0276話 最初の夜
マジックバッグに入っているものを最終確認する。着替えや食材に調理器具の数々、そして簡易宿泊小屋も入れておいた。これで雨が降っても大丈夫!
「みんなはどうだ? 忘れ物がないようにしろよ」
「我は抜かりがないぞ。主殿から授かった、これがあるからな」
嬉しそうな顔でスイが掲げているのは、宝珠をイメージした円形のラウンドポーチ。彼女が着けているチョーカーと同じ色の、黒いマジックバッグだ。やっぱり龍が持つ物といえば、丸い物体に限るよな。
「たー、たー」
「しばらく留守にするけど、いい子で待ってるんだぞ」
「あー、いー」
「タクトおとーさん、いってらっしゃい」
「リコリスのことは任せたからな」
「うん! いもうとのおせわと、フェンネルさまのおてつだい、いっぱいする」
「きゃー、うー」
近くに来たラベンダーとリコリスの頭を撫で、抱きしめたサントリナにお手伝い表を渡す。こうして記録を取ると、留守中の頑張りが可視化される。帰ってきたら、いっぱい褒めてやらねば。
「このメンバーで万が一はないと思いますけど、気をつけて行ってきて下さい。お土産、楽しみにしてますからね」
「そっちも試験頑張れよ。コーサカ家に来て成績が落ちたなんてことになれば、あらぬ噂が立ってしまうぞ」
「私を誰だと思ってるんですか。兄さんやユズさんのお陰で、ダイガクレベルの知識を身につけた、ニーム・コーサカなんですよ。首席の座は固守してみせます」
「よし、その意気だ」
ニームをハグしながら頭をポンポンし、そのままの姿勢で見送りにきた家族たちと挨拶を交わす。あんまりスハスハするなよ。俺を吸ってもリラックス効果はないぞ。
「異世界の品物とか見つけたら、買っておいてくれよ」
「それは俺も興味があるから探してみる」
「違う品種の米とかあったら、仕入れてきて欲しいっす」
クローブやユズの願い事も聞き、オレガノさんとの待ち合わせ場所へ向かう。ゆく先々で声をかけられるが、今は時間優先。適当に切り上げながら街の外壁を出る。
「お前さんたちが来ると、場が華やかになって良いな」
「皆さん良くお似合いです」
「今日は整備された街道を歩くだけと言ってたから、みんな好きな服装を選んできたんだ」
シトラスは秋物のスクールブレザー。ミントはブラウスとカーディガンに、フィッシュテールスカートとオーバーニーソックスの組み合わせ。ユーカリは緋袴の巫女服。シナモンはメイド服。ジャスミンは腹部に大きなリボンの付いたワンピース。そしてスイは小袖と羽織、髪留めも花をあしらった可愛らしいやつだ。おかげで街を歩いていたら、目立つ目立つ。
「目を惹く格好で旅をすると、狙われやすくなるから避けるものだが、お前さんたちの実力があれば関係ないからな。目の保養になって大変結構」
「経験値が襲ってきてくれるなら、存分に利用させてもらうさ。そうすれば他の旅行者が、安全に移動できる」
「実にタクト様らしいお考えですね」
よほどの手練れでもない限り、俺の拳銃で制圧できるからな。森で狩りをしまくったから熟練度も上がり、命中精度と連射スピードが格段に増してるし、威力・弾速・射程距離その全てが魔法より上。数人で襲ってきたくらいなら、まとめて始末してやる。
「……あるじ様、抱っこ」
「我はミントと手を繋いでいこう。構わぬか?」
「ハイです、スイさん」
「私とコハクちゃんは、このままタクトの肩に乗っていくわ」
「キュイッ!」
「お隣よろしいでしょうか、旦那様」
「みんなー、出発するよー」
シトラスを先頭にして、街道を並んで歩く。左右に揺れるしっぽが、実に楽しそうだ。そしてスカートから伸びる、スラリとした美しい脚。夏の運動会に参加してから、ロングパンツを履くのは狩りの時くらいになった。リレー競技のあと、美脚を褒めたからだろうか?
馬種のマトリカリアと並んでも引けを取らないのは、本当に凄いことだからな。称賛しないなんて選択肢はありえん!
「お前さんの従人は、会うたびに美しくなっているな」
「順調にレベルが上ってるし、シトラスなんかは年齢的に、大人として開花し始める時期なんだ。それに加えて、大勢の家族に囲まれていることが大きい。同性の目があると、自然に身が引き締まるとか、ユズが言っていたよ」
実際、家に来た頃と今のユズは、見た目や仕草が別人のように変わった。夏の海岸でも、ニームとユズが一緒に立っているだけで、男たちの視線を釘付けにしてたもんな。
「お前さんの家で引き取ったお嬢さんが、そんなことを。さすが違う世界の人間は、面白い着眼点を持っている。街で見かけたことはないが、皆とうまくやっているのか?」
「うちに居候してる皇族とも仲が良いし、他の家族からもやたら好かれてる。女性陣からの相談事にも、乗ってやってるみたいだ」
「その辺りの価値観は、お前さんと一緒ということだな」
クミンやニームそれに従人たちだけでなく、人当たりがよく一緒にいても気疲れしない人柄のユズを、クローブはかなり気に入っている。酒や味噌づくりにも興味が出たらしく、酒蔵の方によく行ってることからも明らかだ。もしかすると、スコヴィル家の希望になるんじゃないだろうか。
「なんと言ってもユズは、発酵食品の知識と製造技術が、とにかく凄い。今日の晩飯で彼女が作った味噌と日本酒を披露するから、存分に味わってくれ」
「それは楽しみだな」
晩飯のメニューを話すと、シトラスのしっぽが激しく揺れた。どうやら聞き耳を立てていたらしい。新鮮な食材をふんだんに使ったメニューだ。豪華になるから楽しみにしておけ。
◇◆◇
街道から少し外れ、人のこない乾いた場所に保温シートを敷く。なにせ今日のメニューは煮込み料理。商隊が使う休息場所で作ったりすれば、周囲に人が殺到しかねん。
炊飯の準備をしつつ、大鍋に様々な食材をぶち込み、だし汁でじっくりコトコトと煮る。仕上げに味噌を溶き入れ、黒たまりの煮汁で味を整えたら完成だ。
「よーし。野菜たっぷりの味噌鍋が、出来上がったぞ」
「以前お前さんからお裾分けでもらったミソとは、ずいぶん香りが違うな」
「ユズが暮らしていた、日本の味噌に近いんだ。ギフトで発酵を加速してるから、若干味に深みが足りない。だが香りや旨味は、アインパエ産のものより優れてるぞ」
「講釈はいいから、早く食べようよ。ミソの香りが飛んじゃうじゃん」
「それもそうだな。具材が減ってきたら、うどんを入れる。水麦を食べすぎるなよ」
「やったー! どっちもいっぱい食べるぞー」
残った分を明日のおにぎりに……と思っていたが、みんなの食べっぷりが凄まじい。今日は日が傾くまで歩いたし、腹が減っていたんだろう。
「……ヒゲナガ、うまうま」
「お野菜がトロトロなのです」
一心不乱に鍋をつつくシトラスたちを眺めつつ、湯煎にかけていた徳利を火から下ろす。ぐい呑みに注ぎオレガノさんへ。
「気温が下がってきたから、燗にしてみた。味噌鍋にはこれが合うと、ユズのお墨付きだ」
「ほー、これがニホンシュという酒か。水のように透明だが、確かに酒特有の刺激を、鼻の奥で感じるな」
この世界で主に飲まれているのは、醸造酒のワインと蒸留酒のブランデーのみ。貴重な穀物を酒にする習慣は、根付かなかったみたいだ。さて、米が原料の日本酒を、この世界の人間はどう評価するだろう。
「ワインのように芳醇な味わいと、蒸留酒に似た喉越し。こりゃ美味い!」
「日本酒の区分的には濃醇辛口に当たると、ユズが言っていたよ。気にってもらえたなら何よりだ。まだまだあるから、遠慮なく呑んでくれ」
「温めるというのも新鮮でいい。ホットワインは好まんが、これならいくらでも飲めそうだ」
まあ、程々にな。二日酔いで足止めとか、洒落にならんし。
「セルバチコもどうだ? オレガノさんからイケる口だと聞いたぞ」
「よろしいのですか?」
「ユーカリやスイも呑むから遠慮するな」
「では、ありがたく」
セルバチコにぐい呑みを手渡すと、一口で呑み干す。そしてホゥっと、満足そうに息を吐いた。さすがいい呑みっぷりだ。ほれ、もう一杯いっとけ。
「待たせたな、スイとユーカリの分だ」
「星空の下で酒を酌み交わすというのは、なかなか乙な体験だな」
「満月は過ぎてしまいましたが、今夜の月は明るくて、とても風流です」
「私も少しだけもらっていいかしら」
「ああいいぞ。みんなで乾杯しよう」
屋敷で大勢の家族に囲まれながら過ごすのもいいが、こうして気の置けない者だけで鍋を囲むのも悪くない。具材が減ってきた鍋にうどんを入れ、みんなで舌鼓を打つ。パン用の小麦を使ったから、コシが強くて最高だ。煮崩れしにくいのも鍋に向いている。ほんと、このあたりの知識はユズ様々だな
彼女と出会えたことに感謝しつつ、最初の夜は更けていった。
いよいよイベント発生。
果たしてその正体は……
「0277話 助けを呼ぶ声」をお楽しみに。




