0036話 理科の時間
掘っ立て小屋に近づくと、酒の匂いに混じって独特の臭気がする。壁板の隙間から中を覗いてみたが、囚われているのは一人だけのようだ。細くて長いしっぽをドロドロに汚しやがって。絶対に許さん!
「あいつら遅いぞ。どこまで狩りに行ったんだ?」
「この辺りは人通りも少ないからな。待ち伏せとかいいながらサボってんだろ」
「手ぶらで帰ってきたらお仕置きしてやる」
残念だったな。そいつらは二度と戻ってこないぞ。
「しかし、やっぱりこの辺りは実入りが良くないな」
「この稼業を長く続けるコツは、荒稼ぎをしないことだ。野人どもの巣をねぐらにして、切り捨てられる手下を使う。それを守ってきたから、こうして好き放題やれるんだぞ」
「それはわかってるが、ここの連中は反応が悪くてつまらん」
「全員で散々使ったあとなんだ、とりあえず今は我慢しとけ」
まったく、聞くに耐えん。さっさと黙らせるか。
「(下手に騒ぎをおこすと、あの野人が危ないぞ?)」
「(風のない屋内限定で有効な魔法があるんだ、それを使ってみる)」
俺はさっきから発動していた魔法を操作し、男の周辺だけ二酸化炭素濃度を上げる。耳に届くだけで不快な会話を聞いていたのは、呼気に含まれるものや周囲の空気から集めるため。酒を飲んだりゲラゲラ笑っている男たちは、状況の変化にまったく気づかない。なにせ二酸化炭素は無味無臭かつ無色透明だからな。
しかし気中濃度が三十%を超えると、ほんのわずかな時間で意識が消失してしまう。
「(な!? 男たちだけ倒れおったぞ)」
「これで当分、目を覚まさないはずだ。俺は野人を保護してくるから、オレガノさんはシトラスたちを、少しだけ足止めして欲しい。今の惨状はあの二人にとって、刺激が強すぎるからな」
「お前さんは、本当に従人を大切にしとる。よかろう、儂に任せておけ」
オレガノさんと別れた俺は、扉を開けて家の中へ入る。生活魔法や水をろくに使うことなく、行為にふけってたんだろう。臭いがきつすぎて鼻が曲がりそうだ。とりあえず換気から始めるか。
「ひぃっ!? また新しい上人。もういや、助けて」
「あー、心配するな。こいつらを倒したのが俺だ。なにもしないから、騒ぐのだけはやめてくれるか?」
「(コクコクコク)」
震えながらうなずく姿を確認し、家の中にあった敷布とロープで、男たちを簀巻きにしていく。こんな汚いものを、シトラスやミントには見せられん。
蓑虫になった男は家の隅に転がしておくとして、次は床に飛び散った汚れだな。そこら中に散乱した食べかすや、好き放題やらかした汚れで酷いことになってやがる。
換気魔法をフル稼働しながら跳ね上げ式の窓を開け、清浄魔法で分離した汚れを全て外に放り出す。
「……すごい。家の中がどんどん綺麗に」
「お前の汚れもすぐ落としてやる。毛布はそのままでいいから、動かずじっとしていろ」
「はっ、はい」
俺が近づくだけでビクリと体を震わせたが、なんとかその場に踏みとどまってくれた。
「あっ!? 温かくて気持ちいい」
「ここにいた連中は、まとめて魔獣の餌にしてきた。そこに転がってる二人も、すぐ捨ててくる。もうこんな事をしなくていいからな」
「本当……ですか?」
「他に捕まってる野人も、全員助けてやる。だからもう、何も心配することはないぞ」
「ふっ……うわぁぁぁーん」
毛布を抱きしめて泣き出してしまったか。まあ、こうなってしまうのも仕方がない。ホットミストの洗浄と乾燥が終わったし、頭を撫でてやるとしよう。
「体の汚れや怪我は消してやれるが、心に負った傷は時間にしか治せない。つらいと思うが、集落の仲間たちと一緒に乗り越えてくれ」
うむ。耳の中に生えているフワフワの毛は、とてもさわり心地がいいな。シトラスやミントとは違う、独特の手触りがある。猫系の野人というのも、良いものだ。
「うぅ……ぐすっ……はい」
「あー! 野人を泣かせて何してるのさ、キミは」
「どこか痛いのでしょうか?」
せっかくいい雰囲気だったのに、シトラスたちが乱入してきた。俺が野人を泣かせるわけ無いだろ。あちこち綺麗にしたあととはいえ、もっと状況をよく見て判断してもらいたい。
「あっ……あの、この人たちは?」
「いま声をかけてきた二人は、俺の従人だ。そして後ろにいるのは、野盗の討伐に手を貸してくれた協力者。全員味方だから心配するな」
「まったく。キミはちょっと目を離すと、すぐ野人に手を出すんだから」
「慰めていただけなのに、なんて言い草だ。それより他の野人たちを助けに行くぞ。さっさと付いてこい」
「はいはい、わかったよ」
「ハイは一回でいい」
「あんなにニヤけた顔で耳をモフってたくせに、なに偉そうにしてるのさ」
ニヤけていたんじゃない、未知の触感を体験して、ちょっと夢中になってただけだ。なにせ大人のネコ耳をモフったのは初めてだったからな。これは不可避な現象であったと言えよう。
◇◆◇
縛られた状態で一か所に集められていた野人を開放し、全員の体や衣服を洗浄しておいた。森へ捨ててきた野盗のボスがマジックバッグを持っていたので、オレガノさんに所有権の移譲手続きをやってもらう。上級商人がいると、こんな場合にとても助かる。
「この度はありがとうございました。しかし、こんなに色々頂いてよろしいのでしょうか?」
「盗品だろうから後ろめたいかもしれないが、食料品はどうしても傷んでしまうからな。野盗どもが占拠していた間、ろくなものを食べていないだろ? 少しでも体力を回復させて、集落の復興に励んでくれ」
「あんな酷い目にあってたんだから、賠償の品とでも思っておけばいいんじゃないかな」
「服もタクト様が全部洗ってくれましたから、安心して着られるですよ」
現金や宝飾品のたぐいは街へ届け出をしないといけないが、食料品と衣類くらいなら自分たちの好きにしても問題ない。モフモフの役に立てば、奪われた人たちも報われるはず。
「あの……えっと、タクト様はその……従人を増やしたりはしないのですか?」
「すまんな。もう二人も従人がいて余裕がないんだ。それに静かに暮らしたいから、こうして人里離れた場所にいるのだろ?」
「……はい」
俺が助けた猫種の野人には、吊り橋効果みたいなものが発生してるだろう。その状態だと、判断力や認識が歪んでいるかもしれん。シトラスもやたら警戒してるし諦めてくれ。
「一時的な感情に流されて決断すると、一生後悔することになりかねない。それではお互いが不幸になるだけだからな。これから時間をかけて、自分の気持ちと向き合ってみるべきだ」
「わかりました。でもタクト様やオレガノ様に会ったこと、決して忘れませんから」
ビット数も普通の野人だったし、これで少しは冷静になってほしい。あの長いしっぽは実に惜しいが! 一度モフらせてもらえば良かった……
「もっともらしいことを言ってるけど、視線がしっぽに釘付けなのバレバレだからね」
「長いしっぽは羨ましいのです」
チッ。やはりバレていたか。
「本当にお前さんたちは、良いコンビだな」
「このように不思議な主従関係は、私も初めて目にしました」
普段からお互いに言い合える関係でないと、阿吽の呼吸とか無理だからな。そこが噛み合わないと、魔法のサポートが遅れたり、予測できない動きをされたりする。強くなるために一番近道だという俺の理論、決して間違っていないはず。
「ともかく俺たちは旅の途中なんだ。いつまでもここには、とどまっていられん。しばらく大変だと思うが、達者で暮らしてくれ」
それぞれ別れの挨拶をすませ、野人の集落をあとにした。お昼を食べそこねてしまったから、シトラスたちも腹をすかせてるだろう。街道に戻ったら、軽くなにかを食べておくか。
次回は、意外な事実が判明。
「0037話 おにぎり」をお楽しみに!