0272話 ヘンルーダ襲来!
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ありがとうございました。
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今回と次回はいつもと違う視点でお送りします。
BGMは「ANGEL ATTACK (E-6):鷺巣詩郎」でお楽しみください。
夕飯の準備を始めるには、まだ少し早い時間帯。コーサカ邸に残っている使用人や従人たちが、お茶の準備を始めていた。真剣な眼差しでお湯を沸かしているのは、今日も転移術で遊びに来た聖女ラズベリーだ。
おやつを用意しながら、和気あいあいと話に花を咲かせていたとき、ミントがピクリと反応する。
「お客様がいらっしゃったみたいなのです。足音は一人ですが、タクト様やニーム様とは違うです。小声でなにか話してるみたいですが、よく聞き取れないのです」
「私が見てまいります」
ちょうど入口付近にいたパインが、足早に玄関ホールへ向かう。しかしノッカーの音がした直後、扉が勢いよく開く。こちらの開扉をまたず屋内へ入ってくるなんて、なんて世間知らずだろうと慌てて玄関ホールへ駆け込むが、来訪者の姿を見て固まってしまった。
「いつまで待たせてるの。これだから新興の家は……」
「お、お待たせして申し訳ございません、ヘンルーダ様」
「あら? どこかで見たことある顔ね。バカ女が生んだ子供のせいで、取り潰された家に居た気がするけど」
「はい。サーロイン家で働かせていただいていた、パインと申します」
「ろくに妻の相手をしようともしない、そのくせあれこれ口出ししてくる元当主。息子はサディスト・無能・エロガキ・癇癪持ちと、ロクデナシ揃い。あんな家、見限って正解ね。うまくやったじゃない」
「いえ、決してそのような……」
色々と問題の多い家だったが、仮にも当主の妻だった女から飛び出す罵詈雑言。これにはさすがのパインも言葉に詰まる。そもそも自分だって家の金を持ち出し、若い男に貢いでいたじゃないか。そう反論したい気持ちをぐっと抑え込む。
その時、ミントから来訪者の正体を聞いたフェンネルが、玄関ホールへ現れた。
「いらっしゃいませ、ヘンルーダ様」
「ふーん、お前もいたの」
「マハラガタカでエゴマ様に暇を出されましたので」
「それで娘を頼って、ここに来たわけね。まあいいわ、部屋へ案内しなさい。今日から私が、ここの当主よ」
「なにを仰っているのですか。このお屋敷を所有されていらっしゃるのは、コーサカ家を興されたタクト様ですよ。いくらニーム様のご尊母といえども、勝手をされては困ります」
「街で話を聞いてきたけど、タクトとかいう男は娘と同い年のガキじゃない。それに子供は親を敬い、養う義務があるの。義母である私には、当然その権利があるわ。なら、どちらの立場が上かなんて、当然わかるわよね。お前はただの使用人なんだから、黙って従いなさい」
いきなり押しかけて、何という言い草だ。あまりの傍若無人ぶりに、フェンネルの心がささくれ立つ。しかしニームの母親であることは覆せない事実。
人格と立場は全く別物である。幼い頃から受けてきた教育が、フェンネルの行動を縛ってしまう。
「ご無礼をお許しください。しかしご当主様がお戻りになるまで、しばらくお待ちいただけないでしょうか」
「仕方ないわね、リビングはどこ? それと喉が渇いたから、すぐにお茶を持ってきなさい。お茶請けは甘いお菓子がいいわね。半端なものを出すじゃないわよ」
「かしこまりました、リビングはこちらです」
すぐにでも叩き出したい気持ちを抑えながら、ヘンルーダをリビングへ案内する。その途中、廊下で控えていたクミンや、後ろに立っている従人たちと目が合った。
「ふっ……ふえ。びえぇぇぇーん!!」
「赤ん坊を連れてウロウロするんじゃないわよ。まったく五月蝿いったりゃありゃしない。役に立たない子供なんて、とっとと売っちまいな。手垢のついてない新品だったら、高値がつくだろうさ」
「そ……そんな」
ヘンルーダから心無い言葉をぶつけられ、ラベンダーの目に涙が浮かぶ。彼女の措辞や態度は、モノに対するそれだ。自分の大切な従人を斬りつけるような悪意に触れ、クミンの心に火が付く。コーサカ家に来てからは、家族のみんなが溢れんばかりの愛を注ぎ、ずっと大切にしてきた。それを台無しにするような言動は、たとえどんな立場の人間だって許せない。
一言文句をいってやろうと一歩踏み出したとき、フェンネルがそっと遮る。
「この方の接客は、私がやります。あなたはラベンダーたちを連れて、部屋へ戻っていなさい」
「……はい。わかりました、フェンネル様」
フェンネルの顔は自分を咎めるものではなく、とても優しい表情だった。言いたいことはわかっている、それは自分も同じだ。彼の姿から気持ちを読み取ったクミンは、涙を流すラベンダーを支えながら、廊下の奥へ消えていった。
「新興の家だけあって、使用人の質も低いわね。できの悪い連中は全てクビにしなさい。これからは私が名家にふさわしい人材を選んであげるわ」
「彼女は当家に必要不可欠な使用人です。解雇するなど、タクト様が絶対お許しにならないかと」
「ベテランのお前が、青臭いガキの言いなりになって媚びへつらうなんて、恥ずかしくないの?」
「私はタクト様のお人柄や、類まれなる器量に触れ、コーサカ家にすべてを捧げた身ですので」
「いい大人が情けない。若い男なんて、ちょっとおだてれば、なんでも言うことを聞くものよ。ご当主様とやらも、すぐ私の虜にしてやるわ」
ヘンルーダはそう言いながら、自分の胸を強調するように腕を組む。
それを見たフェンネルは、心の中でため息をつく。性格が最悪なことを除けば、彼女は年齢の割りに見た目が若い。しかし自分が立っている場所まで近づけば、化粧で誤魔化していることなど一目瞭然。目いっぱい飾り立てているとはいえ、内面からにじみ出る醜悪さが、全身に現れている。いくら頑張っても今のヘンルーダは、どの年代にも見向きされないはず。
特にこの屋敷で暮らす女性は上人・従人問わず、魅力的な者ばかり。毎夜どれだけ乱れても美しい姿で魅了する、自分の従人たちとは比ぶべくもない。娘を頼ってここを訪れたのは、金づるとしての価値が失われ、男に捨てられたからだろう……
真実にたどり着かれていることなどつゆ知らず、ヘンルーダはユズが運んできたお茶とお菓子に手を付ける。
「まあまあね。これお前が淹れたの?」
「自分は住み込みで働く職人だから違うっす。淹れたのは通いで屋敷に来てる使用人っすよ」
「じゃあ不合格と伝えておきなさい。こんなのじゃ一般客はおろか、下賤な連中にも出せないわ」
「了解っす」
そう言い残してユズは退出し、二階にある防音のしっかりした執務室へ。
扉を締めると、語気鋭く言い放つ。
「なんなんっすか、あの女! ラズベリーちゃんが淹れたお茶を不合格とか、どんだけ舌がバカなんっすか!! 我が物顔でリビングに居座ったり、家族のことを小馬鹿にしたり、挙句の果てにラベンダーちゃんとリコリスちゃんを泣かせるなんて、絶対に許せないっす。ほんとにあの人って、ニームちゃんのお母さんなんっす?」
「残念ながら、紛れもない事実です。ニーム様をご出産された直後、少しだけお世話させていただきましたので」
申し訳無さそうな顔で、アルカネットが答えを返す。実際のところラズベリーが淹れるお茶は、ワカイネトコの専門店よりレベルが高い。茶葉は卸売から直接仕入れているし、なにより師匠がユーカリなのだ。一般家庭ではまず味わえない、香りや風味を楽しめる。
「ニームには悪いけど、ボクたちと一緒には暮らせそうにないね。サーロイン家にいた頃から、あんな感じだったのかい?」
「昔から自由奔放で、自己中心的な方でしたね。私が専属でお世話させていただいていたカモミール様も、よくいじめられていました」
そんな現場に遭遇して、パインがなんど心を痛めたかわからない。あれくらいへっちゃらだからと、カモミールが慰めてくれたおかげで、なんとか耐えられていたのだ。唯一の救いは頻繁に外出していたため、顔を合わせる機会が少なかったこと。カモミールが他界して序列最下位になってからは、外泊することも多くなった。
そんな話をサーロイン家の元従人たちが説明する。壁際で黙って話を聞いていたラズベリーだが、意を決したようにアルカネットへ近づく。
「一つ聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「なんでしょうか、ラズベリー様」
「ニームちゃんはあの人のこと、どう思ってるの?」
「出来れば会いたくないって、ニーム様は言ってたですよ」
「……縁切りたい。あの意味、理解できた。私も嫌い」
ラズベリーの質問に、ミントやシナモンたちから、次々辛辣な言葉が飛び出す。そしてアルカネットたちからは、サーロイン家で働いている若い男に色目を使い、当主の目を盗んで何人も食い散らかしていたこと。男癖の悪さは年々悪化していき、最後は駆け落ちして家を出たことなどが、盛大に暴露されていく。みんなの堪忍袋も、とっくに切れていたのだ。
「なるほど、よくわかった。あの人はコーサカ家にとって、排除すべき相手ってことだ。タクト様がどうするかは不明だけど、私の方でも方策をたてておく。いちど聖堂に帰るね」
「私はタクトのところへ行くわ」
ラズベリーが転移マーカーのある自室へ戻り、ジャスミンが窓から外へ飛び出す。家族全員だけでなく、ヨロズヤーオ国の最高権力者から敵認定されたのだ。ヘンルーダの社会的生命は、風前の灯であった。
大聖堂に戻った聖女が教皇の部屋へ向かう……
次回「0273話 暗躍っ聖女さまっ」をお楽しみに。




