0023話 二人でお風呂
拓人からミントを風呂に入れるよう言われたシトラスは、恐縮する彼女を半ば引っ張る形で脱衣場へと入る。一番風呂をゆっくり堪能したタクトは、すでにベッドの上で待機中だ。
「ミントたちのことを、普通の従人と同じように扱ってもらえないのは、とても申し訳ない気持ちになるです」
「自分の作った料理を食べさせて、身ぎれいにしたボクたちを連れて歩くのは、アイツの趣味みたいだしね。気にせず受け入れておくほうが、いいんじゃないかな」
「だけど、いくらなんでもやりすぎなのです。まるでタクト様のほうが、使用人みたいですよ」
「その対価としてボクたちは、このあとアイツに体を差し出すんだ。グズグズしてると文句を言われるし、ボクは先に入っておくよ」
慣れた手付きで服を脱ぎ捨て、汚れ物のかごに放り込んだシトラスが、浴室へと消えていく。ちなみに洗濯もタクトの仕事である。洗浄の生活魔法を改良し、柔軟剤効果まで再現できたのは、もちろん地球で学んだ科学知識のおかげだ。その効果がどれほど素晴らしいかを、ミントが知るのは数日後だった。
脱衣所に残されたミントは、同性とはいえ裸を見せるのは恥ずかしい、そんな気持ちで動きが止まる。しかし、こんな役立たずを拾ってくれた恩は、体で返さなければいけない。そのためには身を清める必要があると自分を納得させ、気合で全てを脱ぎ捨てると浴室へ入っていく。
「服の上からでも目立ってたけど、本当に憎たらしいくらい大きいねミントは」
「あうー、あまりお胸を見ないでほしいです」
「なにを食べたらそんなになるのか、教えてほしいくらいだよ」
「ミントも野菜の切れ端が入った、茶色い水麦しか食べたことないのです」
ミントが生まれたサーロイン家は、上層街でも歴史のある名家だ。世間体に気を配る必要があるため、従人の扱いにもある程度の配慮をしている。とはいっても食事事情が他と大きく異なることはない。
「ふーん、それでもそんなに成長するってことは、やっぱり体質なのかな」
「シトラスさんだってすごく綺麗ですよ。お肌はすべすべですし、背も高くて足も長いです。ミントみたいにちんちくりんじゃ、タクト様を喜ばせることができるか不安で……」
「あー、それなら大丈夫さ。アイツはボクたち従人の、耳やしっぽにしか興味がない変態なんだ。現に今日だって、ミントの耳ばかり見てたしね」
「見おろされてるから、全然気づかなかったのです」
「そんなわけで念入りに洗うよう言われてるから、頭と背中はボクに任せておくといい」
「よろしくお願いしますです」
「じゃあ、そこの椅子に座ってくれるかな」
シトラスは石鹸をよく泡立て、ミントの丸いしっぽを優しく丁寧に洗っていく。他人から与えられる刺激をうけたミントは、思わず上げそうになった声を抑え、身を固くしてじっと耐える。そんな彼女の姿を見ながら、自分の時もそうだったと、シトラスは少し前の出来事を思い出していた。
「くすぐったくないかい?」
「ちょっとゾワゾワーってしますです。でも気持ちいいですよ」
「このあともっと酷いことされるから、今のうちに慣れていおくんだね」
「酷いことですか? タクト様はそんなこと、しないと思うのです」
シトラスはいつものノリでこう言っているが、ブラッシング行為自体を嫌っているわけではない。むしろ他の従人とは明らかに違ってきた毛並みが、自慢の一つになってきている。街を歩いていても視線を感じることが多くなり、少し気後れしてしまっている状態だ。
それは自分が女性として見られる視線に慣れていないので、ある意味当然の反応と言えるもの。そんな事情もあり、今日はずっと家で引きこもっていた。
「ミントはアイツのこと、すごく信頼してるよね。どうしてだい?」
「タクト様は昔から、お優しかったのです。ミントは六歳の頃から六年間お仕えしたですが、それはもう失敗ばかりしてたです。でもタクト様に叱られたり叩かれたことは、一度もないですよ」
「ちょっと待って。そんな年齢から働かされるって、一体どんな家で育ったのかな」
「えっと、上層街にあるサーロイン家ですよ。ミントはそこで生まれたのです」
ミントから家名を告げられ、さすがのシトラスも驚きを隠せない。それは無学な彼女でも知っている、名前だったのだから。
「そんな家で生まれたのに、アイツはどうして下層街に?」
「タクト様は家を追い出されてしまわれたのです――」
頭と体を洗い終えたあと、二人で湯船に浸かる。そしてミントはタクトのことを語っていく。
「タクト様は上人だった奥様と、旦那様の間に生まれた方なのです。奥様はミントが二歳の時に、お亡くなりになったですが、とてもお綺麗な方だったと、お母さんから聞きましたです」
「へー。わざわざ下層街から連れてくるくらいだし、よほど顔が良かったってことか」
「その血を引くタクト様も、かっこいいのです!」
「確かに他の人より、整った顔つきをしてると思うよ。でも目付きの悪さと歪んだ性格が、全て台無しにしてるけどね」
「離れにある日当たりの悪い書庫で、ずっと本を読んでらっしゃいましたから、仕方ないと思うのです」
本人からも聞いていたが、知識の源泉を聞いたシトラスは、なるほどと納得した。この街でも歴史のある家だから、所蔵している本も多いのだろうと。
「食べ物のこと、それに魔物や魔獣に詳しかったのは、そういう訳だったのか」
「水麦があんなに美味しく食べられるなんて、ミント驚いたのです」
「アイツの作るご飯って、どれも美味しいからね。使ってるのはどこでも売ってる安い材料なのに、なにか魔法でもかけてるんじゃないかって、毎回思うくらいさ」
実際、タクトは自分の魔力を料理へ練り込んでいるが、味に影響することはない。ただ、それを食べた者と魔力的な繋がりができる。その代償として、タクトの魔力は常に消費され続けてしまう。
「あんな美味しいものを、ミントたちにも食べさせてくれるなんて、タクト様は本当にお優しいのです」
「アイツが家で暮らしてた頃、料理はしてなかったの?」
「時々なにかを焼いたり煮たりしてましたです。でも食事は家で出されたものを、召し上がってらしたですよ」
「最初の頃、時々料理で失敗してたのは、慣れてなかったからなのかな……」
タクトが家で暮らしていた頃は、ひたすら自分のギフトと魔力制御を鍛えていた。その一環で加熱や冷却を、使っていただけだ。基本的にタクトの作る料理は、前世の記憶頼みな部分が大きい。初めての炊飯に失敗したのも、何度か煮崩れや生煮えをやらかしたのは、この世界で手に入る食材に慣れていなかったからである。
「タクト様の料理、みんなにも食べさせてあげたいのです」
「水麦を白くして食べる方法は、他人に教えたらダメって言われたね」
自分と同じ考えに行き着いたミントに、シトラスは以前聞いたことをそのまま伝えていく。
「ミントたちだけでなく、皆さんのことを考えてらっしゃるんですね。こんなに聡明な方を、サーロイン家は追い出してしまわれたのです……」
「それはやっぱり魔法を使えなかったから?」
「はいです。タクト様は魔法を使えない落ちこぼれだと、二人いる弟からもバカにされてたです。それに授かったギフトもハズレだからって……」
「だけどアイツの魔法って、かなり凄いと思うよ。便利な生活魔法を色々使えるからね。なんだっけ……確か〝でんしれんじ〟とかいう魔法で、冷たいお弁当を温めたりできるんだ」
「それは凄いのです。さすがタクト様です」
生活魔法の中には光を発生するものがある。可視光線、それすなわち電磁波だ。その周波数を下げれば、マイクロ波にすることも可能。ただしそのまま使うと危険なため、左右の手で魔法的な力場を作り、その内部にのみ発生させるという、器用なことをやっていた。魔法の研究者が聞けば、卒倒ものの技術なのだが……
「それに論理演算師ってギフトは、ハズレなんかじゃない。そんな事もわからず追い出したのなら、サーロイン家はアイツのことを、何もわかってなかったんだ」
「タクト様のことで怒ってくれて、ありがとうなのです。でもミントは、タクト様が家を出られて、良かったと思うです。久しぶりにお会いしたですが、あんなに楽しそうに話すタクト様は、初めて見たですよ」
「家にいるときは、あんな感じじゃなかったのかい?」
「挨拶くらいはしてくれたです。それからミントが失敗しても〝大丈夫だ、気にするな。次からはもっとうまくやれ〟とか言ってくれたです。でも、それ以外はあまりお話してくれなかったですよ」
実は撫でたい愛でたいモフりたいという欲求を、理性で必死に抑え込んでいたのである。そちらで精神力をすり減らしていたため、対応がおざなりになっていただけだ。家を出てタガが外れてしまった現在、シトラスに変態認定されるモフラーが爆誕してしまう。実に因果な話としか言いようがない。
「ボクは今のアイツしか知らないから、なんか想像できないなあ」
「下層街で楽しそうに暮らしてらっしゃるので、ミントは嬉しいのです」
「支配値は二百四十もあるし、ギフトだってすごい力がある。手放したサーロイン家って、本当にバカだよね」
「あれ? タクト様の支配値ってゼロじゃなかったのですか?」
「えっ!?」
ミントの何気ない一言を聞き、シトラスは唖然としてしまうのだった。