0011話 [閑話]シトラスの心日記
ボクは物心ついたときから、強い自分に憧れていた。幼い頃から湿地を駆け回り、修行と称しては森の近くへ行き、何度も叱られている。いま思うと、なんて楽観的で単純だったんだろう。
ボクたち野人は、魔物を倒してもレベルは上がらない。だから強くなるためには、上人に仕えないとダメだ。でもある日、戦闘に参加させてもらえるのは、ほとんどが男だと知った。
それを聞いてからのボクは、さらに男っぽくなろうと努力する。髪を短くしたり、乱暴な言葉づかいを意識したり……
すっかりガサツな言動が身につき、ボクは集落でも浮いた存在になっていく。そんな時にやってきたのが、上人に使役された従人たちだ。そいつらは子供や若者を次々捕らえ、強制的に首へ従印を刻み始める。必死に抵抗したボクもあっさり押し倒され、そのまま窓のない荷車に詰め込まれた。
捕まった先で無理やり体を調べられたあと、四等級のボクは商品価値がないと判断されてしまう。狼種のブームは過ぎたから、いつか品種改良用の母体にするなんて言われ、狭い檻に閉じ込められる。一生消えない従印を勝手に刻んだうえ、なんて身勝手な言い草なんだ!
そんな気持ちを抱えたまま、囚われの生活が始まった。
ボクが入れられたのは、地下にある狭くて暗くて臭い場所。役に立たないと契約解除されたり、飽きたからと下取りに出された者などが、生きる屍のように横たわっている。時々出される食事は奪い合いになり、打撲の跡や引っかき傷がどんどん増えていく。
契約主から捨てられた者は首の従印が赤くなり、レベルがリセットされるらしい。そうなると身体能力が落ちるので、体格差のあるボクでも押し負けずに済む。おかげでなんとか飢えなかったが、生きていくにはギリギリの状態だ。
そこで従人の待遇について、色々なことを教えてもらう。彼らから話を聞くたび、上人のことをどんどん嫌いになっていく。だけどレベルを上げて強くなりたいって気持ちが、無くなることはなかった……
個人差はあるものの、野人はみんな同じ願望を持っている。そんな気持ちを抑えられず、自ら冒険者に仕える者もいるほどだ。でもボクは四等級。すごく高い支配値を持った上人でないと、契約できない。しかもそんな人でも完全使役できるのは、四等級だと一人だけ。よほどの事がないと、契約なんてしてもらえないだろう。
愛玩用として契約主の要求に応え続けていても、レベルは上げられる。だけどそんなのは絶対に嫌だ。そもそもボクみたいなのと、エッチなことをしたいなんて思うわけがない。だからどう考えても八方塞がり。
――そんな堂々巡りを続けるボクに転機が訪れた。
―――――・―――――・―――――
ボクを閉じ込めていた繁殖業者が潰れたらしい。地下から出され魔法できれいにされたあと、何組かに分かれて別々の場所へ連れて行かれた。そこでもボクは商品価値がないと、檻の中へ入れられてしまう。引き取りに来た男にさんざん悪態をついたし、こんな体つきだからある意味当然だ。
このまま処分されるのは癪だけど、繁殖用の母体になるよりはまし。でも最後の瞬間まで諦めるもんか。
「あそこに座っている野人を買い取りたい。構わないか?」
護衛を探しているという男が、ボクをじっと見るので睨み返していたら、そんな言葉が聞こえてきた。店員にも止められているけど、レベルの上がりにくい四等級を護衛に使いたいなんて、何を考えてるんだろう。もしかして従人の仕組みを知らないのかも。そんなのと契約したら、なにされるかわかったもんじゃない。
得体のしれないやつに捕まってたまるかと口汚く罵ってみたけど、その男は軽く受け流してしまった。しかも、ますます気に入ったとか言ってる。それにやたらボクの下半身を見る視線が、嫌な予感を強くしていく。
さらに人のことを貧乳狼とか言いやがって!
捕まった後に自分が女であることを意識させられ、コンプレックスになりかけてるのに……
◇◆◇
結局契約は成立してしまい、ボクはタクトという男の従人になった。しかも先日十五歳の誕生日を迎えたところだと言われて、すごく驚いたよ。ボクより少し年下じゃないか。
だけどこいつ、ボクの喋り方や態度の悪さを全然気にしてない。捕まってた時に聞いた話だと、主人に逆らったり口答えすると、指輪の力で拘束されるって話だったけど……
現に無抵抗なまま殴られている従人を、さっきも目にしている。ボクたちみたいに会話を交わしながら歩く従人がいないのは、ああした報復を恐れてるからだろう。やっぱり従人の扱い方をよく知らない、世間知らずの上人じゃないだろうか。
身なりは普通の上人より少しましだけど、上層街に住んでいる才人とは違う気がする。遠目に何度かみたことのある彼らの姿は、別世界で暮らす住人って感じだったし。
目の前にいるこの男は、どう見ても俗物まみれだしね。だいたい店の中でも外に出てからも、視線を下げ過ぎなんだよ!
でも捕まってからずっと感じていた息苦しさが、いつの間にか消えていた。道の真ん中で立ち止まり、妄想にふけるような変人だけど、なぜか話すのが苦にならない。どうしてなんだろう?
◇◆◇
それから買い物につき合わされ、大量の水麦を買う姿にめまいを覚える。やっぱりボクのご飯はそれになるのか。お腹いっぱい食べさせてくれそうだけど、少しでいいから水麦以外も食べてみたい。家畜の餌なんて言われて買ってた、売り物にならない野菜や果物、あれも食べさせてくれるのかな。
だけどボクに無理難題をふっかけたり、すぐ弄んだりする子供っぽい性格をしたやつだ。ぜったい素直に食べさせてくれるはずがない。こんなのと契約することになるなんて、不幸すぎて涙が出そう。
ボクたち野人は湿地で大量に収穫できる水麦と、水辺に生えてる草を主食にしている。それを一緒にどろどろになるまで煮て、なんとか飢えを凌ぐ毎日。大人たちがどこかで野菜くずや、肉片の付いた骨を拾ってくることがあるけど、場所や方法は教えてもらえなかった。なんでも縄張りやルールがあるんだとか……
森には魔物が生息してるので、レベルがゼロのボクたちじゃ近づくこともできない。なにせ森に入った者は、大人も子供も例外なく襲われてしまう。そんな恐ろしい場所だ。食べ物の宝庫だってわかってるのに、すごく悔しいよ。
だからボクはレベルを上げ、強くなりたいって思ってた。それくらいレベルっていうのは、大きな力になる。
性格の悪いこの男は、本当にボクを強くしてくれるんだろうか。
◇◆◇
お風呂に入れと言われたけど、どうしたらいいのかさっぱりわからない。お湯がいっぱい溜まってる場所に、入ってもいいのかな? もしかしたら、体を流すために溜めてるのかも。それにタオルと一緒に置いてる、いい匂いがする四角い塊はなんだろう。
とにかく変な使い方をしたら怒られそうだし、お湯で体を流すだけにしてお風呂を出る。
そしたらアイツにすごく怒られた。しかもなにを言ってるのか全然理解できない。なんなんだよ、モフ値って……
制約のせいで抵抗できないボクのしっぽを無遠慮に洗い、頭や耳もさんざん触られた。くすぐったくて、むずむずして、なんか気持ちがフワってなる感覚に襲われ、口を引き結んで耐えるしかなかった。
だけどそのあと聞かされた話は衝撃的だ。野人には四個の数字しかないこと、そして上人には八個の数字があること。そしてなぜかボクには、使われていない四個の数字が備わっている。あまり理解できなかったけど、特別な存在だと言ってもらえたのは嬉しい。
お風呂を出たらベッドのある部屋で待てと言われ、すぐ気持ちは沈んでいったけど。
◇◆◇
どんなエッチなことをされるのか不安で下を向いていると、目の前に差し出されたのは瓶に入った水麦と木の棒だった。なんでこんなことをさせるのか理解できないけど、それをしてる間は手を出さないって言われて作業を始める。
そしたらアイツはボクのしっぽに暖かい風を当て、ブラシで擦りはじめるじゃないか。なんでそんな事するんだよ、くすぐったいだろ。いくら言っても聞いてくれないし、もう諦めるしかないのかな。しっぽなんて野人はみんな持ってるのに、なんで事あるたびに触りたがるんだろう。本当に変なやつ。
だけど今まで見たことないくらいしっぽがフワフワになったし、髪の毛もサラサラしてる。それにアイツの苦手なことも教えてもらえたから、ちょっとだけ距離が縮まったかも。本当にちょっとだけどね。
◇◆◇
ずっといい匂いがしてたから、アイツだけ美味しいものを食べるんだろうと思ってた。だけどテーブルの上には、同じ料理が二人分並んでいる。でもお皿の上に乗ってる水麦は、ところどころ焦げてるし形も残ったままだ。言われるまま白くなってくるまで頑張ったんだけど、これ本当に食べられるのかな。
とか思ってたけど、食べてみるとすごく美味しかった。アイツは便利な生活魔法を色々使えるけど、これが一番すごいよ! 水麦独特の臭みもないし、噛めば噛むほど口の中に味が広がっていく。小さく刻んた野菜やお肉まで入ってるなんて、めったに食べられないごちそうだ。
まだ作ってる途中だと言ってたけど、茶色いソースも美味しかった。骨で作ったスープとか、茹でた野菜にかかってた油みたいなのとか、今まで知らなかった味に溺れてしまいそう。身勝手で意地悪な契約主でも、こんな料理が毎日食べられるなら、耐えられるかもしれない――
――…‥・‥…―――…‥・‥…――
夜中にふと目が覚め、今日のことを思い出していた。目の前で寝息を立ててる男は、今もボクを腕枕しながらしっぽを触ってる。
「どんだけボクのしっぽが好きなんだよ、この変態」
眠っている間も離さないなんて、いくらなんでもやりすぎだ。とにかくこいつは、従人に対する接し方がおかしい。言葉遣いや態度を矯正されないし、ボクたちを消耗品扱いしなかった。それがどれだけ異常なことか、今のボクならわかる。
一時期のボクは従人に憧れたりしたけど、ほんとに世間知らずの子供だったんだと、今さらながら気づく。それでも従人になることを諦められないのは、野人に流れる血のせいだろう。強くなりたいって衝動に、生半可な気持ちでは抗えない。
「大切にされてるんだっていうのは、わかるんだけどなぁ……」
きっと今の待遇は、愛玩用やコンテスト用の従人より上だろう。お風呂や食事、そして寝る場所まで契約者と同じなんて、まずありえない扱い方だ。体を対価に主人と同じベッドで寝たり、コンテストに優勝するため食事をしっかり摂る。あるとすればこれくらいのはず。でもこの男は肉体関係を迫ってこないし、待遇に条件をつけたりしてこなかった。
だけどなかなか素直に喜べない。なんといっても言動が残念すぎるからだ。やたらしっぽや耳を触りたがるし、ボクの意思を無視してことを進めたがる。
まあ、なんだかんだで受け入れてしまう、ボクも悪いんだろうけど。
「だって結果的にボクのためになってるんだから、仕方ないじゃないか」
ごわついて気持ち悪かった髪やしっぽは、見違えるほどスッキリした。それにずっとヒリヒリしていた全身の傷跡も、すっかり気にならなくなってる。
寝るときだってそう。こんなフワフワの場所で、眠ることができるんだろうか。なんて考えてたら、今の状況だ。
「まったくキミは憎たらしい人だよ」
そんなことをつぶやきながら、男の頬を軽くつねってしまう。少し身じろぎされたけど、目を覚まさないみたいでほっと一息。そこでボクは重大なことに気づく。
従人は契約主を害せないように、制約がかけられている。でも今、軽くとはいえ頬をつねることが出来た。つまりそれは、一番基本的な制約も解かれてるってこと。もしかしたら、このままそっと逃げ出せるんじゃないだろうか……
「でもまあ、もう少しだけ付き合ってあげようかな。まだキミのことも、よく知らないしね」
幸せそうに眠る男の額を、指先でちょんと突く。
そしてボクも目をつぶり、眠気に身を委ねるのだった。