0284話 シトラスの変化
ユズとミルラの使役契約を終わらせ、家族全員で食卓へつく。昨夜スイの言っていたことが現実になってしまうとは、本当にユズは他人と仲良くなるのが上手い。
なんにせよ従人に対する理念や行動は俺と同じだ。ミルラにとって最高の使役主になれるだろう。
「仕込んでたひきわり納豆の、熟成が終わってたっす。ミルラちゃんも食べるっすか?」
「ありがとう、ユズ。ちょっとだけ食べてみる」
「卵かけご飯にトッピングしたいんだけど、僕の分もあるか?」
「クローブの分は、こっちに残してあるっす」
こうやって甲斐甲斐しく世話してる姿を見ると、古き良き時代のお母さんって感じがする。何代も続いていた造り酒屋の娘なだけあり、やたら古風なところがあるしな。
「ねえ、ボクもナットー食べてみたいんだけど」
「シトラスがそんなこと言うなんて初めてだな。匂いが気になるんじゃなかったのか?」
「うーん……、急に食べてみたくなっちゃったんだよね。もしかして匂いに慣れたのかな」
「……シトラス、食べ過ぎ。お腹出てる」
「へーき、へーき。これくらい少し運動したら、元に戻るって」
藁苞を開き、中に入っている納豆を取り出す。だし醤油をかけてクルクルかき混ぜながらシトラスを見ると、お腹のあたりがポコンと膨らんでいた。昨夜は普通の体型だったのに、急にどうしたんだ?
まさか夜中にこっそり、つまみ食いでもしたんだろうか。
「シトラスさんのそれ、妊娠だと思います」
「えっ!?」
ラベンダーの一言で、食卓にいた全員が固まってしまう。
「昨日までは何ともなかったんですよね?」
「えっと……うん。朝起きて着替えるときに、少し服が窮屈かなって思ったけど、こんなに大きくなってなかったよ」
「私のときも、一晩でお腹が大きくなって、すごく驚いたんです。それに、酸味のあるものが欲しくなったり、食べ物の好みも変わってしまいました」
「だけどボクがエッチしたことあるのって、こいつだけなんだよ? そんなのおかしいって」
「いや、まさか、そんなこと……が。シトラスとデートしたのが半月前。その時、俺たちは何をした? しかし経験者のラベンダーが言うんだ。妊娠の可能性は高いはず。もし……」
「ねえ、どうするの? ボク、どうしたらいい?」
「お前ら、ちょっと落ち着け!」
クローブの一喝で、グルグル回る思考のループから抜け出す。ここでうだうだ考えていても、事態は解決しない。まずはどう動くか決めよう。
「今日はアインパエに行くんだろ?」
「食事が終わったら向かう予定にしていた」
「なら皇居の御殿医に診察してもらえ。皇居で働く従人たちの健康管理も、あいつらの仕事だ。頼めば助産もやってくれるぞ」
「わかった、ありがとうクローブ。まずはアンゼリカさんに相談してみる」
「シトラスさんは狼種ですから、三ヶ月位で出産できると思います。早めに準備を整えておくといいですよ」
「ラベンダーがいてくれて本当に良かった。診断結果が出たら、色々手を貸してくれると嬉しい」
「もちろんお貸しします。私でお役に立てることがあれば、なんでも言ってください」
「皇居には僕も連れて行ってくれ。少し気になることを思い出したから、碧御倉へ行ってみる」
大急ぎで準備を整え、聖域わたりで皇居へ飛ぶ。俺たち上人と獣人種の間に子供はできない。これがこの世界にある、種のルールだ。それを覆したのは、アインパエ帝国の初代皇帝のみ。
今は理由なんて考えないでおこう。もしシトラスが子供を授かっていたのなら、まずは祝福してやらねばならん。それから、なるべくシトラスの体をいたわって、無理をさせないように気をつけないと。あとはローゼルさんにも報告してアドバイスを……
そんな事を考えながら青の御所を目指す。
◇◆◇
皇居で働く女嬬たちの治療をやっている、女性の御殿医に診察してもらえることになった。もっと驚かれると思ったが、みんな意外に冷静だ。やっぱり初代皇帝の逸話が根付いてるからだろうか。なにせ今のスコヴィル家にはベルガモットという、生きた証人がいるしな。
「あっ、シトラスが出てきたにゃ」
シトラスの顔を見た途端、俺の鼓動が一気に跳ね上がる。しっぽがユルユルと動いてるので、残念な結果は出てないはず。
「あー、なんだ。……どうだった?」
「えっとね、子供を授かったみたい」
照れくさそうな顔で微笑むシトラスを見た途端、心の奥底にしまっていた感情が一気にあふれ出す。
「ちょっ!? なんで泣いてるのさ。そんな顔されたら、困るってば」
「す……すまん、シトラス。嬉しすぎて涙を止められないんだ」
「ほんと、キミといいニームといい、嬉しいときに泣きすぎだよ」
「ペーくんを授かった時タンジェリンも大泣きしたし、男の子が涙もろくなるのは仕方ないにゃ」
ハンカチを出したシトラスが、腕を伸ばしながらこちらへ近づく。感極まった俺はその手を掴み、そっと胸の中に抱き寄せる。
「ありがとう、そんな言葉では感謝しきれない。お前と出会えて、本当に良かった」
「そんなことされたら、涙を拭けないじゃん……」
「おめでとうなのじゃ、シトラス」
「タクトちゃんはやっぱり、初代様みたいなの」
「奇跡が……起きたのれす」
「最近はおめでたい事ばかりで、すごく嬉しいにゃー」
ミントやユーカリたちの祝福を聞いているうち、涙が収まってきた。そんなタイミングで部屋のドアが開く。入ってきたのは古い紙束を持ったクローブだ。
「おい、参考になりそうなものが見つかったぞ」
「それはなんの資料だ?」
「初代皇帝の妻が書いた手記の一部なんだが、ここを見てみろ」
そこには初代皇帝が行ってきた、数々の特殊プレイが赤裸々に……
十八禁指定にしろよ、この手記!
って、そんな事はどうでもいい。
「ベルガモットとは逆で、満月の夜になると上人に変わる女性がいたのか!?」
「この人物がベルガモットの祖先なのか、今の段階ではわからない。でもお前たちの現状を見る限り、可能性が一番高い。満月の日にシトラスとデートしたんだろ。何をやらかしたのか、よく思い出してみろ」
「ほら、あれじゃないかな。敏感になりすぎるのは術の影響かもしれないって、ボクに遮蔽を使ってくれたじゃん」
「気持ちが高揚しすぎると、無意識に強化術が発動してるってやつか。その時にギフトで操作したのは下位四ビット。つまり姿こそ変わらなかったが、俺たち上人を受け入れられる体になっていたと……」
「ということはタイミングさえ合えば、わたくしたちでも旦那様の子供を授かる可能性があるということですね!」
「月に二度しかないチャンス、我は必ず掴んでみせよう」
「うふふ。生きていく楽しみが、また増えたわ」
「……来年から、頑張る」
「ミントも早くオトナになりたいのです」
「キュイッ、キューイ」
やはり論理演算師の可能性は無限大だ。世界の仕組みそのものを捻じ曲げる力が、種のルールにまで影響するとは。ずっと持ち続けてきた夢が叶ったのは、人生において大きなマイルストーンになる。しっかり記録を残し、後世へ伝えていこう。
◇◆◇
露草の館へ大きなベッドを持ち込み、家族全員で思い思いにすごす。露天風呂を存分に楽しんだ後のまったりタイム。最高の贅沢としか言いようがない。
「結婚相手に指輪を贈るとは、なかなか面白い風習なのじゃ」
「アインパエで結婚の証を贈るような事はしないのか?」
「お婿さんが結婚相手の家へ、贈り物することが多いの」
「定番は……食べ物れす」
「昔のアインパエは食糧事情があまり良くにゃかったから、嫁には不自由させませんよって証明するために、食べ物を贈るのにゃ」
「今はお菓子を贈ったり、食事会をするだけって家がほとんどなのよぉ。すでに形骸化しちゃった風習ねぇ」
南方大陸では国によって違う。スタイーン国の才人だと、娘に持参金を付けて嫁がせたりする。自由恋愛より家同士の繋がりを重要視するからだ。そして一般人は基本的に何もしない。
マッセリカウモ国は逆に、男性側から結納金を払うのが普通。ヨロズヤーオ国は時代によって変遷があり、今のトレンドは一輪の花を贈りあうこと。
俺はそんなことをベルガモットたちに話す。
「じゃあ僕もユズになにか贈ったほうがいいな」
「自分にはそこまでしてくれなくても大丈夫っすよ。クローブとミルラがいてくれるだけで、十分幸せっすから」
「私もユズになにかあげたいけど、お金とか持ってない……」
「それなら私の錬金術で作ってあげてもいいわよ」
「ホント!?」
「なにか思いついたら、タクトにデザイン画を描いてもらってね」
それは任せておけ。ジャスミンのレベルが上って、かなり緻密なものを作れるようになった。好みのデザインで絵を描いてやろう。
「しっかしこの指輪、形がえらい凝っちゅうな。ワイらには作れんデザインや」
「学園でも質問攻めに遭ってしまいました。こんな指輪を作ることができる業者なんて、限られてますからね。すぐお店の名前までバレてしまいましたよ」
この世界では使役契約や身分証として、ほとんどの人が指輪を身に着けている。だからファッションアイテムと見做すことが少ないんだよな。実際ニームに贈った指輪も、障壁の機能がついた魔道具だし。だからナギンカで紹介してもらった店が製作している、デザイン性の高い商品は貴重な存在だ。
「こがな物を嫁に贈るタクトには勝てん。潔うニームのことは諦めるぜよ」
「悪いなペッパー。いくらお前でもニームを渡すことはできん」
「そがなん気にせいでもええ。好いとうモン同士で結ばれるんが、いっとー大事なことやきな。それよか頼まれちょったもんが出来上がっちゅーぞ」
ペッパーがマジックバッグから取り出した物体を見て、シナモンの目がキラキラと光り輝く。俺のデザインしたジュニアカートを、忠実に再現できてるじゃないか! やっぱりお前は優秀な技術者だよ。
「……嬉しい、ありがとう」
「凄いなこれ。サントリナも喜びそうだ。製作の礼は魔晶核で支払うよ。必要な量をアンゼリカさんにでも伝えておいてくれ」
「おんしが魔晶核を納品してくれるき、まっこと助かっちゅう。またよろしゅう頼むぜよ」
今にも飛び出しそうなシナモンを捕まえ、カートをマジックバッグへしまっておく。走り出したら止まらないんだから自重しろ。土曜の夜の天使になってしまうぞ。
明日の準備があるからとペッパーが自室へ戻り、三人で過ごしたいとクローブたちが別の部屋へ行ってしまう。男性の比率が一気に下がってしまった。まあ気心の知れたメンバーだけなので、居心地は悪くないが。
「なあシトラス。いつもより元気がないけど平気か? 何かあるなら遠慮せず言ってくれよ。これからしばらく、お前には苦労をかけてしまうからな」
「えーっと……、ボクにちゃんと子供が生めるのか、なんか心配になってさ」
「どこで出産するつもりにゃ?」
「ロブスター商会に報告したら、助産師を派遣してくれることになった。だから自宅でと考えてる」
「あのおじさんがいる商会なら安心なの」
「犬種や狼種は安産って……聞いたことあるれす」
「ミントも付いておるから、心配ないのじゃ」
「シトラスさんのことは、しっかりサポートするですよ」
「我がホムラから複製した、息災術の加護もある。必ず元気な子が、生まれてこようぞ」
マタニティブルーにならないよう、俺もしっかり支えてやらねば。獣人種の出産で事故は少ないといっても、シトラスにとって初めての経験だもんな。幸いコーサカ家には経験者や、頼れる大人たちが大勢いる。最高の環境で臨めるように、全力を尽くそう。
「みんな、ありがとう。だいぶ気が楽になったよ。でもニームには悪いことしちゃったね。ボクのほうが先に妊娠しちゃうなんてさ」
「なにを言ってるんですか。兄さんの子供を授かってくれたなんて、感謝しか無いですよ。新しい家族は、みんなの宝物なんですから、謝罪の言葉なんて口にしたらいけません。私はちゃんと学園を卒業すると誓いを立てて、兄さんと結婚しました。そのことに後悔はありませんし、先を越されたなんて気持ちは微塵もないです。だからあなた達も遠慮なんかしたらダメですからね。チャンスがあったら必ず掴み取りなさい」
「えへへ、ありがとうニーム。キミと同じ人を好きになって、本当に良かった」
「ニーム様と旦那様に子供ができるのも楽しみです」
「二人の子供なら、絶対に可愛いわ」
「キュィッ!」
この世界で生を受けたにも関わらず、種族や立場を超えた発言が出てくるのは、常識に真正面から立ち向かっているのと同じ。やはり俺とニームは、成るべくして結ばれたということだ。
家族に新しい希望の道を示してくれたシトラス。この世界では異端者の俺と、同じ道を歩もうとしてくれているニーム。二人の頭を撫でながら、最高の伴侶たちと出会えた幸運を噛みしめる。
良き理解者であり、頼れる相談相手のオレガノさん。金銭的に困らないよう、様々な支援をしてくれるセイボリーさん。後ろ盾になってくれた、アンキモ家の当主ヘリオトロープさん。理想を叶えるための協力関係にあるローゼルさん。ワカイネトコで暮らす俺の立場を、盤石のものにしてくれたメドーセージ学園長。
下手な家族より付き合いの深い、スコヴィル家のみんなとカラミンサ婆さん。そしてコーサカ家を影から支えてくれている聖女ラズベリー。他にも数え切れないほどの縁があり、今の暮らしを手に入れることができた。なにか一つでも欠けていたら、この幸せを掴むことは不可能だっただろう。
だから今まで関わってきた全ての人にお礼を言いたい。
――本当にありがとう!
妊娠出産エンド!
次回「最終話 新しい命」をお楽しみに。