0200話 皇家の秘密
霊獣を肩に乗せたアンゼリカが、ベルガモットと一緒に露草の館を出る。切妻屋根のついた門をくぐり、奥御殿に当たる青の御所へ向かう。二人がしばらく歩いていると、皇帝直属の隠密フランキンセンス・ハットリが、闇の中から姿を表した。
周囲を警戒しながら二人へ近づき、いつもと違う香りに気がつく。
「温泉に入ってきたでござるか?」
「家族の絆を深めてきたにゃ」
「タクトの膝でくつろがせてもらったのじゃ」
「ベルちゃんばっかりずるいにゃ! お母さんも抱っこしてほしかったのに……」
館の周囲は精霊たちが巡回しており、隠密といえどもその索敵範囲内に近づけない。そしてユーカリが展開している認識阻害の妖術は、皇家秘蔵の魔道具でも破ることは出来なかった。彼らには中でなにが起きているのか、知るすべがないのだ。
ブチブチと愚痴をこぼすアンゼリカを見ながら、フランキンセンスは口にしかけた言葉をグッと飲み込む。彼にはどうしても気になることがある。それはアンゼリカの肩に乗っている、皇家の紋章とよく似た鳥。時々フランキンセンスに視線を合わせ、羽角のある丸い顔をフリフリ揺らす。
「陛下の肩に乗っている鳥は、どうされたのでござる?」
「この子はカイザーちゃんにゃ!」
「母上殿に協力してくれる、霊獣なのじゃ」
いやいや、待つでござる!!
フランキンセンスは、心の中で激しくツッコミを入れた。いくらなんでも、突然霊獣が増えることはない。タクトが連れていたコハクだけでも、異例中の異例なのだ。彼の姿を見た国民たちの中には、その正体を巡って様々な憶測が流れている。
ベルガモットの守護者という話が伝わり、皇婿ではないかと噂になっているほど。アインパエ帝国にとって霊獣を連れた人物というのは、権力の象徴と受け止められてしまう。
「タクト殿が使役している霊獣ではござらんのか?」
「コハクちゃんが化けてるんじゃないにゃ。カイザーちゃんはドアッガの森にいる霊獣にゃ」
「まさかとは思うでござるが、初代様の近くにいたと伝わる?」
「本人じゃにゃいけど、子孫みたいなものにゃ」
初代皇帝崩御の日、何処へか行ってしまったといわれている霊獣。その子孫が、どうしてこの場に?
フランキンセンス・ハットリは こんらんしている!
「そっ、そのようなお方が、なにゆえ陛下のおそばに?」
「タッくんが連れてきてくれたにゃ」
「世界を救ったお礼とか、言っておったのじゃ」
タクトが連れてきた?
しかも世界を救った?
フランキンセンス・ハットリは ちからだめしに あしもとのいしを わりはじめた!
「……詳しく教えてほしいでござる」
「最近のアインパエは、ずっと地震に悩まされてたよね。その原因は体調を崩した龍だったにゃ」
「それをタクトが倒し、従人として使役したのじゃ」
「念のため確認したいのでござるが……新しく連れてきた従人は、龍だったのでござるか?」
「その通りにゃ!」
タクトが皇居に戻った際、使役していることの証明に、リードを出して門番を納得させている。その場にいたフランキンセンスも、しっかり確認済みだ。
従人らしからぬ風格を感じたが、あれが生物の頂点に君臨する龍だというのか。想定外の答えに、混乱の度合いが増していく。
フランキンセンス・ハットリは こいしをひろって なげつけた!
「確かに見たことのないレア従人でござったが、なにかの間違いではござらんのか?」
「初代様に会ったことあるみたいだから、本物だと思うにゃ」
「タクトたちは、そのような虚言を弄したりせんのじゃ」
龍にまつわるの伝承は、アインパエ帝国にも多い。山で暮らし天候を操る力があるとか、大陸のどこかに七つの宝珠が隠されており、見つけた者はどんな願いでも叶うなどだ。
それはあくまでもおとぎ話で、初代皇帝の逸話も脚色されていると、これまで信じられてきた。それが覆った瞬間に居合わせるなど、想定外にもほどがある。衝撃の事実に心が追いつかず、思わず意識が飛びそうになってしまう。
フランキンセンス・ハットリは つまづいて ころんだ! さいわい けがは なかった!
「さっきから、なにやってるにゃ」
「混乱しているだけでござる。手裏剣のようなもので操られてる気もするでござるが……」
「妹ですら〝兄さんに常識を求めるのは、間違ってましたね〟と何度も言うくらいじゃからな。混乱するのも無理ないのじゃ」
「霊獣にお願いを聞いてもらえるし、龍族を使役しちゃってる。タッくんなら〝鍵〟の所有者にピッタリだと思うんだけどにゃ~」
「ホーウッ!」
それはとても良い案だ、とでも言いたげにカイザーが鳴く。
「タクト殿をスコヴィル家へ迎え入れるでござるか?」
「政治の舞台には立たない、タクトはそう言っておったのじゃ。それにあやつがコーサカの家名を捨てる事は、絶対にないのじゃ」
「ベルちゃんはタッくんに、そのこと伝えてにゃいの?」
「いくら妾の守護者であっても、母上殿の許可なしに明かすことは出来んのじゃ」
御所の敷地に入り、三人は皇家にまつわる、最高機密を話題にしていた。これはアンゼリカの守護者である、サフランですら知らないこと。
鍵の所有者となるには血と家名、そして即位儀礼の三つが揃わなければならない。アンゼリカの場合、夫の遺伝子を体内に取り込むことで、所有者としての資格を得た。
実は親戚筋のブリックス家にも、一部を除き秘匿されている。もちろん元老院も同様だ。スコヴィル家が奥の院で幽閉状態だったのは、皇帝に即位したブリックス家が中央図書館へアクセスする鍵を、手にできなかったから。
その理由を探ろうと、軟禁していたのであった。
「タッくんには色々助けてもらってるから、これ以上甘えたくないにゃ」
「すでに返しきれない借りを、作ってしまったのじゃからな」
「更に負債が増えて家族全員身売りとか、絶対に嫌だにゃー」
「最近の皇居は明るくなって、同僚たちも喜んでいるでござる。もしもの時は拙者たちが、命に代えてお守りするでござるよ」
食事のたびに暗い顔をしていた長女だったが、今では毎食楽しみにしているほど。皇室全体で水麦を主食にする計画が進み、備蓄していた小麦は食料支援に回す予定だ。通貨切替時に発生する混乱を緩和するため、タクトが発案して施策の一つに入れられた。
そして脳の機能が回復した次女は、少しずつ声が出せるようになっている。皇居内は祝賀ムードで盛り上がり、事情を知らない御殿医が奇跡だと天に祈りだす。腫れ物に触るような扱いが減ったことで、ラムズイヤーにも笑顔が増えた。
そんな彼女が最近ハマっているのは、発声練習をしたあとに喉の疲れと乾きを癒す、黄実を絞ったホットはちみつレモンティー。タクトに提供されてからというもの、毎日自作して愛飲中だ。
「やることなすこと規格外な男だが、敵対せぬ限り非道な行いはせぬのじゃ。母上殿は気に入られている故、安心するとよいのじゃ」
「えー、そうにゃの? 初めて会ったとき、ものすごい勢いで怒られたんだけど……」
もちろんベルガモットの変化も大きい。以前は満月が近づくたび、他人の目を警戒していた。しかし今はコソコソ隠れたりせず、積極的に表へ顔を出す。ベルガモットから避けられていると思いこんでいた使用人たちは、それが誤解だったとわかり大喜び。皇居内の雰囲気改善に、一役買っている。
「従人至上主義のあやつにとって、上人は道端に転がっている石と同じじゃ。もし興味がなかったら、投げ捨てられて終わりじゃよ。しかし母上殿は、頭を洗ってもらったり、髪を乾かしてもらったじゃろ?」
「うん。タッくんの魔法、とても気持ちよかったにゃ!」
最も影響が強く出ているのはアンゼリカだ。
どうして食べることに制限のない、丈夫な子に産んであげられなかったのか。あのとき自分が目を離さなければ、ラムズイヤーが大怪我をすることはなかっただろう。ベルガモットが特殊な支配値を持ってしまったのは、他人から気味悪がられる、老いが止まったこの体質のせい。そうやって、ずっと自分を責め続けていた。
そんな呪縛から解き放たれ、本来の気質が戻りつつある。皇家に嫁いだ頃に見せていた、明朗快活で人好きのする仕草。一言でいうと、マスコット的な可愛らしさだ。
「あれはタクトなりの、信頼の証なのじゃ」
「お母さん、タッくんに気に入られるようなこと、にゃにかした?」
ブリックス家による腐敗は、皇居内部にも及んでいた。そこで働く女嬬たちは、みな見目麗しく優秀な従人ばかり。例外なく欲望のはけ口にされ、壊れてしまった者も多い。そうした被害者たちのケアに、アンゼリカは取り組んでいる。それをタクトは高く評価し、食事や資金面で支援を約束。今日も森で収穫してきた食材や肉を、皇家の厨房へ大量に持ち込んだ。
「世界にかけられた呪いで、従人に対する妾たちの感情や認識が歪められとる、タクトはそう言っておったのじゃ。とりあえず母上殿は、今の方針を続けていけばよいのじゃ。さすれば全て丸く収まるはずじゃ」
「タッくんに嫌われないよう、前に言ってた〝ねこみみカチューシャ〟ってやつ、お母さん付けてみようかにゃぁ……」
イマイチ理解できない単語だが、碌でもない事だけはわかる。やいのやいの盛り上がる二人を眺めながら、フランキンセンスはそっとため息をつく。一人の男がたった数日で、皇居の雰囲気をここまで変えてしまった。
「ニンともかんとも、不思議な御仁でござる」
「にゅふふふふ。また変な口調になってるにゃ」
アンゼリカは猫のように丸めた手を口元へ当て、フランキンセンスを見ながら笑う。
「しっ、しまったでござるー」
今日もにぎやかな声が、青の御所に響き渡る。母と妹の笑い声に導かれ、様子を見に来るナスタチウムとラムズイヤー。そしてツヤツヤの肌と、花のような香りに気づく。事情を聞いた二人は、自分たちをのけものにしてズルいと、言い始めるのであった。
――…‥・‥…―――…‥・‥…――
薄暗い部屋で、一人の男が書類をめくる。光源はテーブルの上におかれた、小さなランプだけ。
「どっ、どういうことでおじゃる!? 霊獣は一匹だけではおじゃらんのか?」
何度も報告書を読み直すが、そこに書かれている内容は変わらない。皇居に生息している霊獣が増えた。新しい霊獣はアンゼリカと行動をともにし、その姿は皇家の紋章と同じである。
「愛嬌を振りまくだけの小娘が霊獣に認められるなど、信じられんでおじゃる」
ベルガモットが南方大陸から連れ帰った、霊獣を連れた目つきの悪い男。守護者というのはこちらを欺く肩書で、本当は誰かの皇婿候補ではないか? 噂の真偽を確かめるべく手を尽くしたが、五つ星冒険者という情報しか入ってこない。
それならアインパエへ定住することも無いだろう。冒険者というのは、無学で愛国心すらない流浪の無宿者。例え霊獣を連れていたところで、そのうち消えてしまう存在。警戒するだけ無駄だと結論を出し、皇室解体後の統治計画を練っていたところに、今回の報告である。
「このままだと朕のプランは、おじゃんでおじゃる。とうとう最後の手段を使うときが来たでおじゃるな……」
男はそう決意するとランプの明かりを消し、部屋から出ていった。
祭典の行く末は?
次回「0201話 祝賀パレード」をお楽しみに!