0199話 名付けのセンス
なんだろう……?
空気が軽くなった。
アンゼリカさんの抱えてきた重荷が、減ったからだろうか。それが場の雰囲気を、大きく変えたのかもしれない。様変わりした気配に導かれ、ミミズクの霊獣が俺から離れていく。
「私に協力してくれるにゃ?」
「ホホウッ!」
「うっ、嬉しいにゃぁーーー」
眼の前に飛んできた霊獣を抱きしめ、アンゼリカさんがポロポロと涙をこぼす。国の命運という重圧が、その小さな肩にのしかかってたんだ。少しでも軽くなったのなら、霊獣たちに相談した甲斐があるというもの。
なんだかんだで、庇護欲をそそる人だしな。そうでなければ、愛称で俺を呼ぶなど、絶対に許さん。ニームやベルガモットとは異なる感情を俺の中に芽生えさせた、属性モリモリの貴重な上人。猫耳カチューシャを作って、絶対につけさせてやる。
「タクトよ、心から感謝するのじゃ」
「お前の守護者として、出来ることをしただけだから、気にするな」
街で暮らす人々の様子を見てみたが、現政権の評価は高い。工房主のパクチーさんも、犯罪者撲滅に着手したアンゼリカさんの手腕を褒めていた。ブリックス家と違い、国を思う気持ちが本物なんだろう。それなら、俺がやることは一つ!
ここで暮らすモフモフたちと、温泉を守っていく。
「タッくんはアインパエの救世主にゃ」
「ベルガモットが穏やかに暮らせるよう、国を安定させてくれよ」
「ベルちゃんばっかり、ずるいにゃ」
「母上殿のことも、大切にしてあげて欲しいのじゃ」
「まあベルガモットのついでならいいぞ」
「本当にタッくんは、ベルちゃんのこと好きすぎだにゃ! お母さん、ちょっと妬けてしまうにゃ」
ベルガモットに勝てる上人など、この世に存在せん!
なにせこの子は、俺やユーカリの希望だ。特別視するのは当たり前だろ。
「こんな変態に好かれても、いいことなんてないよ。近づくだけで邪な視線を向けてくるし」
「なんだシトラス、そんな所にいたのか。もっとこっちに来たらどうだ?」
「その集団の中には入りづらいんだよ。ほっといてくれるかい」
湯船の端からシトラスに言われ、自分の周囲を再確認。
俺の膝にはベルガモット、そして腕を背もたれにして半身浴を楽しむジャスミン。左右に分かれて俺を挟む、ユーカリとミント。斜め前でゆったりくつろぐ、シナモンを抱っこしたスイ。
ミミズクの霊獣を肩に乗せ、正面から俺を見つめるアンゼリカさん。湯浴み着に収まりきらない部分へ、物理法則を無視した浮力が発生している。そこから見えるのは、張りがあって瑞々しい、ツルツルのたまご肌。水滴が丸くなって、肌の上を滑り落ちていく。容姿だけでなく肌年齢まで若いとは、本当に四十四歳なんだろうか? まだ信じられん。
しかし肌の美しさなら、シトラスだって負けてない。魔道具の光を反射して輝く肌は、健康的で思わず見とれてしまう。それに出会ったときより、かなり成長してるぞ。インナーを買い替えたくらいだしな!
「ちょっと、どこ見てるのさ。だから、そっちに行くのは嫌なんだ……」
「龍の我が言うのもなんだが、シトラスはとても美しいと思うがな」
「スイは自分の体を作り変えられるじゃん。見た目やサイズなんかは、好きに選べるんだろ?」
「可能かどうかで言えば、シトラスの言うとおりだ。しかし今の我は、この姿と紐づいてしまった。作り変えられるのは龍の体とこの姿、どちらかになる」
「……龍になったら、飛べる?」
「力が回復して変身できるようになれば、乗せてやろう」
「……やった、うれしい」
そんな能力も持っているのか。さすがは生物の頂点に立つ超越者。俺も絶対に乗せてもらおう。
「飛べるようになったら、競争しましょうね」
「ジャスミンほど自由に飛べる有翼種と出会ったのは、我も初めてだ。ぜひ手合わせしようではないか」
「にゃんか……この世のものとは思えない会話が、繰り広げられてるんだけど」
「母上殿よ。これくらいで驚いていては、タクトと付き合っていけんのじゃ」
「お母さんには難易度が高すぎるにゃー」
心配するな、すぐ慣れる。そもそもラムズイヤーの治療で、奇跡を目の当たりにしてるだろ。それに比べたら空を飛んだり、変身したりする程度は些末なこと。
とりあえず十分温まったから、そろそろみんなを洗ってやらねば……
◇◆◇
温泉を存分に堪能したあと、晩飯の準備はユーカリに任せる。俺は風呂上がりの日課で、手が離せない。一人だけのけ者にして可哀想だが、どうせ食後に二人で温泉へ行く。その時にイチャイチャするとしよう。
食後の計画を立てつつ、保湿クリームをスイのしっぽへ塗り込む。クリームの油分が馴染むにつれ、しっぽの輝きが増す。そのあと柔らかい布で丁寧に磨き上げれば終了だ。
「我のしっぽが、これほどツルツルピカピカになるとは驚いた。本体にもやってほしいぞ」
「あの大きさだと、クリームがいくつあっても足りないのです」
「すごく硬かったから、ヤスリでこすった方がいいんじゃない?」
「研磨剤で磨いたら、鏡面処理できるかもしれんな」
「シトラスと主殿はひどすぎる。我の体をなんだと思ってるのだ」
生半可な道具じゃ、逆に削られかねん。ダイヤモンド入りの研磨剤で、太刀打ちできるだろうか?
「……乗るとき、クッションいる?」
「手綱と鞍を用意しておくか?」
「皆を乗せるときは、少し柔らかくしてやろう」
「スイちゃんって、なんでも出来るのね」
「長く生きているゆえ色々身についたが、名付けのセンスは主殿に敵わないぞ。今日から家族になった霊獣も、すごく喜んでいたではないか」
「キュィー!」
ハクとコハクの名付け親ってことで、俺にお鉢が回ってきたんだよな。思いついた言葉を伝えてみたが、喜んでもらえたようで何よりだ。
「確かにカイザーって、なんかカッコイイよね」
「とっても強そうなのです」
「前世で使っていた、皇帝という言葉だ。アンゼリカさんと共に暮らすなら、ちょうどいい名前だと思ってな」
「やはり主殿は転生者であったか」
「もしかして気づいていたのか?」
「いや単なる憶測だ。これは直感的なとらえ方で、言葉にするのは難しいのだが……」
「それでもいい。話してくれれば、何かが伝わるかもしれん」
「主殿に敗れて正気を取り戻したとき、我に近い魂の輝きを感じた。数奇な運命を持った存在ではないか、そう思っていたのだよ」
やはり龍族のスイには、特殊な感覚器官が備わってるのか。後で俺の事情は全て話そう。お互いの知識を共有したら、きっと相乗効果が生まれる。
「もし生き物が持っている、エーテル体やアストラル体といった、スピリチュアルなものを視ているなら、違いがわかるのかもしれない。俺はスイの見立てどおり、生まれたときから異なる世界の記憶がある」
「魂の輝きというのは、我が作った言葉だからな。その感覚で判断すると、我と主殿の輝きはとても近く、群を抜いている。主従契約を試してみようと思ったのは、それがあったからだ」
「その基準で判断すると、シトラスたちはどう見える?」
「街にいる只人――今は上人といったか。その者たちより、明るく感じられる」
「ちなみに、体調が悪かったときの自分は?」
「数十年前より徐々に濁っていき、ここ最近は漆黒に染まっていたな」
これは符号なしのビット配列を、明度として感じ取ってるに違いない。上人が持つ数値は、最高で二百四十。しかしシトラスたちは二百五十五だ。もし二人が符号なしだった場合、六万五千五百三十五なスイと、六万千四百四十の俺。
そして桁あふれしてしまったものが、濁りとして認識されていた。こう考えると辻褄が合う。俺はその仮説をスイに話す。
「主殿の話はとても面白い。なるほど、合点がいったよ」
「スイには俺のギフト、論理演算師と似た感覚器官が、備わっているはず。もし他とは違う人物を見かけたら、教えてくれ」
「主殿の頼みとあらば、断る理由はない。役に立ってみせるゆえ、期待してくれ」
「ちなみにスイという名も、前世の言葉だぞ」
「それは光栄なことである。主殿がすごしてきた別世界の話、気が向いた時にでも聞かせてもらえるとありがたい」
創世よりこの世界に存在していた人物。本当に面白い従人が来てくれた。これから共に生活するのが楽しみだ。
なぜスコヴィル家が奥の院で幽閉されていたのか。
その理由が明らかになる。
次回、第三者視点でおくる「0200話 皇家の秘密」をお楽しみに。