0259話 ゴナンクの朝
網目が付いた小さなドラムの中に豆を入れ、魔法の炎で取り囲みながら撹拌。過程で出てくる薄皮は、風魔法を使って集塵箱へ。やがて食堂全体にコーヒー豆の香ばしい薫りが広がっていく。
魔法で焙煎すると、焦がさない火加減を簡単に維持できるのがいい。パチパチと弾ける音がして、全体が濃い茶色になれば完成だ。よし、今日もむらなく仕上がったぞ。
「おふぁようございます。兄さん、コハク」
「おはよう、ニーム」
「キュッ!」
「んーーー、いい匂いがしてますね。一杯いただいてもいいですか?」
「いま豆を冷ましてるから、もう少し待ってくれ」
魔法の風を豆に当てながら、食堂へ入ってきたニームを見る。掴んだ手首を引っ張りながら、屈曲ストレッチみたいに体を伸ばすなよ。脇腹が露出してるじゃないか。最近、俺の前で無防備な姿を見せすぎだろ。
「今日はちょっと眠そうだな」
「海でどんな事をしようか話し合ってたら、夜ふかししすぎました」
「じゃあステビアとローリエは、今も寝てるのか?」
「ええ、まだ起きてきません。ところで他のみんなは、どうしたんです?」
「シトラスとシナモンは、俺と一緒に朝のジョギングをしたあと、そのまま海を見に行ってしまった。ユーカリとミントは散歩中だ。ジャスミンとスイは海岸で飛ぶ練習をしてる」
「そういえば人の姿をしたまま飛べるようになったとか、スイが言ってましたね」
人の姿でいることが、完全に馴染んできたんだろう。自分の体限定で、空中へ持ち上げられるようになった。飛行を完全にマスターしたら、光の星雲から来た超人のポーズを教えてやらねば……
三分で色が変わるブローチを作れないか、などど考えつつ魔法の刃で豆を挽く。フィルターをセットしたドリッパーに移し、熱湯を注いでしばらく待つ。ニームはミルク多めで、俺はブラックだ。
「ほら、出来たぞ」
「……ふぅ、美味しい。先日いただいたお金で、喫茶店の黒茶を飲んでみたのですが、やっぱり兄さんの淹れてくれる方が好きです」
「店によってブレンドの比率や、焙煎の度合いが違うからな。ニームに喜んでもらえるなら、何よりだ」
雑談しつつ朝の一杯を楽しんでいると、シトラスたちが帰ってきた。どうやら二人で浜辺を走ってきたらしい。本当に体力が有り余ってるな、この二人。
「あっ、いいもの飲んでるじゃん。ねえアイス黒茶作ってよ」
「……あるじ様。極限黒茶、飲みたい」
「二人とも、少し待ってろ」
新しい豆でコーヒーを作り、シトラスの方は砂糖を溶かしてから魔法で冷却。シナモンの方は加糖練乳をたっぷり加えてよく混ぜる。
「火照った体に染み渡るー」
「……甘くて、美味しい」
そりゃー甘さマックスなコーヒーだからな!
膝の上に乗せたシナモンをモフりつつ、残りのコーヒーを楽しむ。そんな最中に聞こえてくる、バタバタバタという足音。食堂へ飛び込んできたのはフェンネルだ。
「もっ、申し訳ございません、タクト様、ニーム様。寝坊しました」
「今は休暇中なんだから気にするな。こっちへ来て一緒に黒茶を飲もう」
「では、ありがたく」
今日は半袖のワイシャツとスラックス、そしてカジュアルなシューズか。普段着のフェンネルは新鮮でいい。ワカイネトコの屋敷だと、休もうとしないんだよな。もう一人くらい、家令を増やしたほうが良いかもしれん。フェンネルの本家に相談してみよう。
「フェンネルが朝寝坊なんて珍しいですね。サーロイン家にいた頃には、一度も見たことありませんよ」
「慰安旅行など初めての経験で、ついつい油断してしまいました。昨夜も遅くまで、みなと今日のことを話しておりましたので」
「その気持、よくわかります。私も同じことをしてましたから」
「年甲斐もなく浮かれてしまい、お恥ずかしい」
「フェンネルが少し羽目を外すくらいでないと、アルカネットたちも心から楽しめないと思うぞ。ゴナンクにいる間は立場や年齢のことを忘れて、存分に羽を伸ばせばいいんじゃないか?」
そんなこと伝えながらブラックコーヒーを差し出す。フェンネルがこんな調子だし、アルカネットたちもまだ寝ているんだろう。ということは、あの足音はユズだな。
「おはようございますっす。自分も一杯もらっていいっすか?」
「カフェオレでいいな? 少し待っていてくれ」
「朝なんで砂糖控えめにして欲しいっす」
「了解だ」
「……甘い方が、美味しい」
「自分はシナモンたんみたいに運動しないっすからね。今の体型を維持するために我慢するっす」
「朝飯を食ったら海水浴だぞ。そこでカロリーを消費すればいいだろ」
「それもそうっすね! じゃあいつもどおりでお願いするっす」
体型を維持しようとするなら、基礎代謝を上げるのが一番。つまり筋肉で全てが解決できる。昨日は森の中を移動している時、行程の半分くらいでヘロヘロになってた。夏を前にしてこっそりトレーニングしていたようだが、まだまだ足りん。もう少し体は鍛えてもらおう。
「ただいま戻りました」
「ユーカリさんと、いっぱい散歩してきたです」
「ただいまー。やっぱり海の上は広くて気持ちいいわね」
「聞いてくれ、主殿。やっとジャスミンに追いつく事ができたぞ」
おっ、みんな戻ってきたようだ。
朝飯の準備をして、昼食の仕込みを始めなければ。なにせ今年は自重しないと決めている。セイボリーさんと、ある計画を立ち上げたからな。
新しい遊び道具も準備してきたし、手分けして準備を始めるか!
◇◆◇
必要なものはマジックバッグへ詰め込んだ。着替えもバッチリ抜かりなし。去年より海から遠い家だが、距離的には通り一本の差。ラッシュガードを羽織っておけば、水着のまま出歩いても問題ない。
みんなも準備できたようなので、セイボリーさんのセカンドハウスを出る。持ち主を差し置いて、俺たちだけで使うのはどうかと思う。しかし全員で寝泊まりできる家は、ここしか無かったんだよな……
セイボリーさんは二軒ある別荘の、どちらかを使ってるはず。まあこの恩は明日からの売上で返すから、楽しみにしておいてくれ。
「よし、出発しよう」
特注した抱っこ紐の具合を確かめつつ、リコリスの体を胸の中へ。ジャスミンとコハクを肩に乗せ、サントリナと手をつなぎながら門を出る。
それにしてもフェンネルのやつ、サングラスが似合ってるな。しかも年齢の割に筋肉質だ。トレーニングでもやってるんだろうか?
ティアドロップ型で濃い色合いのレンズだから、ちょっと厳つく見えるぞ。俺もスポーツタイプのサングラスをかけてるし、並んで歩くと人が避けていく。女性陣が目立ちまくってるので、ちょうど良かったかもしれん。
「一年ぶりの海だー。今日はいっぱい泳ぐぞー」
「……シトラス、待って。私も行く」
ラッシュガードを脱ぎ捨てたシトラスとシナモンが、マジックバッグを俺に預けて走っていく。朝あれだけ運動してるのに、相変わらず元気な奴らだ。
まあいい、俺はパラソルを立てよう。獣人種とはいえ乳幼児に直射日光は毒だし、クミンだって炎天下で活動するのは、初めてだからな。
「精霊たちにお願いするから、少しだけ待ってね」
「よろしく頼む」
ジャスミンの舞に惹かれた精霊たちが、砂浜に細長い穴を掘ってくれる。そこへ支柱を差し込めば設置は完了。穴の周囲をガチガチに固めてくれているから、風で倒れる心配もない。今夜も水飴を供えておくから遊びに来いよ!
「フェンネル様どうでしょう。どこかおかしい所はありませんか?」
「心配しなくても、よく似合っている。少しドキッとしてしまったくらいだ」
「本当ですか!? 嬉しいです!」
カルダモンのやつ、早速フェンネルにアプローチしてるな。それでこそタイサイドのセクシー系ビキニを、作った甲斐があるというもの。ビスチェビキニをチョイスしたアルカネットも、さり気なく自分をアピールしてるし、ナツメグとマンダリンそれにパインまで、フェンネルに水着を披露し始めた。みんな頑張るんだぞ。
「タクトおとーさん。およぎかた、おしえて」
「おう、いいぞ。クミンたちも一緒に来るか?」
「うん! みんなも行こっ」
「リコリスちゃんは、わたくしが見ていますので」
「お願いします、ユーカリさん」
「ユズはどうする?」
「自分はタイムちゃんと、砂遊びするっす」
「お城を作ってみたいです、ユズ様」
「任せるっす!」
実家で水難救助訓練をしたことがあるというフェンネルは、自分の従人たちとうまくやるだろう。ジャスミンとスイは沖まで行ってみると飛び出していき、ミントはローリエと砂遊びに参戦。俺はリコリスをユーカリに預け、サントリナのパーカーを脱がす。
現れたのは胸に白い布を縫い付けた、紺色のスクール水着だ。去年同じタイプを着たミントが、似合いまくってたからな。将来有望なサントリナも、実に可愛い!
「私は少しここで休んでからにします」
「お供します、ニーム様」
「あとで兄さんのことを独占してあげますから、覚悟しておいて下さい」
「その時は泳ぎでも砂遊びでも付き合ってやる」
コーサカ家が全員参加した初めての家族旅行なんだし、ニームにも楽しい思い出を作ってもらわねば。後日開催予定の花火大会で世話になるから、今日はしっかりサービスするとしよう。
「たくとおとーさん、すごい。みずがうごいてる!」
「これは波っていうんだ。風の強い日には、もっと大きなのが見られるぞ」
「足に当たると、ちょっとくすぐったいね」
「いきなり水の中に入ると体の負担になりますので、少しづつ慣らしていきましょう」
「準備運動も大切です、クミン様」
ゴナンクで生まれただけあり、ルーとレモングラスは基本的な知識があるようだ。みんなで波打ち際に立ち、しっかりと体をほぐす。
しかしまあ、遠巻きに見つめてくる視線の凄いこと、凄いこと。この一角って、レア種の見本市みたいになってるもんな。さほど珍しくないアルカネットたちですら、快適な生活環境と急激なレベルアップの恩恵で、コンテスト出場者なみの美貌になっている。
コハクが反応した方向へ閃光魔法を発動しつつ準備運動を終わらせ、ゆっくりと海の中へ。
「タクトおとーさん。みず、しょっぱい」
「塩がいっぱい入ってるから、飲んだらダメだぞ」
「うん!」
浮き輪のおかげだろうか。足がつかない深さになっても、サントリナは笑顔のままだ。水を怖がる様子もないし、これなら思う存分楽しめるな。
さあ、目一杯遊ぶぞ!
妹ちゃんとボートで沖に出る主人公。
ちょっとしたイベントと共に、胸の内が語られる。
そしてタラバ商会を巻き込んだ計画とは……?
次回「260話 ゴナンク海岸、夏の陣」をお楽しみに。




