0135話 嘘も方便
学園長室を全員で出たあと、授業が行われるコの字型をした本棟から、研究棟や実験棟のある場所へ向かう。やはりシャレにならないくらい広いな、ここは。学園だけでも本棟と事務棟、そして研究棟が二つに実験棟と講堂がある。更に少し離れた場所に学生寮まであるし、下手すると俺でも迷子になりそうだ。
「それにしてもタクト様。いつ家名を取得されたのですか? 以前ご挨拶したときは、まだお持ちじゃなかったですわよね」
「ニームと一緒に登校した日に、学園長とギルドへ報告に行ってな。そこで人命救助の功績が認められて、五つ星に昇級できたんだ」
「なるほど、そういうことでしたか。ですがコーサカという家名なんて、初めて聞きますわ。差し支えなければ由来など教えていただいても?」
前世の名字です、とはさすがに言えん。俺は検索サイトで自分の名字を調べてみた時のことを思い出す。確かルーツは地名だったはず。
「ここにいるコハクも、古代語であるハクという言葉から名前をつけたんだが、香坂も同じだ。響きが良い古代語の街路名から拝借した」
「そういえば先ほど古文書を読んでらっしゃいましたけど、古代語がわかるなんて素晴らしいですわ」
そんな目で見るなよ学園長、バカ正直に伝えるわけにはいかんだろ。プロシュット家はスタイーン国の才人なんだぞ。身バレのリスクはなるべく回避したいからな。嘘も方便ってやつだ。
「ちなみに父親はミートだったが、家を出たあとは好きにしろと言われていたので、まったく別の家名にしようと思ってな。あまり馴染みのない言葉にしてみた」
「ありふれた家名より、オシャレでいいと思いますわ」
前世でいうところの〝佐藤〟や〝スミス〟みたいな名字を告げておく。スタイーン国には掃いて捨てるほどあり、悩んだら〝ミート〟か〝ラード〟にしておけと言われる家名。これでバレることもあるまい。
「ほれ、ここがお主たちの研究室じゃ。収納場所が多くて、便利なはずじゃぞ」
ドアがいくつも並ぶ廊下をしばらく歩き、連れてこられたのは二階にある少し大きめの部屋。ここに着くまで部屋をいくつも通り過ぎたが、建物の規模に比べて人が少なく、長年使った形跡のないドアも多い。さきほど言っていたとおり、学園側が囲い込んだ人物の研究室なんだろう。
「こじんまりとしていますが、使いやすそうな部屋ですわね」
「この人数だと、少し広すぎないか?」
入って左側の壁は、全面が作り付けの収納スペース。腰の高さまである引き出し部分には中天板がつき、その上に細かく仕切られた棚が伸びている。備え付けの流し台まであるのか。
机と椅子をいくつか置いて、中央に大きなテーブルを設置しても、二十人くらいは余裕で作業できそうだ。
「今後人が増えるかもしれんからな。それにタクト君がどの従人を連れてくるのか、皆が楽しみにしとるんじゃよ。ここなら全員が来ても問題ないじゃろ?」
ちょっと待て、俺の従人は見世物じゃないぞ。それに研究の目的が特殊すぎる。有象無象の輩が増えても、役に立てるとは思えん。
「あら、それはいいですわね。今度、狐種の子を連れてきて下さいませ。私あんな綺麗な従人を見たことがなくて。いちど間近で拝見したいですわ」
「それは別に構わんが、代わりにそっちの従人も紹介してくれ」
「それくらいお安い御用ですわ。ルッコラ、こちらへ来て挨拶なさい」
「はい、お嬢様」
羊種の従人が俺の前に立ち、きれいなお辞儀をしてくれた。ベージュの毛並みは珍しい色ではないものの、存在自体が少ないからな。しかも二等級の品質五番だ。さすがサーロインより歴史のあるプロシュット家。入手難易度でいえば、白い虎種のステビアより上だろう。
「俺の名前はタクト・コーサカ。兎種の従人がミントで、肩に乗っている霊獣はコハクだ。これから何度も会うことになると思うが、よろしく頼む」
「ミントです。よろしくお願いしますです」
「キュイッ!」
「ローズマリーお嬢様のお世話をさせていただいている、ルッコラと申します。至らぬ点もあるかと存じますが、よろしくお願いします」
一瞬ためらいを見せたものの、俺の差し出した手をルッコラが握る。みずみずしい肌をしているし、毛艶や顔色もいい。しっかり食べて清潔にしている証拠だ。
年齢は二十歳くらいだろうか。スラリとした体型の美人さんなので、男物の燕尾服がよく似合っている。いつかそのしっぽをブラッシングしてやるからな!
「あっ、タクト君。この子も紹介するね。こっちに来て、マロウ」
「わかりました、お嬢」
身長はユーカリより少し低いくらいだろうか。顔つきにも幼さが残ってるし、まだ成人してないのかもしれん。それでも全身から力強さを感じるのは、さすが熊種といったところ。ボディーガードとしてはぴったりだ。
「これからよろしくな、マロウ」
「こちらこそ、よろしくお願いします、親方!」
俺が差し出した手を、ガシッと握ってきた。女性にもかかわらずこの握力、レベルはどれくらいなんだろう。一等級だから仕事を数年こなすだけで、二十くらいまでは上げられるはず。なにせレベル七十八の俺に、力負けしてないからな。
「お嬢が言ってたとおり、かっこいい人ですね、親方は。しかも上人なのに、結構力があります」
「ちょっ、マロウ!?」
「まあレベルがそこそこ高いからな。それに普段から、少しは鍛えている」
シナモンの抱っこで!
「昨日のお嬢は帰ってから、ずっと親方の話ばっかりしてたんですよ。おかげで夜更かししすぎて、私も寝坊しちゃいました」
「だから遅刻しそうになったわけか。それで、どんな話をしたんだ?」
「やることは無茶苦茶なのに、ちゃんと危険のないよう配慮してくれてるとか。散々な目にあったけど、最後に優しい言葉をかけてくれたとか。真剣に取り組んでる横顔が素敵だ――」
「――やめてマロウ、それ以上言ったらダメェェェーーッ」
顔を真っ赤にしたベニバナが、マロウの口を両手で塞ぐ。ローズマリーのやつ、ワクワク顔で俺たちとニームを見やがって。この状況を楽しんでるな。
生憎だが色恋沙汰にはならんぞ。ニームとは血が繋がってるし、上人と関係を持つ気はない。
「これこれ、校内で騒ぐのはやめんか。警備員が飛んでくるぞ」
「確かにそうだな。とりあえず使えそうな素材を出すから、棚に入れてしまおう」
マジックバッグからテーブルを取り出し、森で集めたアイテムを並べていく。素材が積み上がるたびに、ローズマリーがキラキラとした目で見つめてくる。本当に調薬が好きらしい。薬師のギフトは、まさに天職だったわけか……
「素晴らしい、素晴らしすぎますわ。こんな貴重なものまでいただいて、本当によろしいのでしょうか?」
「ギルドには売れんし、俺には利用価値がない。だからそっちで有効活用してくれ」
「ありがとうございます、タクト様。これでベニバナさんの緩和剤を、必ず完成させてみせます」
「あの、よろしくね。ローズマリーさん」
マジックバッグの中身がだいぶ減った。これで心置きなく旅の準備ができる。緩和剤の件が一段落したら、タウポートンへ向けて出発しよう。
「陰陽の有用性もわかったことですし、これからは勉学にも励まないといけませんね、ベニバナさん」
「うん、ギフトの使い方はちゃんとマスターしたい。でも勉強はなぁ……」
「あら、勉強でしたら私がみて差し上げますわよ」
「えっ、いいの?」
「同じ研究室に所属することになったのですもの、それくらい構いませんわ」
「ありがとう! ローズマリーさん」
ニームを心配して薬を持って来てくれた事もそうだが、ローズマリーってかなり面倒見が良いな。
ジマハーリにいる才人は、普通の上人を見下すことが多い。街の中に壁を作って、上層街なんて言ってることからも明らかだ。しかしローズマリーからは、侮蔑の感情がまったく見えん。
ルッコラの身だしなみにかなり気を使っていることといい、こちら側に引き込めそうな気もする。
「私も放課後はここに来るようにしますから、ローズマリーさんが作業中は私がみてあげます」
「うん、うれしいよ! ニームちゃん。二人が教えてくれるなら、頑張れそうな気がする。これからよろしくね」
学園長が優しい眼差しで三人を見てるぞ。まあベニバナの成績は、あまり良くないとか言ってたしな。これがきっかけになって成長してくれたら、教育者として嬉しいんだろう。
「とりあえずここに置く機材は、最高のものを揃えてやってくれ。それくらいの予算は出るだろ?」
「ちとオーバーしそうじゃが、なんとかしてみよう」
「机やテーブルなんかの備品は俺が工面する。もし学園指定のものとかあったら教えてくれ」
「その辺りは室長の好きにして構わんよ。ここに泊まり込むことが多い者は、ベッドを持ち込んだりするくらいじゃ」
さすがに徹夜や連勤なんて、ブラックな研究室は願い下げだ。自由にしていいというのなら、従人が座りやすいベンチソファーを用意するか。あとは一服できるように、茶道具や食器も置いておこう。幸い収納場所には困らないからな。
そして素材の整理だけ終わらせ、その日は解散となった。
次回は「0136話 尾ひれがつく噂」をお送りします。
全員で学園に行った主人公たちだが、案の定注目の的に……