0138話 卒業証書
誤字報告ありがとうございました!
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この話で第9章が終了です。
シナモンとジャスミンからテストの答案を受け取り、それの採点を進めていく。この街に来てから勉強を頑張っただけあり、二人とも読み書きは完璧になった。
「ジャスミンは百点だな、偉いぞ」
「うふふ。これで卒業かしら」
「ああ、卒業証書をやろう」
俺はマジックバッグからハンコを取り出し、手の甲に軽く押し付ける。そこに転写されたのは、お湯で簡単に洗い流せる染料を使った、赤い桜の花。ジャスミンのサイズだと、手の甲いっぱいになってしまうな。
「シナモンは一問だけ間違っていた」
「……うにゃー。卒業、できない?」
「いや、これはうっかりミスだ。計算自体はちゃんと出来てるから、小数点さえ付け忘れなければいい」
俺はシナモンの手にも、ハンコを押してやる。それを自慢気に掲げ、二ヘラと笑いかけてきた。うんうん、やっぱりシナモンの笑顔は、癒やし効果抜群だ。
「やったわね、シナモンちゃん」
「……頑張った」
「これだけしっかり計算できるようになったら、買い物だけじゃなくて商売にも手を出せるぞ」
俺はバンザイをしながら喜ぶ、シナモンとジャスミンの頭へ手を伸ばす。さわさわと撫でてやったら、二人一緒に抱きついてくる。よしよし、そんなに嬉しいか。ご褒美に羽としっぽもモフってやろう。
地頭がよく、乾いた砂が水を吸うように覚えていくシトラス。コツコツやるのが得意で、一歩ずつ前進していったミント。元から高い教養があり、応用にも長けているユーカリ。褒めるとグングン伸びていく、頑張り屋のシナモン。少し気分屋だが、やることは正確なジャスミン。
基本的な読み書きに加え四則演算も出来るようになれば、生活していく上で困ることが無くなる。特に計算に関しては、そこらの上人より出来るだろう。
「あのー、兄さん」
「どうした、ニーム」
「この子たちって、余りの出る除算も出来るんですか?」
「もちろん出来るぞ。なにせ小数の付いた四則演算を、マスターしてるからな」
分数には手を出してないものの、正負の概念や四則混合算までは覚えさせた。なにせ俺が持つマイナス四千九十六という数字の意味や、品質の十六倍が必須になる支配値。そしてレベルアップに必要な、等差数列の和で増えていく経験値。これらを理解するには、そうした概念が不可欠だからな。
俺の答えを聞いたニームが、隣りにいるベニバナをちらっと見る。
「私そこでつまづいて勉強が遅れたんだよ。もっと早くタクト君に会ってれば、落ちこぼれなくてすんだのにー」
「私たちはまだ入学初年なんです。ここからでも十分追いつきますよ」
「そうかもしれないけど、なんでローリエのほうが私より勉強できるのさー」
「んーと、覚えるのすごく楽しいから!」
「分けて、その才能分けてっ!!」
十六歳のいい大人が、十歳の少女に泣きつくんじゃない。そもそもローリエは瞬間記憶の異能持ちなんだぞ。競う相手を間違ってる。
そしてニームの言う通り、勉強の遅れくらいすぐ取り戻せるだろう。なにせ学年主席のニームと、学年三席のローズマリーがいるんだ。そんな二人から教えを受けるとか、これ以上ない英才教育だろ。
「完成しましたわ!」
勉強の手を止めてそんな話をしていたら、ローズマリーが勢いよく椅子から立ち上がる。初見で完成させてしまえるんだから、薬師のギフトってのは本当に凄い。
「出来はどうだ?」
「そうですわね。私の練度が足りないこともあって、下の上といったところでしょうか」
「太古の製法を再現した上、いきなり完成品まで持っていけたんだ。成果としては上々だろ」
「何度か失敗しましたけど、タクト室長にそう言っていただけると、嬉しいですわ」
ん? 俺の敬称が室長になってるぞ。まあ今日から本格的に活動開始だし、問題はないんだがな……
「どうするの、すぐ試す? 私はいつでも大丈夫だよ」
「できれば早いうちにお願いしたいですわね」
微妙に元気を取り戻したのは、勉強から逃れるためか?
ソワソワしだしたベニバナを、ニームが呆れ顔で見つめている。まあ初日から、あれこれ詰め込むこともあるまい。息抜きだって大切だ。
「この近くに陽へ傾いた土地がある。そこに行ってみるか」
「うん、わかった」
「了解しましたわ」
研究室を施錠し、学園長に一言告げてから、全員で外へ向かう。やはりこのメンバーで校内を歩くと、目立ってしまうな。特に男の従人は立ち止まったまま動けなくなり、リードで引っ張られるやつも出る始末。
なにせシトラスがここに来るのは初めてだ。噂を聞いたり街で見かけたことがあったとしても、理解できているのは彼女のほんの一部だけ。この距離まで近寄られると嫌でも気づく。花のように爽やかな香油の匂いや、極上の糸すら霞んで見える美しい髪やしっぽに……
学園内には犬種や狼種といった、護衛に向く従人を連れている学生が多い。耳には俺が贈った金色のイヤーカフをつけ、ブラッシングしたばかりのしっぽは、白銀に輝いている。あのセルバチコですら見とれてしまう魅力に、若い従人が反応しないなどありえん。
「うーん……以前、兄さんが言っていた通りになりましたね」
「俺たちは学園という閉鎖空間に入り込んだ、異物のようなもの。こうして過剰反応してしまうのは仕方がない」
「それにしても、みんなスキが多すぎじゃない? ボクたちに悪意があったら、大変なことになっちゃうよ」
「学生に使役されている従人は、どうしても経験不足になりがちだからな。実戦を積んできたお前たちと一緒にするのは、酷というものだぞ」
俺たちの話を聞いていた連中に緊張が走る。ちょっと今のは刺激的すぎたか。警備体制がしっかりしているだけあって、学園のある敷地は特に安全性が高い。心配しなくても、ここでなにか起きる可能性は、かなり低いぞ。
なにせ殺傷力の高い事象改変を霧散させる、結界が張られているくらいだ。しかも警備員が使役している従人は猛者揃い。シトラスやシナモンのように高い身体能力を持っていたり、魔術や精霊召喚という術理の異なる力を使われない限り、安全が脅かされることはないだろう。
とにかく今のうちにここから離れようと、俺たちは校舎の外へ出る。目指すはワカイネトコ大図書館。道路を挟んだ向かい側だ。
「こんな近くに私の体調が変化する場所ってあったの!?」
「普通は入れない場所なんだが、図書館の裏に閉架書庫の建設予定地がある」
「あの高い塀で囲まれた場所ですわね」
「ジャスミンに上から覗いてもらったら、例の花が咲いていたんだ」
「黄色だったから、笑いがこみ上げてくる場所ね」
「事情をヒソップ館長に話して、中へ入る許可をもらっている。学園長にも確認したが、あの辺りに地下の構造物はない。ベニバナのギフトも、よく反応すると思う」
この距離なら簡単に行き来できるから、その都度効果を確かめることも容易い。思い立ったらすぐ行動できるのは、モチベーションの維持につながる。考察が翌日に持ち越しなんてことになれば、気になって勉強が手につかなくなるかもしれないからな。
そして効率的に試作を繰り返すことで、ローズマリーの練度も上がっていく。まずは学業に影響が出ない範囲でスタートダッシュを決め、俺たちがこの街を離れる前に、ある程度の目処を付けてほしい。
そんな説明をしながら警備室の中に入れてもらい、事務室で待っていたヒソップ館長に挨拶する。部屋の奥にある扉を開いて階段を降りれば、建設予定地の空き地だ。
「ねえ、タクト君。きっとこんな場所は他にもいっぱいあると思うけど、特に気をつけないといけない所ってある?」
「例えば北方大陸にある火山地帯とか、温泉は気をつけないとだめだ。ああいった場所は、お湯の中に様々な成分が溶け込んでいる。岩をくり抜いただけとか、流れるお湯をせき止めて作った場所は、自然の状態に近いからな。完全に症状を抑え込める手段が確立するまで、近づかない方がいい」
「あの頃より薬学は進歩してるんですもの、もっと効果的な薬を必ず完成させてみせますわ」
「ありがとう、ローズマリーさん。期待してるね」
扉を開けて外に出ると、図書館と同じ広さの更地が目に飛び込む。雑草があちこちに生え、ほとんど手入れがされていない。端っこに土管が置かれていたら、昭和のノスタルジーを感じられるかも……
「ベニバナさんの魔力が乱れてきましたね。体調はどうですか?」
「あっ、うん……えへへ。前と……ふふっ、おんなじ。意味もなく……うひっ……笑えてきた」
「なるほど、このような反応を示すわけですか。では、緩和剤の試作品を使ってみて下さいませ」
「私が塗ってあげます」
ローズマリーから軟膏を受け取ったニームが、ベニバナの首筋に塗っていく。揮発性の材料を使っているのか、鼻の奥がスーッとするな。前世でアレルギー性鼻炎の時に使った、塗る風邪薬みたいな匂いだ。
「失敗はしていないと思いますけど、効果はいかがですか? ベニバナさん」
「あはっ……凄いよ、笑い転げちゃいそうな感じが……むふふ……ちょっとマシになった」
「とりあえずここを離れて学園長へ報告しよう。初日でこれだけの結果を残せるなら、研究室の存在意義を学園も認めてくれる。この調子で少しずつ、実績を積んでいけばいい」
これはギフトの力だけでなく、ローズマリーの資質が優れているからだろう。過去の成功体験や、既存の正攻法にこだわらず、新しいことにチャレンジできる。そうした柔軟性を持っているから、太古の製法を再現できた。
経験を積んで自分のやり方が確立してしまったような調薬師だと、なんど作っても失敗していたかもしれん。まだ学生のローズマリーに頼んだのは、ベストな人選だったということか……
今のうちにこうした挑戦を重ねておくと、この先きっと大成するはず。ニームやベニバナもそうだが、将来が楽しみな子に出会えたものだ。この調子なら、近いうちに今後の見通しが立つ。旅の準備を進めながら、ローズマリーの成長を見守っていこう。
次章から舞台は再びタウポートンへ。
また増えていく主人公の肩書、そしてあの人物が親子で登場。
さらに準レギュラーも!?
第10章「タダほど怖いものはない」を、お楽しみに!