0119話 それ以上言うな
全員のブラッシングを終わらせ、俺の両隣で眠るミントとシナモンの頭を撫でる。今日は森の奥まで移動したので、疲れてしまったんだろう。まあシナモンは、いつもどおりの時間だが。
それにしても、ステビアのブラッシングができなかったこと、残念でならん。俺だってあの真っ白の毛をモフりたかったのに、ニームのやつときたら全力で邪魔しやがって。まあステビアもニームにやって欲しそうだったから、構わないのだがな。嫌がるやつを無理やりってのは、俺の趣味じゃない。
「あのさぁ、ステビアのブラッシングができなかったこと、そんなに残念なの?」
「当たり前だ。虎種の従人は、まだモフったことないんだぞ」
「ローリエをモフれたからいいじゃん、キミはよくばり過ぎなんだよ。どれだけモフれば満足するのさ」
「モフモフは一人ひとり別腹だ。いくらモフっても満腹になることはない!」
俺がシトラスに力説していると、コハクがスリスリと頭を擦り寄せてきた。コハクは優しいな、俺のことを慰めてくれてるのか。シトラスにも見習ってほしいものだ。
「ダメだよコハク、こいつを甘やかせちゃ。ニームが言ってたけど、自重ってものを身に着けてもらわないと、ダメなんだから」
「今日はタクトがいなかったら、大惨事になってたのよ。ちょっとモフり欲が暴走するくらい、大目に見てあげなさいな」
「確かにそうですね。よろしければ、わたくしのしっぽもモフって下さい、旦那様」
俺の前に座ったユーカリが、しっぽを膝の上に乗せてくる。やっぱりユーカリのしっぽは、フカフカでたまらんな。特注した香油の香りを胸いっぱい吸うと、とても気分が落ち着く。
「突然立ち上がってどうした。シトラスもモフらせてくれるのか?」
「違うよ。ちょっと疲れたから、座り方を変えようと思っただけさ」
そんなことを言いつつシトラスはベッドの上を移動し、俺の背後に腰を下ろす。
「ふふふ。やっぱりシトラスちゃんも、構って欲しくなったんじゃない」
「ちょうどいい背もたれを、使いたかっただけだよ。なにせ今日はいっぱい暴れたからね」
「俺の背中で疲れが癒せるなら、いくらでも使ってくれ。今日のシトラスは大活躍だったからな」
キングオーガは、かなり厄介な魔物だ。なにせアイツには魔法が効かない。そして六本の腕を使った連続攻撃は、どれも即死級の威力を持つ。レベル二十のステビアが生き残れたのは、ニームを守り切るという気迫に、彼女の持つ資質が応えたからだろう。おそらく火事場の馬鹿力みたいな状態で、ステビアは動いていたはず。
キングオーガを倒すには、高レベルの従人を大勢使って飽和攻撃をするか、入念に準備した罠ではめ殺しにするのが一般的な攻略法。あれとソロでやり合えるのは、シトラスだけだ。背中に感じる頭の位置を頼りに、そっとオオカミ耳をモフる。
「旦那様の大切な人が無事で、本当に良かったです。冒険者ギルドで森に入った学園生がいると聞き、職員を問い詰めてましたものね」
「それがまさかニームだとは思わなかった。なにせ個人情報は教えてもらえんしな」
「ちょっとケチすぎよね。なんとか聞き出せたのは、連れている従人の特徴だけだったし」
「冒険者ってのは、荒くれ者が多い。仕返しやら略奪も、それなりに発生する。トラブルを避けるためにも、むやみに教えないのは基本なんだ」
緊急性があれば別だろうが、さすがに霊獣のことは話せんしな。しかも霊獣による森の異変には、法則性がない。実際、今まで発生していたのは、魔物や魔獣が減るという現象。それが今回に限って氾濫になった。
その原因はハクの体力が、限界に近づいていたからだが……
「何はともあれ、ニームの従人がステビアで良かったよ。彼女じゃなければ、結びつけられないところだった」
「助けに行ったのがボクたちじゃなかったら、一体どうなってたことやら……」
「確かにシトラスさんの言うとおりです。森に入っている冒険者のかたが少なかったのは、不幸中の幸いでした」
本人に聞きそびれたが、どうしてソロで入ったのか。確かに魔素の調査は、魔導士のギフトを持ったニームにしかできない。しかし他の研究者や指導教員がいたって、おかしくないと思うんだが。例えそれが学生のアルバイトだとしても、公的な調査だろうに……
「とにかく今回間に合ったのは、ジャスミンが森の異変について教えてくれたからだ。拳銃のことも含めて感謝してる」
肩に座っているジャスミンの頭を撫で、そのまま羽根を軽く揉む。あの助言があったから、危機感を持って動くことができた。でなければ、ニームを失っていたかもしれん。そんなことになれば、悔やんでも悔やみきれなかっただろう。
心の中でミントやシナモンにも感謝していると、部屋に控えめなノックの音が響く。肩から飛び立ったジャスミンが招き入れたのは、寝間着を身につけたニームだ。
「……隣で寝ていたり、背中合わせに座っていたり。兄さんの従人って、本当にべったりですよね」
「どうしたんだニーム、眠れないのか?」
「あっ、えっと……少しだけ話しをしたいと思いまして。構わないでしょうか?」
「俺もちょうど聞きたいことがあったんだ。遠慮せず入ってこい」
なんか歯切れが悪いというか、覇気が足りないな。やはりこの家に宿泊させたのは正解だった。
そっとベッドに上がってきたニームは、俺の前にペタンと女の子座りをする。膝の上で組んだ手をモジモジさせながら、こちらをチラチラと見てくる姿はいつもの様子とまったく違う。
「俺の方から質問してもいいか?」
「あっ、はい。どうぞ」
「ここ数年ワカイネトコの森では、周期的に異変が発生していた。ひと月近く魔物や魔獣の数が減ってしまう謎の現象。確か〝凪の時〟と名前がついていたな。ニームは魔素の観点から、その原因を調べようとしたんだな」
「はい、そうです」
「森の異変は国家的な問題だろ。なのにどうしてお前一人だけで、調査することになったんだ?」
「それはですね――」
ニームの話をまとめると、こうだ。
国や研究所が何度も調査したが、手がかり一つ掴めない。やがて公的な調査は打ち切られ、推移を観察するのみに対象を絞る。しかしいつまで経っても状況は改善せず、異変の周期は短くなっていく。そんな時に学園生から調査してみたいと申請があり、研究所がそれに乗った。
「調査チームはすでに解散していたので、予算が下りなかったそうです。なので学生の課外活動として申請し、護衛費用だけなんとか捻出してもらいました」
「それが少人数で森に入った理由か……」
やはりどんな世界でも、金の問題はつきまとうな。特に公的な機関なら、なおさらか。
「今回は予備調査という名前でしたが、きっと学生の遊びだと思われていたんでしょう。でも私は真剣に取り組んでいたんです。この調査で実績を残し、誰かの役に立ちたいと」
「その心がけは立派だ。しかも魔素の状態を調べるという着眼点は間違ってない。なにせニームにしか出来ないことだからな」
「立派なんかじゃないですよ、私の身勝手なエゴです」
自嘲気味の笑いを浮かべると、そっと顔を伏せてしまう。なにを抱えてるのかわからんが、これは吐き出させてやるのが良さそうだ。
「身勝手なエゴというのは、学年の主席を維持するためか?」
「それも少しはあったかもしれません。ですが一番大きな理由は、サーロイン家のことです。兄さんも知ってますよね。あの家で生まれた女は、政略結婚の道具に利用されるって」
「ああ、もちろんだ」
「私はそんなの嫌なんです。せっかく授かったギフトを無駄にしたくない。だから学園や研究所に認めて欲しかった。家の束縛から逃れ、一人で生きていけるように……」
下を向いたニームの目から涙がこぼれ、シーツを濡らしていく。なるほどな。森の奥まで一緒に行こうとしたり、ちょっと必死すぎる感じがしたのは実家絡みか。これはますますニームを手放せない理由になった。
「だけどそんな私のわがままで、ステビアが大怪我をして、護衛の冒険者とその従人を――」
「それ以上言うな、ニーム」
俺はニームの顔を両手で挟み、唇をそっと指で塞ぐ。
「お前はなにも悪くない。あれは不運が重なって発生してしまった事故だ。死が身近に存在するこの世界では、誰にでも起こりうる。綺麗さっぱり忘れろとは言わんが、必要以上に責任を感じるのはやめておけ」
とにかくラベージって冒険者は自業自得だ。トラブル発生時に冷静な判断ができず、最後には護衛対象を放棄して逃げている。巻き添えになった従人にはご愁傷さまとしか言えないが、ローリエを救ったニームとステビアは、最善以上の成果を上げた。
それにいつまでも引きずってると、氾濫の原因になったハクとコハクが可哀想だろ。突然変異のように自然発生してしまうものは、どう頑張っても防ぎようがない。モフモフに罪なんて無いのだから。
「……すごく、怖かった」
「最後まで諦めず、よく頑張ったな」
「ステビアが死んでしまうって考えたら、震えが止まりません」
「大丈夫だ。お前たちはちゃんと生きてる」
「目を閉じると、あの時の光景が蘇るんです」
「心配するな、お前のことは俺が守ってやる。だから今日は、ここで寝ていけ」
「……はい、兄さん」
不安そうに見上げてくるニームを胸に抱き寄せ、あやすように背中を撫でる。すると震えが徐々に収まってきた。
む? 完全に体を預けてきやがって。仕方ない、頭も撫でてやろう。こいつの髪もさわり心地はいいのだが、ケモミミ付きでないのが残念でならん。
「眠ってしまわれましたね」
「すごくいいお兄ちゃんしてたじゃない」
「今のって普通の兄妹がやる、やり取りなのかなぁ……」
「今日は非日常な出来事が続いたんだ、少しくらい逸脱してても問題ない」
このさき時間の経過とともに、ニームの調子も戻っていくはず。それまで俺の家から学園に通わせればいい。
「それからコハクもあまり気にしないようにしろ。ビットの異常は避けようのない厄災だ。お前の母は被害を最小限に食い止めようと、何年も頑張ってくれた。そのおかげで、俺たちが間に合ったんだからな。俺はコハクが生まれてくれたこと、心から嬉しく思っている」
「キュゥゥーン」
「とにかく俺たちも寝よう、さすがに夜更かしが過ぎた」
俺のシャツを握ったままのニームは、隣に寝かせるしか無いな。まあ一晩くらい腕を貸してやろう。
ジャスミンはいつものように胸元へ潜り込み、今日から仲間になったコハクは顔の横で丸くなる。真っ白のモフモフと触れ合いながら眠るとか、快眠間違いなしだぞ!
これで第8章の終了です。
世界最大の学府と繋がりを持つことになる主人公。
コハクやローリエの特殊能力、そして学園長が持つ力とは?
第9章もよろしくお願いします。
◇◆◇
音に敏感なミントですが、安心できる環境だとぐっすり眠ってしまいます。
不審な物音は別として、トーンを落とした話し声では起きたりしません。