0183話 千里の道も一歩から
ホカホカと湯気を上げながら、ベルガモットが部屋に入ってきた。後ろを歩くマツリカも、顔が緩みきっている。どうやら今日も存分に風呂を満喫できたようだ。
「あっ、お帰り、お姉ちゃん」
「ただいま、クミン。すいませんニームさん、妹のことをお任せしてしまって」
「私には姉しかいないので、あんな感じに頼られるのは嬉しいんです。だから気にしないで下さい」
「もうこの子ったら、すっかりタクト様の従人に甘えちゃって……」
ずっと病気だったクミンは、かなり背が小さい。なにせミントと変わらないくらいだもんな。そんな彼女に甘えられたら、シトラスですら要求を聞き入れてしまう。まったく、おねだり上手な小悪魔だ。
「ボクの膝に座っても、気持ちよくないと思うんだけどなぁ」
「そんなことないよ。程よい弾力があって、包み込まれるようなフィット感とは違う、独特の気持ち良さがあるもん。それにシトラスって、すごくいい匂いがする」
「ふーん……まぁ、それならいいんだけどさ」
しっぽを左右に揺らしやがって。相変わらず、うい奴め。
「わかるぞクミン。シトラスの膝枕は最高だからな!」
「タクトさんなら、そう言ってくれると思った! このなんともいえない、絶妙な反発力がいいんだよね」
シトラスの素晴らしさを理解できる仲間が増えて嬉しいぞ、同士クミンよ。これからもその道を邁進していくがいい。
「うわー、同類だ」
「私の可愛いクミンが、純真無垢で穢れを知らなかったクミンが、すっかりタクト様の影響を受けて……」
はっはっは、諦めろマツリカ。クミンはもう、戻れない所まで来てしまった。というか、既にお前も同類だ。
とりあえず、みんなの膝を堪能したクミンの評価は、ミントとユーカリが低反発で、シトラスとシナモンが高反発って辺りか。俺の感想はもらえなかったが、男だからかなり硬いはず。そばがらとかポリエチレンパイプだったり?
……って、俺たちは枕じゃない。
「んー。丸くなって眠るシナモンって、ほんとに可愛い。私もお仕事ができるようになったら、この子やローリエみたいな猫種と契約しようかな」
「それならまず体力づくりからだな。そろそろなにを食べても平気になってきたから、しっかり栄養を摂ってリハビリを頑張れ。レベル上げする時は、付き合ってやろう」
シトラスの膝に座ったまま手を伸ばし、丸くなって眠るシナモンの頭を撫でていたクミンの顔が、パッと輝く。この子の支配値は百九十二だ。一等級と二等級の全て、そして三等級の品質七番と十一番まで使役できる。だから選択できる幅が、かなり広い。
「森へ連れて行ってもらえるように、リハビリ頑張るよ!」
「タクトは他人をその気にさせるのが上手じゃな」
「目標があるとモチベーションも上がる。それがないと辛いリハビリは乗り越えられん」
まだ若いだけあり、回復速度はかなりのものだ。最初は立ち上がることすらままならなかったのに、今では支えられながら歩けるまで回復した。一人で自由に行動できる日も近いだろう。
「食事で思い出しましたが、また水麦の新しい食べ方を、開拓したんですね」
「旅の途中で海苔を大量に作ってきたからな」
「あたしは大きな玉子焼きの入ったのが好き!」
「長実の入ったものは、すごく不思議な組み合わせでした」
「サラダ巻きとか反則です。サラダって普通はそのまま食べるものでしょ。どうして水麦と組み合わせようなんて、発想が出てくるんですか。さすが兄さんの変態ぶりは、とどまるところを知りませんね」
「変態とか言うな。料理ってのは自由なんだ。旨ければなんでもいいんだよ」
そもそも俺が考案したわけじゃない。酢飯にマヨネーズを組み合わせた天才が、元の世界にいただけだ。
「旅の途中でも作ってくれたが、今日はさらに豪華だったのじゃ」
「ちょっとタウポートンまで行って、買い出ししておいたおかげだな」
「兄さん、自重。タウポートンは近所へ買い物に出るノリで、行ける場所ではありません」
いいだろ、別に。タウポートンの霊獣には、やたら好かれてるんだよ。会いに行くとグルグル巻きにされるんだぞ。もちろんワカイネトコの霊獣も、喜んでくれるしな!
夕食の話で盛り上がりながら、ベルガモットの髪をすいていく。うーん、出会った頃より、確実に艶が増してきた。髪質が改善したのも、食生活のおかげだろう。なにせ好き嫌いが減り、強敵だった赤根すら倒している。
「そうそう。タウポートンへ行ったときに手配しておいたチャーター便、もうじきアインパエを出港するらしい。冒険者ギルドへ連絡が来ていた」
「コルツフット従兄の護送が終われば、妾たちも出立じゃな」
「せっかく仲良くなれたのに、もう行っちゃうの?」
「わがままを言っちゃだめよ、クミン」
マツリカの膝に移ったクミンが、ベルガモットの言葉を聞いて肩を落とす。しかしマツリカのやつ、本当に幸せそうな顔をしやがって。とっととアインパエの森を攻略して、定期的に里帰りさせてやらねばならん。
「俺たちにはコハクがいるからな。ワカイネトコには出発ギリギリまで滞在する。それまで姉に甘えておけよ」
「キューイ」
「えへへ。ありがとう、コハクちゃん」
「アインパエへ聖域経由で行き来できるようになったら、クミンの方から会いに行くのも手だ」
「やっぱりリハビリが最優先だね。すごくやる気が出てきた」
なにせ温泉が湧いている以上、俺たちも定期的に足を運ぶ。会う機会は、いくらでも作れるだろう。霊獣たちには感謝しなければな。帝都近郊の森にいる管理者は、どんな動物なのだろうか……
「兄さんがいると、密入国し放題ですね」
「俺のことをすぐ犯罪者にするのはやめないか。そんなことを言うなら、アインパエには連れて行かないぞ」
「あっ、それは困ります。私も温泉には興味ありますので。さっきのは可愛い妹の、ちょっとしたお茶目じゃないですか。私の大好きな兄さんは、そんな事で怒りませんよね?」
「まったく、こんな時だけ都合のいいことを。とりあえずアインパエの政情が安定したら、みんなで行くとしよう」
「その時はスコヴィル家が、みなをもてなしてやるのじゃ」
皇族の歓待を受けるとか、なかなか経験できないことだぞ。そのためにはまず、アインパエの財務状態をなんとかせねばならん。そしてベルガモットの姉たちも、政治へ参加できるようにする。やることが山積みだな。
とりあえず目の前のことから、一つづつ片付けていこう。千里の道も一歩から。最近になって増えてきた大切な存在のために、俺は俺のできることをするだけだ。
これで第11章が終了です。
母親が入院することになったため、しばらく更新の方はお休みします。入院期間がどの程度になるかわかりませんので、またX(Twitter)の方で報告を……
再開までしばらくお待ち下さい。
次章はアインパエ編。
スコヴィル家の問題を次々解決する主人公。とうとう見つかったアレ。そしてアインパエで発生している異変とは?
ギフトの力を使って、新しい仲間も増えます。
乞うご期待!