0283話 名探偵シトラス
ローリエのしっぽを乾かしながら振り返り、俺に背中を預けたまま鼻歌交じりでステビアの髪を梳く、上機嫌なニームを見る。
改めて考えてみると、俺たちが普通の兄妹として生きていたなら、今よりもっと苦悩を抱えていたはず。この一年で積み上げてきたものがあるとはいえ、異性として更に深い結び付きを欲せたかと問われれば、躊躇してしまっていたんじゃないかと思う。
この結末を迎えられたのは、ある意味エゴマのおかげだ。なにせお互いにまともな会話をしたのが、大図書館で再会した時だもんな。その時にディスられまくったこと、なんだか懐かしいぞ。
「そうそう。兄さんってタラバ商会の店長さんから、相談事を持ちかけられてましたよね」
「ああ。使役してる従人の様子がおかしいって件だな」
「どうやら悩みは解消されたみたいです」
「近くにあるお店で働いてる兎種の人と、仲良く街を歩いてたよ」
「執事服とメイド服が、よくお似合いでした」
「やっと気持ちを伝えたのか」
やれやれ、これで一安心。忠誠心をこじらせると、あんな風になってしまうとは……
しかも肝心なところで、怖じ気づきやがって。
「タクトおとーさん、なんのおはなし?」
「みんなでよく行く店に、男の従人がいるのを覚えてるだろ?」
「うん! かっこいい、いぬのひと」
むっ!? サントリナのやつ、あんな顔が好みなのか?
可愛い娘を簡単に渡したりせん。付き合いたいなら俺を倒してからにしろ。
……おっと、明後日の方向へ思考がそれた。
「その人がワカイネトコに来てから、ずっと元気がなかったんだ」
「おんなのひとに、すきっていえなかったの?」
「よくわかったな、凄いぞサントリナ」
「えへへー」
撫でる手の動きに合わせてピクピク動く、ウシ耳としっぽに癒やされながら、六歳児でも理解できるように心がけながら説明する。恋愛にオープンな家柄ってこともあり、子供だからなんて理由で変に誤魔化したりするのは無しだ。
「私はローリエから聞いただけで、詳しいことは知らないんですけど、どうしてただの恋わずらいに、兄さんが首を突っ込むことになったんです?」
「わかってしまえば納得の症状だったんだが、誰もその原因にたどり着けなかったんだ。実は真っ先に気づいたのがシトラスでな」
「目線とかしっぽの動きに気をつけてたら、すぐわかると思うんだけどなぁ……」
「ミントは言われても、見抜けなかったのです」
「……シトラス、目ざとい」
「俺も見過ごしていたこと、モフリストとして反省せねばならん」
シトラスみたいに感情としっぽが直結していれば、ここまで長引くことはなかったはず。使役主の彼女だってもっと早く原因にたどり着けただろう。今回のケースはある意味、特殊すぎた。
「あの子ったら、自分が恋してるって自覚、なかったのよね」
「忠誠心と愛情を混同していて、使役主以外の女性に心を寄せるのは、不義だと思っていたようです」
ジャスミンとユーカリの言葉を聞き、ニームは納得の表情を浮かべながら微笑む。至近距離でそんな顔をするなよ。ちょっとドキッとしてしまうだろ。
「その辺りは俺たちも交えて話し合った結果、なんとか理解してもらえたんだが、今度は告白する勇気がないとか言い出してな。さすがに付き合いきれんから、店長に丸投げしてきた。まあ丸く収まったのなら何よりだ」
「いぬのおにーちゃん、ニームさまやユーカリおかーさんみたいに、しあわせになれる?」
「今日の様子を見る限り、なにも心配はいりません。きっと幸せになれますよ」
俺の隣に移動してきたニームが、左手でサントリナの頭を撫でる。きれいにカットされた宝石が部屋の明かりを反射し、キラキラと輝いてとてもきれいだ。この指輪には、かなり特殊な加工がされていて、少々乱暴に扱ったり水に濡らしたりしても、傷ついたり曇ったりしない。
なにせ装着者の魔力を使って動く、小さな魔道具だもんな。オレガノさんが持つ、鉄壁のギフトには劣るものの、ちょっとした障壁を発生させられる効果付き。森に入ることもあるニームの安全は、これで大きく上昇する。
「えへへー、よかった」
「ユズさんとクローブさんがお付き合いを始めたり、最近はおめでたいことが続きますね」
「俺たちも幸せにならないとな」
「兄さんなら絶対に大丈夫です。なにせ南北両大陸を救った英雄なんですから。そんな人が不幸になるなんて、世界そのものが間違っていない限り、ありえません」
やはり形あるもので、絆を感じられるからだろうか。ニームの信頼が異様に重い。
それはさておき、変に持ち上げられるのは、くすぐったくて居心地が悪くなってしまう。しかしニームに言われたら、そんな感情は一切湧いてこない。不思議なものだ……
「今日のニーム殿は、輝きに満ちあふれているな。我の目に眩しく映るほどだ」
「指輪の効果は絶大だとしか言いようがありません。お風呂の中で露見した、ニーム様のニヤけたご尊顔、永久保存したかったくらいです」
「最近はナギンカの方角を見て、ため息を付いてることが多かったから、ニーム様の可愛らしい顔を見られて嬉しい」
「あまり変なことをバラさないでください。そう、あれです。やっとシトラスたちと同じ場所に立つことができたんですから、少しくらい喜んだっていいじゃないですか」
「出会った頃ならともかくニーム・コーサカになってからは、ボクたちより何歩も先に進んでたと思うんだけど?」
「なにを言ってるんですか。相手はあの兄さんなんですよ。家族としてならともかく、恋愛対象として扱ってもらえるなんて、奇跡みたいなものでしょ?」
「そんな凄いことを、ニーム様は成し遂げられたのです!」
まあ俺自身も上人に恋愛感情をいだくなんて、一生ないと思ってたくらいだしな。ケモミミやしっぽを持たない、ただの人間を好きになる要素なんて皆無だ。そんな価値観を貫きながら、転生後の人生を歩んできた。
それが揺らいだのは、なにがきっかけだったのか……
「なにをお考えなのです? 旦那様」
「これまでは自分の中に流れている、皇族の血が影響してると思っていたんだ。しかしよくよく考えてみれば、どうしてニームだけに親愛以上の感情を持てたのか、思い当たるフシがなくてな」
「それは私も気になっていました。兄さんの周りには、その……魅力的な女性が大勢いるのに、どうして私だけなんですか?」
「……一緒に寝たから?」
「その基準だとベルガモットやアンゼリカさんも対象になってしまう。しかしニームと違って、スコヴィル家に向けているのは、いわゆる家族愛だな」
「タクトってスコヴィル家のお父さんだものね」
カラミンサ婆さんにも、同じことを言われている。なにせアンゼリカさんと精神年齢が近いので、その子供としてベルガモットたち姉妹を見てしまう。クローブもそうだが、ついつい世話を焼きたくなるんだよな。
「主殿が重要視しているモフ値は、もちろんゼロなのであろう?」
「満月の夜に変身したりしないし、羽が生えてるわけでもないから、数値の測定範囲外だ」
「ニームさまが、きれいだから?」
「ほんと、サントリナは素直でいい子ですね」
「えへへ~」
容姿に関しては論を俟たない。俺の髪と異なり、全くクセがない紅赤のサラサラヘアー。切れ長で少しつり上がった目元が、見る者にクールで魅惑的な印象を与えている。多少の贔屓目はあるとしても、街ですれ違うどんな女性より魅力的だ。
出会った頃のニームは、近寄りがたい雰囲気をまとっていた。あれはサーロイン家から離れるために、気を張っていたのが原因だろう。今はそんなイメージも鳴りを潜め、優しい顔で笑うようになっている。サントリナへ向けている表情なんて、まるで母のようだもんな。
「サントリナの言うことはとても正しい。しかしニームは容姿だけでなく、優れた部分をたくさん持っている」
「おべんきょう、がんばってるとか、みんなにやさしいとこ?」
「さすがサントリナ、よく見てるじゃないか」
「だってタクトおとーさんや、ユーカリおかーさんとおなじくらい、ニームさまのこともすきだもん」
「やっぱり子供って可愛いです。私と兄さんもいずれ……」
「学園を卒業するまではお預けだぞ」
その頃には兄さんという二人称も変わってるだろうか。なんとなく一生同じ呼び方をされそうな気もするが……
「思うんだけどキミたち二人って、似た者同士だよね。それにカッコつけのキミが、ニームの前だと肩肘張った感じがしないしさ。互いにストレスを感じない相手だから、惹かれ合うんじゃないの?」
「確かにシトラスさんの言う通りかもしれません。飽くなき向上心をお持ちだったり、秀でた結果を手にしても謙虚な姿勢。上下関係に寛容な部分や、権力を振りかざさない奥ゆかしさなど、旦那様とニーム様はとても良く似てらっしゃいます」
「同じ属性や系統のものを、嫌悪する羽目にならなかったのは、本当に良かったです。兄さんと結ばれなかった未来なんて、考えたくありませんし……」
「ニームと一緒になにかをする時、色々な部分を補完できるだろ。似てるといっても俺たちは、歯車みたいなものじゃないか?」
「かみ合わせがうまくいっているから、互いにストレスを感じず、一緒にいられるってことですね」
「なんかスッキリした。誰も気づかなかった心の機微を見抜いたり、最近のシトラスは凄いな」
「ふふーん。褒めてもなにも出ないよー」
しっぽが左右に揺れてるぞ。まったく可愛い奴め!
それにしても歯車とは、我ながらいい答えにたどり着けた。きっかけをくれたシトラスに感謝しなくては。
転生者であり、獣人種にしか恋愛感情を向けられない俺は、かなり特殊な形をしているはず。それと完全に同期してしまえる上人なんて、ニームの他にいないだろう。なにせ形状や遊びが少しでも狂うと、うまく回らないシロモノだし……
「こんな話ミルラちゃんが好きそうなのに、聞かせてあげられなくて残念だわ」
「あちこち出かけることの多い俺たちだけでなく、いつも家にいるユズと仲良くなれそうだから、良いことだと思うぞ。それに向こうもクローブを誘って、恋バナで盛り上がってるんじゃないか?」
「ミルラさんとすぐ仲良くなれるユズ様は、やっぱり凄いのです」
「……お風呂、誘ってた」
「ユズ殿とミルラの相性はよさそうだし、明日には使役契約したいとか言い出しそうだな」
「まあそうなったらミルラのレベルもガンガン上げてやろう。高レベルになれば木登りが上手くなるかもしれんしな」
方向音痴の治療に効果を発揮するかは微妙だが!
そんな話に花を咲かせながら、今夜は俺たちの部屋で一緒に寝るニームと、久しぶりの会話を楽しむ。自分の内面と向き合えたおかげで、彼女に対する気持ちもはっきり自覚できた。
これからはそれを踏まえつつ、新しい関係を作っていこう。
彼女の身に一体何が……
次回「0284話 シトラスの変化」をお楽しみに。