0207話 保養地デンバー
山を二つ超えると、ひょうたん型の大きな湾に出る。くびれた部分に浮かんでいる島が、北方大陸で最も温暖な場所。祖母のカラミンサが逗留している、国有の保養地デンバーだ。港から少し離れた岩場に降りてもらい、人の姿になったスイへ着替えを渡す。
「……すごく楽しかった。また乗りたい」
「帰りも我が運ぶことになっているから、期待しておくとよい」
「……うっ!?」
「マツリカよ、大丈夫なのか?」
「へっ、平気ですベルガモット様。帰るときには克服してみせますので」
マツリカのやつ、どうやら高所恐怖症だったらしい。飛び始めてから一言も喋らなかったのは、そういう訳か。未知の恐怖心に襲われ、パニックにならなかっただけでも大したものだ。今日中に帰ると約束しているし、ここは森のない岩だらけの島。まあこの機会に克服してくれ。
「ミントとユーカリは平気か?」
「景色が良くて感動したのです!」
「海がキラキラと光っていて、とてもきれいでした。帰りも楽しみです」
二人とも楽しめたようで良かった。帰りは景色が見やすいように、身長順で座るのが良いかもしれん。乗る前に希望を聞いて決めるとしよう。
「ボクのことは心配してくれないのかい?」
「シトラスは以前、ワカイネトコのでかいポールに登ってるだろ。それに飛行中も笑顔だったし、降りてからも機嫌がいい。十分楽しめたと思うが、違ったか?」
「へー、ちゃんとボクのこと、見ててくれたんだ」
そりゃーお前、あれだけしっぽが揺れてたら、嫌でもわかるわ。
「あの柱に登ったというのですか。……なんて恐ろしい」
「それは我も挑戦してみたいぞ。南方大陸へは行ったことがないので、期待が膨らむな」
「もっと高い大聖堂へも行く予定にしてる。楽しみにしておくといい」
スイが服を着終わったので、認識阻害を解除して整備された道へ出る。シナモンがスイの方へトコトコ歩いていき、俺の方にはベルガモットが近づいてきた。よしよし、抱っこして欲しいんだな。皇居では甘える機会が少なかったから、それくらいお安い御用だ。
俺がベルガモットを、スイがシナモンを抱き上げ、街を目指して道を進む。色々な逸話が語りぐさになってる祖母とは、一体どんな人物なんだろう。大きな興味と同時に、少しだけ恐怖心が頭をもたげる。まあ会う前にあれこれ考えても仕方ない。彼女だって意味もなく襲ってきたりはしないはず。
◇◆◇
ベルガモットのおかげで、あっさり入場審査も通過できた。富裕層や著名人も逗留する保養地だけあり、身分のしっかりした者でないと入れないんだよな。まあ流星ランクの俺なら、問題ないと思うが……
それにしてもこの街、あちこちから湯煙が上がってる。温泉から出る熱のおかげだろう、帝都よりかなり温かい。寒さの苦手なシナモンが、とても嬉しそうだ。
あまり大きくない島なので、かなりゴチャゴチャとしてるのが欠点か。公営の施設しかないんだから、区画整備とかやり直せばいのに。
「カラミンサお祖母様が暮らしているのは、あの家なのじゃ」
「周囲の家より一回り小さいな。彼女も皇族なのであろう?」
「派手なものを好まぬ方じゃからな。それに健康上の問題もあって、あのような場所で暮らしておられるのじゃ」
「すまない。後から来たスイには、事情の説明を忘れていた。まあ会えばすぐに理由はわかるはず」
「家の中にいる人が、ボクたちに気づいたみたいだよ」
「玄関から誰か出てきたな。話はここまでにしよう」
「うぅっ……ミント緊張してきたです」
気持ちはわかるが、力いっぱい俺の腕を抱きしめるんじゃない。ものすごい変形の仕方をしてるから、シトラスがこっちを睨んでるぞ。
「……どちら様どす?」
「久しいの、ゼラニウム。カラミンサお祖母様は、いらっしゃるか」
玄関から出てきたのは、黒い犬種の従人。歳はセルバチコと同じくらいに見える。こんな年齢まで使役しているとは、かなり大事にされてきたんだろう。
「ようこそおいでやす、ベルガモット様。ところで……お嬢様を抱き上げてはる方は、ご令兄やあらしませんやろ?」
「この男が手紙に書いた妾の守護者、タクトなのじゃ」
「そうどしたか。少し待っておくれやす、いま奥様をお連れしますさかい」
家の奥へ入っていったゼラニウムが、車椅子を押しながら戻ってきた。この人が俺の祖母、カラミンサ・シーズニングか。髪は白髪の混じった赤橙色。色付きのメガネを掛けているせいで、顔の表情が読みにくい。
「病人扱いするのは、よして欲しいわぁ。車椅子がなくても歩けるのにぃ」
「そらあかんどすえ。奥様はぶつかった障害物を、燃やしながら進もうとしますやろ。家具の犠牲をこれ以上増やすわけにはいきまへん」
カラミンサ婆さんの声を聞き、俺は在りし日の母を思い出す。この語尾がわずかに伸びる優しい喋り方、それにイントネーションやアクセントが母さんと全く同じだ。南方大陸出身の母親を手本にしたから、違和感を与えず生活できていたわけか。
「ご無沙汰しておるのじゃ、カラミンサお祖母様。その様子を見ると、お変わり無いようじゃな」
「久しぶりねぇ、ベルガモットちゃん。それでぇ……あの子の息子も来てるって本当ぉ?」
「初めまして、カラミンサ婆さん。俺がカモミール母さんの息子、タクト・コーサカだ」
「こんな出迎えでごめんなさいねぇ。視力が衰えちゃって、もうほとんど見えないのよぉ」
「幼い野人を使った罠にはめられたのが原因なんだろ?」
「年を取ってから無茶するのはダメねぇ。若い頃ならあれくらい、なんでもなかったのにぃ」
「うちが付いていながら、ほんま申し訳おへん」
「それはもういいっこなしよぉ。今日は孫が会いに来てくれた、記念日なんだからぁ。ねえタクト、もっと近くに来てくれるぅ?」
「ああ、わかった」
カラミンサ婆さんの前で膝をつき、伸ばしてきた手を取って自分の顔へ導く。ペタペタ触られるのは気恥ずかしいが、ここは我慢せねば。
「なんとなく凛々しい顔つきなのがわかるわぁ。だけどぉ……この目で孫の姿を見たかったぁ。あの子が残してくれた、宝物なのにぃ……うっ、ううぅっ」
「泣かないでくれ、カラミンサ婆さん。母さんを連れて帰れなかったのは残念だが、俺の姿を見たいという願いは叶えてやれる」
「ほんまどすか!?」
ベルガモットと一緒に来たのは、それが理由だからな。ミントと力を合わせれば視力の回復に加え、これまで積もり積もった不調もまとめて治療できる。
なにせ政権から離れた後のカラミンサ婆さんは、法で裁けない悪を滅ぼしてきた影の執行人だ。もしこの人が一線を退いていなければ、ブリックス家の暴挙も防げたに違いない。
長年の活動で無理したツケが、いたるところに現れているはず。そうでなければ、視力の低下という理由だけで、ここへ湯治に来ないだろう。レベルがカンストしてるんだし、まだまだ長生きしてもらわねばならん。いつかひ孫を抱かせてやるから、楽しみにしておいてくれ!
次が第12章の最終話です。
箱の中身はなんだったのか?
そして主人公の決意。
「0208話 母からの手紙」をお楽しみに!
 




