0223話 生まれ変わった頃の記憶
――ん?
この明るさは、まだ早朝か。中途半端な時間に目が覚めてしまったらしい。しかしこの感覚はなんだ。ずいぶん昔に味わったような……
意識がハッキリしていくにつれ、遠い記憶が呼び覚まされる。これはあれだ。生まれたばかりでろくに身動きが取れなかったとき、襲い来る生理現象に抗いきれず、何度もやった決壊事故。
「……ひっく……ご、ごべんな……さい」
隣で寝ていたサントリナの声を聞き、慌てて抱っこしたまま布団から抜け出す。よし、ギリギリセーフ!
ユーカリと二人で抱きかかえたまま寝ていたのが、功を奏したようだ。被害は俺とユーカリの服だけですんでいる。
「大丈夫だ、泣かなくていいぞ。昨日は風呂で寝落ちしてしまったからな。シャワーを浴びて洗濯してしまおう」
「おはようございます、旦那様、サントリナちゃん」
「うぅ……ひっく」
「これくらいで怒ったりしませんよ。お風呂でキレイキレイしましょうね」
「私とコハクちゃんは濡れてないから、ベッドで待ってるわ」
「キュイッ!」
「すまない、ちょっと行ってくる」
俺と密着して寝ているジャスミンとコハクも起きてしまったな。まあいい今日はシャワーを浴びて、そのまま朝食の準備をしよう。
昨日から家族になった従人たちやフェンネルは、ちゃんと眠れただろうか。そんなことを考えながら階段を降りて風呂場へ。そして浴室内で服を脱ぐ。水を張った桶へ服を入れた頃には、サントリナも泣き止んでいた。
「……おかあさんみたい」
「ふふふ、くすぐったいです。さあ、お湯をかけますよ」
「うん」
しゃがんで目線を合わせたユーカリが、サントリナをきれいに洗ってくれる。あまりじっと見てないで、俺もシャワーを浴びよう。朝はちょっとした刺激にも反応してしまうからな。そんな姿を幼女に見せられん。
ぬるめのお湯で心頭滅却だ!
「きれいになった?」
「はい、もういいですよ」
「俺は先に上がって、サントリナを乾かしてくる」
「その後はわたくしもお願いします」
よし、俺の威厳は守られた。
サントリナと手を繋いで脱衣場へ行き、自分の髪を簡単に乾かす。さあサントリナ、その可愛い耳の動きで俺を楽しませるがいい。
「あったかいかぜ、おもしろい」
「どうだ、気持ちいいか?」
「ぽかぽかする」
昨日は眠っていて、感想を聞けなかったからな。気に入ってもらえたようで何よりだ。膝の上に横座りしているサントリナがもたれかかってきたので、抱きしめるような格好で赤外線温風魔法をかけていく。今日はしっぽもよく動いてるじゃないか。牛種にこれほどの魅力が詰まっているとは思わなかった。モフ値以外を軽視していたこと、反省せねばならん。
「すっかり仲良しになりましたね」
「ユーカリも上がったか。服を着たらそっちの椅子に座ってくれ」
脱衣場においてある大きめのブラシを手に取り、乾かしながら毛先まで丁寧に整える。水分が飛ぶにつれ、しっぽがどんどん膨らむ。どうしたサントリナ、ユーカリのしっぽに触ってみたいのか?
「やってみたいなら、ブラッシングに挑戦しても構わないぞ」
「いいの?」
「はい、ぜひお願いします」
俺が渡した小さめのブラシを握りしめ、懸命に腕を動かす姿が可愛すぎる。なにせユーカリのしっぽはサントリナよりデカいからな。彼女の視界に写っているのは、一面金色の世界だろう。
「なんだか娘に世話をされているみたいで幸せです」
「あのね……」
「ん、どうした?」
「タクトおとーさんと、ユーカリおかーさんって、よんでいい?」
「サントリナの父親みたいになってやると約束したからな。その呼び方で問題ないぞ」
「わたくしもサントリナちゃんみたいな娘が欲しかったんです。ぜひお母さんと呼んで下さい」
「ありがとう、タクトおとーさん、ユーカリおかーさん」
よっぽど嬉しかったのか、ユーカリがクネクネし始めた。ブラッシングがしにくくなるから、あまり動くなよ。
「よし、次は髪の毛を乾かすぞ。サントリナはそっち側を頼む」
「うん」
「こうして旦那様と娘が一緒に髪をすいてくれるなんて、幸せすぎてどうにかなってしまいそうです」
だから身悶えするなというのに。ちょっと朝から興奮しすぎだ。鋼の精神力で耐えきった俺を見習って、お前も我慢しろ。
「終わったら朝食の準備を始めるか。そろそろみんなも起きてくるだろう」
「おてつだいする!」
「じゃあテーブルを拭いたり、皿を並べたりしてくれ。頑張るんだぞ」
「うん!」
朝一番で心ゆくまでモフモフを堪能し、ジャスミンたちに声をかけてから厨房へ向かう。三人で手をつなぎながら仲良く歩いていると、廊下の奥にある扉が開く。出てきたのはスーツをビシッと着込んだフェンネルだ。朝食のときくらい、ラフな格好でもいいのに……と思わなくもないが、家令であるフェンネルにそれを求めるのは酷か。
「おはようございます、タクト様」
「おはようフェンネル」
「おはようございます、フェンネル様」
そこでユーカリがサントリナの手を少し引き、ニッコリと微笑む。少しだけ戸惑った様子を見せたものの、すぐにユーカリの言いたいことが伝わったらしい。パッとフェンネルの方へ向き直り、元気よくペコリと頭を下げた。
「あっ! おはよーございます、フェンネルさま」
「おはよう。ユーカリ、サントリナ」
「ちゃんと挨拶できて偉いな、サントリナは」
「えへへへ」
頭を撫でてやると、ヒマワリのような笑顔に変わる。フェンネルがまるで孫でも見るような目で、サントリナを見ているぞ。従人に対してこんな表情ができるようになったということは、かなりこちら側へ傾いたとみて良いだろう。
「昨夜はよく眠れたか?」
「おかげさまで、朝まで一度も目を覚ますことなく、眠ることができました。このような待遇で迎え入れてくれたこと、皆も感謝しております」
「住環境と食事、そして着るものには手を抜かない。これがコーサカ家の家訓だ」
「こちらとしてはとてもありがたいのですが、くれぐれも無理のない範囲でお願いします」
「まあ今回は一時的な出費だからな。これから徐々に毎月の必要経費が見えてくる。そうなった時に、どこへどれだけ使えるのか、相談して決めよう」
「かしこまりました」
フェンネルの使うものは別だが、アルカネットたちの部屋においてある家具は、全て在庫のあった量産品だ。しかも一括購入してるので、かなり値引いてもらえた。俺のマジックバッグならあれくらい軽く詰め込めるので、運搬や設置費用もいらないしな。
実は昨日買った家具全ての値段より、俺とニームが使ってる特注ベッド二台のほうが高かったりする。フェンネルが心配するので、これは黙っておこう。
「フェンネルはこれからどうする?」
「屋敷の点検と、挨拶回りの準備をいたします」
「それなら脱衣所においてある洗濯物を干すよう、誰かに指示しておいてくれ。物干し台は二階のテラスにある」
他にも細々とした用事を伝えて別れようとしたとき、サントリナが俺たちの手を離れてフェンネルの方へ行く。
「このいえにつれてきてくれて、ありがとうございました」
「タクト様の言うことを聞いて、しっかり頑張りなさい」
「うん!」
サントリナの頭を撫でるフェンネルの姿、あれは完全に孫と祖父だ。やはりこの男に来てもらって良かった。この様子なら、すぐに俺たちと同じ価値観を持てるだろう。
◇◆◇
さて、片付けないとならないことが山積みだ。最優先事項はアインパエへ行って、クミンを使用人として雇っていいか、マツリカに相談すること。ついでにマジックバッグを引き取りに行きたい。そろそろ出来上がってるはずだしな。
しかしフェンネルが戻ってくるまで、ここで待機しておかねば……
なにせ体調不良のニームを、一人にするわけにはいかん。誰か上人がついていないと、万が一のときに困る。
本人は食べ過ぎだと言っていたが、大丈夫だろうか。
「ねえタクト、なにか考え事?」
「クゥーン?」
「上人の使用人を増やさないと、身動きが取れなくなるなと考えていた」
「フェンネル様のご懸念が、当たってしまいましたね。やはりユズ様が来られる前に、人員の確保をしておいたほうが良さそうです」
「ミントの力で、ニーム様を治療できたらいいのですけど……」
「ボクの半分も食べてないのに、お腹を壊したりするんだね」
いやいやシトラス。お前、三倍以上食ってたぞ。どんぶり飯だけでなく、焼きそばやチャーハンも、しっかり一人前平らげただろ。そういえばお好み焼きもつまんでたっけ……
それだけ腹に収めておきながら、今朝もお代りしてたしな。きっと鉄の胃袋を持ってるに違いない。
「……お肉、十倍くらい食べてる」
「焼そばに焼き肉のトッピングは、流石にどうかと思うわ」
「焼き肉ってどんな料理にも合うから、仕方ないのさ!」
「締めのアイスクリームが、すごく美味しかったのです。サントリナちゃんは、なにが好きです?」
「おっきなおにく、はじめてたべたけどおいしかった。タクトおとーさんと、ユーカリおかーさんがつくるりょうり、みんなすき」
俺とユーカリの間に座り、精米機のハンドルをクルクル回していたサントリナが、とても良い笑顔で答えを返す。まったく、素直でかわいい奴め。昼も旨いものを食わせてやるぞ。
って、ユーカリ。クネクネしすぎだ。いい加減慣れろ。
そんな話をしていたとき、ミントが廊下の方を注視する。
――バァーン
「すぐ来てくださいタクト様! ニーム様のご容態が」
「血がいっぱい出てるの。ニーム様を助けて」
「わかった。一緒に来てくれミント」
「ハイです!」
慌ててソファーから立ち上がり、ステビアとローリエの後ろをついていく。吐血でもしたのか?
胃潰瘍や寄生虫、原因はなんだ。内臓などの危険な部位は使ってないし、火もしっかり通して食べた。少なくとも昨日の料理に、体調不良を引き起こしそうなものは、なかったはず。とにかく考えても始まらない。まずは容態をみて、ミントの治療を試してみよう。それでもダメなら学園長に相談だ。
ニームの身に一体何が……
次回「0224話 不調の正体」をお楽しみに!
 




