0115話 コハク
まるで匂いでも付けるように、小さな霊獣が俺に体を擦り付けてくる。これは完全にやらかしてしまったな。俺個人としては、モフモフから気に入られて幸せすぎるんだが!
手を差し出すと、少しだけ匂いを嗅いでから、駆け上がってきた。そのまま腕をつたい、肩にいるジャスミンを器用に避け、首にまとわりつく。これは、天然のマフラーじゃないか! 寒くなってくるこれからの季節には最高だぞ。
「あらら。あなたもここが好きなのね」
「キュイッ!」
「うぅー、いいなぁ、兄さん」
「……ニーム様」
俺のことを羨ましそうな顔で見るから、ステビアが落ち込んでるぞ。彼女のしっぽもかなり長いんだから、同じようにやってもらったらどうだ?
「あー、なんというか、すまないことをした。これはどうすればいい?」
動けるようになった親霊獣が、俺に近づき視線を合わせてきた。怒ってる感じじゃないとはいえ、思考が読めないので不安になってしまう。あまりじっと見つめないでくれ。その顔をワシャワシャしたくなる。
「えっとね、霊獣が自ら主を選ぶことって、稀にあるんだって」
「国興しの伝説や、演劇の原作に出てくることはあったが、あれは史実だったのか」
「その子供はタクトを選んだみたいだから、名前をつけてあげて欲しいそうよ」
俺はそんな物語に出てくるような英雄じゃない。だがモフモフが選んでくれたというなら、全力で応えねばならん。いくつか候補は浮かんでくるが、子供の目を見て一つに絞る。
「古代語で白い色のことを〝ハク〟というんだ。真っ白の体をしたハクから生まれた子供だから、コハクって名前はどうだ?」
「キュッキュッキュー!」
「すごく喜んでるわね」
なにせこの仔の瞳は、琥珀みたいできれいなんだよな。ちょっと和風な名前だが、問題はないだろう。古代語のくだりも、本当のことだし……
名前をもらえてかなり嬉しいのか、首筋に擦りつけてくる毛の感覚が素晴らしすぎるぞ。
って、親の霊獣も俺をペロペロと舐めだした。ちょっとくすぐったいではないか。
「その霊獣、兄さんの魔力を食べてますよ」
「えー。こいつの魔力なんか食べたら、お腹壊すんじゃないかな」
「タクト様の魔力って、美味しいのです?」
「……ちょっとしょっぱい」
「わたくしは旦那様に舐めていただくほうが好きです」
よしシトラス、今夜はモフり殺しの刑だ。俺の魔力が美味しいのかどうかわからんが、シナモンは舐めるのをやめろ。森を歩いてきたんだから、汗くらいかく。それにユーカリはドサクサに紛れて、なに口走ってやがる。ニームが獣を見るような目で、睨みつけてきたじゃないか。
俺に〝我々の業界ではご褒美です〟なんて性癖は備わってない。
「……うぅーん。あれ……あたし、どうなったの?」
場がカオスになってきた時、ステビアの背中にいた猫種の子供が目を覚ます。焦点の合わない目で、あたりを見回している。
「気が付きましたか?」
「あっ、あの時のお姉ちゃん。ここ……どこ?」
意識がはっきりしてきたらしく、俺の隣りにいる霊獣を見て固まってしまう。まあ動物にしては、かなりデカイからな。
「ひっ!? いやっ……魔獣……。助けて! お姉ちゃんッ!!」
「大丈夫です。ここにいるのは魔獣ではありません」
「襲ってきたりしないから、落ち着きなさい。泣かなくても大丈夫ですからね」
囮にされた時の恐怖が蘇ったのだろう、ステビアにしがみついてワンワン泣き出してしまった。二人がかりで子供をあやす姿、なんかほっこりするぞ。どちらもいい母親になれそうだ。
「落ち着いたか?」
「……えっと、うん。お兄ちゃんは、誰? 痛いことや、怖いことしない?」
「心配するな。ここにいる上人は、みんなお前の味方だ。それより、お腹は空いてないか?」
「えっと……空いてる」
「それなら飯にしよう。すぐ準備するから、少しだけ待っていろ」
大きな木の根元にレジャーシートを広げ、作ってきた弁当を並べていく。万が一のために用意しておいた夕食の分があるから、それも出してしまおう。ここからなら、かなり余裕を持って街へ帰ることが出来る。
「ごっはんー、ごっはんー」
「ほら、熱いおしぼりが出来たぞ。今日はだいぶ暴れてるから、丁寧に拭いておけよ」
俺はシトラスにおしぼりを渡しながら言い含める。終わった後に清浄魔法を使っているが、念には念だ。病気になってもミントの浄化があるからと雑にやれば、手を抜くことが癖になってしまう。
「どうしたニーム、変な顔して」
「変は兄さんですよ。いま魔力で力場を作って、高出力の魔法を収束させてましたよね。さっきあれだけ魔力を放出したのに、平気なんですか?」
「少し前に同じようなことをやってぶっ倒れたが、今回は四分の一しか使ってないからな。直前にレベルも上がってるし、全然余裕だぞ」
それにしても魔導士のギフトってのは凄い。魔力の流れを完璧に把握してるじゃないか。使い手のニームが、それだけ優秀ってことだ。
「私を助けてくれた時、無理させちゃったものね」
「気にするなジャスミン。あの時に魔力を枯渇させたおかげで、回復力が大幅アップしてる。結果オーライだ」
シュンとしてしまったジャスミンの頭を、人差し指でゆっくり撫でる。その指をそっと握ったジャスミンが、愛おしそうに頬ずりしてきた。
とりあえず、まずは飯にしよう。ローリエという少女も、待ちきれない感じだからな。
「サンドイッチでも、おにぎりでも、好きなものを食べろよ。遠慮は無用だ」
「あたしもいいの?」
「もちろんいいぞ。腹いっぱい食べろ」
「ありがとう!」
うんうん、やっぱり子供は元気なのが一番。辛いことがあっただろうが、腹いっぱい食べて忘れてくれ。
「兄さん、この白い塊はなんですか?」
「これは水麦を加工して作った料理だ。こっちの茶色い方は、表面に黒たまりの煮汁を塗って焼いている。白い方には中に黒たまりの煮汁で味付けしたシバウオ節、茶色い方は甘辛く煮たコッコ鳥そぼろが入ってるぞ」
「水麦って、あの水麦ですよね……」
「すごく美味しいのですよ。ニーム様も食べてみて下さいです」
「よろしかったら、ステビアさんもどうぞ。旦那様とわたくしが、腕によりをかけて作りましたので」
「……あるじ様とユーカリの作る料理、全部美味しい。ローリエも食べてみるといい」
みんなが美味しそうに頬張る姿を見て、恐る恐るといった感じに手を伸ばす。しかし口に入れた瞬間、そんな表情は消えてしまう。気に入ってもらえたようで何よりだ。
「魔法といい、料理といい、兄さんはスペックが高すぎます。さては家にいた頃、無能を演じてましたね」
「まあ元々あの家は出ていく予定だったからな。それに今でも俺は、生活魔法しか使えないぞ」
「その生活魔法が異常なんですよ。なんです、あの一切無駄のない、芸術的な魔法行使は。ギフトの補正がある私より緻密じゃないですか。ちょっと自信をなくしてしまいます」
「その辺の理由は、落ち着いてから話してやる。とにかく今は飯を食おう。しっかり食べておかないと、帰る途中で腹が減ってしまうぞ」
さて、ニームにはどこまで話してやるか。それに冒険者ギルドへの報告も、どうするか考えておかねば。今日の様子を見る限り、ニームは秘密厳守してくれるだろう。しかし元実家のことがあるからな。あそこに介入させるようなことだけは、避けねばならん。
国境のない組織である冒険者ギルドは、情報共有が大原則。バカ正直に報告したんでは、あっという間に世界中で共有される。今日のことが変な形で親父の耳にでも入ってみろ、あいつは必ず口を出してくるぞ。
なにせ優秀なギフトが発現したニームは、家の名前を売る大切な商材だからだ。有力者とのコネを作るためなら、手段を選ばないのがエゴマという男。
学園はある程度、生徒の意思を尊重してくれるはず。しかし他国の名士から圧力をかけられて、その姿勢をどこまで貫けるかわからん。最悪、危険な場所に娘は置けんと、自主退学だってありえる。
そうなるとステビアは実力不足の護衛と判断され、強制的に契約解除だ。互いに思い合ってる二人の仲を裂くなど、絶対に許すことはできん。
そしてニームには、魔法学会に一石を投じるほどの、才能が眠っているはず。なにせきっかけを与えただけで、他人の使っている魔法をある程度解析できるまで成長した。この才能を埋もれさせるのは、あまりにも惜しい。だから俺としては、のびのびと学園生活を送り、魔導士のギフトを伸ばして欲しいと思ってる。おそらくニームもそれを望んでるだろう。
とはいえ、森の浅い部分で四つ星冒険者が絶命してるから、ある程度の事情説明は必須。きっと根掘り葉掘り聞かれるに違いない。情報をコントロールできる人物でも、いればいいのだが……
帰ったらオレガノさんに相談してみるか。
妹ちゃんの信頼をなかなか得られない兄。
次回「0116話 裏切られた気分です」をお楽しみに!