0205話 アンゼリカの要求
なんか鼻がムズムズするぞ。コハクのしっぽでも当たってるんだろうか?
薄く目を開けて確認すると、常夜灯に照らされたピンク色の物体が、ピコピコ動いていた。そういえば萎れたり荒ぶったり、アホ毛で感情表現するキャラとか居たっけ……
「どうした、眠れないのか?」
「あっ、ごめんにゃ。起こしちゃったかにゃ」
「いや、それは問題ない。もしかして俺がなにかしてしまったのか?」
俺は眠りながらしっぽや耳をモフる、特技の持ち主だ。もしかすると無意識にアンゼリカさんの体を触ってしまったのかもしれん。こんなリスクがあるから、やめておけばよかったのに。
なにせ温泉で泣かせた詫びとして、彼女が要求したのは俺との添い寝。こちらとしては飲まざるを得なかった。
「タッくんの寝相はすごくいいから、にゃにもされてないよ。たまたま目が覚めちゃっただけにゃ」
「そうか、それならいい」
「でもゴメンなさいにゃ、みんなで押しかけちゃって」
「あんな現場に居合わせたんだ、みんなナーバスになってるんだろ? 安心できる場所として、俺たちの近くを選んだことなら、なんの問題もない」
「うにゃー、タッくんにはお見通しだったか……」
なにせ反対側で寝ているベルガモットは、いつもより俺にベッタリだ。そしてナスタチウムは、スイと抱き合うように寝ている。ラムズイヤーだって、ミントと手を繋いだままだし。
それぞれ落ち着く場所が、そこなんだろう。
「アンゼリカさんはどうなんだ。俺の隣で良かったのか?」
「いい年した大人が、子供に甘えるのはどうかと思うんだけど、すごく落ち着けるにゃ」
「それなら、このまま眠ってくれ」
「あっ……あのね、眠くなるまででいいから、少しだけお話しにゃい?」
「明日に障らないくらいならいいぞ。聞きたいこともあるしな」
アンゼリカさんの顔がパッと輝き、一旦布団の中へ潜り込んだあと、俺の近くに頭を出す。こうして間近で見ても、肌のくすみやシワは一切ない。本当にギフトの力はすごいな。
「まずはタッくんの方からお話して。お母さんが聞いてあげるにゃ」
「少しツッコミたいところだが、まあいい。聞きたいことというのは、従人に対する態度だ。こうして抱き合ったり手を握ったり出来るのは、やっぱりベルガモットがいた影響だよな?」
「その通りにゃ。満月の夜は四人が同じベッドで寝て、ずっとベルちゃんを抱きしめてたにゃ」
「なるほど。こうしてみんなが集まったのは、いつもそうしていたからか」
「不安だったっていうのもあるけど、今までと同じようにすごしたかったのも理由にゃ」
追い返そうとしたのは、少し浅慮だった。これまで支え合ってきた家族の絆を、俺の一存で断ち切る訳にはいかない。これから長い付き合いになるだろうし、今後は気をつけよう。
「なら皇居で働く職員が、やたら俺たちに寛容なのはどうしてだ。ベルガモットの体質を知ってるのは、ごく一部の者に限られるんだろ?」
「えっと、タッくんも見たよね。奥の院で保護している従人たち」
「ああ、酷い有様だった。ブリックス家を根絶やしにするなら、協力するぞ」
「それはすぐ終わるにゃ。囲ってた女たちは全ての財産を没収した上で、百年の強制労働が執行されてるにゃ。好き放題暴れ回ってた次男と長女は、すでに父親と同じ運命を辿ってるにゃ。残るコルツフットは、ろくな情報を引き出せなかった時点で、用済み決定にゃ」
タウポートンで見せた、マツリカとベルガモットの言動は、サフランから影響を受けてるらしい。なんでもすぐに指を詰めようとしたり、切腹の準備をするんだとか。彼女だけが修羅道を歩んでいるのかと思ったが、アンゼリカさんもなかなか無慈悲だ。
まあブリックス家は、皇帝になったコモンタイムが国をメチャクチャにし、その妻や愛人たちは贅沢三昧。次男と長女は権力を笠に着て、街の住民をいたぶっていたという。
そして長男のコルツフットはパルマローザにそそのかされ、密入国した挙げ句に他国で好き放題やらかしている。しかも麻薬所持でダエモン教に目をつけられたという、メガトン級の爆弾だ。そんなやつを国として、生かしておく理由はないな、うん。
「おっと、話の腰を折ってしまった。続きを頼む」
「ここで働いてる子たちは、あいつらの仕打ちに耐えられず逃げてきたり、ボロボロになって捨てられた従人を何度も見てるにゃ。いくら使い捨ての道具だと教えられてきても、度が過ぎるとやっぱり感情移入しちゃうにゃ」
「そういうことか……」
「それにタッくんが使役してる子たちって、従人特有の気味悪さっていうのかにゃ、そんなのが無いじゃにゃい」
お国柄もあるんだろう。アインパエで使役されている従人は、命令に忠実なロボットみたいなやつが多い。制約でガチガチに縛る方法が、一般的とされているせいだ。機密漏洩に神経質な皇居では、とりわけその傾向が顕著になる。
「俺は自分の従人を家族や友人、あるいは恋人として扱ってるからな」
「だからタッくんの従人は、すごく付き合いやすいにゃ」
保護された従人に何度か会いに行ったが、回復にはまだまだ時間が必要だろう。なにせ男を見ただけで、怯えられてしまうからな。まったくコモンタイムのやつ、俺と従人の触れ合いを邪魔しやがって。できれば自分の手で息の根を止めたかった……
そうした従人の多くは、ここで働く職員たちが使役している。皇帝やその家族に言われたら、たとえ結果がわかっていても差し出すしかない。
通常なら雑な扱いを秘匿するため、戻ってきた従人は処分してしまうもの。しかし皇家が費用を負担し、保護し続けていることは称賛に値する。俺も出来るだけのことをしてやらねば。
「俺の聞きたかったことはそれくらいだ。そっちの話は?」
「明日カラミンサ様のところへ行くんだよね?」
「スイの力がほぼ回復したから、乗せていってもらおうと思う。そうすれば日帰りで行ってこられるからな」
「箱の中身がわかったら、私にも教えてほしいにゃ」
マジックバッグから出てきた謎の箱は、アンゼリカさんにも開けられなかった。無理に開けようとすれば爆発するし、カラミンサ婆さんに賭けるしかない。解錠できれば良いのだが……
「もちろんだ。もしアンゼリカさんに係るものがあれば、カラミンサ婆さんに頼んで持ち帰るよ」
「その事にゃんだけど、もしあの人宛になにか入ってたら、一緒に持ち帰ってほしいにゃ。墓前に報告してあげると、喜ぶと思うにゃ」
「二人の仲はそんなに良かったのか?」
「彼は歳の離れたカモミールちゃんを、溺愛してたにゃ。あの子以上の女じゃにゃいと結婚しないとか言って、縁談をすべて断るくらい凄かったにゃ」
そのせいで婚期を完全に逃していたらしい。なにせタンジェリンさんとアンゼリカさんの年齢差は十二もある。ベルガモットに至っては、彼が四十二歳の時に出来た子供だ。相手がアンゼリカさんでなかったら、ここまで頑張れなかったんじゃないか?
「あの人が在位中、全国を飛び回ってたって聞いてるかにゃ?」
「ああ、ハットリくんに教えてもらった」
「実はあれ、カモミールちゃんの手がかりを探してたにゃ。さすがに南方大陸へは行けないから、せめてこの国で情報を見つけようって、頑張ってたみたいにゃ」
「そうだったのか……」
自分の母親がタンジェリンさんにとって、そんなに大きな存在だったとは知らなかった。結果的に今の状況を作り出したのだとしても、これは責めるに責められなくなってしまったぞ。私情は全部捨てて国のために尽くせ、なんて俺が言えた義理じゃないしな。
「カモミールちゃんのことは残念だけど、タッくんがこうしてアインパエへ来てくれた。それだけでもあの人は喜ぶと思うにゃ」
「保養地から帰ったあと、俺も墓参りに行くよ」
「そうしてあげて……欲しいにゃ」
眠くなってきたのか、アンゼリカさんのまぶたが落ちかける。その時、娘の姿が目に入ったんだろう。彼女は俺の体にのしかかるようにしながら手を伸ばす。そしてベルガモットの頭を撫で始めた。
「ベルちゃん……すごく幸せそうにゃ。明日は……ベルちゃんのこと、お願いする……にゃ」
「安全第一で行ってくるから心配しないでくれ。それより、もう寝よう」
「ふにゃー……おやすみにゃ、タッ……くん」
ってこら、そのまま寝るな。今度はジャスミンを押しつぶす気か。ギリギリまで粘って電池切れとは、まったく仕方のない人だ。
俺は二人の間に腕をねじ込み、アンゼリカさんの体を横へずらす。ジャスミンの表情は……っと。よし元の穏やかな寝顔に戻った。俺もそろそろ寝なくては。明日は空の旅が待っている。
さっき腕に触れた感触を思い出しながら、俺も眠りにつく。
卵が大量に入手できたら、バケツプリンを作ろう。
祖母のいる場所へ向かう主人公たち。
次回は「翔べ!エストラゴン」……じゃなかった、「0206話 空の旅へ出発」をお送りします。




