0118話 ニームとステビア
ニームとステビアが、並んで脱衣場へ現れた。二人で入ってくるよう、タクトに言われたのだ。
シトラスはいつの間にか入浴を終わらせており、お風呂を知らなかったローリエには、ミントとユーカリが付き添いをしている。
寮のお風呂はバスタブとシャワーだけなので、二人同時に入ったことはない。互いに気恥ずかしさを感じつつ、背中を向けながら服を脱ぐ。そして大きなタオルで前を隠し、浴室へ通じる扉を開く。
「外見は普通の一軒家なのに、どうしてこんなにお風呂が立派なのでしょう。実家にあったものと、広さが同じくらいですよ」
「確かにこれだけ広ければ、一人で入るのは効率が悪いですね」
「だからといってシナモンやジャスミンと入る兄さんは、不潔すぎます」
いつものように風呂場へ乱入されたのだが、ニームにとってそんなことは関係なかった。夫でもない異性に肌を晒すのは、彼女にしてみれば信じられない行為だからだ。
「ニーム様、頭と背中をお洗いします。そこのイスへ腰掛けて下さい」
機嫌が傾き出したニームの意識をそらせようと、ステビアは彼女をバスチェアへと誘導する。そして商会で学んだ技術を駆使し、ニームの体を洗っていく。
「すごく気持ちがいいです。なんだか今日一日の疲れが、溶けていくみたい」
「今日はとても目まぐるしい一日でしたね」
「ホントですよ。霊獣に会ったり、オレガノ様の店へ連れて行かれたり……」
ニームは森で危険な目にあった話題を避け、今日の出来事を回想していった。そして兄の背中におんぶされる前の会話を思い出す。そのとき交わした発言がフラッシュバックしたニームは、好奇心に駆られるままクルリと後ろを振り返り、ある一点をじっと見つめる。
「前からずっと気になってたのですが、やっぱりステビアのほうが微妙に大きいですよね」
「あの、ニーム様。一体どこを比べてらっしゃるのでしょうか……」
「形といい、色といい、ちょっと羨ましいです」
「あまり見つめないで下さい、恥ずかしいですから」
顔を赤く染めながら足をモジモジさせるステビアを見て、ニームの中にいたずら心がムクムクと湧き上がってきた。自分より二歳年上の彼女に、先ほど受けたものと同じ奉仕をしてあげれば、どんな反応をするだろう。そんなことを思いついてしまえば、もう止まれない。
「さあステビア。今度は私があなたの頭と背中を、洗ってあげましょう!」
とてもいい笑顔で、そう言い放つ。
「ニーム様にそのようなことを、していただくわけにはまいりません。自分の体は自分で洗いますから」
「遠慮は無用ですよ、ステビア。言ったでしょ、あなたは家族同様の存在だと」
「そう思っていただけるのはとても嬉しいのですが、私は従人ですから……」
「妹のお願いが聞けないの? ステビアお姉ちゃん」
「はうぁっ!?」
媚びるようなニームの声を聞き、ステビアのしっぽがビクンと上を向く。ロブスター商会で生まれたステビアは、兄弟姉妹と呼べる存在が何人もいた。商会にある宿舎では、どの種族も分け隔てなく、一緒に生活するからだ。
今日から同僚になったローリエを含め、同じような呼ばれ方をした経験は数え切れない。しかしこんなに胸がときめいたのは、いまこの瞬間が初めて……
高鳴る胸の鼓動に押し流され、ステビアはなにも考えられなくなる。そしてニームに言われるまま椅子へ座り、自分の主人に背中を向けた。
その真っ白な肌を確認したニームは、ほっと息をつく。
「良かったです、どこにも傷跡は残ってませんね」
「ミントさんに全て治していただきましたので。それと……着替えの時に皆さんから、全身くまなく調べられました」
ステビアとしては傷跡が残っていても、あまり気にならない。大切な主人を守るために負った、名誉の負傷みたいなものだからだ。しかし心優しい契約主にそんなことを言えば、間違いなく悲しむだろう。なのでその気持は、そっと胸の奥にしまっておく。
「まったく、兄さんの従人は本当に自由すぎます。私に断りなく好き勝手するのは、やめてもらいたいのですが……」
「皆さん優しくて素敵なかたばかりですから、あまり怒らないで下さい。ローリエもすっかり懐いてしまいましたし」
「なんだか兄さんにも懐いてるんですよね。やっぱり食事が美味しかったからでしょうか」
「水麦があんなに美味しく食べられるなんて驚きました」
触れるたびにピクピク揺れる耳の感触を楽しみながら、ニームは今日の夕食を思い出す。手製のソースで赤く色づいた水麦を、焼いた卵で包んだオムライス。ミントとローリエの分は、なぜか小さな旗が刺さっていた。
そして鳥の肉で作った団子と、トロトロになるまで煮込まれた野菜たっぷりのスープ。タクトが〝ワフウ〟と呼ぶ味付けは、とても優しく滋味深い。
この大陸にある三つの国の中で、美食の地として知られるヨロズヤーオ国。特にマノイワート学園のあるワカイネトコは、穀物の一大産地でもあり頭一つ抜き出ていた。実際、スタイーン国の上流階級であったニームですら、学園が提供する食事の味に驚いている。
「この街で食べられる料理の更に上を出されたら、主人に歯向かおうなんて気は無くなりそうですよね」
「はい、かなり大きな理由になると思います。ですがタクト様の凄いところは、それだけではありません」
「兄さんは昔から従人に優しかったですが、微妙に距離を取ってる部分がありました。それが今は大切な仲間というか、家族以上というか、とにかく相手のことを完全に信じ切ってます。制約もなしにそこまで信頼できるのが、兄さんの凄さでしょう」
「これまでタクト様の従人は制約もなしに、どうして素直に付き従っているのか、私は疑問に思っていました。ですが今日一日、行動を共にして確信できた気がします。あれだけ愛されていれば、裏切るなんて選択肢は絶対に選べません」
「私も食事や待遇の改善で、どうして従人の忠誠を得られるのか、よくわからない所があったんですよ。それは自分の従人に親愛を向けるという気持ち、そんな感情を表面的にしか理解できていなかったからです。でも今日の出来事を経て、改めて兄さんたちを見ていたら、そのことに気付かされました」
これが以前タクトの言っていた神の呪いだ。この世界に住む人類はそうした結論から、無意識に目を背けてしまう。ただ彼女たちのように、なにかきっかけがあれば別である。同じようにオレガノは日本からの転移者である祖父を見て育ち、セイボリーはそんなオレガノから影響を受けた。
「本当に凄いかただと思います、タクト様は」
「じゃあそんな兄さんに負けないよう、これからステビアのしっぽを丁寧に洗ってあげましょう」
「うっ……お手柔らかにお願いします」
ニームはよく泡立てた手でしっぽを掴み、丁寧に洗っていく。そのなんともむず痒い感覚に耐えながら、ステビアはこれまで感じたことのない幸せに包まれる。
「明日はローリエも誘って、お風呂に入りましょうか」
「そうですね。この広さがあれば、三人でも余裕です」
「あの子はもう寝てしまったでしょうか。それともミントたちと遊んでるのでしょうか……」
「大変申し上げにくいのですが、今ごろローリエはタクト様からブラッシングを受けてると思います」
「ぐっ、そうでした。あのモフモフ狂いの転生者には、自重というものを教えてあげる必要がありました。いいですかステビア、あなたのブラッシングは私がしますからね。兄さんなんかに体を好き放題触られるのは、絶対に許しません」
「はい、ニーム様。私の全ては、あなたのものです」
今日の出来事があり、ステビアの忠誠心は天限を突破していた。そして今のニームは、そんなステビアの言葉を、素直に受け入れてしまう。二人はすっかりタクトの影響下に、入ってしまっていたのだ。
◇◆◇
体をしっかり洗い終えた二人は、並んで湯船に浸かる。全身の力を抜いてゆっくり息を吐くと、洗い流せなかった疲れがどんどん解けていく。そしてあの危機的状況から、よく戻ってこられたものだと、改めて実感した。
「やっぱり広いお風呂はいいですね」
「はい。こうしてニーム様と一緒に入れるなんて、今まで生きてきた中で最高の幸せです」
「お互いこうしていられるのは、全て兄さんのおかげということですか。ほんと、あの人には敵いません」
「従人があれほど強くなれるなんて、夢にも思いませんでした」
ステビアが最も印象に残っているのは、シトラスの圧倒的なパワーだ。キングオーガの巨体を蹴り飛ばし、六本の腕から繰り出される攻撃を全て弾き返す。最初はその光景が受け入れられず、死にゆく自分が見ている幻かと思ったほど……
「まあ、あの五人は反則ですからね。あなたは真似なんてしようとせず、自分にしかない強さを見つけて下さい」
「それはわかっています。ですがレベルはもっと上げなければなりません。そうしなければ、ニーム様をお守りできませんので」
「レベル上げは協力すると言ってくれた兄さんに任せましょう。あの人に寄生するのは癪ですが、私のことを大切だなんて言った責任を、取ってもらわないといけませんから」
「わっ、私だってニーム様を想う気持ちは、タクト様に負けません!」
何かにつけてタクトに対し悪態をつくニームだが、兄妹以上の感情が芽生え始めていた。ステビアはそのことに気づいていたから、ついつい対抗心を燃やしてしまう。そんな可愛い嫉妬心を見たニームは、ますますステビアのことが愛おしくなる。
「まずは兄さんとシトラスのように、言葉がなくても通じ合えるようになりましょうか」
「二人のコンビネーションは見事でしたからね。ひと声かけるだけで、次に相手がなにをするのかわかるなんて、ちょっと驚きました。私もニーム様と、あんな戦い方をしてみたいです」
「すぐ出来るようになると思いますよ。だってステビアは、私の大切な人なんですから」
「はい。私もお慕いしております、ニーム様」
二人は湯船の中で向き合い、互いの指を絡めるように手を繋ぐ。そしてニコリと微笑みながら、おでことおでこを合わせるのだった。
のちにこの二人は、稀代の魔法使い〝紅の魔導師〟と、常にその隣で控えている忠義の従人〝白の使い魔〟の異名で呼ばれるようになる。
そして目立たないながら、魔導師の右腕としてサポートし続ける、もう一人の人物がいた。そんな知る人ぞ知る存在につけられた二つ名は〝魔女の書庫〟。そう、いまタクトからブラッシングを受けている猫種の少女、今日からニームに仕えることになったローリエである。
人物紹介に記載する予定の裏話ですが、ロブスター商会のローゼルが影響を受けたのは、繁殖部門にいた年配飼育員です。オレガノの祖父同様、彼女も周囲に自分が異世界人だと、明かすことはありませんでした。
◇◆◇
次回で第8章が終了します。
予備調査とはいえ、どうして少人数で森へ入ったのか……
「0119話 それ以上言うな」をお楽しみに!