0222話 タクトの影響力
誤字報告ありがとうございました。
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後半に未来の時系列が入っています。
次章に関わってくることなので、頭の片隅にでも置いていただければ!
アンティークの重厚な執務机とイス、多数の引き出しを備えたガラス戸つきキャビネット、優美な彫刻が施された大型のブックシェルフ。落ちついた風合の応接セットに、エレガントなテーブルランプ。この部屋を見た者は思うだろう、歴史ある名家の執務室だと。
それもそのはず。室内にあるほとんどの家具や調度品は、パルミジャーノ骨董品店から仕入れたもの。オレガノとタクトが共同で仕上げた、渾身の仕事部屋である。
そこへ集合しなさいと、フェンネルは自分の従人たちに指示を出していた。
「ここがフェンネル様の執務室なのですか?」
「屋敷の管理はここで行うよう、タクト様から仰せつかった。カルダモンも明日からは、この部屋へ来るように」
「こんなに素敵な場所でフェンネル様とお仕事ができるのは嬉しいです」
サーロイン家で割り当てられていた部屋は、半分以下の広さしかなく家具も質素なものばかり。書類など空き箱に詰め込んで保管していたくらいだ。それと比べたら、なんて仕事のしやすそうな場所なんだろう。カルダモンは目をキラキラさせながら、部屋にある家具を一つ一つ確認していく。
「エゴマ様のご趣味と正反対ですね。この部屋はとても落ち着きます」
「私も実家へ戻ったような気分になったよ。正直、十六歳とは思えない感性をお持ちでいらっしゃる」
アルカネットの言葉に、フェンネルが大きく頷く。自己顕示欲の強いエゴマ・サーロインが購入する家具は、やたら装飾が派手でキラキラしたものばかり。お世辞にもセンスが良いとはいい難く、有り体に言えば成金趣味に近いもの。素性の怪しい商人に勧められるまま、派手なだけで芸術的価値のない壺や絵画を購入し、フェンネルが何度頭を抱えたかわからない。
「以前フェンネル様がお仕事されていた部屋とは、比べ物にならないくらい広いです」
「あそこは元々、使用人の部屋だったからな」
答えを聞いたパインが驚く。サーロイン家では空き部屋を渡され、ここで仕事しろと言われたのだ。実務に必要な最低限の家具を揃えたのは、フェンネル自身だったりする。それより多少はマシだろうと思っていたが、まさかここまで完璧に整えられているなど、フェンネルも想像していなかった。
引き出しを開けたり、イスの座り心地に欣喜雀躍するカルダモンを見ながら、先程まで同じことをしていた自分の姿を思い出す。
「あのー、どんなご用で私たちを呼んだのでしょうか?」
不安そうに質問するマンダリンを見て、フェンネルは慌てて回想を打ち切る。そして全員にソファーへ座るよう指示を出し、改めて部下たちの姿を見た。
「これからタクト様に言われたことを実践しようと思う。できれば毎日、報告会のような時間を作りたい」
タクトが使役する従人と風呂へ入り、体の隅々まで洗われた女性たち。髪やしっぽのボリュームが増し、部屋の光を反射してキラキラ輝く。全員から高級石鹸の良い香りが漂い、夕方とは肌艶がまるで違う。たった数時間でここまで変わるのかと、フェンネルは思わず息をのむ。
自分に二十年以上仕え、いま四十二歳のアルカネットは、十歳ほど若返ったように見える。火傷のせいで、常に暗い表情をしていたカルダモンも、十七歳という年齢にふさわしい明るさを取り戻した。
タクトの母カモミールが死去して以降、ずっと落ち込んでいたパイン。当時十七歳だった彼女にとって、上人であるカモミールに優しくされたことは、忘れがたい思い出だったのだ。そして十一年後の今日、息子であるタクトからカモミールの想いや最後の言葉を聞き、ようやく前を向くことができた。そんな心境の変化は彼女の表情や仕草にも現れており、タクトと会わせることで逆効果になるのではないかと心配していたフェンネルは、ホッと胸をなでおろす。
魔獣の解体をタクトと一緒にやったナツメグ、旬を過ぎた愛玩用としてたたき売りされていたマンダリン。どちらの表情も明るい。幼いサントリナはタクトにべったり懐き、チャービルの仕打ちで上人を怖がっていたタイムも、ニームと一緒の部屋で眠るほど打ち解けている。本当にここは不思議な家だと、フェンネルは改めて感じるのであった。
「みな、コーサカ家はどうだ。ここでやっていけそうか? 正直な気持ちを聞かせてくれ」
「素直に申し上げれば、まだ少し怖いです。いまの待遇は、上人の使用人以上ですので。本当に私たちがこんな暮らしをしていいのか、不安になってしまいます」
アルカネットの言葉に、他の四人は何度も頷く。高級衣料品を取り扱う店で買った肌着や服は、どれも極上の着心地だ。個室として割り当てられた部屋には、新品のダブルベッド。ドレッサーのついたチェストや、シンプルなデザインの片袖机とイス。そしてクローゼットにフリーラックまで完備という、至れり尽くせりの高待遇。彼女たちが不安がるのも無理はない。
「私はここに来て、良かったと思ってます。火傷の跡が消えた姿を、フェンネル様に見ていただけるのが、すごく嬉しい」
「私もカルダモンと同意見です。今日タクト様と一緒に作業させてもらったんですけど、なんというかすごく話しやすいんですよ。一緒に汚れ作業をやってくれるし、頭ごなしに命令してこない。それどころか私に解体のやり方を聞くんです。内臓の活用法を伝えて褒められた時は驚きました。あんな上人の方に出会ったのは初めてです。待遇に関しては、こんなものとして受け入れるしかないんじゃないかな、と」
「我々の扱いに関しては納得するしかないだろう。なにせ私に割り当てられた部屋は、当主が使う書斎だ。これでは、どちらが屋敷の主人かわからない」
壁には作り付けの本棚があり、両袖の机と安楽椅子。小さな暖炉の前には、ローテーブルとソファー。そして部屋の中にある扉は寝室へとつながっている。まさに屋敷の当主がくつろぐための部屋が、フェンネルに割り当てられた。
タクト的には巨大ベッドが設置できる、一番広い部屋じゃないと話にならない。そして普段活動する場所は、大きな暖炉のあるリビンクか厨房のみ。その結果、余った書斎をフェンネルに振っただけなのだ。しかも屋敷のことを丸投げする気満々なため、実質的な当主はフェンネルだと考えていたりする。
「フェンネル様にお伺いしたいことがあるのですが、構いませんか?」
「どうしたパイン、遠慮せず言ってみなさい」
「フェンネル様は私たちと一緒に食卓を囲んだり、従人の作った料理が出されることを、どう思われているのでしょう?」
「正直最初は戸惑ったが、不思議と受け入れられた。驚かされることばかりで、余裕がなかったというのもあるんだろう。しかし嫌悪感とかはないので安心しなさい。水麦を使った料理が毎日食べられるのは、こちらとしても大歓迎だ」
濃い味付けが好まれるサーロイン家の料理は、五十四歳のフェンネルにとって重すぎるものばかり。しかし今日の料理は、どれも胃もたれしない絶妙な味加減なのに、食べたあとの満足感が高い。特におろしポン酢風味のタレを気に入り、普段はあまり口にしない肉まで平らげてしまった。
そしてタクトから聞かされた和食という未知の料理。長年他家に仕えてきた自分の勘が叫ぶ、それは絶対に美味いぞと。
なぜか口からビームを出すビジュアルが浮かんだのは余談である。
「コーサカ家の味を、必ずマスターしてみせます。廃棄処分になった私を拾っていただいたご恩、毎日の食事で返させていただきますので」
「期待していますよ、マンダリン」
「料理を教えていただくタクト様にも、なにかお礼ができれば良いのですが……」
「あっ、それならしっぽをモフらせてあげればいいと思いますよ」
「モフらせる、ですか?」
ナツメグから飛び出した不思議な単語を聞き、マンダリンの頭に疑問符が浮かぶ。
「シトラスから聞いたんですけど、タクト様って従人のしっぽや耳を触るのが好きらしいんです。私もシャワーを浴びたあとに髪やしっぽを乾かしてもらいましたが、すごく嬉しそうにしてましたよ。虎種はこの太くてしなやかなしっぽが良いんだ、とか言いながら。ちょっと意味不明ですよね」
「ユーカリさんみたいに美しくない私で、ご満足いただけるのでしょうか」
「お風呂で見ましたが、すごかったですよね。毛並みといい色といい、コンテストに出れば優勝間違いなしです」
「それでいて私より三歳上だと聞いて驚きました」
「肌のハリとかプロポーションは、どう見たって十代ですよ。あんなに綺麗な従人が存在するなんて奇跡です」
パインとマンダリンが直接目にしたユーカリの美しさで盛り上がる。そこへ他の三人も参戦した。
「シトラスもすごかったですよ。スラリとしてて、とても均整が取れた体つきなんです。それなのにあのパワーですからね。ちょっと驚きました」
「ミントはお風呂で甲斐甲斐しく世話をしてくれて、すごく可愛らしかったです。失敗ばかりしていたあの子が、見違えるほど成長していて、もう嬉しくて嬉しくて」
「同じ兎種の私も、つい見とれてしまう姿ですからね。それにタクト様の話をするとき、とても幸せそうな顔をするんです。主従関係を超えた絆で結ばれてるんだって、よくわかりました」
従人同士で話に花を咲かせる様子を見てフェンネルは思う。彼女たちはこれほど表情豊かで、上人と変わらない感性を持っていたのかと……
たった半日で、彼の常識は大きく変わった。この場にいない年少組たちの様子、そして眼の前で交流を深め合う従人たち。タクトにもっと話をしてみろと言われた理由、今ならとても良く理解できる。これまでの自分なら最後まで気づかず、生涯を閉じていたかもしれない。半信半疑だった気持ちに見切りをつけ、これからはタクトの言う通りやっていこうと心に誓う。
こうしてフェンネルもタクトの影響下に入ったのである。
――…‥・‥…―――…‥・‥…――
タクト達が引っ越しをしてしばらく経ったある日、マハラガタカにある大きな一軒家の前へ、一台の馬車が停まる。そこから降りてきた紳士は、ローズマリーの父であるウォータークレス・プロシュット。スタイーン国を統治する十六家の、まとめ役をやっている苦労人だ。その彼が入っていったのは、工房と一体になっているマスカルポーネの家だった。
「ご無沙汰しております、お義父さん、お義母さん」
「ちょうどいいタイミングで来たな。遠慮せず入ってこい」
「すいません、失礼します」
「長旅で疲れたでしょ。お茶を淹れてあげるから座りなさい」
「ありがとうございます、お義母さん」
淹れたてのお茶が身も心も温め、ずっと感じていた腹部の痛みが軽くなっていく。しばらく近況報告をしたり、両親の雑談に付き合っていたが、話が一段落したところで本題を切り出す。
「手紙にも書きましたが、今日はお義父さんとお義母さんに相談があって来ました」
「エゴマ・サーロインのことだろ?」
「はい、そうです」
「教団からはなんて言われたの?」
「教皇と聖女様の連名で、抗議文が届きました。要約すると、大聖堂内部で彼がしでかした乱暴な振る舞いや、数々の暴言は容認できない。あのような才人を野放しにしているのは十六家の怠慢だ。早急に対応を検討しろ。今回は大目に見るが二度目はないぞ、だそうです」
そしてウォータークレスは二人に説明する。聖女の署名入りということは、マジギレ状態だ。対応次第では教団との関係悪化を招く。しかしサーロイン家を取り潰すような処罰は、宗教団体の圧力に負けたという前例を作ってしまうため、スタイーン国として執行できない。十六家の内部でも穏健派と強硬派で意見が割れており、厳重注意して反省を促すという落とし所で妥協した。
「奴と会ったのは一度だけだが、それで反省するように人物には思えんな」
「私も同意見です。東部大森林で暴れまわっているボリジや、入学早々停学処分を受けたチャービル。今のサーロイン家は問題が山積みなんです。しかし彼らのシンパも少なからずあり、私の力ではこれ以上……」
「まあ派閥ができてしまうのは仕方ないわよ。それで、私たちはなにをすればいいの?」
「これから教団へ処分内容の報告に行くのですが、どのような物をお詫びに献上するのが一番良いか、教えていただけないかと」
聖女に衣類を提供しているのは、マスカルポーネ家がオーナーのボルドー呉服店だ。そしてキャラウェイとシトロネラは、教皇の茶飲み友達である。身内にそんな人物がいることもあり、十六家の代表としてウォータークレスが派遣された。
「それなら今から教団へ向かうぞ」
「えっ!? すでに用意していただいてるのですか?」
「あなた、ロージーちゃんにエゴマさんのことを話したでしょ」
「はい、学友にニーム嬢がいますので。除籍されたとはいえ、元父親が処罰を受けるんです。報告させたほうが良いと思いまして」
「それがタクト君にも伝わってな。お前が奔走していることを、心配してくれたらしい。聖女様が喜ぶと思うから持たせてやってくれと、ボジョレー衣料品店から服が届いている」
「テーブルの上にある箱を開けてみて」
隣のテーブルにいくつも箱が並べられており、ウォータークレスは言われるままフタを開く。そこに入っているのは半袖と長袖のメイド服、ブレザーやサンタ風の衣装と浴衣だ。箱の中には着付けの仕方を図解した、説明書も入っている。
「見たことないデザインばかりですね。こちらの二着は使用人の服に似ていますが、フリルやリボンが付いていて、オシャレで可愛らしい感じがとてもいい。淡い色の服はフォーマルウェアに近いでしょうか。赤と白の服は、とてもあたたかそうです。寝間着としても使えるかも。これは変わった袖のバスローブ?」
「本当にタクト君ときたら、我々には思いつかないような面白い服をデザインする」
「ちょっと待ってください、聖衣を作れるのはボルドー呉服店だけですよね。それがどうしてボジョレー衣料品店経由で?」
「タクト君がサイズ指定して発注したからだよ。あちらには教団に納品する服としか、伝わっていないがね」
「そもそもそれがおかしいです。彼がサイズを知ってるとか、ありえませんよ。聖女様のお姿は、教団の最高機密なんですから。もしかして、お義父さんたちが教えたんですか?」
「引退したとはいえ、情報を漏らすような真似はせん。第一そんな必要はないからな」
「だってタクトさんは、史上二人目の聖座に選ばれたんですもの」
「なっ!?」
ウォータークレスの頭に、次々と思案が浮かぶ。幼い頃から自分の仕事を手伝い、社交界で揉まれ続けてきた娘のローズマリーが、尊敬に値する人物と評するくらいだ。タクト・コーサカの人柄は、間違いなく好ましいものだろう。しかも仕事に対して妥協が一切なく、例え身内でも容赦しない義父母が、彼のことを手放しで絶賛している。
それだけの才と人柄を備えた人物だったとしても、教皇の他に唯一聖女と直接会うことが許される、聖座に選ばれたというのは想像の埒外なのだが……
「新居での生活も、落ち着いた頃だろう。近々ワカイネトコへ挨拶に行くか。うちの系列店がタラバ商会の販売網を使えるようになった礼も、しておきたいしな」
「大きなお家だと聞いたのだけど、管理は大丈夫かしら」
「サーロイン家にいた、フェンネルを引き抜いたらしい。あの一族がついているなら、問題など起きんよ」
娘に近づく男を調査した際、ジマハーリ出身と報告書に記載されていた、まだ十六歳の青年。属性魔法にまったく適正がない、論理演算師というギフト。娘や義父母の話から垣間見える、エゴマ・サーロインとの因縁。ジマハーリいちの才媛と名高いニームが公言した、幼馴染だという情報。フェンネルの有能さを知り、自分の屋敷へ迎え入れる手腕。それらのピースがウォータークレスの中で、一つ一つはまっていく。
「もしかしてタクト・コーサカという青年は、サーロイン家の嫡男だったのでは?」
「もしタクト君が廃嫡されず、サーロイン家の当主になっていれば、確実に十六家入りしていただろうな」
「あなたが次期十六家の候補者選びを相談してきたら、間違いなくタクトさんを推していたわ」
「サーロイン家が魔法適性のない子供を認知しないという噂は、本当だったのか……」
「他国の人間がとやかく言うことではないが、お前はサーロイン家と距離をおいておくことだ」
キャラウェイに肩を叩かれ、ウォータークレスは力を落とす。まったくサーロイン家はなにをやっているのか。次世代のスタイーン国を背負って立つような、才気あふれる若者を二人も国外へ出してしまうとは。
昔からあの家は、表に出ない問題が多すぎる。金の力でシャトーブリアン家の弱みを握り、強引に縁談を進めたこともあると祖父から聞いた。その時も炎覇という激レアギフトを持った令嬢が、スタイーン国から消えたそうだ。それにサーロインの娘が嫁いだ家は、没落したり家風が変わってしまうことも多い。
それが議題に上がらなかったのは、代々世渡りが上手だったから。しかしエゴマにその才能は、受け継がれなかったのだろう。
「とにかくまずは教団へ行きましょ。私たちも付いていくから、心配しなくていいわ」
「ありがとうございます、お義母さん」
考えることをやめたウォータークレスは、義父母に連れられ大聖堂へ向かう。そしてタクトの用意した贈り物が功を奏し、上機嫌の聖女は処分内容を受け入れた。結果的にスタイーン国のメンツと、ウォータークレスの胃が守られたのである。
いつもより早い時間に目が覚めた主人公を襲う過去の記憶。
次回は視点と時を戻し「0223話 生まれ変わった頃の記憶」をお送りします。




