0260話 ゴナンク海岸、夏の陣
やはりゴナンクの海は静かでいい。これだけ凪いでいたら、手漕ぎボートでも沖まで楽に行くことができる。オールを動かしながら視線を戻すと、俺を見つめるニームと目が合う。
なんだよ、その真剣な眼差しは。兄の顔なんて見慣れてるだろ。
「フェンネルもたくましい体つきでしたが、兄さんは更にすごいですね」
「そこまで筋肉質じゃないと思うが?」
「オールを動かしているときなんて、お腹の筋肉がきれいに割れてますよ」
どこを凝視してるのかと思ったら腹筋かよ!
って、前かがみになって近づいてくるな。
「急に動くとボートが揺れるぞ」
「泳ぎは完璧にマスターしたので平気です。それよりほら兄さんのお腹、カチカチじゃないですか」
「人の腹をペタペタ触るんじゃない。同じことされたいのか?」
「女性のお腹を触るなんて、明らかな犯罪ですよ」
「男に対してでも同じだろ」
「妹だから許されるんです。でも、この手触り……ちょっと癖になりそう」
うっとりしながら頬を染めるんじゃない!
変な性癖が開花しかかってるぞ。
「くすぐったいからやめないか。手元が狂ってボートが転覆したらどうする」
「仕方ありませんね。これくらいで勘弁してあげます」
「なんでそんなに上から目線なんだよ、お前は」
「兄さんと一緒の時間が、楽しいからに決まってるじゃないですか。こうして二人っきりになる機会なんてあまりないんですから、貴重な瞬間を満喫させてください」
「……まったく、仕方ないな」
前かがみになって上目遣いに見上げてくるとは、あざとい奴め。ニームの水着をハイネックにしておいてよかった。
「ユズさんが言ってましたけど、兄さんってやっぱりチョロいですね」
「お前……俺のことをからかってたのか!」
「私に勝とうなんて、百万年早いです」
「まったくユズのやつ、ろくでもないことばかり教えやがって」
ニヤニヤと俺の顔を見るなよ。このままやられっぱなしってのも、ちょっと悔しいな……
そうだ、あの時。
「よくよく考えれば、俺もニームの腹を触ったことあったっけ」
「ちょっ!? あれは治療ですから、触ったうちには入りません!」
「こら、急に立ち上がるな!」
ボートが大きく揺れ、ニームがバランスを崩す。海に転落しそうな体を引き寄せ、そのままギュッと腕の中に抱く。頭を撫でてやると、荒かった呼吸が治まってくる。危ない危ない。いくら泳げるようになったとはいえ、海に落ちたらなにが起きるかわからん。今後のためにライフジャケットを開発しておくか。
「ご……ごめんなさい、兄さん」
「俺もからかうような言い方をして悪かった」
「私の方も、ここが海の上だって忘れてました」
「落ち着いたか?」
「はい、もう大丈夫です。でもあとちょっとだけ、このままで」
よほど怖かったのか、俺の背中に手を回したニームが、更に密着してきた。こうしていても高揚感より安心感を強く覚えるのって、二人の相性が良いという証拠なんだよな……
互いに隠し事はしない、それが同棲する時に決めたルール。しかしエゴマから聞いた話は、学園を卒業するまで胸の内に。
俺たちはまだ若いんだし、これから様々な生き方を選ぶことが可能だ。あと二年ほど経っても今の関係が変わらなければ、打ち明けることにしよう。俺はそんな誓いを立てながら、ニームの背中を優しく撫でる。
「そろそろ戻って昼飯の準備をしようか」
「そうですね。名残惜しいですが帰りましょう」
対面に座り直したのを確認し、岸へ向かってオールを漕ぐ。何だかんだで楽しめたらしい。ニームのやつ、やたらニコニコしてるぞ。ステビアには悪いが、たまには恋人同士っぽいこともしてみるか。相手がニームなら、気兼ねなく色々なことに挑戦できるし。
◇◆◇
道路に近い砂浜へ、用意してきた調理器具を並べる。マジックバッグから取り出したのは、大きな鉄板焼機。そして網付きグリルや、プレス式のイカ焼き機だ。
まずは自分たちの食事を終わらせるため、手分けしながらガンガン焼いていく。
「フランクフルトふぁいこー、おいひー!」
「ミントはオムソバが好きなのです」
「……イカせんべい、パリパリ、うまうま」
縁日で出てくるようなメニューは、外で食べると格別なんだよな。適当に焼けばなんとなく出来てしまうので、作る方も楽だったりする。
「ほら、サントリナ。焼き黄粒だぞ。熱いから気をつけて食えよ」
「ありがとう、タクトおとーさん」
網焼きグリルで作った焼きとうもろこしをサントリナへ手渡す。表面についた焦げ目と、焼けた醤油の匂いが食欲を誘う。そして小さい口でリスのように焼きとうもろこしをかじるサントリナが、最高に可愛い!
「ほら、スイの分も焼けたぞ」
「今日の昼食はシンプルで奥の深い料理ばかりだな。素材の旨味と焼けた黒たまりの煮汁だけで、これほど複雑な味わいを出せるとは……」
「いかの姿焼も美味しいわ。特に足の部分が最高ね」
味をつけたイカに小麦粉をまぶし、プレス機で薄く焼いたせんべいタイプ。胴体に切れ目を入れ、網で焼きながら砂糖醤油で味付けした姿焼きタイプ。どちらも作った。両方旨いから食べ比べしろよ。
「なんか縁日みたいっすね。匂いにつられて人が集まってきたっすけど、これどうするんっすか?」
「実はこれも作戦のうちなんだ。宣伝を兼ねて今から実演販売をする」
「へー、デパ地下みたいでなんか面白そうっすね。自分も手伝うっすよ」
「よーし。食べ終わった者からエプロンを身につけてくれ。フェンネルは野次馬たちの誘導を頼む」
「かしこまりました」
フリルをあしらった、胸当て付きのエプロンをみんなに渡し、一口サイズの料理をいくつも準備しておく。普通の店だと、従人が給仕することなんてない。しかしここは何もない野外。そしてコーサカ家の従人たちは誰もが目で追ってしまう容姿と、どこに出しても恥ずかしくない立ち居振る舞いができる者ばかり。
一度でもこうした接待を受けておけば、心の壁を崩すきっかけになるはず。なにせゴナンクでは衣食住と心技体が、普及しつつあるのだから。
まあ調理に参加させるのはまだハードルが高いし、こっちは俺とニーム、そしてユズやクミンに頑張ってもらおう。
「なあ、ここで試食させてもらえるって本当か?」
「すげーいい匂いがして、さっきから気になってたんだよ」
「そこで待機している従人たちに、食べてみたいものを伝えてくれ」
「焼きそば美味しいっすよ。いかがっすか?」
「焼き黄粒やイカせんべいは、ここでしか食べられませんよ」
「じゃあ俺は茶色くて長細い麺をくれ」
「僕、黄色いの食べてみたい」
「あの薄い板みたいな料理、もらってもいいかしら」
ものすごい勢いで小皿が減っていく。やはりソースや醤油の焼ける匂いは最強だな!
「みんなー、かき氷を食べてみない? 冷たくて美味しいよー」
「お姉ちゃん、赤いのちょうだい」
「私は緑のにする」
「ぼく黄色」
クミンが担当してるかき氷コーナーは、子供たちが群がってる。知ってるか? シロップは色と匂いが違うだけで、みんな同じ味なんだぞ。
「これってどこで売ってるの?」
「もっとたくさん食わせてくれ!」
「冷たいの、明日も食べたい」
「店の場所を教えろよー」
「運動会の競技場近くに、海の家オオクリという名の仮設店舗ができる。そこで同じものが食べられるぞ。明日オープンだから、足を運んでみてくれ」
「海の家オオクリだな。よし、名前を覚えたぞ」
「明日のお昼は、その店で決定だ!」
「「「「「おぉーーーっ!!!」」」」」
よし、かなりいい宣伝になった。トータルで一時間弱の作業だったから、費用対効果は抜群だ。あとは頑張ってくれよ、タラバ商会のみんな!
タラバ商会系列店
・ズワイ衣料品店
・マツバ雑貨店
・エチゼン工房
・海の家オオクリ(NEW!)
オオクリガニ(大栗蟹)は毛ガニの別名です。
◇◆◇
今年もやってきたロブスター商会の子どもたち。
妹ちゃんの従人ステビアの母も登場!
次回「0261話 新しい遊び道具」をお楽しみに。




