0030話 キツネの母娘
両側から柔らかいものに包まれて幸せだ。それに二つのモフモフが実にたまらん。こうやって抱き寄せていると、シトラスもずいぶん柔らかくなったと実感できる。最初の頃は、骨や筋の張り具合が感じられていたしな。
そうした体の変化を受け、動きにしなやかさが増してきた。シトラスたち狼種が持つ、本来の身体能力を発揮できているんだろう。
反対側にいるミントは、どこもかしこも柔らかい。元々まろやかなものを二つも持っていたが、食事事情が影響したのか、さらなる発達を遂げている。まだ十二歳なのに末恐ろしい。
それにこのうさ耳を見ろ。モフ値が低いなどと侮っていた当時の俺に、言ってやらねばならん。こいつは最高だと!
野営で使うのはどうかと思っていたが、この大きく膨らむクッションも素晴らしすぎた。少し冷える夜でも快適に寝られるし、何より背中が痛くならない。しまう時は圧縮袋に入れた布団のようになるので、マジックバッグの容量を取らない点も良くできている。
「ん……ふわぁ。……おふぁようございますです、タクト様」
「よく眠れたか?」
「夜中に近づいてくる物音もしなかったですし、こうしていつものように肩をお借りできたので、ぐっすり眠れたです」
野営でも安心して眠れるのは、ミントの持つ聴力のおかげなんだよな。お礼も兼ねて耳をモフっておこう。
「はうぅーーー。気持ちいいれふ、タクト様ぁー」
「ここか? ここがいいのか?」
「……朝から人の横で乳繰り合うのは、やめてくれないかな」
触ってるのは耳だぞ?
「シトラスの耳もモフってやるから、朝から怒るな」
「別に触ってほしいから怒ってるわけじゃないよ!」
とか声を荒げつつ、触るなとは言わない。こんなところが実に可愛いやつだ。
朝からダブルモフモフも堪能できたことだし、そろそろ朝食の準備を始めるか。
◇◆◇
昨日のうちに作っておいたおにぎりと、フリーズドライのスープで朝食をすませ、出発の準備を開始する。やはり中に入れる梅干しやツナマヨがあれば……などと考えていたら、ミントがなにかに気づいたようだ。
「あっちの方から、なにか近づいてくるです」
「動物か?」
「ミントたちの足音と同じですから、たぶん野人なのです」
「人数はわかる?」
「一人だけなのです、シトラスさん」
ミントの指差す方には背の高い草が生え、遠くの方は見通せない。この近くに集落がないのは、昨日森へ入ったシトラスが確認している。こんな朝早くに、一人で街道の方へ近づいているのは、少し気になるな。
「ボク、ちょっと見てくるよ」
「危なそうなやつなら、いったん戻ってこい。なにか困っているようなら、話くらいは聞いてやろう」
「わかった。行ってくるね」
昨日と同じように、畦道を颯爽と走っていくシトラスを見送り、念の為ミントにも武器を渡しておく。今の身体能力があれば、間違って刺されることもないだろう。
――多分。
「シトラスさん、大丈夫ですか?」
「今のアイツなら、一対一の相手に遅れを取ることは、まずないはずだ」
集団で近づいてこない辺り、野盗の線は薄い。もし斥候がターゲットの品定めに来ていたとしても、街道まで逃げてしまえばなんとかなる。傭兵として野盗狩りを積極的に行い、各地を放浪してる冒険者もいることだし……
「おーい! なにか困ってるみたいだから、話を聞いてあげてよー」
あれこれ考えていると、シトラスが手を振りながら歩いてきた。後ろにいるのは子供を抱いた母親か? 遠目で見る限り狐種のようだな。
しかし子供の様子が明らかにおかしい。自分のしっぽをバリバリと掻きむしっている。そんなことをしたら毛が傷んでしまうぞ。これはダメだ、絶対に看過できん。貴重なモフモフを守るためにも、早急にやめさせねば。
「なにかの病気なのでしょうか?」
「近づいてみなければわからんが、病気とは違うかもしれない」
子供のしっぽは毛が所々抜け、まだら模様になっているようだ。もし原因がアレだとすれば、母親も同じように痒くなっているはず。
「なんか痒み止めになる薬草を探してるみたいなんだけど、キミってそういうのに詳しいだろ。この近くに生えていそうな所ってないかな」
「うわーん、かゆいよー、おかーさん」
「薬草を使えば、一時的に痒みが収まるかもしれん。しかし根本的な解決にはならないぞ」
「あの……それはどういう事でしょうか?」
子供を抱いた母親が、ビクビクしながら話しかけてくる。着ている服が継ぎ接ぎだらけでボロいのは、やはり街から離れたところに住んでいるせいか。こうした部分は、街で出たゴミを再利用可能な環境で暮らしている野人との、大きな違いだな。
「この子供の背中やお尻に、赤い斑点ができてないか?」
「痒がりだしてからしばらく経って、お尻のあたりに赤いブツブツがいくつも出てます」
「それから、アンタのしっぽも痒くなってるだろ?」
「はい。この子のお尻に赤いブツブツが出だした頃から、私もしっぽがとても痒くて……」
これは野人にしか感染しない、ダニによる炎症で間違いない。この様子だと、集落全体に広がっていそうだ。ここで一時的に治療しても、すぐ再発してしまう。
いくら痒みを我慢しても、症状が進んで皮膚が角質化してしまうと、しっぽの毛は抜け落ちる。貴重なモフモフが失われるなど、絶対に許すことはできん。こうして関わった以上、根本から原因を断ち切ってやろうではないか!
「あー、この目はアレだね」
「タクト様が燃えてらっしゃるです」
「我慢できないほどの痒みが発生するのは、目に見えないほどの小さな虫が原因だ。この様子だと集落全体に感染が広がっているだろう。違うか?」
「みんな痒がって、とても苦しんでいます。ですが上人のお医者様に診ていただくお金も、差し出せる物も……」
「俺は医者じゃないし、対価を要求したりしない。モフモフが苦しんでいるのを、放っておけないだけだ」
なにを言ってるのかわからないという顔で、俺を見るんじゃない。二人とも四ビットしかない野人だが、なかなか良いしっぽを持っている。それが失われるなど、世界的な損失だ。
「ですが、愛玩用の従人を二人も連れてらっしゃいますし」
「そんなに不安そうな顔をするな。野盗と違って体を要求したりもしないと約束しよう」
「変なことをしようとしたら、ボクが止めるから大丈夫だよ。ボクってこいつの数倍は強いからね」
「タクト様にお任せすれば大丈夫なのです。きっと皆さんを助けてくれるですよ」
まあこの辺りに住んでるということは、従人になりたくないと思っている者も多いだろう。俺のことが信じられないのも仕方がない。こうなれば行動で示すしかないな。
「まずはこの子も痒みを、少しだけ和らげてやる。ミントはこの人に短剣を貸してやれ」
「それはいいのですけど、どうしてです?」
「もし子供に変な真似をしたら、俺のことを遠慮なく刺していい。それなら少しは安心して任せられるだろ?」
「そこまでしていただかなくても……」
女性はかなり逡巡していたが、抱いていた子供を地面におろして短剣を受け取った。こうして話している間も、子供はしっぽを掻き続けている。早くなんとかしたやったほうがいい。
「かゆいの、なおる?」
「お前に取り付いている虫は、急激な温度と湿度変化にとても弱い。少し熱くなったあと冷たくなるが、我慢できるか?」
「かゆくなくなるなら、がまんする」
「よし、なら始めるぞ」
三歳くらいに見える子供の前に座り、しっぽをいつもより温度の高いミストで包む。
「ふえっ!? あつい!!」
「すぐ終わるから少しだけ我慢していろ」
毛の間までミストがしっかり行き渡ったのを確認し、脱水したあと急激に冷やす。
「こんどは、つめたいー」
「よし、泣かずによく我慢できたな。えらいぞ」
頭を撫でるついでに、少しだけ耳をモフらせてもらおう。シトラスがジト目で見ているが、気にしたら負けだ。
「あれ? あんまりかゆくない」
冷やすと痒みは一時的に収まるからな。あとは念の為に、髪の毛にも同じ処置をしておくか。
「この虫は、しっぽから徐々に頭の方へ上がってくる。背中に赤い斑点ができてなければ大丈夫だと思うが、ついでだから頭も綺麗にしておくぞ」
「あたまにも、さっきのやるの?」
「平気か?」
「うん、へいき!」
さっきまで辛そうにしていたが、元気になったようで何よりだ。やはりモフモフの笑顔は癒やされる。よし、サービスで全身きれいにしてやろう。
頭だけ温度の高いミストと冷却を施し、服や体は普通のホットミストで洗浄していく。そのあと俺はマジックバッグから一本の薬瓶を取り出す。
「これは虫を寄ってこなくする薬だ。しっぽの付け根と、うなじに一滴たらすからな」
「わかった!」
「あの……お薬まで使っていただいても、構わないのですか?」
「従人の健康管理は俺の役目だ。なので、この手の薬は多めに用意している。まだ予備があるから心配しなくてもいい」
めったに感染しないとはいえ、ダニの発生源は森の中にある。毎日風呂に入ってブラッシングしていれば大丈夫だが、旅の間はなにがあるかわからんからな。備えあれば憂いなしってやつだ。
子供に薬をたらしたあと、母親も同じようにダニ退治をしておく。あとは集落まで案内してもらい、繁殖したダニを根絶やしにしよう。