最終話 新しい命
臨月に入ったシトラスを支えながら、ベッドルームを出て食堂へ向かう。安全性を考えたら一階で生活するべきなんだろうけど、従人用の小部屋しかないんだよな。巨大ベッドが置ける広さなのは、リビングか食堂だけ。そこで寝起きするなんて無理だ。
だからといって、シトラスだけ離れて生活するなんて選択肢も選べない。本人が嫌がってるし、ユーカリにも断固反対されてしまった。なにせ彼女もあと数週で臨月に入る。狐種の妊娠期間は、シトラスたちより更に短い約二ヶ月なので、あっという間にその日が来てしまう。
「ほら、支えてやるからゆっくり降りるぞ」
「優しくしてくれるのは嬉しいけど、過保護すぎじゃないかな」
「大丈夫だとわかっていても心配なんだから仕方ないだろ」
「あの兄さんが、こんな世話焼きになってしまうなんて、ちょっと驚きです。もし私が身ごもったら、同じように手助けしてくれますか?」
「今よりもっと気をつけるつもりだぞ。妊娠中に激しい運動をしても大丈夫な獣人種と違い、上人は転ぶだけでも危ないからな。ニームが学園を卒業するまでに邸内を改造して、エレベーターを作ろうかと計画してるくらいだ」
ペッパーやクローブと共同で、昇降装置を研究中だからな。物体操作魔法があれば複雑な機構を付けずに、安全装置だけでエレベーターを実現できる。
「タクトさんの至れり尽くせりっぷりが凄いっす」
「ユズが僕の子供を生むときに備えて、皇居内にもエレベーターを付けるからな」
「クローブの愛情が身にしみるっす」
相変わらず仲睦まじい二人の姿を見て、思わずほっこりしてしまう。魔法演算理論の発表で、一躍時の人になってしまったクローブだが、当の本人はどこ吹く風。ユズとの時間を最優先にしたいと、研究成果を全て学園へ譲渡している。
聞けば、俺のやり方を真似たらしい。メドーセージ学園長に任せた方が、学会でも素直に受け入れてもらえるから、いい選択だと思う。報酬は結婚資金にするとか言ってたので、二人の子供とは遠くない未来に会えそうだ。
「二人の子供、早く見たい」
「お酒や味噌づくりが軌道に乗って、アインパエで本格的な生産が始まったら、頑張って励むっすよ」
「そこにいる、やらかし王子が一枚噛んでるんだ。ミルラの希望なんて、すぐ叶う」
やらかし王子なんて言うなよ、クローブのやつめ。米の安定供給に名乗りを上げた、デュラムセモリナ穀物生産卸売協同組合。流通関係を引き受けてくれるタラバ商会。俺はそのへんの橋渡しをしただけで、実態はマッセリカウモ国とヨロズヤーオ国、そしてアインパエ帝国が共同で行う、国家プロジェクトなんだぞ。
なにせアインパエ帝国は水がいい。皇家が保有していた土地に蔵を建て、良質な水源も確保ずみ。あとは設備の調整と職人の育成をすれば、いつでも始められる。昨夜の打ち合わせで聞いた進捗状況を話しながら、ゆっくり階段を下っていく。
「あっ、おはようタクトさん、ニームちゃん」
「おはよう、クミン」
「おはようございます、クミン」
「たくと、たくと」
階段を降りきったところでクミンたちと遭遇。ラベンダーと手をつなぎ、よちよち歩きで近づいてくるリコリスに気付き、両手を広げながらしゃがんで待つ。
「ほら、もうちょっとだ。頑張れリコリス」
「あーう、たくとー」
「よくゴールにたどり着けたな。凄いぞ」
「だっこー、だっこー」
嬉しそうに抱きついてきたリコリスを持ち上げ、レモングラスやルーたちと朝の挨拶を交わす。どうやらこの子は、かなり成長が早いらしい。ストレスのない環境でのびのび過ごし、栄養たっぷりの離乳食で育っているからだろう。会話の絶えない家なので、言葉も次々覚えている。
「旦那様がいてくださったら、わたくしも安心して子供を生むことができます」
「あかちゃんのおせわ、わたしもがんばるね、ユーカリおかーさん」
「サントリナちゃんのことも、頼りにしてますからね」
「これまで学んできたことを、すべて出し切ってみせる。だからシトラスもユーカリも、安心してくれ」
ロブスター商会の研修に参加させてもらえたのは、俺にとって大きな財産だ。女性従人ばかりが受けている研修会に、一人だけ紛れ込んだ男の俺。しかも上人だから、他の参加者を萎縮させてしまった。事情を説明すると、めちゃくちゃ応援されてしまったが……
あのときの経験は、何ものにも代えがたい貴重なもの。それを最大限に活かし、子どもたちを育てていこう。そんな決意をしながら食堂の中へ。
「みんなおはよぉ。今朝はちょっと寒いわねぇ」
「皆様、おはようさんどす」
「おはよう。カラミンサ婆さん、ゼラニウム」
屋敷の中でも一番早起きな二人が、優しい笑顔で出迎えてくれた。指揮官たちの再訓練は、無事終了したらしい。俺を罠にはめたゴブ男なんか、与えられた命令を忠実にこなす、ロボットのようになってたもんな……
「シトラスはこっちに座ってねぇ。体を冷やしたらダメだから、ブランケットを掛けてあげるわぁ」
「ありがとう、カラミンサお婆ちゃん」
「ユーカリはんも、これを使っておくれやす」
「ありがとうございます、ゼラニウムさん」
暇ができたってこともあり、真っ先にひ孫の顔が見たいと、数日前から滞在中。細やかな気配りをしてくれるから、本当に助かっている。出産を母方の実家で迎える人が多いのは、こうして頼りにできるからだろう。新興のコーサカ家にとって、とてもありがたい存在だ。
「この様子だと、もうすぐ会えそうねぇ。お腹の子は元気ぃ?」
「うん。早く出たいのかな、ボクのお腹を蹴ってくるよ」
「よく動くのは男の子って、言い伝えもあるから楽しみねぇ」
「夜中でも蹴ってくるから、ちょっと困ってるんだ……って、あっ!? 生まれるかも」
「すぐ部屋へ行きましょう!」
ニームが慌てて立ち上がり、呆けていた他の家族たちも、それに続く。俺は必要なものを、もう一度確認して……
――パンパン
「はいはい、一旦落ち着きなさいぃ。ここで焦ったら、思わぬ失敗をしちゃうわよぉ」
手を打ち鳴らす音とカラミンサ婆さんの声で、みんなの動きが止まる。いかん、いかん。知識だけで経験がないと、この程度でテンパってしまうとは。カラミンサ婆さんがいてくれて、本当に良かった。
「産気づいてもすぐ生まれてくるわけじゃないから、落ち着いて行動しなさいぃ。まずは助産師に連絡よぉ。これはスイにお願いしようかしらぁ」
「承った、カラミンサ殿」
「アルカネットたちは部屋の最終チェックと、お湯の準備を始めてねぇ。ミントは神聖術で、ベッドやタライを清潔にしなさいぃ」
「わかりました、カラミンサ様」
「わかったのです!」
「ニームちゃんはどうするぅ?」
「大切な家族の出産なんです、私も立ち会います」
「じゃあフェンネル、学園に連絡してきなさいぃ」
「かしこまりました」
カラミンサ婆さんの采配で、次々と準備が整っていく。今回は経験者に任せておこう。次からは俺も率先して動けるようにならねば……
「タクトはシトラスのそばにいて支えてあげるのよぉ」
「わかった。部屋へ行こう、シトラス」
「ボク頑張るから、手を握っててね」
力強くうなずきながらシトラスの手を取り、ゆっくりと椅子から立ち上がらせる。そのままこちらへ引き寄せ、おでこに軽く口付けを。ユズとクローブの〝もげろ〟という声は無視だ無視。
これから世紀の大仕事を成し遂げようとする愛しい存在に、これくらいの事をするのは普通だろ。俺は近くで励ますことくらいしか出来ないんだからな。
「私もそばで見守ってあげるから、安心してね」
「……シトラス、ファイト」
「キュィッ、キュキュー!」
「みんなありがとう。ボク、元気な子供を生んでみせるよ」
家族の温かい励ましを受けながら、出産するための準備を整えた小部屋へ向かう。部屋が近づくにつれ、胸の鼓動が激しくなってきた。父親になるというのは、こんなに緊張するものなのか。
とにかくシトラスが安心できるよう、俺は全力で支えるだけだ。
心の中で覚悟を決め、扉を開く――
◇◆◇
無事に生まれてきた小さな命を抱いた瞬間、俺の中で語彙が消え去る。可愛い、愛おしい、尊い、世界一、人類の至宝、そんな言葉しか浮かんでこない。
「お前に似て可愛い子だ。生まれたばかりなのに、しっぽもモフモフだぞ」
「真っ先にその言葉が出るのって、キミらしいよね」
「すぐにおっぱいを飲ませてやると良いらしい。俺は外に出てようか?」
「ううん、平気。そこで見てて」
授乳服のスリットに赤ちゃんを近づけると、器用にめくっておっぱいを飲ませ始めた。この距離でも普通の抱っこと同じように見えるとは。さすがラベンダーおすすめの服だ。
それにしても、拍子抜けするくらいあっさり生まれてくれて良かった。助産師も驚いてたくらいだから、かなりの安産だったんだろう。
シトラスと同じ青い瞳。髪やしっぽがシルバーブルーなのは、二人の遺伝子を受け継いだ証。うぶ声も無茶苦茶元気だったし、一心不乱に母乳を飲む姿は食事時のシトラスと同じ。
「こんにちは、ボクたちの赤ちゃん。いっぱい飲んで元気に育ってね」
「ワンパクでもいいから、たくましく育ってくれ!」
「そういえば、この子の数値ってどうなってるの?」
「余分なゼロが付いていない四ビットで、数値は十五だ」
「そっか。ボクと同じじゃないのはちょっと残念」
「普通の子として生まれてくれたんだ、数値なんてどうでもいいじゃないか。どんな桁数を持っていようが、この子は俺たちの可愛い息子だ」
「うん、そうだね」
一緒に子供の頭を撫でながら、軽く口付けを交わす。少しだけ三人きりにしてほしいと頼んだが、そろそろ限界だろう。きっとみんな待ちきれなくなってるはず。シトラスの耳をモフってから立ち上がり、部屋の扉を開ける。
「子供の顔を見に来たにゃ!」
「ホッホーゥ!」
「無事生まれて良かったの」
「凄く……おめでたいれす」
「タクトとシトラスの子なら、妾の弟みたいなものなのじゃ」
「早くひ孫を抱かせてちょうだいなぁ」
「何とか間に合ったようだね。早めにゴナンクを出発して良かったよ」
「今日の謁見は全部延期にしてもらっちゃった」
「祝いを持ってきたぞ」
扉の前にいたのはスコヴィル家の面々とカラミンサ婆さん。それにローゼルさんや聖女ラズベリーたち、花束を抱えたオレガノさんまでいるじゃないか。どうやらフェンネルが学園へ行く途中、茶葉卸売店のオバサンと遭遇したらしい。これは既にワカイネトコ全ての人が知ってると思って良いだろう。しばらく訪問者が殺到しそうだ。
「孫たちも可愛かったけど、ひ孫は別格ねぇ」
「ほんま、愛らしいどすな」
「もう一人息子が欲しくなるにゃ」
「母さんは歳を考えてくれよ。孫の顔だったら、僕とユズで見せてやる」
「楽しみにしてるにゃ!」
「小さくても、ふわふわのモフモフだー」
「ラズベリーよ、小生にも少し抱かせてくれ」
さすが俺たちの息子。代わる代わるみんなに抱かれても、泣いたり騒いだりしない。将来は大物間違いなし!
こうして大勢の人から祝福されるのは、子供にとって最高の幸せだ。俺がこの世界に転生したのは、目の前で繰り広げられる光景を見るためだったから、そう確信できた。
だからこれから先もずっと、合縁奇縁で結ばれたニーム、最高の家族や仲間たち。そして愛すべきモフモフたちと一緒に、第三の人生をエンジョイする!
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-main story is over-
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「ところでタクト君。名前はもう決まってるのかな?」
「シトラスと相談して、男女どちらの名前も考えてた。この子には世界中の人々を、明るく照らす存在になってほしい。だから名前は……」
一旦言葉を切り、シトラスをそっと抱き寄せる。
そして二人同時に――
「タイヨウだ」
「タイヨウだよ」
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⇒To be continued... in the epilogue.
もう1話だけ続きます。
次回「Epilogue : And then a new era will begin.」をお楽しみに!