0003話 俺の名は。
契約を終え、シトラスと一緒に従人販売店を出る。契約主の証である指輪を発行してもらい、在庫処分ということでかなりの割引きを受けられた。いい買い物ができて大満足だ。
「それで、キミの名前は?」
「そういえば指輪を作る時には着替えで席を外していたし、契約書に書いている字も読めなかったよな」
「当たり前じゃないか。ボクたちにそんな教育を受ける機会なんて、ないからね」
「まあ文字と計算くらいは、俺がおいおい教えてやる。それより名前だったな。俺の名前はタクトだ。家名はないから、好きに呼んでくれていいぞ」
本当の名前はセージだが、もう家を捨てたんだ。これからは前世の名前である、香坂拓人を名乗っていくと決めた。戸籍なんてない世界だから、名前を変えることになんの問題もない。さっき発行した指輪にしろ、自分の身分を証明するものは生体認証が主流だしな。
「才人でもあるまいし、家名なんて必要ないだろ? 変に見栄を張るのは、やめたほうがいいよ」
「確かにシトラスの言うとおりだ」
使役契約が成立して諦めたのか、シトラスは素直に俺の後をついてくる。指輪と繋がったリードを出して、無理やり引っ張ることもできるが、その必要はなさそうだ。
しかし下層はやはり従人が多い。首に黒い従印の浮き出た野人を、そこかしこで見かける。主に農作業や荷運びの肉体労働で酷使されるから、男の数が圧倒的だ。女のほうが多く、家からほとんど出してもらえない上層とは大違いだな。
「従人を買えるってことは、そこそこお金を持ってるんだよね。キミの年齢はいくつなんだい?」
「お前と同じ十五歳だぞ。しかも誕生日を迎えたばかりだ」
「ふーん、ボクのほうが少し歳上なのか。態度も大きいし目つきも悪いから、てっきり二十歳を超えてると思ってたよ」
顔は母親譲りでそこそこ整っているが、薄暗い場所で本ばかり読んでいたから、目つきは悪くなってしまっている。それに前世分の経験もあるので、同年代より落ち着いているのは確かだ。
「金は子供の頃からコツコツ貯めていたしな」
離れで暮らす俺には生活費の名目で、いくらかお金をもらえていた。本を読む以外これといった趣味はなく、兄弟のように街で散財するのも控えていたので、ほとんど手を付けていない。
加えて家にある不用品を売って、稼いだお金もあったりする。これを実践できたのは、明確な目標があったことと、前世でフリマアプリを活用していたおかげだな。
シトラスが安く手に入ったこともあり、しばらく暮らしていくのに困ることはないだろう。
「子供のお小遣いで買えるなんて、ボクは一体どれだけ安く売られたんだ……」
「四等級は買い叩かれるのが世の常だ、そこは諦めろ」
「しかもこんな性格の悪そうなやつと契約させられるなんて、いい迷惑だよ」
「お前があのままパピーミルに飼われていたら、繁殖用の母体になってたぞ。それより随分ましだと思うが?」
「人の股間を凝視する変態と、大して変わらないと思うけどね!」
見ていたのはそこじゃない、しっぽだ。
今はシュンと垂れ下がっているが、そのうち全力で振らせてやるからな。
覚悟しておけ。
「そういえばシトラス。この街を歩くのは初めてか?」
「従印のない野人が街へ入れないのは、キミも知ってるだろ?」
「ああ、もちろんだ」
「ボクの住んでた集落に来た連中が無理やり従印を刻んだあと、窓のない荷車に詰めこんで運ばれたんだ。集められた場所でもずっと檻の中だったから、街のことを知る機会なんてなかったね」
「繁殖用の野人を集める、よくあるパターンだな。薄利多売か一発逆転でも狙って、見境なく従印を刻んだってところか。そういうやつは、たいてい失敗するんだ」
「そんな博徒に捕まったおかげで、今のボクは目的地も教えられないまま、知らない場所を歩かされてるよ」
「なんだ、街を歩くのが不安なら、手でも握ってやろうか?」
「べっ、別に不安だなんて思ってないよ! 余計なことをしないでくれるかな」
しっぽが萎れたままなので、気持ちが落ち込んでいるのは確かだろう。だが言い返す元気があれば大丈夫だな。空元気も元気のうちってやつだ。
「とりあえず今日と明日は買い物をするぞ。生活に必要なものを揃えないとだめだし、住む場所も探さないと野宿するはめになる」
「キミねぇ……そんな状態でまずボクを買うとか、バカじゃないのかな」
「ほっとけ! 俺にとって従人を手に入れるのは、人生で最も優先すべき事項なんだ。なにせ前世からの夢なんだぞ」
「ゼンセ? なんだい、それは」
「いや、俺の個人的な都合だ。そのことは忘れてくれ」
「まあキミの都合なんてどうでもいいけど、やっぱり変人だね」
俺はただのモフモフ好きだ、変人と一緒にするな。
なにせ前世の俺は、重度のアレルギー持ち。ペットを飼うことは出来なかったし、食べ物にも気を使わないといけない生活を送っている。制約ばかり多く、つらく不自由な生き方を強いられてきた。仕事は在宅だったから、生活に変化とうるおいが欲しい。こんなときに犬や猫がいれば、どれだけ癒やされたことだろう。毎日のように、そんな事を考えていた。
テレビの動物番組を見たり、ネットのペット動画を見て、悔し涙を流したこともあるんだぞ。
そんな俺が転生し、アレルギーとは無縁の体を手に入れたんだ。しかもこの世界には獣人がいる。使役契約をすれば、こちらの思うままにモフれるなんて、素晴らしいじゃないか。ビバ・異世界!
だから第二の人生――いや、家を出て名前も変えたし、第三の人生になるか。せっかく手に入れた自由を、思う存分満喫してやる。そんな夢の第一歩が、先ほど手に入れたシトラスという、口は悪いが可愛い従人だ。俺色に染め上げてやるから、楽しみにしておくがいい……
「おーい。そんなところに立ち止まってると、通行の邪魔なんだけど」
「おっといかん、思わずトリップしていた」
「妄想癖まであるなんて、ボクは先行きが不安になってきたよ」
何やら俺の評価が、どんどん下がってきてるな。まあいい、それはおいおい上げていくとしよう。それよりまずは食材と調理道具の調達だ。従人は店内で食事ができないので、屋台で買うか誰かが作るしかない。前世でもアレルギー物質を避けるために自炊をしていたし、異世界の食文化を披露してやるとするか。
明日は7時/12時/18時に投稿します。
引き続きお楽しみいただければ幸いです。