0130話 振り回されるベニバナ
シトラスに抱きかかえられ心の準備もままならないまま、ベニバナは一番高い柱の頂上まで連れて行かれていた。
普段は見られない光景に、ベニバナは思わず見とれてしまう。なにせ学園の校舎は三階建て。そして正門にある監視塔でも、五階建てビル程度の高さしかない。二人がいる場所はその倍ほどの高さがあり、ここを超えられるのは首都マハラガタカにある大聖堂くらいだ。
「いちおう言われたとおりに連れてきちゃったけど、こんな高い場所って平気かな?」
「子供の頃に、これより高い塔に登ったことがあるよ。ここは手すりや階段がないから怖いけど、こうやって四つん這いになってたら、なんとか耐えられそう」
「へー、そんな所があるんだ。シナモンが喜ぶかも」
「マハラガタカの観光名所だから、行ってみたら?」
「次の目的地はタウポートンだけど、そのあとの予定は決まってないみたいだし、帰ったらあいつに相談してみるよ」
シトラスの言葉を聞き、ベニバナは自分の空耳じゃなかったのだと気づく。さっきは突然のことで混乱していたため、確信が持てなかった。
「あのさ。シトラスはタクト君のこと、普段から〝あいつ〟って呼んでるの?」
「契約した時から〝あいつ〟や〝キミ〟って呼び方しかしてないかな。なんか名前で呼ぶのって、抵抗があるんだよね……」
「他の子はどうなの?」
「ミントは名前に様をつけてるし、ユーカリは旦那様だね。シナモンは契約する前から、あるじ様って呼んでる。ジャスミンは名前を呼び捨てにしてるよ」
流石にこれはベニバナも驚きを隠せない。労働力として期待される従人の多くは、言葉遣いの矯正をされることが少なく、それはベニバナの両親が所属する組合でも同じだ。礼儀正しい態度より、与えられた仕事をきっちりこなすほうが、重要だからである。
それでも上下関係はしっかりと躾けられており、契約主に悪態をついたり呼び捨てにするのはご法度。男の主人なら親方や大将、女の主人なら女将や姉御など、最低でもそう呼ばせるのが普通。実際チャイブもベニバナのことをお嬢と呼び、男性はもれなくダンナと呼ぶ。
「タクト君は怒ったりしないんだね」
「ボクの喋り方でも怒られたことないし、その辺りはかなり適当な契約主だよ。なにせミントにポカポカ叩かれても、笑ってるくらいだから」
「うちより緩いなぁ……」
そうした扱い方の伝統もあり、ベニバナが学園で使役している熊種の女従人も、言葉遣いはかなりラフだ。
勉学に関しては下から数えたほうが早く、珍しいだけで役に立たないギフト持ち。そして本人はもとより、連れている従人も優雅さに欠ける。学園に入学してくるエリートたちとは違う異質な存在として、ベニバナは浮いてしまっていた。
しかも学園長枠で推薦された特待生だ。金を積んで入学しただの、親のコネで入っただのと、そういった目で見る学生も多くいる。
そんな環境でベニバナはニームと出会う。従人の扱いが他人とは異なり、自分にも全く偏見を持たない他国の才人。いつしか学年の主席と、落ちこぼれのベニバナ、そんな二人は親友になっていく。
「タクト君ってさ、五つ星冒険者の息子なんだよね。それなら、かなり強いんでしょ? だけど従人のやることに寛容なんだ」
「あいつは小細工が得意なだけの雑魚だよ。なにせ生活魔法しか使えないからね。自分でも属性魔法の才能はないって言うくらいの、落ちこぼれさ」
「えっ、そうなの? ニームちゃんと仲がいいから、凄い魔法の使い手だと思ってた」
「二人とも目に見える強さは、まったく気にしないんじゃないかな。だってそれ以外のことが凄いもん。それより、もっと別の面を重視してると思う。例えばチャイブだけど、いい環境で使役されてるってわかる。体格もいいし、表情だって暗くない。あれはしっかり食事を与えられてる証拠だね」
「あっ、うん。食べるものをケチらないのは、うちの伝統なんだ」
「従人をそうやって扱ってるから、あいつも今回の依頼を受けたんだと思うよ」
シトラスの言葉を聞き、なぜニームが自分に良くしてくれるのか、ベニバナは何となくわかった気がした。ペットフードや野菜のスープとはいえ、自分の従人にはしっかり食事を与えている。それをニームは見ていたんだろうと。
「あー、もう。あいつったら相変わらずだらしない顔しちゃって!」
「チャイブの頭を撫でてるみたいだけど、なにしてるんだろう」
「あれは髪をブラッシングしてるのさ。まったく、所構わず触りたがるんだから……」
「タクト君って従人にそんな事するんだ。もしかしてみんながキレイなのは、そのおかげ?」
「出かける前とかお風呂上がりは、毎回触られるよ」
「シトラスの髪やしっぽも輝いてるけど、狐種の子なんて凄いもんね。あんな従人、マハラガタカでも見たことないや」
意気揚々とチャイブのブラッシングを始めたタクトを、柱の上にいるベニバナが興味深そうに見つめる。使役している従人に、自分と同じものを食べさせるニーム。そして従人から呼び捨てにされても気にせず、叩かれても笑ってやり過ごすタクト。やっぱり二人はお似合いだな、などと考えながら。
「それより体の調子はどう? 何かおかしかったりしないかな」
「うん、問題ないみたい。いつもと変わらないというか、少し調子が良いかも」
「そっか、じゃあそろそろ戻ろうよ。早く降りてあいつを止めないと、いつまでも触ってるだろうしね」
「猫種の子みたいに飛び降りたりしたら、私ショックで死んじゃうからね!」
「一気に降りるのは、一人のときにしかやらないって。でも、しっかり掴まっといてもらえるかい」
再びベニバナをお姫様抱っこし、シトラスが柱から柱へ飛び移る。しかし使用する柱は、登ったときの半分以下だ。全身のバネを使って衝撃を殺しているが、一気に下る高度と浮遊感を感じたベニバナは、思わず悲鳴を上げてしまう。
「ひぃぃぃ。もっとゆっくり、ゆっくり降りてっ!」
「これでも加減してるんだけど? それより話してると舌を噛むから、気をつけなよ」
慌てて悲鳴を飲み込んだベニバナは、シトラスにギュッとしがみつく。コンテスト入賞レベルの毛並みなのに、この身体能力は一体なんだ。さすがオレガノ様のお抱え冒険者は違う。初っ端からこの調子だと、この後なにをさせられるのか。思わず身震いしてしまうベニバナであった。
◇◆◇
ぐったりしたベニバナを抱きかかえ、シトラスが地面に降り立つ。チャイブのブラッシングを中断したタクトは、二人へ近づいていく。
「どうだった、なにか変化はあったか?」
「上で少し話したんだけど、この柱より高いところに登ったことがあるんだって。なんか普段より調子がいいって言ってたよ」
「そうか。ならベニバナに発現した陰陽のギフトは、高度にあまり影響を受けないってことだな」
「大丈夫ですか、お嬢」
「あっ、うん。平気だよ、チャイブ」
「まだ余裕があるようで、なによりだ。なら次に行くか」
タクトの無慈悲な言葉を聞き、ベニバナは膝から崩れ落ちる。
「お嬢ぉー、しっかりして下さい!」
「あのさぁ、もう少し手加減してあげなよ。次はなにをやらせるつもりなんだい?」
「陰陽ってギフトはな、能動と受動というように、相反する性質に反応するんだ。今回は高さに関してどう影響を受けるか、シトラスに確かめてもらった。次は速度だな」
失意の体前屈で地面に突っ伏すベニバナの肩を、タクトがそっと触る。
「これまで経験したことのないスピード、味わってくれ」
「ちょっと、休ませ――」
「時間は有限だ、そんな暇などない。次はシナモン、彼女を連れて全力で走ってみよう」
「……わかった」
ベニバナに近づいたシナモンが、その手をしっかりと掴む。そしていきなりフル加速で、タクトたちの前を横切っていく。
「まって、まだ心の準備があぁァァーーー」
「ドップラー効果が感じられるとは、さすがシナモンだ」
「すごいスピードで行ってしまわれたです」
「遠ざかる音は、低く聞こえるでしたね、旦那様」
「その通りだ、ユーカリ。近づく音の波は圧縮されて高くなり、遠ざかる音の波は広がって低くなる。これをドップラー効果と呼ぶ」
「兄さんに教えてもらった音の効果、まさかこんな機会に体験することになるとは……」
シナモンに引っ張られたベニバナは、グングン流れていく景色に目を回しそうになる。
「馬より速いんだけどぉぉー」
「……もっと速く動けるけど、いい?」
「待って!? 人ってそんなに速く走れないよっ!!」
その結論に思い至ったところで、ベニバナは今の状況に気づいた。
「私、地面を滑ってない?」
「……そんなこともある」
「ないよ、そんなこと! なに、これ? なにがおきてるの!?」
実はジャスミンの呼び出した土精霊が、こっそりベニバナをサポートしていたのだ。
「……広い場所に出た。もっと速くする」
「話を聞いてー。っていうか、ぶつかる、ぶつかっちゃう!!」
「……平気」
「ぴやぁぁぁーーー」
シナモンは障害物を器用に避けながら、更にスピードを上げていく。
その日のワカイネトコでは、従人に抱えられてオブジェの最上部まで連れて行かれた若い女性。そして小柄な従人に引っ張られながら、奇声を上げる上人の目撃情報。その話題で持ちきりだった。
次回は「0131話 ヒント」。
燃え尽きるベニバナ。
これまでの苦労が無駄だったのかと思いきや……