0159話 丸く収まったのか?
かなり大きな火柱が上がり、街を行き交う人々が騒然としている。そっちの対処は冒険者ギルドと警備隊に任せているので、俺は気にすることなく現場へ急ぐ。しかしとんでもない高さまで、炎が伸びているぞ。あれは大阪にある丸いビルと、同じくらいじゃないか?
あの規模を魔法で再現しようと思えば、メドーセージ学園長くらいの魔力が必要になりそうだ。多少の犠牲を払ってでも、自分の身を守れと伝えているが、ちょっとまずい状況なのかもしれない。
レベル八十超えの身体能力を駆使し、裏通りを全力疾走する。先行したシトラスとシナモンが、そろそろ現場に到着するはず。
とか思っていたら炎が消えた。屋根の上でも平気で走っていける運動能力は、さすがに違う。シナモン単騎だったら、更に早く着いていたはず。
とにかく俺も急がなければ。
◇◆◇
すごいな、屋根がきれいに燃え落ちている。周りにあまり被害が出ていないとはいえ、ここが再開発地区で良かった。
ざっと見た感じ、ユーカリに怪我などなさそうだ。シナモンは横たわる上人を棒で突いているが、まったく反応がない。あれは完全に意識を失ってるな。
「大丈夫か? ユーカリ」
「旦那様っ!」
こちらへ走ってきたユーカリが、俺の胸にすがりつく。おー、よしよし。おとり捜査なんかさせて悪かったな。頭と背中を優しく撫で、一緒にしっぽもフニフニとモフる。
「怖い思いをさせて、すまなかった」
「皆さん弱すぎたので、全く怖くはなかったです。でも旦那様以外の人に触られて、吐き気がするほど不快でした。穢されてしまったわたくしを、旦那様の手で綺麗にして下さい」
「ああ、いいぞ。好きなだけ俺に甘えろ。今夜は一晩中モフって、忘れさせてやるからな」
「嬉しいです、旦那様」
ユーカリをさらに強く抱き寄せ、両腕で体を包み込む。少し離れた場所にいる従人たちを見ると、かなり落ち込んだ顔で佇んでいた。お前たちは一等級と二等級だろ。レベルをカンストさせても、強さは二百五十六と五百十二相当だ。
しかしユーカリは四等級のレベル六十八、強さでいうと五百四十四相当になる。どれだけ頑張っても、勝てるはずがない。この中で一番強いのが茶色の猫種だとすれば、三人がかりでも相手にすらならないだろう。
「いつまでもイチャついてないで、これからどうするか決めてよ。やることがなくなって、ストレスが溜まってるんだからさ。暇つぶしにそこの三人をぶちのめしてもいい?」
「待て待て、シトラス。どう見ても戦意喪失してるだろ。弱い者いじめは格好悪いぞ」
「「「・・・・・」」」
おっといかん、更に落ち込ませてしまった。なにせシトラスはレベル七十五。一等級換算だとレベル六百だ。ユーカリが弱いと断言する相手なら、目をつぶっていても勝ててしまう。
「おーい、シナモン。そっちの様子はどうだ?」
「……ピチピチしなくなった。血抜きする?」
そこに横たわってるのは、魚じゃないぞ。もしかしたら首謀者へつながる情報が聞けるかもしれないし、血抜きはやめておけ。
しかしシトラスたちが到着する前に終わっていたとは。あの巨大な火柱といい、いったい何があったんだ?
「とりあえず経緯を説明してくれ」
「あぁ……旦那様のたくましい腕、そして優しい匂い、とても落ち着きます」
仕事が終われば好きなだけ抱きついていいから、そろそろこっちの世界へ帰ってこい。このままでは埒が明かないし、アレをやるか。
俺はユーカリの大きな耳をそっと持ち上げ、そこへ唇を近づけていく……
「少し聞きたいことがあるから正気にもどれ」
「旦那様っ……そんな風にささやかれると、体が熱くなってしまいます。わたくしは何時でも何処でもどんな時も大丈夫ですから、旦那様のお好きなように――」
体をブルっと震わせたユーカリが、頬を染めながら上を向く。そして俺と視線が合い、恍惚としていた瞳に光が戻る。
「……わたくし、今まで何を」
「白昼夢を見ていたようなものだ。気にしなくてもいい」
やたら名残惜しそうに見つめるので、抱きしめたまま話を聞く。そうかそうか。アイツラが俺をバカにしたから、全力で魔術を行使したんだな。その怒りが難燃性の素材を灰に変え、三人を幻術で倒す原動力になったのか。一番怒らせてはいけない人物の逆鱗に触れるとは、救いようがないほど愚かな連中め。
「街のどこからでも見えてたから、いい目印になったよ」
「……前に登った柱より、高かった」
「とにかくよくやったな、ユーカリ。大手柄だ」
ユーカリの頭を撫でてやりながら、倒れている三人組を見る。さっきシトラスが言っていたとおり、俺も尋問する気満々だったので、微妙に消化不良だぞ。まあ幻影の炎に包まれるという、最高の恐怖を味わっている。それで溜飲を下げておこう。
そろそろ支部長と警備隊が来るだろうし、残った問題は従人たちだな。
「逮捕と同時に契約解除されると思うが、お前たちはどうする? 少しでも罪を軽くしたいなら、逃亡や反抗しないほうが身のためだ。略奪や窃盗の前科がなければ、刑期も短くてすむ」
「こんな仕事は早く辞めたかった。素直に取り調べを受けるつもりだ」
「誰かを騙したり誘拐したり、そんなのもうやりたくない」
「これまでのこと、洗いざらい話す。そして今度はあなたみたいに、従人を大切にしてる人と契約したい」
従人は契約主を選べない。だから犯罪者に使役された者は、不幸になるケースが多い。彼らもそうした被害者の一角だ。罪を軽くする方法は一つ。抵抗せずに捕まって契約解除した上で、制約に縛られない証言をする。この様子だと、問題ないだろう。
「それで……、その。もし良ければ、そちらにいる狼種の従人を、紹介してもらえないだろうか」
「シトラスをか?」
「屋根の上からその姿を見た瞬間、俺は恋に落ちた。銀色に輝く髪としっぽ、そして陽の光にも負けない笑顔。もちろん声も素敵だ。これまで生きてきて、彼女のように美しい女性を見たことがない。こうして出会えたのは運命だと思う。だから俺と繁殖してくれ」
気持ちはわかるが、いきなり繁殖はないだろ。お前は盛りのついた犬なのか?
「おっ、俺は、猫種の子と付き合いたい。港で攻撃を止められた時は怖かったが、いつの間にか胸の高鳴りに変わっていた。その眠たげな目、光りを受けて変化する美しい髪としっぽ、目を閉じるたびに思い出す。あの時から、ドキドキが止まらないんだ。こうして近くにいるだけで、胸のトキメキが加速していく」
恐怖からくる胸の鼓動を、恋と錯覚してしまう。それは吊り橋効果っていうんだぞ。
「頼む、兎種の子と会わせてくれ。あの小さくて可憐な姿。幼いのに母性を感じる体つき。全てが俺の好みにピッタリだった。彼女と一緒に街を歩いたり、同じ食事を分け合ったりしたい。そして毎晩膝枕をしてもらいながら、眠りにつきたいんだ」
ちょっと待て、お前の年齢は三十歳近いだろ。ロリコンか、ロリコンだな! そんな奴に可愛い娘はやれん。ミントと付き合いたいなら、俺を倒してからにしやがれ。
「ボク、弱いやつに興味ないから、お断りだよ」
「……あるじ様、斬っていい?」
「ミントさんは身も心も旦那様に捧げていますし、シトラスさんとシナモンさんも同じです。あなた方の入る余地など、これっぽっちもありません。身の程をわきまえてください。今度同じことを言ったら、燃やしますよ」
――ボウッ
「「「ヒィッ!!」」」
狐火を出したユーカリに凄まれ、三人は気を失ってしまう。きっとさっきのことを思い出したんだな。人の体くらいだったら、一瞬で消し炭になる熱量だったし……
「えらく派手にやったな。全員死んでるのか?」
「精神的に死んでるだけで、外傷はないぞ」
ちょうどいいタイミングで支部長が来た。警備兵たちは、やじうまの整理中か。とっとと引き継ぎをして屋敷へ戻ろう。ベルガモットの護衛任務は、まだ継続中なのだから。
◇◆◇
途中でユーカリを着替えさせ、四人で屋敷へ戻る。会談は無事に終わったようだ。会場の雰囲気はなごやかだし、うまくいったのだろう。
「そこにいる狐種を、ボクチンにくれるんだねぇ! 見たこと無い毛色だし、胸も大きいじゃないかぁ。ふひひひひぃ。ボクチンに奉仕させるのが、楽しみだなぁ」
突然立ち上がったジギタリスが、俺の方へ歩いてきた。会場の雰囲気をぶち壊しやがって、本当に空気の読めないやつだ。
気持ちはわかるが、魔術は無しだぞユーカリ。さっきは無意識に狐火が出てたしな。こんな所でそれをやると、ベルガモットの苦労が台無しになる。
「おっ、お前というやつは……。まだそんなことを言ってるのかっ!」
「さっき約束したの、パパも聞いてたでしょぉ。やっぱりロブスター商会は、いい従人がそろってるねぇ。そんなメスを連れてくるなんて、チミのこと少しだけ見直したよぉ」
「……もういい。ジギタリス! お前は別荘のある島で謹慎しておけ」
「あんな何もない島、行きたくないよぉ」
さすがに今回は、ブチ切れたらしい。来賓者たちに白い目で見られながら、ジギタリスは私兵に連行されていく。どうして怒られたのか、さっぱりわかっていないようだ。ユーカリを連れて行くだの、遊び道具とお菓子を用意しろなどと、私兵に向かって怒鳴り散らす。
「不快な思いをさせてすまなかった」
「いや、俺に謝罪は不要だ」
「あれはワシが年を取ってから、やっと出来た初めての子供でな。妻に先立たれたこともあって、ついつい甘やかしすぎた」
確かに当主の年齢って六十歳くらいだもんな。祖父と孫くらいの年齢差がある。ずっと不思議に思っていたが、そういう事だったのか。
この世界に不妊治療なんて無い。名家の当主だけに、世継ぎを作れというプレッシャーも、大きかったことだろう。そんな中で授かったから、ついつい甘くなってしまったと……
「彼を見ていると、大切に育てられたのだとわかる。ただ、失礼を承知で言わせてもらうと、もっと教育に力を入れるべきだったな」
「いやはや、本当に耳が痛い。きみは実によく出来た男だ。どうかねタクト君。もし良ければ、当家の養子として迎えたいのだが」
「やめとけ、やめとけ。こいつを息子になんかしたら、アンキモ家を乗っ取られるぞ。そしてタウポートンを牛耳りかねん」
話に割り込んできたのは、セイボリーさんだ。どう断ろうか思ってたので、正直助かった。この人のことだから、その辺を読んでたんだろうが。
「お前の商会だってタクト君と契約してるだろ。独占するのは関心せんぞ」
「こいつはただの外部顧問だ。それくらいの距離感で付き合っておかないと、うちの商会だってどうなるかわからんからな」
こらこら、セイボリーさん。タラバ商会を乗っ取る気なんて無いぞ。それにタウポートンを牛耳ったりもしない。そんなことをしたら、気ままに旅ができなくなるだろ。俺はいろいろな場所に行って、従人たちの待遇が少しでも良くなるよう種をまく。それが今のライフワークだ。
「ヘリオトロープ様に意見するとか、すごいなあの青年は」
「あのヘリオトロープ氏が、名前に敬称をつける相手だぞ。かなり気に入られてるってことだ」
「あんな若者に頭を下げるヘリオトロープ殿の姿、初めて見たわい」
「守護者に人格者が多いという噂は、本当だったということか」
「ベルガモット皇女と懇意にしておけば、回り回って我々にもアンキモ家の恩恵が……」
なんか面白い流れになってきたぞ。風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな感じだろうか。ベルガモットの近くに来賓者たちが集まりだす。
思わぬ形になったが、今回の園遊会は大成功だったってことになりそうだ。
次回で第10章が終わりです。
暖炉の前でユーカリとイチャコラ始める主人公。
「0160話 タクトの思惑」をお楽しみに。