0275話 タクトの懸念
風呂上がりのニームたちが部屋へ入ってきた。無言のままベッドへ上がり、俺の前で女の子座りをする。すっかりルーチンワークになっている髪の手入れ。遠赤外線ドライヤー魔法を発動しつつ、ブラシで紅赤の髪をゆっくり梳かす。
「だいぶ伸びてきたな。そろそろカットするか?」
「兄さんは髪の長い女性と短い女性、どちらが好きなんです?」
「特にこだわりはないが、快活な性格なら短い髪、穏やかな気質なら長い髪みたいな、漠然としたイメージはある」
「もう少し伸ばしてみようかなって考えてるんです。大人っぽく見られそうな気がしますし」
「ニームは美人系の顔立ちだから、伸ばしてもよく似合うと思うぞ」
「ふえっ!? ……そ、そうですか?」
「ニーム様、風が冷たいよ」
「あっ! ごめんなさいローリエ、ちょっと制御に失敗しました」
おっと、いかん。いつもの調子で軽口を叩いたら、今は違う意味になってしまう。救いなのは、ニームが俺の部屋に通うという習慣を、続けてくれている点だ。お互い意識しすぎるあまり、どっちが先に手を出すかなんて、チキンレースみたいなことはしたくないしな。
「……短い髪、楽でいい」
「長い髪は時間をかけて手入れしてもらえるという、メリットもあるのですよ」
「ユーカリおかーさんのかみ、きれいだからすき」
「ミントは動き回るの苦手ですから、髪を伸ばしたほうがいいです?」
「あくまでも主殿の主観であって、強要するものではないと思うぞ。現に前衛の我は、家族の中で一番長い髪をしているからな」
母さんを思い出すスイの髪は、絶対に切ってほしくない。動きに合わせて揺れる髪で、俺がどれだけ癒やされていることか……
「私の髪は少しクセがあるから、短くすると変な形になっちゃうの。だから伸ばしてるのよ。要は自分で納得していれば、どんな髪型でもいいってことじゃないかしら」
「ジャスミンの言うとおりだね。ボクも昔はすごく髪を短くしてたけど、今はこれくらい伸びてるほうが落ち着くし、年齢によっても変わってくると思うよ」
シトラスも二十歳くらいになったら、長い髪が似合うと思うんだよな。白銀の髪をなびかせながら振り向いたり、顔に落ちた髪を手でかきあげてニコリと微笑まれでもしたら、俺はひと目で恋に落ちる自信がある!
「ニーム様が髪を伸ばされたら、毎日私が手入れして差し上げます」
「ひとまず学園を卒業するまで、伸ばしてみることに決めました。兄さんがいない時は、ステビアに髪の手入れをお願いしますね」
「お任せください!」
その時どっちが似合ってるか改めて聞くなんて言い始めたので、今の姿をしっかり目に焼き付けておく。順調に単位の修得が終われば、在学期間はあと一年半ほど。毛先を整える程度のカットだけであれば、十センチ以上伸びるだろう。脳内で想像してみたが、かなりいい感じの姿が浮かぶ。スーツを着せたら出来るキャリアウーマンって感じだな。楽しみにしておこう。
◇◆◇
頭を乾かしたニームが早々に部屋へ戻ったので、眠ってしまったサントリナやシナモンを撫でながら、まったりとした時間を過ごす。クローブはユズの部屋に入り浸ってるが、夜ふかししないか心配だ。後で様子を見に行ってみるか。
「あなたとニームちゃん、まだちょっとぎこちないわね」
「まあ、いきなり義兄妹ですよと言われても、戸惑うのは無理ないだろ。その可能性についてエゴマから聞いてた俺ですら、かなり重く受け止めざるを得なかったしな」
「本当のお父さんがわからないなんて、ニーム様おかわいそうなのです」
「タクトはお兄ちゃんなんだから、ちゃんと支えてあげないとダメよ?」
「もちろんそうするつもりだ。ニームの父親が誰であろうと、俺にとって大切な妹であり、愛しい家族であることに変わりない」
ヘンルーダを迎えに来た男たちが、施設での対応を決めるため、色々聞き出してくれた。教団から届いた暫定レポートによると、フェンネルたちが把握していた実態より、もっと爛れきっていたようだ。何度も乱交パーティーをやってたとか、さすがに開いた口が塞がらん。
「その割にニームは冷静っていうか、達観した感じだったよね。ボクが彼女の立場だったら、もっと落ち込んだり取り乱したりしそうだけど」
「恐らくですけどニーム様にとって、旦那様となんの憂いもなく付き合えるほうが、重要だからではないでしょうか」
ユーカリの推測に加え、スターン国特有の事情もあるだろう。なにせ優秀なギフトが出やすい家系を維持するため、あらゆる血筋を取り込んできたのが、スタイーン国を支配する才人という人種。彼らはどこの一族、あるいはコミュニティーに属しているか、といった点に重きを置く。その価値観に少しでも影響されていたら、自分の出自に関する優先順位は低くなる。
まあ、いくらこだわりが薄いとはいえ、ヘンルーダのように見境なしってのは、少ないのだが……
「それならちゃんと責任取りなよ。気付かないふりしたり、優柔不断な態度でごまかすような真似、ボクは絶対に許さないからね」
「なあシトラス。お前やたら俺とニームを、くっつけたがってないか?」
「コーサカ家を一代で終わらせるわけには、いかないじゃん。皇家の記録も頑張って調べてほしいけど、確実に子孫を残せるのって、今のところニームだけなんだよ。応援してなにが悪いのさ」
将来を見据えた柔軟な思考と気持ちの切り替え。シトラスのこういう所、本当に凄い。たしかに彼女の言う通り、俺のパーソナルスペースに入れる上人。言い換えれば、獣人種以外で添い寝を許せたのは三人だけ。ベルガモットとアンゼリカさん、そしてニームだ。
「子孫を残すって目的だけで付き合うのは論外だが、将来的にはしっかり考えていかないといけないな」
「主殿ほどの男でも、簡単に答えは出せないということか」
「気持ちの方は問題ないんだ。今でもやってることは恋人同士と変わらないし」
「それなら、なにが問題なのです?」
膝枕しているミントのうさ耳や、背中にもたれかかってきたシトラスのしっぽをモフりながら、俺の懸念事項を話す。
「これまではどれだけ距離が縮まっても、兄妹というストッパーで踏みとどまれた。それが無くなった今、互いに暴走しそうで怖い」
「気持ちが高ぶりすぎて歯止めが効かなくなるのは、我も幾度となく経験してきた。主殿はそれを案じておるのだな」
「最初は他人同士だった俺たちと違い、ニームとは生まれてからずっと、家族として過ごしてきただろ? 色々な過程をすっ飛ばしてる分、感情の赴くまま動いた結果、もしどこかで躓きでもしたら、致命的な溝になりそうな気がする。今はクールダウンする時間が必要かもしれない」
「近々アインパエへ行きますし、しばらく向こうに滞在されますか?」
「そのことなんだが、実はオレガノさんから連絡をもらってな。また一緒に旅をしないかと誘われた」
「あっ、それいいね! どこに行くの?」
マジックバッグから大陸地図を取り出すと、密着したシトラスが背中越しに覗き込んでくる。その体勢じゃしっぽをモフれないだろ。まあいい、近くに移動してきたユーカリのキツネ耳を堪能しよう。
「ここから徒歩で十日くらい離れた場所に、ナギンカという乾地がある。そこで大きな蚤の市が開かれるらしい。みんなで行ってみないか?」
「歩いて旅をするというのは新鮮だな。我は賛成だ」
「私ものんびり旅をしてみたいわ。みんなといっぱいお喋りできるから、凄く楽しいもの」
「キュッ、キューイ!」
最近はスイに乗せてもらったり、聖域渡りであちこち行ったり、まともに旅をしてないもんな。それに訪れたことのない街はワクワクする。近くにある森も攻略して、霊獣に挨拶せねば!
この手の行事をシナモンが断ることはないので、オレガノさんには参加の表明をしておこう。明日から買い出しをして、作り置きの量産開始だ。
オレガノとの待ち合わせ場所へ向かう主人公たち。
その日の夕食で、ユズの成果が披露される。
次回「0276話 最初の夜」をお楽しみに。
街の名前:ナギンカ(神凪:かんなぎ)




