0156話 誘拐
タクトに軽くあしらわれたジギタリスが、屋敷の中をズンズン歩いて行く。園遊会の準備や対応で忙しい使用人たちは、誰も彼のことなど気にしていない。もっとも、普段から残念な言動が多いので、積極的に関わろうとする者は少ないのだが……
使用人たちからそう扱われていることなどつゆ知らず、ジギタリスは地下倉庫にある扉の鍵を開ける。奥に続いているのは、魔道具の光でぼんやりと照らされた階段。ここは有事の際に、当主が避難する目的で作られた、隠し通路だ。
政敵の多かった貴族家には、こうした設備が少なくない。通路自体が一種の結界になっているため、経年劣化や外的要因による崩落を免れている。
通路の行き止まりには上り階段があり、今は使われていない馬小屋へつながっていた。そこは屋敷を取り囲む塀の外になっているため、厳戒態勢が敷かれていない場所。そしてアンキモ家の私有地ということもあり、人の目にも触れにくい。
「約束のものは、どこにあるのかなぁ?」
「この場に従人を連れてくると目立つ。園遊会が終わったら中央区の広場に来てくれ。そこで引き渡そう」
「こうやって協力してるんだから、絶対にだぞぉ」
「わかってるから心配すんな。それより一目でいいから皇女様を見てみてぇんだ。早く案内してくれよ」
小屋の外で待機していたのは、整髪剤で髪をきっちりセットした背の高い男と、パーマをかけたロン毛の男。二人とも安物のスーツを身に着け、早くしろとジギタリスを急かす。ベルガモットをさらうチャンスは少ないため、焦っているのだ。
「仕方ないなぁ。連れてってやるから、感謝しろよぉ」
上から目線のジギタリスに辟易しながら、二人の男は狭い通路を歩く。そしてしばらく進むと、地下倉庫へ到着する。
「ほー、こんな場所に繋がってるのか」
「その辺の物に触れたらダメだぞ、ボクチンが怒られるからねぇ」
「そんな事しねぇって、俺たちの目的は別だからな」
「ボクチンの友達ってことにしとくから、ちゃんと言うこと聞くんだぞぉ」
屋敷に入ってしまえばこっちのものだ、二人はそんなことを考えながら、ジギタリスの後ろでほくそ笑む。周囲の状況と、屋敷のレイアウトを頭に叩き込んでいた二人へ、女性の使用人が声をかけた。
「ジギタリスお坊っちゃま、そちらのお二人は?」
「またチミかぁ……、なにか文句でもあるのぉ?」
「いえ、お見かけしたことの無いかたなので、お声がけしただけです」
メイド長の女性は、見慣れない二人へ鋭い視線を向ける。並々ならないプレッシャーを受け、愛想笑いを浮かべた二人が襟を正す。
「この二人は、ボクチンの友達だよぉ。どうしてもって頼んでくるからさ、しかたなく連れてきてあげたんだよぉ」
「はっ、初めまして。ジギタリス様に無理を言って、参加させてもらいました」
「へへへっ。ジキタリス様には、いつもお世話になってるんっすよ。ほんと、できた息子さんっすね」
「友だちが遊びに来るくらい、問題ないでしょぉ?」
ジギタリスの言葉で、メイド長は困った顔をした。
「ジギタリスお坊ちゃまもご存知かと思いますが、本日は特別な来賓の方々が当家にいらっしゃいます。来客リストにない方を連れてこられては、旦那様といえどもお許しにならないかと」
「パパにはちゃんと言ってるよぉ。ボクチンのやることにいちいち口出すのは、やめてくれないかなぁ」
「失礼しました、ジギタリス坊ちゃま」
こう言われてはメイド長といえども、黙るしかない。当主が溺愛する息子に苦言を呈し、更迭された使用人は数多く存在する。さすがにこれ以上の追及はできなかった。
「ボクチンたちは二階にいるけど、余計なことはしなくていいからねぇ」
「かしこまりました」
式典の準備で猫の手も借りたいほどだったメイド長は、これ幸いとばかりに立ち去っていく。二階へ上がったジギタリスは、応接室へ二人を押し込む。
「ここからなら庭がよく見えるよぉ」
「なかなか良い眺めじゃないか」
「皇女様がこっちに歩いてくるぜ」
「ボクチンにも出ろって言ってたあれかなぁ……」
ジギタリスは式典に参加しろと言われていたことを思い出し、自分が迎えに来るまで部屋を出るなと二人に言い、一階へ降りていった。しかしそんなことを聞く二人ではない。絶好のタイミングだと、小さなマジックバッグから服を取り出し、大急ぎで着替える。
使用人の格好でこっそり一階に降り、ベルガモットが入っていった部屋を確認。扉の前で警備していたマツリカを騙し、タクトの元へ向かわせた。
――ガチャリ
「まだ着替えの準備中じゃぞ。もうしばらくしたら呼ぶので、外で待っておるのじゃ」
「着替えは中止だ」
「お主たち、何者じゃ!」
「大きな声を出すんじゃねぇ。手荒なことはするなって、言われちまったからな」
長髪の男に凄まれ、ベルガモットは声をつまらせてしまう。それを抵抗の意思なしとみた二人は、猿ぐつわをかませてから両手足を縛り上げる。
「うー、うー、うー!!」
「暴れるんじゃない。意識を刈り取ってから運んでもいいんだぞ」
「まったく、こんな服を着やがって。運ぶのが大変じゃねぇか」
背の高い男が筒状のカバンを取り出し、ベルガモットを手荒に押し込む。しかし大きなスカートが邪魔になり、なかなかうまく入らない。強引に詰め込んだあと、屋敷の地下へと向かう。そして鍵が空いたままの扉を抜け、女の待つ馬小屋へたどり着く。
「首尾はどうだい?」
「バカのおかげで、あっさり侵入できたぞ」
「なんか始まるみてぇで、屋敷にほとんど人がいなくてよ。楽勝すぎて拍子抜けしちまうくらい、ちょれぇ仕事だったぜ」
「ターゲットを確保したんなら、とにかく退散しようか」
ベルガモットの入ったカバンを三人で担ぎ、裏道から西区を抜ける。商売の盛んな街ということもあり、大きな荷物を持った三人は誰にも見咎められることなく、ベルガモットの誘拐に成功するのだった。
◇◆◇
旧倉庫街にある廃屋の扉が、きしんだ音をたてながら開く。契約主の帰還に気づいた三人の従人が、扉の近くへサッと集まる。そして筒状のカバンを受け取り、部屋の奥へそっと運ぶ。中からほのかに漂ってくる、とても良い匂いに少し落ち着かなくなりながら……
「ぜんぜん動かないけど、死んでるんじゃないよね?」
「手足を縛って、喋れなくしただけだ。傷物にするなというオーダーだったからな」
「騒いだら痛めつけるって、脅したせいじゃねぇか?」
「なにが目的かは知らないけど、アインパエの皇族ってのは嫌われてるんだね」
「どうせ身代金でも要求するんだろ。こんなガキでも皇族だもんな」
「まあ依頼主がなにをしようが、俺たちには関係ない。お前ら、人質をカバンの中から出してやれ」
背の高い男が命令すると、黒い狼種の従人がカバンを開け、他の二人と協力しながらベルガモットを外に出す。乱暴に運ばれて髪や着衣は乱れているが、誘拐犯たちを睨む目は力強い。
「へー。まだ目が死んでないなんて、やるじゃん。やっぱり皇族様は根性があるみたいだね」
「ふん、強がっても無駄だぞ」
「泣き叫ぶ声が聞きてぇから、猿ぐつわを取ってやろうぜ」
長髪の男が目配せすると、猫種の従人が猿ぐつわを外した。ベルガモットは大きく深呼吸をし、再び男たちを睨む。
「お主たちの目的は一体なんじゃ」
「俺たちゃお前を攫えって、依頼を受けただけだぜ。その後のことなんざ、知らねぇよ」
「誰に頼まれたのじゃ」
「俺たちはプロだ。依頼者の情報を明かすわけ無いだろ」
犯人の目処は立っている、政権を追い落とされた叔父に連なる者だ。その大半は既に拘束されているが、数名の支援者と息子が一人、まだ捕まっていない。そのうちの誰かが、南方大陸へ不法入国しているんだろう。
「妾をどうやって依頼主に引き渡すのじゃ? すでに街は厳戒態勢になっておるはずじゃ」
「夜になったら依頼主の手下が来るから、そいつに引き渡したら私たちの仕事は終わりさ」
「そんな悠長なことを言っておって良いのか? こんなに大きな建物、すぐ見つかってしまうと思うのじゃが」
「人質の分際で、そんな心配をしなくていい。俺たちのことより、まずは自分の身を案じたらどうだ」
「けっ! 恐怖に震える声が聞きたかったのに、面白くねぇやつだな。ここはとあるお貴族様の私有地なんだぜ。しかも再開発地区ってことで、立入禁止になってる。人が来るわけねぇだろ」
「周りに民家もないし、助けを呼んだって無駄だよ」
港へ着くと同時に襲ってきたタイミング、そして彼らの喋り方。屋敷から運ばれた時の状況を考えても、三人にはかなり土地勘がある。つまり彼らは現地で雇った〝なんでも屋〟で間違いないと、会話から次々情報を集めていく。
「ここで暴れても、誰にも迷惑をかけんという事じゃな」
「俺たちを倒そうってのか? 魔法も使えねぇやつが、なに言ってやがる」
「いくらアインパエの技術が優れていても、装飾品の大きさで大した威力は出せん。無駄なことはやめておくんだな」
「大体さぁ、六対一で勝てると思ってるわけ?」
「そんな事まで知られておったとはのぉ……」
これで首謀者がかなり絞り込める。そして周りの状況も確認できた。ここに来る手下も、現地で雇った者だろう。なにせ廃屋に着くまで、かなり複雑な経路を辿っていたのだ。そうした裏道を知らなければ、警備隊の目をかいくぐるのは難しい。
「痛い目にあいたくなかったら、大人しくしておけ」
「変なことすると、つい手がすべっちまうかもしれねぇぜ」
「こいつなんて、最初はあんたを殺そうとしてたんだよ」
「殺そうとですか。なるほど、よくわかりました。つまり遠慮は無用ということですね」
口調の変わったベルガモットが、すっと上体を起こす。いつの間にか手足を縛っていたロープは、切り落とされていた。
――そしてその姿が、ゆっくりとブレていく。
次回は視点が戻り、誘拐直後の時間軸へ。
「0157話 内通者」をお楽しみに。