0224話 不調の正体
混乱しているステビアとローリエからは、まともな答えが返ってこない。仕方ないのでノックをせずに部屋へ踏み込む。緊急事態なんだ、多少の無礼は許してくれるだろう。
まず目に飛び込んだのは、青い顔で机に突っ伏すニームの姿。状況を見る限り、吐血した感じではなさそうだ。腕を下におろしているが、腹を押さえているのか?
「平気か、ニーム」
「……うぅっ、兄さん。私はもう……だめです。せっかく兄さんと、暮らしはじめたばかりなのに。……先立つ不幸を……許してください」
「しっかりして下さいです、ニーム様。ミントが治して差し上げますから」
「血は止まったのか?」
「怖くて確かめることができません。きっと昨日食べた魔獣が……お腹の中で生き返ったんです」
よく見ると、尻の下にタオルを敷いてるな。これは男の俺があまり根掘り葉掘り聞けないアレかもしれん。念の為ステビアを問い詰めてみたが、やはり予想通りだった。
「かえって悪影響を与えるかもしれないから、とりあえず治癒術はなしだ」
「どうしてです!? ニーム様が、おかわいそうなのです」
アルカネットたちにやらせるのは酷だし、ローズマリーやベニバナは授業中。他に説明できる人間がいない以上仕方ない。知識を持っていなかったであろうニームにも、体の仕組みについて説明する。保健医にでもなった気分だぞ、これ。
「話には聞いてましたが、こんなに辛いものだったのですか……」
「痛み止めとかあると思うが、すぐには用意できない。ひとまず布を何枚か重ねて、ベッドに寝ておけ」
みんなも心配しているだろうから、ミントを報告に行かせる。俺も一旦部屋を出て、着替え終わるのを待つ。しばらくすると、ステビアが呼びに来た。なんだよ、その顔は。言いたいことがあるなら遠慮せず話せ。
しばらく見つめていると、ステビアが口を開く。
「私たちとはずいぶん違うのですね」
「商会で習わなかったのか?」
「このようなお世話を従人が行うのは、タブーとされていますので」
あー、言われてみれば確かにそうか。俺たちの距離感がおかしいんだもんな。
ということは、アルカネットたちも知らない可能性が高い。俺だって前世の知識がなかったら、ミントに治療させていたかもしれん。その手の話を男にしないのは、この世界だと当たり前のことだし……
「まあ獣人種は体に変調をきたさないのが普通だからな。まったく気づかずに終わっている、なんてこともあるくらいだ」
「ニーム様のお役に立てなかったこと、悔しくてなりません」
「そう落ち込むな。これからニームは周期的に体調を崩す。その時に支えてやればいい」
「わかりました、次こそは必ず!」
力なく垂れ下がっていたしっぽが、クイッと上を向く。本当にニーム一筋だよな、こいつは。
「ですが、今日はニーム様のこと、よろしくお願いします」
「任せておけ。できる限りのことはやってみる」
いつもの感じに戻ったステビアに連れられ、ニームが寝ているベッドサイドへ腰を下ろす。悲壮感こそ無くなったが、まだ表情はつらそうだ。
「温めたら少し楽になると、聞いたことがある。お湯を袋に入れて持ってきてやろうか?」
「お湯をお腹の上になんか置いたら、圧迫されて余計に苦しくなりそうです。それより、兄さんのドライヤー魔法で温めてください」
「それは構わないが、服の上から触ることになるぞ」
「兄さんなら構いませんよ」
口調こそいつもの感じだが、やはりニームの様子はおかしい。普通なら男の俺に触らせるような場所じゃないからな。配偶者なら別かもしれないが……
とりあえず雑念は捨て、布団の中に腕を突っ込む。するとニームが俺の手を取り、目的の場所へ導いてくれる。風を起こす必要はないから、遠赤外線だけでいいか。
「じんわり温かくなってくると思うから、しばらく待ってくれ」
「手のぬくもりだけでも、少し楽になった気がします」
「ニーム様、すぐに良くなる?」
「痛みや症状には個人差があってな、ニームがどれだけ重いのかはわからない。ただ、数日は続くと思う」
心配そうに覗き込むローリエの頭を撫でながら、前世の知識を引っ張り出す。ってそんな目で見るなよ。もしかしてお前もやって欲しいのか?
体調が悪い時は心も弱くなるし、仕方がないな……
「この家に来てよかったです。兄さんがいなかったら、泣いていたかもしれません」
「男の俺では教えられることに限りがある。恥ずかしいかもしれないが、同性に聞いておいたほうがいい」
本来ならその役目は母親になるだろう。しかしニームの母は、エゴマがマハラガタカで勾留されていた間に、若い男と駆け落ちしてしまった。どうやら俺の母さんが死んで、序列最下位になったのが原因らしい。立場を上げるべく男児を欲していたが、授かったのはニームだけ。
そして年齢的に限界の見え始めたエゴマを見切り、不倫を繰り返していたんだとか。実母のそんな姿を見て育ったら、潔癖な性格になるよな。
ニームの母をコーサカ家へ呼ぶかフェンネルに相談したとき、返ってきた答えがこれだ。そんな問題を抱えていたなんて、俺はまったく知らなかった。ニームが自分の母親について一度も話さなかったのは、そうした事情があったからだろう。
俺は紅赤の髪をなでながら、やるせない気持ちを抑え込む。
――コンコン
そんな時、部屋にノックの音が響く。ステビアが応対してくれたが、そこにいたのはユーカリと意外な人物……
「連絡もなしにどうしたんだ?」
「カイザーちゃんがずっと落ち着かにゃくて、タッくんの家へ連れて行こうとしたにゃ。それで心配になって見に来たにゃ」
「ホォーゥ」
「キューン」
俺の肩で不安そうにニームを見つめるコハクと、精神感応したのかもしれないな。それでアンゼリカさんを連れてきてくれたわけか。しかし今はとても助かる。
「兄さん、この人は?」
「彼女がベルガモットの母親で、アインパエ帝国の現皇帝、アンゼリカ・スコヴィルさんだ」
「いきなり押しかけて、ごめんなさいにゃ」
「俺だけでは対処しきれなかったんだ。すまないが助けて欲しい」
部屋の中へ入ってきたアンゼリカさんが、俺の隣に腰を下ろす。話しやすいように撫でるのをやめると、彼女はニームの頭にそっと手を置く。
容姿こそ十代だが、さすが五人の母親。俺には真似のできないオーラが出ている。少し緊張していたニームも、すぐ落ち着きを取り戻した。
「下で聞いてきたんだけど、急に始まっちゃったんだよね?」
「あっ、はい。そうです。どうしていいか判らなくて、ステビアやローリエに迷惑をかけました」
「初めてで取り乱しちゃうのは仕方ないにゃ」
「死んでしまうかと思って、すごく怖かった……」
「お母さんも最初はびっくりして泣いちゃったにゃ」
これ、俺が聞いていて良いんだろうか。だが布団の中にある手を、離してくれないんだよな……
「みんな、そうなんですね」
「だから気にすることないにゃ。お母さんが使ってるお薬と衛生用品があるから、分けてあげるにゃ」
「あの……そこまでしていただくのは、さすがに」
「タッくんの妹なら娘みたいなものにゃ。遠慮なんてしなくていいにゃ」
そんな顔で見るなよ、ニーム。なんだかんだでスゴヴィル家には、家族同然の扱いを受けてるんだ。まあ他国の最高指導者が、こんな場所にいるのはおかしいんだけどな!
「俺ではどんなものが良いのかわからない。ありがたく貰っておけばいい」
「兄さんがそう言うなら……」
アンゼリカさんがマジックバッグから包みを取り出しニームに渡す。なんでそんなに準備がいいんだと思ったら、公務に穴をあけないためとのこと。やはり国を動かすってのは大変な仕事だ。
「空腹時に薬を飲むのはあまり良くない。スープを作ってやるから、それを腹に入れてからにしろ」
「さすがタッくんの知識は御殿医なみにゃ」
フリーズドライのスープを水に浸し、魔法で一気に加熱する。木のスプーンで軽くかき混ぜ、皿をサイドテーブルの上へ置く。
「熱いから気をつけて飲めよ」
「せっかくですから、シナモンやサントリナみたいにしてください」
「俺は片手が塞がってるんだぞ」
「弱った妹の看病は、兄の役目じゃないですか」
まったく、デレ期でも来たのか?
ここぞとばかり甘えやがって。
薬を早く飲ませるためだ。仕方ないから言う通りにしてやろう。
ステビアが抱き起こしてくれたので、スプーンですくったポタージュスープを風魔法で冷まし、こぼれないように気をつけながら口もとへ運ぶ。昨日感じた微妙な違和感は、大人へ近づいた影響だったのかもしれないな。
「ほら、口を開けろ」
「ん……美味しい」
「問題なく食べられそうか?」
「兄さんの手とスープの両方に温められて、すごく気持ちがいいです」
熱を出して汗をかいたから体を拭く、なんて定番イベントじゃなくてよかった。俺はそんなことを考えながら、何度もスプーンをニームに差し出す。一皿飲みきったあとに薬を服用させ、再びベッドへ横たえる。
同性の話を聞けて安心できたんだろう、ニームの顔が眠たげな表情になってきた。
「薬はすぐ効いてくるから、このまま寝ちゃうといいにゃ。起きた時には、スッキリしてるはずにゃ」
「ありがとうございます、兄さん、それに……おかあ……さ」
言葉の途中でニームは寝落ちしてしまう。布団の中で握っていた手も離れたので、魔法を止めて腕を引き抜く。夕方までにある程度回復していたら、お祝いをしてやらねばならんな。もち米があるし、アレをつくるか。
二人と霊獣で学園を目指す主人公。
途中で生徒たちに囲まれてしまう。
次回「0225話 アンゼリカとお出かけ」をお楽しみに。




