0188話 まずは温泉
さすが皇族が使う離れ座敷だけはある。秘境の温泉宿みたいな感じだな。なにせ貴重の木材をふんだんに使っているだけでも素晴らしい。これで畳敷きなら、更にテンションは上がるのだが……
「へー。南方大陸にある家とはだいぶ違うね」
「床がとても高いのです」
「……外よりあったかい?」
「温泉の熱を利用した床暖房があるそうだ。床が高いのはそのせいだろう」
屋敷を取り囲む柵があり、庭は植え込みや花壇で彩られている。小さな池まであって驚いた。門から真っ直ぐアプローチが伸び、階段状になった玄関ポーチ。そしてドアは開き戸ではなく引き戸だ。
「ベルガモットちゃんの言ってた大池は、雑木林の向こうにあるみたいね。屋敷の裏側が、温泉になってたわ。岩がゴツゴツしてて、ちょっと変な形だったけど」
「天然かけ流しの岩風呂とか最高じゃないか!」
「旦那様。温泉を見てきても、よろしいでしょうか?」
「せっかくだ。今からみんなで入ろう」
景色を楽しみながら入れる露天風呂なんだし、明るいうちに堪能しておかないとな。なんなら夕食後に、もう一回入ってもいい。これぞ正しい温泉の楽しみ方だ。
「キミのエッチな視線を感じながらだと、落ちついて楽しめそうもないんだけど?」
「心配するな、シトラス。そう言われるだろうと思って、湯浴み着を用意している。水着より肌の露出が少ないから、俺に見られても恥ずかしくないだろ?」
「うーん……それならいいかなぁ」
「だから安心して俺にしっぽを洗われるがいい!」
「それは絶対にイヤだよ。キミじゃなくてミントに洗ってもらうからね」
「ミント頑張るです」
まあ今日のところは、一緒に入ってくれるだけで良しとしておこう。アインパエにはしばらく滞在するので、この先チャンスはいくらでもあるし!
「旦那様。わたくしのしっぽをお願いしても、よろしいでしょうか?」
「任せておけ、ユーカリ。全身全霊をかけて洗ってやるぞ」
「……あるじ様、早く行こ」
「先に行ってるわよー」
こらこらシナモン、腕を引っ張るんじゃない。それにユーカリも背中を押すな。
「久しぶりのお風呂が楽しみなのはわかるけど、みんな張り切り過ぎじゃないかい?」
「明るい時間に入るのは、ちょっと贅沢な気もするのです」
「好きな時間に好きなだけ入れるのが、温泉のいいところだからな。明るいうちに景色を楽しみながらもよし、暗くなって夜空を眺めながらというのも、風情があっていいものだぞ」
廊下をズンズン進んでいくと、脱衣場の扉が見えてきた。入り口が一つだけなので、男女兼用みたいだな。本来なら客に貸し出すような施設じゃないだろうし、ある意味当然の作りと言える。
「湯浴み着をお預かりします」
「すぐ取り出すから、ちょっとまってくれ」
マジックバッグから着替えの入ったかごを取り出し、脱衣場の中央へ置く。大きな衝立があるので、俺はシトラスたちと反対側で着替えることに。
「……ん」
「ほれ、シナモンのぶんはこれだ」
バンザイしたシナモンの上着を脱がし、肩紐が付いたパイプ状の湯浴み着を渡す。後ろの部分がスリットになっていて、紐で留める構造にしてあるから、獣人種でも問題ないはず。
「……私、いらない。行ってくる」
「床は滑りやすいから気をつけるんだぞ」
「……わかった」
ジャスミンからなんの報告もないし、覗かれる心配はないだろう。棚に置いてあったジャスミンの服を軽く畳み、シナモンの服と一緒に脱衣籠へ入れておく。俺も服と下着を脱ぎ、グレーの湯浴み着を身につける。
「シナモンとジャスミンは、羞恥心が足りないんじゃないかな」
「いつもあんな感じだが、家族以外に見られるのは嫌らしい」
「家の敷地内って言っても、あそこは外なんだしさ。もっと気をつけたほうが、いいと思うんだけど……」
「わたくしの妖術で、外から見えなくいたしましょうか?」
「あー、それなら安心できるな。景色は楽しみたいから、マジックミラーみたいな感じで頼む」
原理を簡単に説明すると、なぜか光学迷彩みたいな術が発動した。流石というか、なんというか。まあ結果オーライだ。とにかくこれで、誰の目も気にすることなく、温泉を楽しめる。
「外から見えないのをいいことに、盛ったりしないでよ」
「心配するな。二人きりだと自信はないが、みんなと一緒なら自制できる」
ユーカリとの入浴を躊躇していたのは、これが理由だからな。長期間お預けしてしまった詫びに、今日は体の隅々までピカピカにしてやろう。そんな事を考えながら、着替え終わったシトラスたちと脱衣場の外へ。
すると岩に囲まれた大きな湯船が目に飛び込む。思っていたより立派で驚いた。ここが地球とは違うということを、一瞬忘れてしまいそうな光景だ。
目隠しになっている柵の周囲には低木が植えられ、まるで自然の中にいるような気分を満喫できる。洗い場にはお湯を汲めるように、水路を作ってるのか。床も大小様々な自然石を使った石畳とは……
「さすが風呂好きが多いアインパエ帝国だけある。ここに温泉のすべてが詰まっていると言っても過言ではない」
「……あるじ様、凄い。泳げそうなくらい、広い」
「お湯に色が付いてるのだけど、普通に入って構わないのかしら」
「温泉は中に溶け込む成分によって色が変わるんだ。元いた世界には、真っ白とか茶色なんかがあったぞ。ここの温泉は少し緑色だから、おそらく酸性泉だろう」
「さっきからずっと気になってたけど、この匂いってお湯から出てるんだね」
「もしかして、味がついてるです?」
「もちろん普通の水とは違う。どんな味かは、わからんがな」
「……飲んでいい?」
この世界に飲泉なんて風習はないはず。さすがに水質検査をやってない水を飲むのは怖いな。
「腹を壊すかもしれんから、やめておけ。とにかくここは源泉かけ流しの湯だ。いつもみたいに湯船へ入る前に、体を洗わなくていいぞ。かけ湯で軽く流してから、まずは温泉を楽しもう」
「家のお風呂と違って、ちょっと寒いしね。温まってから体を洗えるなら助かるわ」
公衆浴場だとそうもいかんが、ここは家族だけしか使わない。温泉をまるごと貸し切れるなんて、滅多にないチャンスなんだから、好きなようにやらせてもらおう。
「……あるじ様、ぶっかけて」
「私も一緒にお願いするわ」
「わたくしは旦那様に、かけ湯をして差し上げます」
お湯をかけたり、かけられたりしたあと、みんなで湯船に入る。二十人くらいは余裕で入れる大きさなので、足を伸ばして全身の力を抜く。シナモンは仰向けになって、プカプカと浮き始めたぞ。
「気持ちいいな、コハク」
「キュゥゥゥーイ」
ダラーンと伸びたコハクが水面を漂い、隣に座っているユーカリの方へ。そして、たわわに実る果実へ上陸した。タピオカチャレンジが余裕で出来るボリュームだもんな。コハクにとってはベッドサイズだ。
「旦那様と一緒に入れるなんて、幸せすぎてどうにかなってしまいそうです」
「ユーカリのしっぽをモフりながら温泉を満喫できて、俺も幸せだぞ」
嬉しそうにもたれかかってきたので、頬できつね耳を堪能しつつ、しっぽの感触を楽しむ。
「あのー、タクト様。ミントもそっちに行って、いいですか?」
「遠慮せず来い。せっかくだから、膝の上に乗せてやろう」
「じゃあ、お願いするです」
ミントがおずおずと近づいてきたので、お腹に手を回して軽く抱き寄せる。丸くてフワフワのしっぽがみぞおちに当たり、ちょっとくすぐったい。
「シトラスちゃんはタクトの隣に来ないの?」
「これだけ広いのに、なんで密集しないといけないのさ」
「温泉というものは、単に体を温めるだけじゃない。心の距離を縮める場所なんだ。こっちに来れば、家族の絆がもっと深まるぞ」
「また適当なことを言って、自分の性欲を満たそうとするんだから……」
文句を言いつつ近づいてくれるシトラスは可愛すぎだな!
こうしてモフモフたちに囲まれていると、この世界に転生できて本当に良かったと思える。
「……あるじ様の横、確保」
湯船を漂流していたシナモンが、いつの間にか俺の隣に。ネコミミをこすりつけながら甘えてくるので、顎の下に手を伸ばす。
「……うにゃー」
「なんかさぁ、みんな見るたびに迫力が増してるなぁ」
「お前だってちゃんと成長してるのに、なにを言ってる。身長は三センチくらい伸びてるし、体つきも以前とは大違いだぞ」
「それは実感できてるけど、そんなのが目の前にあるとね……」
「あうー。あまりじっと見ないでほしいのです」
俺が後ろから抱きしめてるせいで、寄せて上げるみたいな感じになってるもんな。ユーカリがキングサイズなら、ミントはクイーンサイズだ。
「シトラスのモデル体型だって、自慢できるレベルじゃないか。元プロデザイナーのキャラウェイさんも褒めてただろ」
「シトラスちゃんは、なにを着ても似合うものね」
「……こんど一緒に、スカート履く?」
実は全員分のセーラー服を、発注済みだったりする。夏服でデザインしたから、着るのはもう少し先になるのだが……
「ヒラヒラしたスカートとか、絶対にヤダ」
「心配するな、ちゃんとプリーツスカートにしておいた。スパッツも用意してあるぞ」
「キミ、また変なこと企んでるだろ」
おっといかん。思わずネタばらししてしまった。夏までたっぷり時間がある。ゆっくりシトラスを説得するとしよう。水中で揺れるしっぽを見る限り、本気で嫌がってるわけではなさそうだし。
シトラスの追及をかわしながら、俺は湯船の中で力を抜く。
はぁ~、ビバノンノン。
アインパエへ来た目的の一つを明かす主人公。
そして二人きりの入浴タイム。
「0189話 ユーカリの夢」をお楽しみに!
次回の更新は週末を予定しています。