0234話 初代皇帝のギフト
やはり露天風呂は別格だな。お湯で濡れた石畳を歩くだけで、テンションが上ってくる。毎日でも入りに来たいところだが、そうもいかん。俺たちの宿泊を最優先にしてくれているとはいえ、ここ露草の館はいわゆるゲストハウス。皇居へ招かれた地方の役人や、皇家に縁のある者も泊まりに来るらしい。
「……あるじ様、ぶっかけて」
「我のしっぽも頼むぞ、主殿」
シナモンとジャスミンにかけ湯をし、スイのしっぽを軽く磨いていたら、湯浴み着を身につけたニームたちが入ってきた。三人とも露天風呂に興味津々の様子。アインパエでしか味わえない開放感、思う存分楽しめよ。
「へー、ほんとに空が見えるんですね」
「ユーカリさんの妖術で守られていなければ、少し躊躇していたかもしれません」
「こんなに大きなお風呂があるなんてすごいね、ステビアお姉ちゃん」
「俺との入浴に抵抗があるのかと思ったが、割と平気そうだな」
「来月になったらゴナンクへ連れて行ってくれるんでしょ? そのとき水着姿を見られるんですから、今のうちに慣れておこうと思っただけです」
なんだよその顔は、そんなに海水浴が待ち遠しいのか?
ニームにはハイネックの水着。ステビアにはビキニスタイル。そしてローリエにはワンピース型を発注済み。楽しみにしておくがいい!
なにせゴナンクの夏といえば運動会。マトリカリアとの約束もあるし、ステビアも参加を決めてくれた。セイボリーさんに宿泊場所の手配を頼んでるから、家族全員でリゾート気分を満喫しよう。
「夜の花火も期待してるぞ」
「任せてください。炎色反応って面白いですからね。海水浴までにはマスターしてみせます」
ユズは日本人なので本人に希望を聞くとして、アルカネットたちの水着も考えておかねば。せっかくのバカンスなんだから、既製品で済ませるなどモフリストの名折れ。レベルアップの恩恵と食生活の改善、そして毎日の風呂で、見違えるほど綺麗になってるからな。それぞれの魅力を最大限に引き出せるよう、デザインと色を考えてみよう。
「よし、しっぽもきれいになった。温泉に入るか」
「主殿といっしょの入浴は、やはり心が踊る。ささ、早く湯船に浸かろうぞ」
逸る気持ちを抑えきれないスイに腕を引かれ、湯船にゆっくりと腰を下ろす。呼び寄せたミントを膝の上に座らせてくつろいでいると、ニームたちと一緒にスコヴィル家の面々も入ってきた。
「今日はどうだった? ぺーくんがなにか失礼なことしてにゃい?」
「なかなか有意義な時間を過ごさせてもらった。少し尖ったところはあるが、なかなか面白いやつじゃないか」
「ペッパー兄上殿を面白いの一言で片付けられるのは、タクトだけなのじゃ」
「業界では異端かもしれないが、彼は紛れもない天才だぞ。実は今、ニームのおかげで魔力を波として捉える理論が、見直されつつある。これまでの学説だと証明できなかった未解決問題が、波として定義することで打開できそうなんだ。そんな最先端の場所に、ペッパーは独学でたどり着いていた」
「私が感覚的に捉えている魔力の流れを、魔道具で可視化してしまいましたからね。あれは驚きました」
「魔道具のコアも独自に解析しててな。オーバークロックや同時マルチスレッド化とか、前世の先端分野に近いことを研究している。この世界だと理解できる技術者は、ほとんどいないと思う」
だから業界や研究者に受け入れてもらえず、どこにも所属しない姿勢を貫いている。そんな彼のため、好きに没頭できる場所を用意した前々皇帝は、やはり子供思いのいい父親だ。
「いくら気が合うからって、こいつを助手にするのはやめたほうがいいと、ボクは思うなぁ……」
「タクト様だけでなく、ニーム様はプロポーズされてたです」
「例え相手がやんごとなきお方でも、ニーム様は渡しません」
「うにゃ!? ペーくんは魔道具が恋人みたいな性格にゃんだよ。そんな子に興味を持たれるにゃんて、やっぱりニームちゃんは自慢の娘にゃ!」
例の一件以来、ニームは〝アンゼリカお母さん〟と呼んでるし、別に娘扱いしてもいいんだけどな。しかし、義理の娘になった子供と、実の息子が恋愛関係になるのって、心情的な抵抗がないのか?
「あれを求婚とは言えないと思いますが……」
「その辺り、詳しく聞かせてほしいの。今夜は女子会するの!」
「女子会……楽しみれす」
「久しぶりにニーム姉上殿と、じっくり語り合いたいのじゃ」
「それならタッくんとニームちゃんの従人も全員参加で、女子会の開催を宣言するにゃー!」
「ホホーウ!」
勝手に決めるなよ。俺は参加できないんだぞ……
「……女子会って、なに?」
「女性だけでお話する集まりのことですよ」
「そのような風習が外界にはあるのか。これはまた興味深い」
「タクトだけ仲間はずれになってしまうわね」
「キュイー?」
「せっかくだから、コハクも行ってくるといい。俺は適当に時間を潰してるよ」
まあ俺ぬきのイベントも経験しておいたほうが、生活に潤いが出る。一緒に過ごしてばかりだと、どうしてもワンパターンになってしまうしな。せっかくだからこの時間を利用して、碧御倉にでも行ってみるか。皇家秘蔵の書物に、軽く目を通しておこう。
◇◆◇
門番に皇籍証を見せ、マジックバッグを預けてから碧御倉の中へ。敷地内に三つの建物があり、真ん中にあるのが宝物庫。右側が書庫で、左は歴代皇族の遺品が収められているとのこと。入口にはテージクロノ学園にあったゲートと、よく似たものが設置されている。デザインがかなり古めかしいので、おそらくここの技術を転用して、学園のセキュリティーを作ったんだろう。
上部が斜めに切り落とされた円柱のパネルへ、発行してもらったばかりの通行証を当てて魔力を流す。書庫の扉が開くと、鼻腔をくすぐる古書の匂い。これだけでテンションが上ってくるぞ!
「とりあえず初代皇帝に関する資料を探してみるか」
独りごちた後、本棚を見て回る。パッと見た限り、北方大陸の歴史や文化に関する書物が多いな。元の世界にあった国会図書館みたく、あらゆるものを蒐集しているワカイネトコ大図書館と違い、国の成り立ちや過去の偉業に特化してる感じだ。
古めの本をいくつか見繕い、奥にある閲覧スペースへ持ち込む。パラパラめくっていると、初代皇帝のギフトが載っていた。
「豪鬼って隠しボスかよ!」
いかんいかん。思わず声に出してしまったではないか。
こんなギフトが発現したら、強者を求めて旅するわな……
魔法より肉体的な強さを重視してたらしく、数多くの従人を配下にしていたようだ。魔法を生身で弾き返すとか、凄いどころのレベルじゃないぞ。一体どんな丈夫だったんだろう。
そんな性格をしていたら上人に興味を持てなくなりそうだが、ちゃんと妻はいたっぽい。今回チョイスした書物に、手がかりになりそうなものは無いな。とりあえず、元の場所へ戻しておくか。
「おい、お前。人生何周目だ?」
席を立とうとした時、背後から声をかけられた。後ろを向くと緑色の髪をした男が立っている。適当に切り落としたような、ボサボサのヘアスタイル。色白のひょろっとした体格で、俺より身長が低い。年齢は十代後半だろう。
ここに入れる人物で、それに該当するのは一人だけ。
「部屋に引きこもってると聞いていたが、こんな場所に出てくることもあるんだな」
「いいから質問に答えろよ」
「俺は二度目を満喫中だ。初対面でその質問をするくらいだから、クローブも同じなんだろ?」
「やっぱりそうか。食事が米に変わったから不審に思ってたんだけど、お前があれこれやってるんだよな?」
おーい、微妙に会話が成立してないぞ。こっちの質問にも答えろよ。
「前世は日本人だったが、お前は?」
「僕の生きていた時代に国なんて無い。ほとんどの人間が軌道上に浮かぶコロニーで生活していたからな」
どうやら数世紀未来の地球から転生したようだ。環境やエネルギー問題を解決すべく、地球全体を保護地域にして、宇宙で暮らすようになったんだとか。しかも肉体を捨てて電脳パーソナリティー化してるとか、完全にサイエンスフィクションの世界だぞ。
「そんな状態だったら寿命なんて無いだろ。どうして転生なんかしたんだよ。ひょっとして社会に貢献できなかったペナルティーでパージされたとか?」
「馬鹿にするな、僕は優秀だったんだ。リソースだって他の奴らより多くもらってたんだぞ。ちょっと運が悪かっただけさ」
地上で野良化していた人工知能が独自の進化を遂げ、軌道上のシステムに侵入。制御系を奪ってコロニー落としをやったそうな。死亡原因がそんな理由とか嫌すぎる。もしユズが元の世界に戻れるなら、予言書とか渡してやりたい。
「生身の肉体は重いしメンテが大変だし、めんどくさいったら無いよ」
「だから部屋に引きこもってるのか」
「意思の疎通なんて、思考するだけで伝わるのが当たり前だろ。喋るのも億劫だよ、まったく」
「そんな面倒くさがりのお前が、どうして俺のところに来たんだ?」
「僕は古代文明の研究をしててね。二十一世紀初頭の生活様式に関する分野では、第一人者だったのさ」
「ほう。それはすごいな」
「事故が起きる直前に調べてた〝ティー・ケー・ジー〟って食文化を解明できなかったのが心残りなんだ。もし知ってたら教えてくれ」
電脳化して食事の必要もなくなったから、衰退してしまったわけか。食文化とはいっても国を代表する料理のように、資料にとして編纂しておくようなレシピじゃないしな。
まあ教えるのは吝かではないが……
「口で説明するのは難しい。明日の朝、御所の食堂へ来い。そこで食べさせてやる」
「わざわざ出向くなんて面倒くさい、部屋の前に置いといてくれよ」
「調理のタイミングにコツがいる。しかも作ってすぐ食べなければ、本物とはいえない。つまり食堂に来るしか味わえないってことだ」
「そんなにシビアな料理なのか。……わかったよ、気が向いたら行ってやる」
「新鮮な食材でしか作れないから、絶対に来いよ」
そんな約束をしてクローブと別れる。まさか引きこもりの次男が会いに来るとは。それだけ心残りだったってことなんだろう。これは旨いだし醤油を作ってやらねばならん。明日はちょっと早めに仕込みを始めるか。
◇◆◇
早起きの予定も決まったので、露草の館へ戻ることに。俺の夢に関する資料はゆっくり調べよう。資料や書物ではなく、遺品の方に手がかりがあるかもしれないしな。
そんなことを考えながら、ベッドの近くで寝る準備をする。
しかしシトラスたちが居ないだけで、こんなに時間を持て余すとは……
それに全く眠くならん。これはモフモフ欠乏症に違いない!
元実家で暮らしていたときは、よくこの禁断症状に耐えられたものだ。なんか動悸に息切れ、手足の震えや目眩までしてきそうな感じがするぞ。
徹夜で料理の仕込みでもするか……なんて考えていたとき、部屋にノックの音が響く。
「誰だ?」
「入ってもいいかい?」
「シトラスか。構わないぞ、入ってこい」
部屋の扉が開き、浴衣姿のシトラスが入ってくる。その姿を見ただけで、落ち着かなかった気持ちがスッと凪いでいった。やはりモフモフは最高の精神安定剤だな!
「女子会はどうしたんだ?」
「もうお開きになったから、みんな寝てるよ」
「楽しめたか?」
「まあキミ抜きのイベントも、たまにはいいものだね」
しっぽを揺らしながら歩いてきたシトラスが、ベッドの上に腰を下ろす。
ん? こっちをじっと見てどうした。俺の顔なんて見慣れてるだろ。
「有意義な時間を過ごせて良かったな」
「だけどなんか眠くならないんだよ。どうせキミも同じだろうと思って、見に来てあげたのさ」
「実は徹夜でもするかって考えてた」
「やっぱり禁断症状が出てるじゃん。仕方ないからこっちに泊まってあげるよ」
やっぱりシトラスは最高の従人だ。こんなに俺のことを想ってくれるなんて嬉しすぎる。
「明日は早めに起きたいから助かるぞ。じゃあ早速寝よう」
「着替えてくるから、ちょっと待っててくれるかい」
隣の部屋に入っていったシトラスが、男物のシャツとショートパンツ姿で戻ってきた。ベッドに潜り込んで腕を差し出すと、嫌がる素振りも見せずに自分の頭を置く。
「こうして二人っきりで眠るのは久しぶりだな」
「他の人が居ないからって、変なことしないでよ」
「俺はこうしているだけで満足だ」
部屋の明かりを反射して銀色に輝く髪を撫でたあと、ピンと立ったオオカミ耳をふにふにとモフる。シトラスの容姿はテージクロノ学園でも、従人たちから注目されていた。そんな彼女を独り占めできるとか、なんて贅沢なんだろう。
「ほんとにキミときたら、自制心がないんだから。やっぱりボクたちが一緒じゃないと、死んじゃうんでしょ」
「少なくとも寝不足で死にかけてただろうな」
「こうして来てあげたんだから、感謝してよね」
「ああ、愛してるぞシトラス」
「また恥ずかしげもなく、そんなこと言う……」
そういうシトラスだって、最近は素直に受け入れてくれてるじゃないか。以前は怒ったり、狼狽えたりしてたくせに。
「そういえば碧御倉で、珍しいやつに出会ったぞ」
「ふーん。捜し物のことも含めて、話を聞かせてよ」
書庫で出会ったクローブのことや、初代皇帝の逸話なんかをシトラスに話す。そんなことをしていたら、すぐ眠気が襲ってきた。
「ふわぁ~……。そのティー・ケー・ジーってやつ、ボクも楽しみだな」
「シンプルで奥の深い料理だから、色々アレンジができて面白いぞ」
「明日の朝ご飯、いっぱい食べるから……ね」
そんな話をしながら、二人で夢の中へ旅立つ。シトラスのおかげで、今夜も快眠間違いなしだ。
次回は視点を変え「0235話 女子会」をお送りします。
恋バナや0198話に関する答えとか……




