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0052話 モフモフに刺されて死ねるなら本望だ

 うつろな目をして俺と対峙するユーカリに語りかける。



「お前の幸せはなんだ?」


「ワタクシノ幸セハ、旦那様ト添イ遂ゲルコトデス」


「それで俺を殺そうとするのか?」


「人ノ気持チトイウノハ、移ロイヤスイモノ。旦那様トイエドモ、キットワタクシヲ見限ルデショウ。ソレナラバココデ終ワラセルシカ、オ互イガ幸セニナル道ハアリマセン」



 愛玩用という立場や、年齢に対するコンプレックスを利用して、深層心理に刷り込んでいったのだろう。ニヤけた顔で俺たちを眺めやがって。この状況を楽しんでやがるな。いまに見てろ、必ず吠え面をかかせてやる。



「俺がユーカリのことを見限る? ありえんな、そんなことは。お前のモフ値は百二十だぞ。しかもまだ伸びていく余地がある。これほどの逸材を手放すなど、たとえ天が許しても俺が許さん。死ぬまでモフり続けてやるからな」


「モ…フ……値」


「俺が教えてやっただろう、お前の持つポテンシャルが、どれほど高いかを。自分の価値はなんだ、言ってみろ」


「ふさふさのしっぽと……大きな耳」


「そうだ、よくわかってるじゃないか。お前がお前でいる限り、俺の評価が変わることはない」


「ですが……、ワタクシハコノ先、衰エテイクダケノ身」



 俺のことも心に刻まれているが、まだまだ弱いか。少しだけ戻ってきた表情は、すぐ消えてしまう。これはショックを与えて揺さぶるしか無いな。



「ユーカリの幸せは一つしか無いのか?」


「他ノ……幸せ」


「毎日のブラッシングや美味しい食事、何気ない日常の中で感じる幸せがなかったのか、よく考えてみろ」


「ぶらっしんぐハ……穏やかな気持になれます。旦那様ノオ作リニナル料理ハ……体だけでなく心まで温かくなります」


「俺を刺すということは、それを捨てることになる。その覚悟がユーカリにはあるんだな?」


「捨てたくありません。でも……モウ一人ノワタクシガ、ヤレト言ッテルンデス。ソレヲ聞イテアゲナイト……わたくしの心が壊れてしまう」


「そうか、なら仕方がない。モフモフに刺されて死ねるなら本望だ」



 俺はゆっくりとユーカリへ近づき、震える腕をそっと握る。そして手に持った千枚通しを、胸へ突き立てた。すると赤い液体が服へにじみ出す。



「旦那様……血………が」


「そんなものでは急所を狙わないと死ねん、やるならひと思いにやれよ。苦しみながら死ぬのはゴメンだからな」



 苦しみに悶ながら死ぬ経験なんて、一度で十分だ。もうあんな思いなんてしたくない。



「あっ……あ………あ」


「死ぬ前に一つ教えてくれ。お前の好きな料理はなんだ?」


「……お魚と白根(だいこん)を一緒に煮た、お料理が好きです」


「そうか。今日の弁当にも入ってるんだが、食べさせてやれないのは残念だ」



 ユーカリの震えがどんどん大きくなってきた。それにともなって、赤いシミも広がっていく。






 ――カラーン






「嫌……嫌です! わたくしは旦那様を刺したくありません! 旦那様のブラッシングが好きです! 旦那様の作る料理が好きです! 旦那様になでなでされるのも好きです! 旦那様に添い寝していただくと、すごく落ち着きます! それを捨てたくなんか、ありませんっ!!」


「よしよし、えらいぞユーカリ。よく頑張ったな」



 ユーカリがここまで感情を爆発させたのは初めてだ。これは暗示の呪縛から抜け出せたと見ていいだろう。ユーカリは顔を両手で覆いながら、イヤイヤを繰り返す。その頭に手を置き、ゆっくりと撫でてやる。


 女の方に視線を向けると、悔しそうな顔でこちらを見ていた。お前、感情が顔に出すぎだ。ポーカーフェイスという言葉を知らんのか。そんなんじゃ社交界でやっていけんぞ。とにかくざまあみろ。お前の計画はすべてパアだ。


 視線に気づき慌てて表情を引き締めた女へ、俺はニヤリと口角(くちかど)を上げてやる。



「つまらない茶番を見せられた気分だわ。従人(じゅうじん)と恋人ごっこをするなんて、とんだ変わり者がいたものね」


「迫真の演技だっただろ?」


「素人のお芝居なんて、見るに耐えない児戯よ。気分が悪くなってしまったから、私は行かせてもらうわ」



 とっととどっかに行け。香水の匂いが臭くてかなわん。こんど近くに来やがったら、俺の魔法で消臭してやるからな。



「申し訳ありません旦那様。わたくし……なんてことを。もう死んでお詫びするしか」


「待て待てユーカリ。こんなことで死なれては困る」


「ですが契約主に怪我を負わせた従人は、殺処分されると聞いております」


「怪我なんてしてないから心配するな」



 俺は胸ポケットに手を突っ込み、中から小さな袋を取り出す。



「……それは?」


「お昼の弁当に使おうと思っていたケチャップだ。まだ予備があるから気にしなくていい」


「仕込みって、それのことだったのかい?」


「まあ他にもいくつか用意していたが、最小限の被害で済んだのは何よりだ」


「お怪我がなくて良かったのです。ミントすごく心配したですよ」



 俺は残っていた中身を草むらに捨て、ゴミはマジックバッグに入れておく。あとは汚れを魔法できれいにしてやれば、全てが元通りだ。ついでに心配してくれたミントの耳を、モフってやろう。



「さて、ピクニックを再開するか」



 唖然としているユーカリの手を引き、四人で岬に向かって歩き出す。それにしても、あの女に一泡吹かせられて、とても気分がいいぞ。ユーカリのレベルを上げる前に心の闇を払えたのは、実に幸運だったと言える。今のレベル差があれば、そう簡単には負けんしな。


 本命は行為の最中に刺し殺す方だったのだろう。それが崩れた時点で、あいつの計画は大きく狂ったってわけだ。あの暗器(あんき)はもう必要ないだろうし、あとで処分しておくとするか。



◇◆◇



 岬の先端にレジャーシートを広げ、三段重の弁当箱を二つ並べる。彩りも鮮やかで、我ながらいい出来だ。それに海を見ながら食べるというシチュエーションが素晴らしい。



「ミニハンバーグが入ってるです!」


「からあげもあるね!」



 お前たちの好物だからな。



「ユーカリも遠慮せず食えよ。もたもたしていたら、シトラスとミントに食べ尽くされるぞ」


「あの、旦那様。どうしてわたくしは正気を取り戻せたのでしょうか」


「美味しい食事ってのはな、魂に刻まれるんだ。だから六十年前に食べた味が忘れられず、おにぎりを口にして涙を流す者もいる。そんな心の深い部分に根付いた記憶が、暗示なんかに負けるわけ無いだろ」


「まあキミの料理を食べちゃうと、元の食生活には戻りたくなくなるよね」


「タクト様の料理は、世界一美味しいのです」



 流血(ケチャップ)した姿を見せ、動揺したところで問いかけてやったから、かなり効果的だっただろう。食は三大欲求の一つ、生きていく上で不可欠な要素だ。いくら心を操ったとしても、本能とも言える情動に勝てる道理はない。



「ほら、ユーカリが好きだと言っていた煮魚だ。白根(だいこん)にも味がよくしみてるから食ってみろ」


「では頂きます、旦那様」



 俺の真似をして使うようになった箸で、器用に魚の身をほぐす。そして小さく口を開け、ゆっくりと咀嚼する。



「どうだ、今日の出来は?」


「美味しい……とても美味しいです」


「やっとその顔をみせてくれたな」



 咲いた花のような華やかな笑顔とは、目の前でユーカリが浮かべている表情を指すんだろう。この姿を引き出せて、本当に良かった。今日からは憂いなく、四人で暮らしていけそうだ。


 嬉しそうに煮魚を食べるユーカリの首には、俺の選んだ紫色をしたチョーカーがはまっている。そこについている葉っぱのモチーフが、今の気持ちを表すようにキラリと光った。


次回は視点を移して「0053話 グロリオサ・トラフグ」をお送りします。

〝セイボリー・タラバ〟や〝ジギタリス・アンキモ〟のように、彼女も家名は海産物(笑)

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