0039話 炊飯のコツ
第3章の最終話になります。
大きめに切った野菜も煮えてきたので、携帯コンロからおろして厚手の布でくるんでおく。あとは食べる直前に再加熱すればいいだろう。
「水麦も十分水を吸ったし、そろそろ炊飯を始めよう」
「かなり白くなっておるな」
「少しすくってみて、全体が同じ色になっていれば、準備完了のサインだ。気温が低いと時間も伸びるから、気をつけて欲しい。あとは水を捨てて鍋に移し替え、少し多めに注ぎなおす。水麦の鮮度や鍋の形状によっても変わってくるんだが、軽く突き立てた指の第一関節くらいを目安にすれば、失敗も少ない」
オレガノさんはメモを取りながら、真剣に俺の話を聞いている。なにせ六十年探し求めてきた調理が、目の前で行われてるんだしな。
「あとは鍋をコンロにかけ、強めの出力で炊いていく」
しばらくすると沸騰する音とともに、フタの隙間からブクブク泡があふれ出す。
「吹きこぼれてきたが、これは大丈夫なのか?」
「この状態が大切なんだ。だから絶対にフタを取ってはいけない。そのまま二分ほど炊いたあと、コンロの出力を落とす。そして吹きこぼれなくなったら、出力を最小まで落とすんだ」
しばらくすると、鍋からご飯特有の匂いが漂い出した。
「いい匂いがしてきたぞ。昼間に食べたおにぎりの香りだ」
「このままパチパチという音が鳴るまで炊くと、おこげという絶品な部分ができる」
「あれ美味しいんだよね」
「香ばしくてミントも好きです」
「ほほう、それは興味深いの」
「おこげは争奪戦になるから、おにぎりにまで回す余裕が無いんだ。まあ晩飯を楽しみにしていてくれ」
底の方に少しだけ出来る、希少部位だからな。今日は優先的にオレガノさんとセルバチコにまわそう。
「フタを少しだけ開けてみて、水が残っていなかったら次の工程だ」
「まだやることがあるのか!?」
「このあと、蒸らしという重要な工程がある。まずはフタを開けたことで内部の温度が下がったので、中程度の出力で数秒加熱しておく。そのまま布をかけて十分以上置かないと、水麦の芯までしっかり炊きあがらない」
「これほど手間ひまかけねばならんとは……」
スープの鍋をくるんでいた布を外し、ご飯のものに巻き直す。蒸らし時間でスープを温めておけば、今日の晩飯は完成だ。
◇◆◇
四人にはスプーンとフォークを渡し、俺はいつものように箸で食べることにする。ホカホカと湯気を上げるご飯から、食欲をそそる匂いが漂う。
「お前さんの持っとる二本の棒、祖父が使っていたものと似ておるよ」
「やはり同じ世界の、同じ国からここに来たんだろうな」
「キミもそのおじいさんも、こんなに持ちにくいもので、よくご飯が食べられるよね」
「刺そうとしても、コロコロ転がってしまうです」
箸は基本的につまむ道具だからな。フォークみたいに刺したり、スプーンみたいに持ち上げるのには向いていない。
「どんなことでもそうだが、結局は慣れだ。特別な理由がない限り、無理して習得するより、使い慣れた道具で食べたほうがいい。さあ、冷める前にいただこう」
「おおー、うまいのぉ。水麦がこんなに美味しくなるとはのぉ」
「あれだけの行程と時間をかけただけはありますな。おにぎりも美味しかったですが、温かい水麦はまた格別です」
「この茶色い部分も、実にたまらん」
「これはパンの茶色い部分や肉につく焼き色と一緒で、メイラード反応という。食材に香ばしさや旨味をつける効果は、こうして煮炊きする料理にも有効なんだ。炭化して黒くなる前に加熱をやめるのが、少し難しいんだがな」
音や匂いに気を配らないといけないので、炊飯の時は気を抜けない。それもこれも、こうして美味しそうに食べてもらうため。幸せそうに食事を頬張る姿は、作り手にとって最高のねぎらいだ。
「肉団子もプリプリとしてて美味しいね。ボクすごく気に入ったよ」
「お野菜も味がしみてホクホクなのです」
「肉団子と黒茸がいい出汁になっているし、オレガノさんにもらった野菜が新鮮だったから、今日のスープは特別うまいな」
さすが上級商人だけあり、持っているマジックバッグも高性能だった。しかも温度管理がシビアな商品を運ぶため、冷蔵機能のある保管庫を入れている。とても手を出せる値段ではないが、これは俺も欲しい。
「お前さん、儂の専属料理人にならんか? 異世界料理の腕、思う存分ふるってほしいのだが」
「料理を作るのは好きだから、魅力的な提案だと思う。しかし今はいろいろな場所を旅しながら、俺が育てられる従人を探したい。すまないけど、断らせてもらうよ」
「それは残念だのぉ……」
そんなに意気消沈しないでくれ。急に老け込んだ感じがして、罪悪感が半端ないじゃないか。それにどうしてセルバチコまで落ち込む。旅の間にレシピは伝えるから、あとは自分たちで頑張るんだ。
◇◆◇
かなり多めに作ったはずの料理が、きれいに無くなってしまった。水麦の在庫に余裕はあるとしても、精白のほうが追いつかないな。明日からはセルバチコにもガンガン働いてもらわねば……
「二人とも体をきれいにするから、向こうでラフな格好に着替えてこい。今夜もお楽しみタイムの始まりだ」
「昼間あれだけ触ってるのに、まだモフり足りないのかい?」
「当たり前だ。これでも一日中モフりたい欲求を、我慢しているくらいなんだぞ」
「キミの変態性はどんどん悪化してるね! ボクとミントの行く末が心配になってきたよ」
「セルバチコと同じくらいの年齢になっても、毎日モフってやるから心配するな」
「それはちょっと嬉しいかもしれないのです」
「その頃にはブラッシングのし過ぎで、丸坊主になってそうな気がするよ……」
そんな訳あるか。俺たち上人と違って、野人は死ぬまで毛が薄くなったりしないんだぞ。セルバチコのようにしっぽや耳の先端が白くなることはあっても、禿頭になるやつはいない。
五歳しか違わないオレガノさんとセルバチコを比べてみろ。少し髪の毛が後退しているオレガノさんに比べ、セルバチコは若い野人と変わらないボリュームを保っている。毛が抜けるとすれば病気やダニが原因だ。それを防ぐためにも、ブラッシングは必須!
「オレガノさんとセルバチコも、二人のあとで着替えてくるといい。服はまとめて清浄魔法で洗濯するから、俺に渡してくれ」
「お前さん、ちと働きすぎだろ。魔力を使いすぎると、明日に響くぞ」
「昼間に使った分は、ほぼ回復してる感じだから問題ないぞ。五人分くらいのホットミストと洗濯程度なら余裕だ」
「本当に化け物じみておるな、お前さんの魔力は」
化け物はないだろ。さすがに今のレベルと魔力じゃ、広域殲滅魔法とかには足りないと思う。その手の魔法が使える通称〝魔力タンク〟なんかと比べれば、まだまだ俺の総量は少ないはず。
「私は見張りを担当しますので、この格好のままでも構いませんが」
「見張りはミントがいれば必要ない。あいつは寝ていても音に敏感でな。なにかが接近してくれば、必ず目を覚ます」
「あの子にそのような特技が……」
まあ屋敷に住んでいた頃は、大きな音で脅かされたり、夜中に睡眠を邪魔されたりしていた。そうじゃなかったら、仕事中に寝落ちしたりしない。この世界にも精神干渉系の魔法があれば、虐めていたやつに悪夢を見せてやれたのに。
などとサーロイン家のことを思い出していたら、二人が着替え終わって戻ってくる。
「よし、シトラスから綺麗にするぞ」
「んー。今日はいっぱい動いたから、すごく気持ちいいよ」
「次はミントな」
「温かくてさっぱりするです。いつもありがとうございますです、タクト様」
自分も着替えをしてホットミストで体を洗い、一緒にオレガノさんとセルバチコもやってしまう。野営場所に戻ったあとは、いつものように二人のしっぽと耳をブラッシングし、香油に漬けて乾かしておいた木製コームで仕上げをする。
「やはり二人をブラッシングする時が、俺の心は一番満たされる」
「見境のないキミにしては、殊勝なことを言うものだね」
「ゆきずりの野人をモフっても、得られる快感は一時的なものだからな。常に行動を共にするお前たちとは、比べ物にならん」
「そこで快感なんて言うから、気持ち悪がられるんだよ。どうしてそれがわからないのかな、キミは」
「タクト様が気持ちよくなってくださるのなら、ミントは嬉しいですよ」
「よしよし、ミントはいい子だな。耳をコームで梳いてやるから、俺の膝に頭を置くがいい」
「ちょ!? ミントだけずるい。ボクの耳もちゃんとやってよ」
これだけは手を抜かないから心配するな、シトラス。従人が二人に増えて、本当にこの時間が楽しくなった。なにせ、こうやっておねだりするシトラスの姿を、見られるようになったことが大きい。
「儂の祖父も、このように従人たちと過ごしていたのかもしれん」
「心温まる光景ですね」
今日はいろいろなことがあり、元の世界だと絶対にできない経験もした。しかしそれに対する心理的な抵抗感がなかったのは、この世界で生を受けた影響だろう。もし命を奪うことに躊躇いを覚えていたら、冒険者としてやっていけないしな。
最大の懸念が払拭されたし、あとはこの旅を楽しむだけ。今日の出会いに感謝しながら、俺はブラッシングを続けていく。俺たちの姿を優しく照らす大きな月は、今日もきれいだ。
次回から舞台は商業国マッセリカウモ最大の都市、港街タウポートンへ。
そこで手に入れた従人に手を焼く主人公。その理由とはいったい……