0176話 マツリカとクミン
学園の敷地内にある迎賓館を出たマツリカは、クミンの待つ事務棟を目指す。警備員とすれ違うたびに緊張するが、責めるような視線を向ける者は一人もいない。
校門の警備を突破されたことは、学園にとって大きな事件だ。しかし違法な薬物を使った襲撃ということもあり、査定に影響は無いと決定している。しかも怪我はミントが治してしまい、ベルガモットから感謝の言葉まで賜った。
他国の要人から礼賛されることは、組織の安全を守る者にとって、最高の誉れだ。更に特別手当まで出たのだから、彼らにとって昨日の出来事は、もう過去のものになっている。多少の不信感程度で、彼らの心に波風は立たない。
もちろんタクトの発案で、この施策を行うと決定したのだが……
(やはり悪知恵ばかり働く人ですね)
マツリカはそんな事を少しだけ思いながら、タクトに感謝していた。なにせどんな妨害を受けても、全て良い方へ持って行ってしまう。
港へついた直後に二人揃って拉致され、街の近くに潜伏していたコルツフットへ引き渡す、これが当初の計画。その時の指示は〝邪魔するやつがいたら殺しても良い〟だったが、話を聞き流していた実行犯は〝殺してでも連れてこい〟と思いこんでしまう。そのため、たまたま居合わせたタクトたちに、全力で阻止された。
そこから計画は狂い出す。
二人の活躍がベルガモットの興味を引き、トントン拍子に話が進んでいく。襲撃が失敗したときの保険を崩されそうになり、マツリカは何度も念を押す。しかしベルガモットの決定は覆らない。せっかく代わりの護衛が見つからないよう、流星ランクの動向を事前調査していたのに……
流星ランクに昇格したばかりで、地位にこだわりがないタクトだから、旧体制派も見落としていたのである。そして初代皇帝も連れていた霊獣という存在。機密情報を知っている者が見れば、特別仕様だとわかるマジックバッグ。様々な要因が重なり、簡単に得られないベルガモットの信頼を、その日のうちに獲得してしまう。
(私は一年近くかかったというのに、本当にずるい人……)
なんとか悪感情を持ってもらおうとしても上手くいかず、タウポートンで一番治安の良い滞在場所まで確保した。護衛の費用は後払いで受けてしまうし、連れている従人の能力は規格外に高い。挙句の果てに、ベルガモットが長年抱えてきた呪縛を、ギフトの力で断ち切ってしまったのだ。
(今となっては、お二人が出会えて良かったと、思うしかありません)
園遊会では拉致計画を逆に利用され、アンキモ家の協力という大きな成果を上げている。移動中の監視や襲撃は、見せしめと犯罪組織をあぶり出す囮に利用された。おかげでゴナンクでは非難どころか、感謝される始末。
(ワカイネトコではコルツフットを倒すだけでなく、私の大切な妹も救ってくれました)
クミンだけではない、自分も救ってくれたのだ。贖罪の機会を与えてもらったからには、ベルガモットに生涯尽くしていこう。そしてタクトには自分のすべてを捧げてもいい。そんな決意をしながら、個室の前に立つ。扉の横にある小さなボタンを押すと、中から元気な声が聞こえてきた。
「おはようクミン。体の方は大丈夫?」
「寝る前と朝起きて薬を塗ったから、すごく調子がいいよ」
朝の日差しより眩しい笑顔を目にしたマツリカは、込み上げてきた熱いもので視界が滲む。この姿を両親が見たら、どれほど喜んだだろう。生まれてからずっと不自由な思いをしてきたクミンには、これから人並みの幸せを掴んでほしい。
そうした万感の思いに胸を焦がしながら、ここに来た目的を果たそうとバスケットに手を伸ばす。
「わぁー! 今日のご飯も美味しそう。それに赤実が可愛い」
中から出てきたのは、野菜を柔らかくなるまで煮込んだ、卵雑炊のお椀。小鉢にはコッコ鳥の肉団子に、棒茸が入った餡をかけたもの。そしてゴナンクから持ち込んだ魚の煮付け。デザートは飾り切りされた、うさぎ赤実だ。
続いて取り出したのは、マツリカの弁当箱。フタを開けると、黄色と茶色のコントラストが目に飛び込んでくる。
「くっ……相変わらずタクト様は自重を知らないんだから。なんなのよ、これは」
「なにこれ、なにこれ!? こんなの見たことない。タクトさんって天才なの?」
ご飯の上には炒り卵が敷き詰められ、コッコ鳥のそぼろで顔が描かれていた。スライスしたチーズには、海苔で描かれた目鼻と口。薄切りの赤根が両頬に置かれ、可愛いアクセントに。
デフォルメされたクマの顔を見て、マツリカの頬が思わず緩む。
そして葉物野菜で仕切りされた上部には、魚の照り焼きや根野菜の煮物。クミンと同じ肉団子のあんかけや赤実も入っている。少し地味な色合いだが、こちらも栄養バランスが考えられた弁当だ。
クミンはキャラ弁という未知の文化に触れ、目をキラキラさせながらマツリカの弁当を覗き込む。
「あんまり乗り出すと、ベッドから落ちちゃうよ。ほら、冷める前に朝ごはん食べよ」
「うん、そうだね。ん~、あったかくて美味しい」
「やっぱり、腹が立つくらい美味しい」
「私もお姉ちゃんも、料理はさっぱりだもんね」
「それは言わないで、落ち込んじゃうから」
「あー、タクトさんみたいなお兄ちゃんが欲しいなぁー」
「――んっ!? ゴフゥ!!」
クミンの何気ない言葉を聞き、マツリカがご飯を喉につまらせる。
「もー、お姉ちゃん行儀が悪いよ」
「だってクミンが変なこと言うから」
「変なことなんて言ってないよ。だって本気でそう思ってるもん。確かに目つきはちょっと怖いけど、すごく頼りがいのある人でしょ? ここに来る時も、私を軽々とおんぶして運んでくれたしね」
「待って! おんぶなんかしてもらったの? 変な所を触られたりしなかった?」
「そんな事されてないって。ニームちゃんには、ちょっと睨まれちゃったけど」
その言葉を聞き、マツリカはホッと胸をなでおろす。いくらなんでも、出会ったばかりの男に体をあずけるなんて、危機感がなさすぎだ。そんなことでは悪い男に騙されてしまう。だけど、どうやって伝えればいい? マツリカは頭の中で、あーでもない、こーでもない、と考え始める。
安心したあとに悩みだした姉を見て、いつもの過保護が始まってしまったと、クミンは気づく。
「平気だよ、お姉ちゃん。誰にでもそんな事、お願いしないから。そもそもタクトさんって、従人にしか興味ないんでしょ? 射止めるのに苦労すると思うけど、頑張ってね! お姉ちゃん」
「お姉ちゃんとタクト様が、結婚することはないから諦めて。そもそも私じゃ釣り合わないし……」
「お姉ちゃんって凛々しい美人さんで仕事もできるから、タクトさんとはお似合いだと思うけどなぁ」
今のマツリカを見ながら、クミンは改めて思い起こす。
今回帰省した姉は、明らかに様子がおかしかった。それは恐らく自分に対して、後ろめたいことがあったからだろう。しかし姉の性格を考えると、絶対に話してはくれない。だが今のクミンに、それを聞く必要はなくなっていた。
なにせずっと自分を支えるために仕事一筋だった姉が、異性の話をするなんて初めてだ。しかも年下の男性を様付けで呼ぶのは、明らかにおかしい。いくら凄い地位を持っていたとしても、主従関係じゃないんだし。
私たち姉妹が救われたのは、間違いなくタクトさんのおかげ。そんな彼のことを姉が意識し始めているのは、確定的に明らか。だから私は応援しよう、二人の仲がうまくいくように。
クミンは美味しそうにお弁当を食べる姉へ、密かにエールを送った。自分も結婚するなら、あんな男の人がいいな、などと考えながら……
そして楽しい食事の時間は終わる。
「あー、美味しかった。お姉ちゃんは今から仕事なんだよね?」
「今日からベルガモット様も授業を受けるし、私は護衛で近くにいないとダメなの。一人でも大丈夫?」
「大人の人と話すのは慣れてるから平気だよ。凄い人たちの支援を受けることになったから、ちょっと緊張するけどね」
太古の製法を蘇らせ、日々その改良に取り組んでいる、薬師のギフトを持ったローズマリー・プロシュット。クミンの症状をひと目で見抜き、今後の治療に協力すると申し出てくれた、魔導士のギフトを持つニーム・サーロイン。
研究室に多額の資金を拠出しているのは、ワカイネトコで最大の穀物取扱い量を誇り、各種団体に強力なコネクションを持つ、デュラムセモリナ穀物生産卸売協同組合だ。クミンがここに滞在する費用は、その研究資金と学園からの援助で賄われる。
陰陽というギフトを持ち、穀物の生産に多大な貢献をすることが約束された期待の星。組合幹部の娘であるベニバナ・モッツァレラ。彼女はクミンと原因が同じ症状に苦しめられており、とても親身になってくれた。おかげですっかり意気投合し、それを聞いたモッツァレラ家が、クミンの自立援助に名乗りを上げる。
普通に生きていたら関わることなんてない人たちが目白押しだ。
「またお昼ごはんを持ってくるから、困ったことがあったらその時に言って」
「お姉ちゃんといっぱい会えて嬉しい。楽しみに待ってるね」
「じゃあ、行ってきます」
「あっ、タクトさんとユーカリに、美味しかったって伝えておいて。それと私も水麦が大好きになったよ。これもお願い」
わかったと返事をして、マツリカが部屋から出ていく。それを見送ったクミンは、満腹になったお腹をそっと触る。
「お姉ちゃんのお弁当、美味しそうだったな。今の食事に慣れてきたら、お願いして作ってもらおっと」
クミンはしっかり自覚していた。自分の体が食事を受け付けないほど、弱ってきていたことを。加えて魔力溜による体への負荷で、体力も日に日に落ちていく。流動食でもお腹を壊し、無理に食べると吐いてしまう。保養所のスタッフも手を尽くしたが、この世界の食事事情では限界があった。
しかし和食の技を駆使したタクトの食事は、そんな体でも受け入れられたのだ。スルスルとお腹に入っていき、体調をくずすこともない。その正体が水麦だったことは、少し驚いてしまったけど。
タクトはそんな彼女に事情を話し、クミンはそれを受け入れる。お腹いっぱいご飯が食べられるだけで、クミンは幸せなのだ。材料がなんであっても良いし、従人が手伝っていることなど些末な問題。なにせ提供される食事が美味しすぎるのだから、文句のつけようがない。
たった一日で事態が急転してしまったこともあり、クミンの価値観は激変してしまう。こうしてタクトの影響下に入ってしまった彼女は、従人に対する態度も柔らかいものになる。
――そして治療施設を出たあと、タクトの屋敷で働くことになるのだった。
異世界遊戯といえば例のアレ!
次回「0177話 これで勝負なのじゃ!」をお楽しみに。