家を無人にするわけには、いかんからな。
◇◆◇
諸々の準備を終えて玄関へ行くと、着替え終わったユーカリが待っていた。上着は真紅の生地に白い花模様が入った、浴衣に似ているゆったりめの衣装。そして下は、黒い袴風のフレアスカート。どことなく和の雰囲気があるユーカリに、よく似合っている。この様子だと、巫女服とかも似合いそうなんだよな。さすが狐種だ。
「その服を着ていくのか」
「旦那様に作っていただいた、大切な召し物ですので」
長い髪をリボンの形をしたバレッタで留めているし、何気に大正時代の女学生っぽく見えるぞ。というか、あの日から少女のような笑顔を浮かべるようになり、確実に見た目が若返っている。今なら十代と言っても通用するんじゃないか?
「ただの買い物に気合を入れ過ぎな気もするが、よく似合ってるから問題ないな」
「そう言っていただけると、とても嬉しいです」
こちらを見上げるユーカリが、ふわりとした笑顔を浮かべた。本当に人というのは、変われば変わるものだ。この世界で暮らす連中は、愛玩用の従人を人形みたいに扱うからな。ただ主人の言う通り愛想を振りまく傀儡を連れて、なにが楽しいのか俺には理解できん。こうして何気ない言葉に一喜一憂する伴侶のほうが、何倍も価値があるだろ。
まあ俺は自分のやりたいようにやるだけだ、そんなことを考えながら玄関を出る。後ろを振り返れば、しずしずと歩くユーカリの姿が。
「せっかく二人ででかけているんだ、もっと近くに来い」
「よろしいのでしょうか?」
「ミントみたいに手を繋ぎに来たって、シトラスのように引っ張ったってかまわないぞ。そもそも俺が、見目麗しい従人を連れていると周りに自慢したいのだから、遠慮なんて無用だ」
「見目麗しいだなんて、そんな……。ですが旦那様がそうおっしゃるのなら、やってみたいことがあるのです」
俺が許可を出すと、遠慮がちに近づいてきたユーカリが、そっと腕に絡みついてきた。そうかそうか、腕を組んで歩いてみたかったのか。まったくうい奴め。
顔を真っ赤にしながらこちらを見上げるユーカリの耳を、ふにふにとモフってやる。プルプルと身悶えする姿が実にいい。
「本当にユーカリは、かわいいやつだな」
「わたくしのような年嵩に、かっ……かわいいだなんて」
「玄関で見たときに感じたんだが、今のお前なら確実に六歳くらい年をごまかせる」
「それはさすがに無理がある気もしますけど、そう思っていただけるのは全て旦那様のおかげです。闇にとらわれていたわたくしに光を与え、女の幸せまで教えてくださいました」
ユーカリがさらに体を寄せてくるので、俺の腕はまろやかなものに埋まってしまう。これはこれで良いものなのだが、できればしっぽにも包まれたい。
「美味しい食事、楽しい時間、安心できる眠り、それらがわたくしに良い影響を、与えてくれているのでしょう。シトラスさんやミントさんも素敵なかたですし、これほど温もりに包まれた暮らしは初めてです」
「そういえばユーカリは、どこで生まれたんだ? 街の外で生活していた野人ってわけじゃないよな」
「わたくしは街外れにある、老夫婦が暮らしていたお屋敷で生を受けました。そこでずっと下働きをしていたのですが、お二人が亡くなられたとき、遺産としてお孫さんの手に渡っています。しかし四等級は扱えないからと売りに出され、奥様に買われてしまったのです」
「なるほど。教養が高くて礼儀作法がしっかりしているのは、大きな家で暮らしていたからか」
「お屋敷を取り仕切っておられた家令長がとても厳格なかたで、厳しく仕込んでいただきました」
そうした教育を受けているということは、とんだ拾いものだぞユーカリは。この手の従人は引く手あまただ。にも関わらず見切り枠だったのは、あの女が地雷入りの従人を、何度も出品したからだろう。
まあそのおかげで、今回はこんなに素晴らしい従人が手に入った。その点だけは感謝してやってもいい。ユーカリにした仕打ちは絶許だがな。
「俺の従人になったからには、一生手放すつもりはない。これからはその知識と技能を、俺のために役立ててくれ」
「はい。わたくしの全ては旦那様のものです。この身が朽ち果てるまで、おそばに置いてくださいませ」
誓いの言葉を紡ぐユーカリの顔は、希望に満ち溢れている。今のはヒマワリのような笑顔という感じか。これならゴナンクの強い日差しにも負けないはず。
なにせ通りを歩く連中の視線が、ユーカリに集中しているくらいだ。タウポートンでは従人を自慢するため、同じように連れだって歩いているやつが多い。その中でもひときわ目立っているからな。
どうだお前ら、羨ましいか。従人というのは扱い方一つで、ここまで魅力的になるんだぞ。悔しかったら真似してみやがれ。俺は心の中でそんなことを考えつつ、人のごった返す通りを二人で歩いていった。
オレガノによって明かされる、ユーカリが生まれた家の氏素性。
そこにはマッセリカウモ国誕生の秘密も隠されていた。
次回は「0055話 マッセリカウモ国の歴史」をお送りします。