0029話 出発
乾いた土地と湿地を隔てる壁を抜け、三人で街道へと出る。いつもは畦道を通り森へ行くのだが、今日はこのまま西を目指す。ここジマハーリの街は、スタイーン国では中堅都市だ。しかし国の端に位置することもあり、人の流れはあまり多くない。
「この時期は晴れが続くし、野営するにも丁度いい季節だ。急ぐ旅でもないし、事故や怪我の無いようにな。特にミントは迷子にも気をつけろ」
「あのときは大道芸に夢中になってただけなのです。いつまでも子供扱いするのは、やめてほしいのです!」
「まあこんな見通しのいい場所で迷子にはならないだろうけど、道を踏み外して沼地に落ちないようにしないとね」
「うぅー、シトラスさんまで……」
あれから大量の作りおきや精白した水麦を準備し、旅に必要なものを詰め込んだマジックバッグが、一杯になってしまった。携帯コンロも買っているし、現地調達できる食材を利用すれば、長旅でもそこそこ美味しいものが食べられるはず。
央国ヨロズヤーオの南に広がる大湿地帯には、大きな街が存在しない。少し北上して学園都市ワカイネトコや、南下した先にあるリゾート地ゴナンクを経由するのも手だが、今回の旅はまっすぐマッセリカウモを目指すことに。
なにせ海産物を早く手に入れたい。出汁の材料になるものが見つかれば、レシピの幅が大きく広がるからな。
「だけどこうして手ぶらで旅ができるのは楽だね」
「大きな荷物を背負った方もいますし、荷馬車も走ってるです」
「いくらレベルの上がったミントでも、馬車に轢かれると怪我するからな。ぶつからないよう気をつけるんだぞ」
「もー、タクト様はミントのことバカにし過ぎなのです!」
「ほら、言ってるそばから道を踏み外しかけてるじゃないか」
「あうぅー」
ほんとにコイツラといると、楽しい時間を過ごせる。これなら旅の間、退屈することはないだろう。前世も含めて徒歩での長距離移動は俺も初めてだ。トラブルも楽しみながら、目的地にたどり着ければいい。それくらい気軽な心構えで、のんびり行くとするか。
「バカやってないで出発するぞ」
「キミがミントをいじらなければ、いいだけの気もするけどね」
「そのとおりなのです」
周りに気兼ねなく騒げるよう徒歩移動を選んだんだ。やめられるわけ無いだろ。なにせ乗合馬車なんぞ選んだら、客室に入れるのは俺だけだしな。それに食べるときや寝る時も、人の目を気にしないといけない。初めての旅を、そんなツマラナイものにすることはできん。
第一お前たちのせいで、俺はモフモフを堪能しながらでないと、眠れない体質になってしまったんだぞ。旅の間も一晩中、俺の愛を感じながら寝てもらうじゃないか。
◇◆◇
時々ジョギング程度の速度で走ったりしながら、順調に街道を進んでいく。周りは見渡す限り湿地帯なので、景色を楽しみながらというわけにはいかない。遠くに森や山があるから、まったく変化がないというわけでもないのだが……
「このあたりまで来ると、野人もあまりいなくなるんだね」
「少し離れた場所に集落くらいあると思うが、街道の近くには寄ってこんだろ。道の近くでうろついてると、上人に追い払われたりするからな」
「街の近くだとそうでもないよね?」
「あの辺りで暮らしている野人は、強くなりたいという欲求を抱えたものばかりだ。だから将来の従人として価値がある。しかし街から離れた場所になると、自分の気持ちに折り合いをつけ、静かに暮らしたいと願う者が多い。そんな覇気のないやつを従人にしても、働きには期待できないだろ?」
「それで邪魔者扱いされるのですね」
おかげで最近すっかり習慣になった、ビット数の確認がはかどらない。すぐに従人を増やす予定はないとはいえ、ちょっと物足りない気持ちになってしまう。
「強くなりたいって気持ちを諦めるなんて、ボクにはできそうもないよ」
「ミントはずっと気にしたことなかったですけど、レベルが上がるのはすごく嬉しいってわかったのです。これもタクト様のおかげなのです」
「レベルアップの欲求は、野人の本能みたいなものだしな。ある意味、持っている方が正常ってことかもしれん」
「その気持に抗いきれず、不幸になる従人が多いってことさ。しっぽや耳に欲情する性癖を持った変態に、使役されてるボクらみたいにね」
「よし、シトラス。今夜こそしっぽ枕で眠らせてもらうからな」
「あっちに見える森に、なにか食べられるものがないか、ボク探してくるよ!」
そう言い残して、ダッシュで俺から離れていく。そろそろ野営の準備をする時間だし、タイミング的には丁度いい。畦道の先に、木の生えた場所がある。あの根本で今夜は寝ることにするか。
「シトラスさんはタクト様のブラッシングが好きなのに、なかなか素直になれないのです」
「ああいうところが可愛いんだ。好きにさせておけばいい」
「今夜からお風呂に入れないのが残念です。タクト様にブラッシングしていただくと、部屋中に石鹸のいい匂いがしたですのに……」
「俺のホットミストで体はきれいになるが、匂いだけは再現できないからな。だがトリートメント効果のある香油を買っている。旅の間はそれを使ってやろう」
「嬉しいのです、タクト様。今夜のブラッシングも楽しみなのです」
ミントはすっかり自分を磨くことに抵抗がなくなったな。反面シトラスは、まだ無頓着なところがある。とはいえ、自分の身なりに気を使うようになった点は、大きな進歩だろう。さっきだって泥跳ねしないよう、うまく走り去っていた。最初にスライムを倒したときとは大違いだ。
「よし、今夜はここで泊まるぞ。周りは湿地だから、誰かに邪魔されることもないだろう。街道に設置されてる結界は、このあたりもカバーしている。危険な動物も近づけまい」
「ミント、旅の間も精白を頑張るです!」
「保存食のパンより、水麦のほうが断然うまいからな。よろしく頼むぞ」
長距離を移動する時の主食は、ガチガチに固いパンと干し肉あたりが定番。当然のことだが、全く美味しくない。その点、炊く手間がかかるとはいえ、水麦は長期保存に向いた食材。これを有効活用しないなんて、この世界で暮らす連中は本当に愚かだ。
地面に防水と保温効果のあるシートを広げ、その横に脚付きの携帯コンロを設置する。そこで水麦を炊いていたら、シトラスがなにかを抱えて戻ってきた。
「動物は見つからなかったけど、キノコがあったよ」
「これは平茸じゃないか。よく見つけたな」
「ここの森ってあまり人が入らないみたいだから、残ってたんだと思う。他にもいくつか見つかったし」
これだけの量があれば、十分おかずになる。寒い季節なら鍋でもいいが、ここはベーコンと一緒にバターで炒めるか。
受け取ったキノコを塩水につけ、汚れと一緒に虫を追い出す。水を切って魔法で軽く乾燥させ、炒めたベーコンが入ったフライパンへ投入。焼き色がついたら追いバターを入れ、黒たまりの煮汁を回し入れれば完成だ。
「今日はキノコの炒めものと、お湯で戻した野菜のコンソメスープにした。おかずは一品しかないが勘弁してくれ」
「外でこんなごちそうが食べられるんだ、文句なんてないよ」
「これに文句なんて言ったら、バチが当たるです」
物資を大量に運んでいる大手商会や、随伴する馬車を引き連れて移動する才人でもない限り、狩りで手に入れた動物と野草を入れて塩で煮るのが、旅行中のごちそうだったりするからな。確かにそのことを思えば、かなり贅沢な食事と言える。
美味しそうにご飯を頬張る従人たちの姿を見るのは、俺の楽しみでもあり生きがいだ。できるだけこのクオリティーは維持したい。
そんな決意をしながら、俺たちは最初の夜を迎えた。