0171話 地元民の人脈
気を失ったマツリカは、研究室にあるソファーで眠らせておく。簡易ベッドにもなるシェーズロング付きの、カウチソファーにしておいて良かった。
隣りに座ったベルガモットは心配そうな顔で、マツリカの手を握ったまま離さない。こんなにいい主人を裏切るような真似しやがって。後できっちり反省させてやる。
「あっ、タクト君だ。久しぶりだね」
「ご無沙汰しております、タクト室長。そちらに寝ていらっしゃる方は、ご病気なのですか?」
どうやら教室待機が解除されたようだ。ベニバナとローズマリーが研究室へ入ってきた。今日のドリルツインテールも、見事な弾性力を誇っているぞ。
「久しぶりだな、二人とも。さっき校門で騒動があっただろ?」
「危ないから教室を出るなって、言われちゃったよ」
「私の教室からは少しだけしか見えませんでしたが、黒いローブのようなものを着た人影が暴れていましたわね」
よしよし、ユーカリの幻影はうまく効果を発揮してるな。
「彼女はたまたま校門の近くにいて、巻き込まれてしまったんだ。投げ飛ばされたときのショックで気を失っているだけだから、心配しなくてもいいぞ」
「犯人はどうなりましたの?」
「学園長室に侵入してきたところを、メドーセージ学園長が取り押さえてくれた」
「よりにもよって学園長室に行くとか、捕まえてくれって言ってるようなものだよね」
警備員たちも打撲や、不全骨折程度だった。理性を失っていたとはいえ、どこかで手加減していたんだろう。一人残らず口止めの上、ミントの治癒術で治療は終わらせている。とにかく死人が出なくて何よりだ。
「それより、そっちの子は誰? ニームちゃんが呼び出されたのと関係してるの?」
「よく見るとタクト室長の付けてらっしゃる星章って、アインパエ帝国のものですわよね。ということは……」
「妾はアインパエ帝国第三皇女、ベルガモット・スコヴィルじゃ。この学園にしばらく通わせてもらうことになっておるので、よろしく頼むのじゃ」
自己紹介や俺が任命された守護者について、軽く説明しておく。さすがプロシュット家の長女。その辺りのことは、しっかり学んでいた。ジギタリスのやつに爪の垢を煎じて飲ませてやりたい……
さて、そろそろ本題を切り出そう。
「ベニバナに頼みがあるんだが、構わないか?」
「うん、いいよ。変なことじゃないよね?」
「頼みたいのは人探しだ。ここに寝ているマツリカはワカイネトコ出身なんだが、クミンという妹がいるらしい。姉の容態を知らせたいから、どこにいるか調べてもらえないか?」
「あっ、そういうのは得意だから任せて。うちの組合員に聞いたら、大抵の人はわかるから」
さすが地元でも最大規模を誇る、穀物卸組合の関係者だ。この街に関してのことなら、一番頼りになるな。
ベニバナから指示を受けたマロウが部屋を飛び出す。こらこら、廊下を走ったらダメじゃないか。
人質にされているのか、なにかの弱みを握られているのかは、わからない。しかしマツリカが失敗したと相手に知られれば、クミンに危害が及ぶ可能性がある。まずは情報を集めて、なるべく迅速に保護しなければならん。
ここからは時間との勝負だ。
◇◆◇
ワカイネトコを発ってからの事をニームたちに話していたら、マロウが帰ってきた。まだ一時間も経過してないぞ。早すぎるだろ……
「わかりました、お嬢! クミンって女の子は十六番地区にある保養所で暮らしているようです」
「病気なのか?」
「なんか昔から体が弱かったみたいですよ。親御さんは早く死んじゃって、姉の仕送りで生活してるって話でした」
どうやらかなり重い病気らしく、薬で症状を抑えるのが精一杯らしい。ワカイネトコの治療院では手の施しようがないから、マハラガタカへの転院を勧められているんだとか。マツリカの態度や多額の金が必要な件、色々と合致するな。
「とにかく会いに行ってみよう」
「私も行きます。兄さんだけだと、相手の子が怖がってしまいますからね」
「あの辺りはちょっと道が入り組んでるから、道案内は私がするよ」
今日の授業は途中で切り上げだし、研究室の活動も無しということで、ローズマリーは寮に帰ってもらう。コハクをベルガモットに預け、ミントを連れて部屋を出る。
ベニバナの案内で進んでいくが、確かに路地が多くて迷いそうな地区だ。そして細い道を抜けると開けた場所があり、白い壁の建物が見えてきた。窓の数からすると、あまり部屋は多くないな。
「こんにちはー。デュラムセモリナ穀物生産卸売協同組合の、ベニバナ・モッツァレラです」
応対してくれた職員に自己紹介すると驚かれてしまう。街で話題のコーサカ研究室が、なにをしに来たのかと。被験体とか探してるわけじゃないぞ。
とにかくクミンに面会をしたいと伝える。しかし夕方前に熱が上がり、話ができるかわからないらしい。誰かに狙われているとか言えないし、とりあえず顔だけ見せてもらうことに。
「ミントとマロウは、ここで待っていてくれ。なにかあったら呼びに来る」
「わかったのです」
「わかりました、親方」
「ステビアもここで待機です」
「はい、ニーム様」
衛生面に気を使う施設だけあり、従人の入室に神経質なんだよな。三人とも、そこらの上人より清潔にしているが……
まあいい、今はクミンの無事だけでも確認しておこう。
「こちらです」
案内された部屋に入ると、荒い呼吸でベッドに横たわる小柄な少女。細くて柔らかそうな髪は、マツリカより明るい色だ。頬は紅潮し額や首筋に、汗がにじみ出ている。
「重い病気だと聞いたが、どんな診断が出てるんだ?」
「ありとあらゆる検査をしてみたのですが、クミンさんの体は健康そのものなんです。しかしご覧のように、熱を出したり咳き込んだりと、体調を崩してしまいます」
「兄さん。この子、胸のあたりに魔力の淀みができています。この乱れ方はベニバナさんと似ているかも……」
「えっ!? もしかして私と同じ陰陽のギフトを持ってるの?」
「クミンのギフトについて、なにか聞いてないか?」
「彼女はまだ十四歳なので、ギフトは発現していませんね」
ニームのようにギフトとの親和性が高く、発現前から自覚症状が出ているんだろうか。あるいは絶滅したはずの魔毒症?
「俺の研究室が取り組んでいるテーマは、魔力の淀みが身体に及ぼす影響についてだ。魔導士のギフトを持ったニームは、魔力の流れを視ることができる。そして薬師のギフトを持つローズマリーが、緩和剤の調薬に取り組んでいる」
「どんどん効き目が上がってて、今はちょっと我慢すればいいくらいになった」
「ベニバナさんのことは、ワカイネトコで知らない人はいないというくらい有名です。もしクミンさんの病気が同じなら、その薬で……」
「塗り薬なので、ひどい副作用はおきないはず。万が一のときは室長の俺が責任を取る。クミンに投与しても構わないだろうか」
俺たちがそんな話をしていたら、ベッドの方で動きがあった。
「ガハッ……ゴフッ!」
「発作です! お願いします、すぐ薬を」
「ニームちゃん、これ」
「服を脱がせますから、兄さんは外に」
職員は緊急対応の準備をするため退出し、俺は部屋の前で待機する。もしこれでクミンの容態が改善できたなら、マツリカの問題はほぼ解決するはず。本人に説明して、学園の治療施設に入ってもらおう。そのあたりは室長の権限で、どうとでも可能だ。それに学園の敷地内でかくまえば、容易に手出しできまい……
「入っても大丈夫だよ、タクト君」
ベニバナに声をかけられ、思考を中断して部屋に入る。ベッドの上を見ると、先程の様子とは打って変わり、穏やかな表情で眠るクミンの姿が。
ここまで効能が上がっているとは、さすが伸び盛りのローズマリーだな。彼女の才能があれば、いずれ根治できるかもしれん。
「淀みの方はどうだ?」
「大幅に改善しています。体質なのでしょうか、ベニバナさんより効果が高いみたいですね」
「薬の効き方は個人差があるからな。体格や代謝によって大きく変わってしまう。クミンは長い闘病生活の影響で、年齢の割にかなり小柄だ。その辺りで違いが出ているのかもしれない」
駆けつけた救命救急スタッフに説明すると、拝み倒すような勢いで感謝されてしまった。女性スタッフの中には、涙ぐんでる人までいるぞ。クミンはここの職員たちから、大切にされていたってことか。
「んっ、……あ……れ? 新しい……治癒師の人?」
「気分はどうだ?」
「はい、すごく調子がいいです。なんだか体も軽いですし、胸のあたりのモヤモヤも消えました。こんなにスッキリしたのって、生まれて初めてかもしれません」
体調に問題がなさそうなので、クミンが抱えている病気について。そして学園の施設で、本格的な治療をしたい旨を伝える。
「私がそこへ行けば、お姉ちゃんの負担を減らせますか?」
「調薬や滞在にかかる費用は、コーサカ研究室がすべて負担する。生活費はある程度出してもらわねばならないが、今よりずっと少なくなるはずだ」
「お願いします。私を実験台にしてもいいですから、学園へ連れて行ってください。もうお姉ちゃんにばかり、苦労はかけたくないんです」
「実験台になどしないから安心しろ。普通の患者と同じように、薬の処方をするだけだ。問診だって世間話程度しかしないぞ」
よし。本人の意志確認もできたので、早速手続きを始めよう。療養所の職員と一緒に、退所の書類や同意書を作っていく。とりあえず一時的な転所ということにして、すぐクミンを連れて行くことに。あとはメドーセージ学園長と、マツリカのサインをもらえば、正式な手続きが完了だ。