0243話 逆鱗
コハクが悪意を感知できる圏外から、風覇のギフトを持った指揮官が魔法を放つ。タクトはあらかじめ決められていた狙撃ポイントに誘導されており、射手から死角になっていたにも関わらず魔法が命中。簡素な机や椅子を巻き込みながら、タクトの体を木々が密集した場所まで飛ばす。
シトラスたちは、天幕の外から呆然とその光景を見つめる。一体なにが起きたのだろうか……
ただ一つわかるのは、青い髪をした上人が人工林へ向かって飛ばれていったことだけ。
そこで真っ先に動いたのはミントだった。
「タクト様ぁーーーっ!!」
「そいつを止めるぎゃ」
タクトが飛ばされた人工林へ向かおうとするが、指揮官に命令された従人が立ちはだかる。
「その手を離して下さいです」
腕を掴んで止めようとしても、ミントの歩みは止まらない。熊種の体格を活かした踏ん張りをきかせたところで、ミントにとっては子供にしがみつかれた程度の負荷なのだ。
「ウサギ一匹になにやってるぎゃ。全員でかかるぎゃ!」
しびれを切らした指揮官の号令で、周囲にいた従人たちが一斉に飛びかかる。そして団子状になった従人の中に埋まってしまうミント。
「愛玩用のメスガキが、手を煩わせるんじゃないぎゃ。そのまま大人しく潰れてしまうといいぎゃ」
「どーけーとー、言ってるですぅぅぅぅぅーーー!!」
――ドゴォーン!
力任せに押しのけられた従人たちが、一斉に空中へ飛ばされた。自分に向かって落下してきた部下たちを、唖然と見つめる指揮官。カエルが潰れるような声を上げ、男は動かなくなってしまう。
そんな様子を一瞥することもなく、ミントはタクトの名を叫びながら森の中へ。大切な契約主と霊獣の安否を確認し、治癒術を発動しながらすがりつく。
◇◆◇
天幕の中にいた総司令官は、まんまと罠にハマったタクトを見て笑う。しょせん冒険者のレベルなどこの程度。自分たちの足元にも及ばないと。
「これで皇帝陛下も思い知るゴブ。冒険者風情に学ぶことなど何も無いゴブよ」
彼らにしてみれば、帝都の治安を守ってきたという自負がある。ゆくゆくは実績を評価され、親衛隊や近衛に抜擢されることを、夢見る者も少なくない。
そんな彼らの前に現れたのが、第三皇女の守護者に任命されたタクトだ。その地位は親衛隊より上、しかもタクトは他国の上人。指揮官たちにしてみれば、実に不愉快な存在である。
なにせ自分たちより劣る冒険者が、皇族に取り入って地位を得た。挙げ句に連れている従人は愛玩用ばかり。五つ星というにはまだ若く、とても実績を積んだようには見えない。加えて容姿はアインパエで人気のある、皇室男子系の顔立ち。
イケメン死すべし! という仄暗い嫉妬心で味を整え、今回の不意打ち作戦を立案。特別訓練の通達を受け取ったあと、秘密裏に同士を集めて実行した。
しかし腐敗した元老院のもとで、鍛錬を怠ってきた彼らは知らない。実力主義のアインパエ帝国において、自分たちが出世する芽などないことを……
そんな彼のいる天幕へ飛び込んできた黒い影。いとも簡単にリンデンを組み伏せ、首筋に抜き身のナイフを当てる。
「……三枚、背開き、腹開き、ぶつ切り。好きなの、選ぶといい」
「なっ、なんの話ゴブ」
「……捌き方。希望、言って」
「俺は魚じゃねぇゴブ!!」
「……わかった。後でみんなと、決める」
「従人のお前が上人の俺に、そんなことして許されると思うゴブか」
シナモンは普段より更に表情の抜け落ちた顔で、馬乗りになって拘束しているリンデンを見下ろす。漆黒の瞳は光すら吸い込み、その口調は凍えるように冷たい。やがて聞こえてくる、パリパリという放電音。
「……どうでもいい。スイ、怒らせた。この大陸、もう終わり」
「なに言ってるかわからないゴブッ!!」
「……その声、耳障り。もう聞きたく、ない」
――バリバリバリバリ
「アババババババァァァァァァーーーゴブゥ」
「……しばらく、寝てて」
シナモンのナイフから紫電が放たれ、リンデンの全身にまとわりつく。シナモンが離れていっても、消えることのない電撃。それはまるで意思を持っているかのように、リンデンの体を締め上げる。しばらくビチビチ跳ね回ったあと、海老反りの状態で動かなくなった。
◇◆◇
不意を突かれたリンデンの従人たちが、天幕の中に飛び込んだ侵入者を排除しようと動く。しかし目の前の光景を見て、固まってしまう。
「シナモンさんの邪魔はさせません。先に進みたいのであれば、わたくしを倒してからにしなさい」
「「「「「・・・・・」」」」」
ユーカリの全身から黒いオーラが吹き上がり、その背後にはスイの本体より巨大な火龍。チロチロと炎を吹き出しながら鎌首をもたげる姿は、本能的な恐怖を呼び覚ます。
「ミントさんが向かってくれましたし、わたくしたちの力も消えていません。きっと命に別状はないのでしょう。しかし愛する旦那様に後遺症でも残ったら覚悟しなさい。ここにいる全員を燃やし尽くします」
――ゴパッ!!
火龍の口から炎が放たれ、採石場跡の崖に命中。岩山が一瞬で溶岩へと変化し、地面に大きなクレーターを作る。まるで天変地異のような光景に、従人たちの足がすくむ。しかし使役主を守れという強力な制約が、彼らの体を無理やり動かした。
それを見たユーカリは小さくため息を付き、自分の中に芽生えた力を確認。突進してくる従人たちへ解き放つ。
〈ひれ伏しなさい!〉
制約を上回る強制力が襲いかかり、わずかに残っていた気力や信念を根こそぎ奪う。力なく地面に膝をつき、まるで許しを乞うように頭を下げる。その場に居合わせた者は、後にこう語った。
恐怖の大魔王が降臨した……と。
◇◆◇
自分たちに敵意を向けていた集団へスイが近づく。菖蒲色の目が爛々と光り、濃密な魔力が周囲に風を生む。荒ぶるしっぽが地面を叩くたび、地殻がビリビリと悲鳴を上げる。
「我の全てを捧げた存在が害されるというのは、ここまで深い怒りを生み出すとは。お前たち、覚悟はできているな?」
「メス従人が一人で来るとはいい度胸クポー」
「群れないと何もできぬ小物は、我一人で十分ということだ」
「生意気な口をきくんじゃないクポ。丸腰で挑んできたこと、後悔しながら死ぬクポー!」
挑発された指揮官たちが、一斉に魔法を放つ。全員が優秀なギフトを授かっているだけあり、その精度や規模は一般的な冒険者より遥かに上。飛び道具を持たない相手に、反撃などできる道理なし。そんな勝利の方程式に酔いしれていた指揮官たちは、眼の前で消えてしまった魔法に言葉を失う。
「ふむ、たったこれだけで終わりなのか?」
「いっ、いまのは調子が悪かっただけクポー。これを食らうがいいクポー!!」
いくら強力な魔法を放とうと、賢者より膨大な魔力を持ったスイに届くことはない。なにせ今の彼女は、完全にリミッターが外れた状態だ。普段は無意識に抑えている力や魔力が、余す所なく漏れ出している。
「相手との力量差も見極められんとは、実に嘆かわしいものだ。しかもお前たちには、矜持も礼儀もない。初代皇帝を見習うがよかろう」
「従人が偉そうに説教するなクポー。お前ら全員でかかるクポー」
こんどは数で勝負とばかりに、一個中隊全員で特攻を仕掛けた。それを見たスイは、右足を大きく踏み出す。
「今は手加減するつもりはないゆえ、ダメな上司の愚かな行為を恨むがよい」
――ドンッ!!
スイの足踏みで、地面に亀裂が走る。そこからどんどん広がっていき、突撃してきた従人を次々飲み込む。駐屯地の広場すべてを喰らい尽くした亀裂は〝龍の顎〟と呼ばれ、ドアッガの観光名所になるのであった。
◇◆◇
タクトが狙撃された瞬間、ジャスミンはその射線を追う。そして街を模した建物の中に潜む上人を発見。魔法の射程圏外まで一気に上昇し、獲物を狙う鳥のように急降下。周囲にはジャスミンの怒りに呼応した精霊たちが集まっており、目標の建物を消し飛ばす。
「次は外さないから、覚悟なさい」
男の周囲はケーキ型でくり抜かれたように、きれいに消え去っていた。その光景に目を疑うも、彼とて大隊長を努めている指揮官。周囲の部下に指示を出し、上空から見下ろす小さき者へ反撃を開始。射程の長い魔法や投擲武器が、ジャスミンへ降り注ぐ。
「あら、とことんやり合おうっていうのね。いいわよ、付き合ってあげる」
爆炎が晴れたあとに浮かんでいるのは、汚れ一つない純白の蕾。防御に回していた翼を広げると、その姿があらわになる。頭の上にエンジェル・ハイロゥが浮かび、背中には四対八枚の翼。そして身長が百六十センチを超える絶世の美女。
全天に広がるいくつもの魔法陣を背負って浮かぶ姿は、童話に出てくる神の御使いと同じ。指揮官たちは思わず見とれてしまう。
「私の命より大切なタクトを傷つけた罪、その身で贖いなさい」
〈天誅〉
天使形態に変化したジャスミンが、上空へ向けた腕を振り下ろす。
――ズガガガガガガガガァーン
魔法陣から光の矢が降り注ぎ、周囲の建物を次々破壊していく。天の怒りと呼ぶにふさわしい苛烈な攻撃が終わると、街を模していたエリアの建物は全て崩れ去り、瓦礫の山になっているのであった。
◇◆◇
シトラスは見逃さなかった。監視塔の上から人工林の方向へ、魔法が放たれようとしているのを……
青い双眸がキラリと輝き、光の軌跡を残しながら一気に加速。
「もしその魔法を撃ってみろ、生まれてきたことを後悔させてやる」
「軟派男の使役してる愛玩用従人が、なに言ってるナス。止められるものなら、止めてみるナス」
「この建物は、どんな魔法攻撃にも耐えられる、強度があるウリ。皇帝陛下の親戚だか何か知らないが、コネでランクを上げるような卑怯者の従人じゃ、壊せすことなんて出来ないウリ」
「皇女殿下の守護者は、実力者の俺達が変わってやるカブ。お前は下等な冒険者が無様にやられる姿、そこで大人しく見てるがいいカブ」
――ブチッ!!
「ボクの……ボクの大切な、一番好きで、誰より信頼できて、近くにいるだけで幸せになれる、自慢のご主人様をバカにするなぁーっ!!」
――ドゴォォォォーン!!
怒りの一撃が強固な外壁に突き刺さる。アインパエ秘蔵の加工を施され、あらゆる魔法や衝撃にも耐えられるレンガが、まるで破砕機を通したようバラバラと崩れていく。土台の一部が倒壊し、バランスを保てなくなった監視塔。鈍い音を立てながら亀裂が走り、やがて自重を支えられなくなる。
「苦しまないように息の根を止めてあげるよ。最初は誰がいい?」
地面に投げ出された男たちの顔面横へ、シトラスは足を踏み降ろす。決して壊れるはずのないレンガが、砂のように崩れてしまう。それを見た三人は、やっと理解できた。眼の前にいる従人が、理外の力を使っていることに。
「わっ、悪いのは総司令官ナス」
「俺達はそそのかされただけウリ」
「助けてくれカブー」
「今更そんな言い訳が通用すると、思っているのかい?」
完全に戦意が喪失し、震えながら涙を浮かべる指揮官の眼前に、シトラスの足が迫る。その時、兎種の従人を連れた男が現れた。
――…‥・‥…―――…‥・‥…――
タクト襲撃事件が一段落したあと、総司令官に出頭命令が下る。正規の手続きを全てすっ飛ばし、連行されたのはアインパエ帝国皇帝、アンゼリカ・スコヴィルの御前だ。
「ここに呼ばれた理由はわかってるにゃ?」
「まったくわからないゴブ。我らは職務を全うしただけゴブ」
「皇帝である私の派遣した冒険者を襲って、職務を全うとか冗談が過ぎるにゃ」
「いくら皇帝陛下の勅命とはいえ、得体のしれないやつに訓練を任せるわけにはいかないゴブ。だから実力を試してやろうとしただけゴブ」
アンゼリカの横に控えていたサフランが、腰の剣に触れて鯉口を切った。和食や和菓子、そして日本茶をこよなく愛する彼女にとって、タクトを害そうとする者は全て敵。許可さえ出れば即座に斬り捨てるつもりだ。
「その結果、どうなったにゃ?」
「施設は全壊、訓練場が消失、重軽傷者多数と大損害ゴブ。即刻あの冒険者を逮捕するゴブ」
「その程度で済んで良かったにゃ。あの場でタクトが止めてくれなかったら、アインパエ帝国は滅亡していたにゃ。下手すると大陸ごと消えていたかもしれないにゃぁ……」
「なに言ってるゴブ。一介の冒険者ごときに、そんなこと出来るわけないゴブ」
ユーカリが発現させた火龍だけでも、七日あればアインパエ全土を火の海に出来る。そして天使形態のジャスミンが放つ光の雨は、攻撃範囲に制限がない。更に地域の支配者たるスイの逆鱗に触れれば、世界を飲み込む厄災と化す。
事の重大さをまったく理解できていないリンデンを見て、アンゼリカはそっとため息を付く。そしてマジックバッグから、いくつもの紙束を取り出した。
「ダエモン教の聖女様から、厳重抗議が届いているにゃ。こっちはマノイワート学園、マッセリカウモ中央議会、ワカイネトコ農業連盟から送られてきた、遺憾の意を表す書状にゃ。他にもアンキモ家を始めとして数人の個人から、説明要求のメッセージを受け取ったにゃ」
「たかが冒険者風情のために、どうして世界に数台しかない古代の遺物が使われるゴブ」
「お前たちは決してやってはいけにゃいことをした、それだけにゃ。事態の収拾を図るためなら、全員の首を差し出すつもりにゃ。覚悟しておくといいにゃ」
「いくら皇帝陛下と言えど横暴ゴブ! 帝国の治安をどうするつもりゴブ」
「正直、今の指揮官や従人部隊は、いてもいなくても大差ないにゃ。それに私だって、この場で全員を打ち首にしたいくらい、怒ってるにゃ!」
抜剣したサフランが、鋭い切っ先をリンデンに突きつける。その時、鈍い破壊音とともに、魔封じの結界が消失。入口の扉が炎に包まれ消し炭になった。
「私の可愛い孫に手を出した愚か者は、どぉこぉかぁしぃらぁー?」
「往生しなっせー!」
「ひにゃぁぁぁぁー」
カラミンサとゼラニウムの姿を見て、アンゼリカの顔から血の気が引く。なにせ彼女の一番恐れていた事態が、起きようとしているのだ。
「どっ、どうして炎魔がここにいるゴブ!? 引退して静養中じゃなかったゴブか?」
「お前はもっと情報収集に力を入れた方がいいにゃ! そんにゃんだからタクトを襲おうなんて、愚かなことを考えつくにゃ!!」
「首謀者はあなたねぇー?」
「そうですにゃ。こいつが全部悪いですにゃ」
「部下を売るなんて皇帝失格ゴブ」
「うるさいにゃ! お前も組織のトップにゃんだから、自分で責任を取る義務があるにゃ」
「辞退するって言ったけど、やっぱり私たちが指揮官と従人部隊の性根を、一から叩き直してあげるわぁ。異論ないわねぇー?」
「もっ、もちろんですにゃ」
アンゼリカは壊れたおもちゃのように、カクカクと首を振る。影の執行人として長年活躍してきたカラミンサを知らない者は、アインパエ帝国に誰一人としていない。カリスマを持った彼女が復帰したと知れ渡れば、強烈な犯罪抑止力になるはず。それを大々的にアピールするため、指揮官たちは生贄になってもらおう。そんな思惑がアンゼリカの脳裏に浮かぶ。
「さあ、楽しい楽しい訓練の始まりよぉ」
「丸焼きにされるのは嫌ゴブー」
「アンゼリカちゃんにも、後でお話がありますからねぇ。首を洗って待ってるのよぉ」
「わかりましたにゃぁぁぁぁ……」
去り際にとどめを刺されたアンゼリカが、失意の体前屈で崩れ落ちる。そしてゼラニウムに首根っこを掴まれたリンデンは、死んだ魚のような目で引きずられていく。
その日以降ドアッガ郊外の駐屯地から、叫び声が途切れることは無かったという……
主人公から離れなくなってしまうシトラスとシナモン。
次回「0244話 ひっつき虫」をお楽しみに。




