0110話 ステビアの想い
木々の間から突然現れた魔物が、ニームたちの行く手を阻む。その巨体は見る者に威圧感を与え、頭の両サイドから伸びるツノが恐怖を呼び覚ます。
「なんでこんな場所に人型の魔物が出るのさ!?」
「あんな大きなもの、見落とすはずありません。やはりこれは……」
ニームの予想は正解だ。いきなり濃くなった魔素の影響で、飽和した分が一気に魔物へと変質した。
「体が黄色く六本の腕、あれはキングオーガです。上位冒険者が合同で討伐する魔物だと、教わりました」
「そんな魔物、このメンバーで勝てるわけないじゃない。逃げるよニームちゃん」
「それしかなさそうですね」
ステビアの言葉を聞き、ラベージは完全に取り乱している。とにかく離れようと、キングオーガとは反対方向へ走り出す。木々が鬱蒼と生い茂る、森の奥に向かって……
この状況で奥へ進むのは危険だと頭の片隅で思いつつ、ニームは付いていくしかなかった。障害物の多い地形のほうが隠れるのに有利だし、バラバラで行動したのでは生存率が低下してしまう。しかもラベージは、まだ猫種の従人を手放していない。その事がどうしても気がかりだったのだ。
――しかしその判断は、あまりにも悪手すぎた。
「……これは」
「お下がり下さい、ご主人様」
二人の従人が契約主をかばうように前へ出る。森の奥で待ち構えていたのは、自分たちのテリトリーへ踏み込んだ獲物を虎視眈々と狙う、魔物や魔獣の群れ。人型や動物型、更に飛行型までいた。絶望的な状況を目の前にし、ラベージはとうとう壊れてしまう。
「なんでよ、こんなの聞いてない! 学生の探検ごっこだって思ってたから依頼を受けたのに、どうしてこんなこんな目に合わないといけないのさ!!」
「今はそんなことを言ってる場合じゃありません。この場から逃げ出す方法を考えないと。ラベージさんも四つ星冒険者なのですから、攻撃手段はお持ちでしょ?」
「無理無理、無理だって! 私は魔法が得意じゃないし、持ってるギフトは幻夢なんだもん。寝てる野党をまとめて始末するとかじゃないと使えないよ」
護衛の選考基準はどうなっていたんだと、ニームは軽いめまいを覚える。やはり今回の調査は軽く見られていたのだろうか。そんな考えが頭をよぎり、涙が出そうになった。
「とにかく今は生き延びることを考えましょう」
「生き延びる……そうだ! 餌を持ってきてるじゃん。これが襲われてる間に、逃げればいいんだよ」
「待って下さい。この状況で囮を使っても、足止めにはなりません。まずはこの包囲網を突破しないと」
「うるさいね、世間知らずのお子様は黙ってな。私は四つ星冒険者、生き残るためならなんだってやる! ほら、私のために死んでこい!!」
取り繕うことすら捨て去ったラベージが、本能の赴くままに行動をおこす。そして連れてきた猫種の子供を、魔獣の群れへ解き放つ。涙を流しながらイヤイヤと首を振る猫種の少女。しかし制約によって歩みを止めることはできない。
「私が援護します、ステビアはあの子を保護しなさい」
「かしこまりました、ニーム様」
従人に手を差し伸べようとする二人を見て、ラベージは醜悪な笑みを浮かべる。
「餌が三匹に増えたね。このスキに逃げるよ!」
「しかしご主人様、このままでは護衛対象が……」
「従人のくせに指図なんかするんじゃない。私の言うことを聞かなかったんだから、しょうがないじゃないか。もう依頼なんてどうでもいいよ、ギルドには適当に報告しとくからさ」
制約で反論を封じたラベージは、ニームたちを見捨てて走り去っていく。一方ニームは魔法で集団を牽制しつつ、子供を抱きかかえるステビアと合流した。
「包囲網の薄い場所はありますか?」
「この状況では、どこに向かっても一緒です。とにかく森の外へ進みましょう」
「でも、そっちにはキングオーガが……」
「私が囮になります。ニーム様はその子と逃げて下さい」
「ダメです、それは許しません。必ず三人で帰りますよ」
「わかりました、ニーム様」
自分の命に変えても、この心優しい契約主を逃がそう。ステビアは形だけの了承を返し、心の中で強く誓いを立てる。そして恐怖のあまり気を失ってしまった子供をニームに預け、先頭に立って走り出す。
襲ってくる敵をなんとかかわしつつ、ニームたちは森の出口を目指して進む。しかし眼前に立ちはだかる黄色い巨体。それを見たステビアが、一気に速度を上げた。
虎種の身体能力を限界まで酷使し、キングオーガの背後から何度も斬りつける。しかし魔物の硬い皮膚は、ナイフ程度では歯が立たない。
「うまくおびき出せたら、後ろを振り返らず走ってください!」
「だけどステビアが……」
キングオーガは、巨体のわりに動きが速い。しかも厄介なのは、自在に動く六本の腕。その多段攻撃はレベルの高い従人でも、防御できないほどだ。
ステビアも攻撃できたのは、最初に放った一撃のみ。あとは逃げるだけで精一杯だった。パンチがかするだけで動きが鈍り、鋭い爪は防具ごと体を引き裂いてしまう。時間がたつに連れ、彼女の全身は赤く染まっていく。
「私も魔法を使います。一旦離れなさい」
「だめです、ニーム様。キングオーガには魔法が効きません。あなたは逃げることだけ考えてください」
「でも、それを何とかしないと、逃げる場所なんて……」
幸い飛行型は来ていないが、魔物や魔獣の包囲網は、眼前まで迫っている。ここから脱出するには、キングオーガをやり過ごすしかない。ステビアは攻撃を紙一重でかわしながら言葉を紡ぐ。
「ニーム様にお仕えしてから、私は幸せでした。一緒に食事をとったこと、毎日お風呂に入らせてもらえたこと、そういえば髪を梳いて頂いたこともありましたね」
「こんな時にあなたは何を……」
キングオーガの攻撃を受け流しきれず、ステビアの右腕は完全に動かなくなった。それでも彼女は諦めない。ナイフを左手に持ち替え、力強い視線でキングオーガを睨む。
「私に買い手がついたとき、本当は怖かったんです。数年で捨てられる愛玩用か、使い潰される戦闘従人かと。でもニーム様は違いました」
「当たり前じゃないですか。あなたは大切な家族なんですよ」
ニームの言葉を聞き、ステビアの頬を一筋の涙が流れ落ちた。激痛の走る体を奮い立たせ、下半身に力を込める。狙うのはキングオーガの眼球だ。満身創痍の彼女に残された戦法は、刺し違えてでも急所を狙ってスキを作ることしかない。
「大好きなあなたの盾になれること、誇りに思います」
「やめて、ステビア。やめなさい。私はこんな結末なんて望んでない。誰でもいい……誰か助けてーーーっ!!」
キングオーガの拳がステビアに直撃する寸前、その巨体が勢いよく吹っ飛ぶ。
――ドガァァァァーーーン
「うわっ!? ボクの蹴りに耐えるなんて、キングオーガってタフだなー」
「間に合ってよかった。その子を守ろうとしてたのか。偉いぞ、ニーム」
「……に、兄さん」
そこに立っていたのは五人の従人を連れた、兄のタクトであった。
お兄ちゃん登場!
次回は「0111話 まあ、そこで見ておけ」をお送りします。
無双を始めるお兄ちゃんパーティー。