0019話 レベルアップ
移動するトレントに気づかれないよう、シトラスが慎重に背後から近づく。根っこの足をモゾモゾ動かして移動するので、速度は遅いし音への反応も鈍い。しかし見つかれば少々厄介だ。枝をムチのようにして襲ってくる攻撃は、下手すると大怪我に繋がってしまう。
自分の間合いまで近づいたシトラスが、足に力を込め一気に飛び出す。ナックルガードの付いたグローブで幹を殴ると、薄い板が砕けるような音とともにトレントが消える。足元に落ちた魔晶核を拾い上げたシトラスが、こちらへ走り寄ってきた。
「その戦い方にも、すっかり慣れたみたいだな」
「うん。やっぱりボクは殴ったり蹴ったりするのが、性に合ってるみたい」
腰に装備している短剣をそっと触りながら、黒いグローブを装備した右手でパンチを繰り出す。護身用に剣は持たせてるが、使う機会はほとんどない。間合いの不利もシトラスの反射神経があれば、なんとかなってしまうしな。
「そういえばレベルはどうなったの?」
「まだ七のままで変化はない。しかし、そろそろ上がると思うぞ」
「ボクは十八になったのに、上人は上がるの遅いよね」
「俺たちのレベルアップに必要な経験値は、四等級のちょうど半分だしな。敵の強さに応じた経験値がもらえるだけ、随分とましなんだが」
上人の場合、初項が百二十八で公差が二百五十六という、等差数列の和になる。レベルカンストまでに必要な通算経験値は、八百三十八万八千六百八だ。
この数値をはじき出した本の作者によると、スライムをひたすら倒して基準を算出したらしい。それを読んだ時、この世界にもやり込みゲーマーがいたんだと感心した。著者名は書いていなかったが、筆致が似ている黒たまりの煮汁に関して記録を残した人物と、同一だったりするんだろうか?
「早くキミのレベルを上げて、ボクにある四つの数字を書き換えてほしいな」
「そんなに焦る必要はない。次にどんな力が発現するか、わからないんだ。期待値が大きすぎると、ハズレが出た時にモチベーションを維持できないぞ」
「わかってるよ。ちょっと言ってみただけ」
「自分のレベル優先で従人に無茶をさせる奴は多いが、今みたいに一撃で倒せる相手に数を稼いだほうが、安全で効率もいい。なにせ俺ではシトラスのフォローしかできないから、絶対に無理は禁物だ」
背後から忍び寄ってくる魔獣に気づかず、俺が襲われそうになるなんて事態も何度か起きている。今の状態で背伸びをしても、全滅コースまっしぐらだろう。
「他の上人は知らないけどさ、キミのサポートって上手だと思うよ。すごく戦いやすくなるもん。ボクの動きに合わせて魔法を使うとか、本当に器用だよね」
「まあそれが俺の取り柄でもあるからな」
そんなことを話していた時、森の奥から誰かの叫び声が聞こえてきた。必死の形相で走ってくるのは、二十歳に届かないくらいの青年だ。連れている従人の動きがおかしいのは、怪我をしているからか。
「魔物に追われている、助けてくれー」
「追いかけているのはオークだが、体が茶色いな。上位種のハイオークに挑んで、返り討ちにあったってところだろう。こんな浅い場所まで連れてきやがって、迷惑なやつだ」
「どうしよう?」
「オークはパワー重視の魔物で、動きはそんなに速くない。幸い一体だけだし、攻撃さえ当たらなければ、なんとかなりそうだ。いけるか?」
「うん! 怪我してる従人もいるから、助けてあげよう」
上位種だけあって、さすがに体がでかい。身長は確実に二メートルを超えてるな。
「俺がスキを作るから、短剣を使って倒せ。急所は首筋だが、硬い皮膚に覆われている。全力で短剣を突き立ててやれ」
「了解だよ」
作戦が決まったら行動開始だ。右奥へ離れていったシトラスに視線で合図を送り、俺は冒険者たちの進行方向に躍り出る。
「お前ら、絶対に振り返るなよ」
「よっ、よくわからんが助かるならなんでもいい、頼む」
無詠唱でも魔法は発動するが、タイミングを合わせるために合図は必要――
「閃光!」
ハイオークの眼前に明るい玉が出現し、弾けると同時に強烈な光を生み出す。それをまともに見てしまったハイオークは、視界を失い木へ激突した。
そこへシトラスが走り込んでいき、倒木を踏み台にして大きくジャンプ。繰り出されたキックが、延髄へクリーンヒットする。たまらず膝をついたハイオークへ、上空でくるりと一回転したシトラスが襲いかかり、追い打ちをかけるように背中を蹴り飛ばす。
うつ伏せに倒れてしまったハイオークは、意識が朦朧としているのか動きが鈍い。それを見たシトラスがハイオークの背中へ降り立つと、首めがけて腰の短剣を振り下ろした。一瞬ビクリと痙攣したハイオークは、断末魔の叫び声を上げながら消えていく。
流れるような連続技が見事だ。ここのところ森で狩りを続けてきた成果が、遺憾なく発揮されている。
「お前ら、大丈夫か」
「すまん、助かったよ。あれがあんなに頑丈な魔物だとは思わなかった」
「そんな安物の武器では歯が立たんだろ。もっとマシなものを持たせてやれ」
従人の持っているショートソードは、ただの安い量産品で切れ味も悪い。ろくな手入れもせず使い込まれ、あちこち刃こぼれしてるじゃないか。これはかなり背伸びをして、無茶な狩りをやらせていたな。
「こいつのレベルも上がったし、なんとかなると思ったんだよ。それにしてもアンタの従人は強いな。あれ、女だろ?」
「しっかりレベル上げして、まともな武器を持たせてるからだ。性別はあまり関係ないぞ」
「女の従人を飼ってるってことは、やっぱりあれか? ヤりまくってレベル上げしたんだろ。それだけ強くなれるなら、今度は女にでもしてみるか」
こいつは従人を消耗品扱いする、典型的なタイプのようだ。自分のレベルをどこまで上げてるのか知らないが、魔法に弱いハイオーク程度で逃げ出すようじゃ、冒険者としての適性は薄いぞ。なまじ支配値が百十二もあるから、従人を使役してなんとかなるとでも思ったんだろう。
「よし、お前とは今日で契約解除だ」
「そんな、オレ頑張った」
「うるさい! 女に負けるような従人はいらん」
「頼む、レベルが下がるのは嫌だ」
「従人ごときが、口答えするな。さっさと街へ戻って、手続きするぞ!」
制約を強められた従人の顔が、悔しそうにゆがむ。指輪からリードを出した男は、そのまま強引に引きずって行こうとする。
「おい、ちょっと待て」
「なんだ? 礼ならさっき言ったし、そこの魔晶核もお前らのものだぞ」
「お前が連れている従人のことだ。下取りに出すなら怪我の手当くらいしてやれ。それだけでも査定額が上がる」
「おっ、それもそうだな。ほら、傷口にこれでも塗っとけ。まったく使い物にならん従人に薬をくれてやるなんて、とんだ出費だぜ」
腰のポーチから取り出した塗り薬を従人に投げつけ、リードを引っ張りながら男は去っていく。まあ俺にしてやれるのはこれくらいだ。
「よくやったな、シトラス。ハイオークを思いっきり蹴っていたが、どこか痛めたところとかないか?」
「……うん、ボクは平気」
「さっきみたいな連中をいちいち気にしていたら、身がもたないぞ。人にはそれぞれ、やり方がある。魔物に従人を襲わせて時間稼ぎしなかった分、あれでも少しはマシな方だ。お前が気に病む必要はない」
「もう……年下のくせに頭を撫でないでよ」
頭の上にそっと置いた手を、シトラスが力なくはねのける。あっさりハイオークを倒してみせたことに、責任を感じてしまったんだろう。
「それよりも喜べ。俺のレベルが八になって、ギフトに新しい力が追加された」
「ホント!? 今度はどんな事ができるの?」
「新しく覚えたのは否定論理積だ」
いま使えるのは論理積で、一と一以外のビットをクリアする演算子だ。否定論理積はその逆で、一と一のビットをクリアしてしまう。派生系の演算子を覚えられたのは、幸運だったと言っていい。
なにせ論理和だと、一が立っているビットをクリアできない。その否定形である否定論理和も、一が立っているビットは必ずクリアされる。この二つだと自由にビット操作ができないところだった。
「良くわからないけど、ボクにやってくれてるのと同じことを、別の人にも出来るようになったってこと?」
「ああ、そのとおりだ。これで二人までなら、一等級と同じ状態にしてやれる」
「なら従人を増やすんだね」
「シトラスは従人を増やすことに反対か?」
「キミの従人になれば、あんなひどい扱いを受けないだろうし、少しでも待遇がマシになる仲間が増えるなら、ボクも嬉しい。だから反対はしないよ」
あれを見てしまった後なら、その答えになるのも仕方ないか。たとえ拒否されても俺は止められないがな!
モフれる相手が増えるというだけで、とてつもなく心躍るのだから仕方ないだろ。ただし相手はしっかり選ばせてもらう。同情だけで契約してやるほど、俺は聖人君子じゃない。
森へ入っているおかげで懐にも余裕があるし、明日にでも従人販売店を覗きに行くか。