0037話 おにぎり
やっと街道まで戻ってこられたが、森に入ってから怒涛の展開だったな。俺たちはまだ体力的に余裕があるとはいえ、年配のオレガノさんはきつかっただろう。魔力も回復しきってないだろうし。
「オレガノさん。少し休憩して食事をしたいと思うんだが、よければ一緒にどうだ?」
「まだまだ若いもんには負けん……と言いたいところだが、やはり寄る年波には勝てんな。お前さんたちさえ良ければ、一緒に休ませてくれるか」
「ボクもうお腹ペコペコなんだ。せっかくだから、みんなでご飯を食べようよ」
「大勢で食べたほうが、ご飯は美味しいのです」
オレガノさんの人となりを見たんだ、二人から反対意見は出ない。俺もゆっくり話をしてみたかったし、もし進む方向が同じなら、途中まで一緒に行ってもいいだろう。食事をしながら、そのあたりのことを聞いてみるか。
「そうと決まればレジャーシートを広げるぞ。俺はおしぼりを作っておくから、シトラスとミントに任せた」
「了解だよ」
「わかったのです」
ハンドタオルを水の魔法で湿らせ、しっかり絞ったあとに木のトレイへ並べる。そこへ電子レンジの魔法を発動し、湯気が出てくるまで加熱を行う。これで熱いおしぼりの出来上がりだ。携帯コンロにセットした水もそろそろ湧くから、フリーズドライスープの用意もしておく。
「お前さんの魔力量、かなり多いのではないか?」
「どうなんだろうな。他人と比べたことはないが、多少多いくらいの自覚はある」
「多少どころではないだろ。集落全戸と住人全員を魔法で綺麗にできるだけでも、とんでもないぞ」
「事象改変の規模を、ギリギリまで抑えてるからな。ホットミストだって、お湯を出す魔法より遥かに低コストだし、おしぼりを温める魔法も効果範囲はトレイの上だけだ」
「私にも使っていただいたホットミスト、大変気持ちようございました」
「いやいや、待たんか。複合魔法は、集中力が必要な技術だ。それをあれこれ作業しながら、安々と発動しおって」
「結局は慣れの問題だぞ? 数さえこなせば、誰にだって使えるようになる」
「その若さであっさり言い切ってしまう辺りが、末恐ろしいのだが……」
オレガノさんと話している間に、朝ごはんと一緒に作っておいたおにぎりも温まった。午前中に狩ったヘビの肉は、晩にでも食べるとしよう。
「よし、準備ができたぞ。今日は森に入っているから、熱いおしぼりで顔も拭いておけよ」
「おにぎりの具はなに?」
「今日は最後のチャーシューと、黒たまりの煮汁に漬け込んだ野菜だ」
「タクト様のチャーシュー、すごく美味しかったのに、もう最後なのですね」
弁当箱のフタを開けると、三角のものと俵型のおにぎりが現れる。食料品は野人の集落に置いてきたし、このさき肉は現地調達するしかない。でもまあ、なんとかなるだろ。
「こっ、こっ……これは!?」
「上人のオレガノさんに水麦を食べてもらうのはどうかと思うが、よければつまんでみないか?」
「かっ、構わんのか?」
「ああ、遠慮せず食べてくれていい」
なにせフタを開けた途端、目がおにぎりに釘付けだったしな。さすが商人だけあって、珍しいものに目がないんだろう。
震える手を伸ばしたオレガノさんがおにぎり取り、ゆっくりと口に入れた――
「ちょっと待ってくれ。なんで泣いてるんだ!? やっぱり口に合わなかったか?」
「違う、違うんだ。儂が六十年間探し求めていたものに、ようやく巡り会えたんだよ」
「私も初めて見る料理ですが、旦那様はこれを知っておられたのですか?」
「儂がまだ幼い頃、祖父に食べさせてもらったことがある。世の中にこんな美味しいものがあったのかと感動して、祖父の元を訪れるたびに作り方を聞いたのだが、死ぬまで教えてはくれなんだ。独り立ちして世界中を旅しながら、これを探し続けていたのだが、まさかこんな場所で出会えるとは……」
その祖父という人物、転生者か異世界転移者に違いない。レシピを秘密にしていたのも、俺と同じ考えに行き着いた可能性がある。これはまた、とんでもない人物と知り合えたな。
「お前さん、このレシピを儂に教えてくれんか? お礼ならどんなものでも差し出す。全財産を譲ってもいい」
「いやいや、金なんかいらないぞ。ただ、教えるのは構わないんだが、一つだけ条件を飲んで欲しい」
上級商人の全財産とか、下手すると大きな街の年間予算並みだ。とてもじゃないが、おにぎり一個とは釣り合わん。
食事を続けながら、精白や栄養のことについて伝えておく。遠慮するなとは言ったが、なかなかの健啖家だな。このままでは量が足りないし、バゲットも切っておこう。
「もぐもぐもぐ……なるほどのぉ。祖父が儂に伝えなんだ理由がわかった。この年になって分別はつくようになったが、当時の儂は他人に言いふらしていただろう。それに成長してから、商売にしようとしたかもしれん」
「野人たちの手が届く方法で普及させられればいいんだが、これも上人が独占しかねないからな」
「しかも野人たちに病気を流行させてしまう可能性が高いと……」
さすが商売をやってるだけあり、理解が早くて助かる。
「タクト様のジャム、甘くて美味しいのです」
「甘いパンですか、それは興味深い」
「セルバチコさんも食べてみたら? 美味しいよ」
「それでは、お言葉に甘えて」
従人の三人は、すっかり仲が良くなっているようだ。
「しかしお前さん、この知識をどこで手にした? 儂はワカイネトコの大図書館に顔が利くのだが、このレシピを知っとるやつは一人もおらなんだ」
「世界最大の蔵書を誇る図書館に顔が利くとか、オレガノさんはやっぱりすごい商人じゃないか」
「言いたくなければ別に構わんぞ。情報というのは、時として武器にも弱点にもなるからな」
「俺には前世の記憶がある。恐らくオレガノさんの祖父も、別の世界で生きていたときの記憶があったか、そこから転移してきたんだと思う」
さすがに突拍子もなかったか……
俺の言葉を聞いたオレガノさんは、難しい顔をして考え込んでしまう。
「ボクたちも聞いたばかりのそれ、言っちゃってよかったの?」
「商売人は信用が命だからな。他人に漏らすような心配は無用だ」
「ふーん。キミがそう言うなら大丈夫だね。あっ、ミント。そっちの黄色いジャムを取ってよ」
「はいです、シトラスさん」
「私は、こちらの赤いジャムを」
お前ら、ちょっと食べ過ぎじゃないか?
俺はマジックバッグからバゲットをもう一本取り出し、魔法を使って輪切りにしたあと表面を軽く炙っておく。
「今にして思うと、祖父の近くにいる従人は、みな笑顔で元気が良かった。お前さんが使役しとる二人と同じようにな。儂がセルバチコとこうして長く付き合えたのも、その影響を受けていたからだろう」
「なるほど、オレガノさんの源流は、その人にあったのか。なら俺と同じように従人を扱っているのも納得できる」
「色々と不思議な人で、面白いことを数多く知っていたよ。どんな人生を送ってきたのか調べてみたが、誰も祖父の若い頃を知らないのだ。もしかするとお前さんが言った転移というもので、この世界に来たのかもしれん」
「水麦の調理法や、おにぎりの存在を知っていたということは、その可能性が高いと思う」
その手のライトノベルは生前にいくつも読んだが、いきなり異世界に飛ばされて苦労したはず。しかしこうして孫まで生まれてるんだから、それなりにいい人生を送れたに違いない。できれば俺も会ってみたかった……
「ねぇ、もうパンってないの?」
「いい加減にしろ、お前ら。こっちは真面目な話をしてるのに、横でパンをバクバク食いやがって。晩飯が食べられなくなるから、それくらいにしておけ」
「あうー、ごめんなさいです」
「申し訳ございませんでした、タクト様」
まったく。ジャムも半分近く無くなってるじゃないか。
次回は「0038話 旅は道連れ」。
食事回が続きます(笑)