0102話 質問に答えてください
切れ長で少しつり上がったブルーグレーの瞳が、俺のことをじっと見ている。明るく鮮やかな紅赤の髪は、少し伸びただろうか。ずっと俺から逃げていたニームが、こうして向こうから話しかけてくれるとは……
時の流れというのは、人を大きく変えてしまうものなんだな。
「久しぶりだな、ニーム」
「質問に答えてください、兄さん。どうやってここに潜り込んだんですか?」
「潜り込んだって、お前。さすがにそれは無理だろ。ちゃんと正規の方法で入館してるぞ」
唯一の入り口は厳重な警備が敷かれているし、建物の外壁には換気用の小さな窓しかない。なにせ書物にとって、直射日光は劣化のもとになる。防犯のため窓には鉄格子がはめられているから、ジャスミンでも通り抜けられないだろう。
とりあえず現物を見せて納得してもらうか。そう考えた俺はテーブルの上に、もらったばかりの黒いカードを置く。
「なっ!? ……黒の閲覧カード」
「とある人の口利きのおかげで、ここの館長がさっき発行してくれた」
「待ってください。十年ほど前に禁書の盗難があって、カードの発行審査が厳しくなってるんです。白や赤ならともかく、黒はその事件以降に一枚も出ていないはずですよ。それをくつがえせる口利きって……」
「そんな事があったのか、ニームは物知りだな」
ワカイネトコ大図書館で利用できるカードは、学生や一般人用の白と研究者用の赤、そして禁書庫まで閲覧できる黒だ。さすがにオレガノさんの威光は半端ない。まさかそんな事件があったにも関わらず、黒を発行してもらえたとは。
「そもそも記載されている名前が違うじゃないですか。さあ兄さん、私がついて行ってあげますから、大人しく自首しましょう」
「待て待てニーム。俺は除籍されたときに、家名を失っている。だから心機一転のつもりで、名前を変えたんだ」
仕方がないので冒険者証を取り出し、そこへ魔力を流す。するとカードの表面に、ギルドの紋章が浮かび上がった。中央図書館を介した認証が主になるこの世界では、名前というのはあまり重要でない。しかし冒険者証は、一応公的なものだ。
「確かに同じ名前ですし、兄さんの魔力に反応したのなら、誰かから盗んだということもありませんね」
「いちいち窃盗犯扱いするな。お前の中で俺のイメージは、いったいどうなってる」
「一日中離れに引きこもってる、得体のしれない変人ですが?」
くそっ。ニームのやつ、こんなに口が悪かったのか。ほとんど話したことがないから、いま初めて知ったぞ。
「それにしても四つ星とは驚きました。見たところ愛玩用ばかり連れてますが、ズルしてませんよね?」
「するか!」
「兄さんのことですから、誰かに寄生したのでしょう」
初めて向こうから話しかけてきた相手に、どうして俺はディスられ続けなければならんのだ。
「まあそれは置いておくとして。見た目が変わりすぎて気づきませんでしたが、もしかしてそこにいるのはミントですか?」
「はいです、ニーム様。ご無沙汰してますです」
「いつも視線を下げながらオドオドしていたミントが、真っ直ぐこちらを向いて話すなんて驚きです。それに耳とかしっぽが、以前とは大違いですよ」
「毎日手入れを欠かさない成果だな!」
さすがに妹といえども、俺たちの秘密を明かすことはできん。幸いニームが知ってるのはミントだけ。これで押し切るしかない。
「でも、おかしいですね。兄さんって従人と契約できないはずでは?」
「その辺りはちゃんと理由がある。だがこれ以上ここで話し込むわけにはいかん。他の閲覧者に迷惑をかけてしまう」
「私としたことが、確かにそうです。こんな場所に兄さんがいるとは思ってなかったので、ついつい話し込んでしまいました」
「もし時間があるなら少し付き合え。ニームの疑問に、できるだけ答えてやる」
「ここにはちょっと調べ物に来ただけなので、構いませんよ。寮は門限までに帰ればいいですから」
さっきまで周りに人がいなかったのに、徐々に閲覧者が増えてきた。ニームと同じ年くらいの者が多いということは、学園の授業が終わったからか。明日からは午前中に来たほうが良いかもしれんな。見て見ぬふりが出来る研究者たちとは違い、学生なんて好奇心旺盛だ。俺たちの調べ物が噂にでもなったら、どこに漏れるかわかったものじゃない。
「ちょうど調べ物も一段落したし、とにかくここを出よう」
「兄さんの手にしてるそれ、古文書ですよね。読めるんですか?」
「古代文字くらいなら、辞書なしでも読めるが?」
「うわっ、さすが引きこもり。無駄に知識だけはありますね」
ちょっと辛辣すぎるぞ、ニーム。こうして話しかけてくれるようになったのは良いが、そんなに俺のことが嫌いなのか。とにかく変な誤解を与えないように、そつなく立ち回るとしよう。
◇◆◇
大図書館を出て、八人で商業区を目指す。去り際に館長が出てきてペコペコしだしたので、またニームに睨まれてしまった。脅して閲覧カードを発行したんじゃないからな。
「それにしても、見たことのない毛色のレア従人ばかり。一体どこにそんなお金があったのですか。しかも全員が女とか、不潔すぎます」
「言っておくが、愛玩用じゃないからな。全員で森に入るし、旅の間はボディーガードもしてくれる。お前の隣りにいる虎種の従人と同じだ」
ニームより少し歳上なんだろうか。背は数センチ高く、顔つきも若干大人びている。しかし注目すべきはその毛色! 彼女の髪は雪のように白く、耳としっぽの先だけ黒い。これはアルビノタイプのレア種だ。しかも二等級の品質五番とか、よく手に入ったな。
「ふーん。狼種の子はわかりますが、残りはどう見ても……。と言うかですね、なんで有翼種がいるんです!」
「あら、やっと気づいてくれたのね」
「兄さんが人形を肩に乗せる変態趣味になってしまった、そう思い込もうとしてたのに。手を振ったり踊ったりされれば、嫌でも言及したくなりますよ」
「変態趣味とか言うのはやめないか。そもそもお前は、なんで声をかけてきたんだ。家にいた頃は俺を見ると、物陰に隠れてただろ」
おかげでまともな会話をしたことが一度もない。出会い頭に挨拶したら、脱兎のごとく逃げられたこともある。それがどうして、こうなってしまった。
「ああ、そのことですか。それは兄さんが怖かったからに、決まってるじゃないですか」
「やっぱり怖がられてたんだ」
うるさいぞ、シトラス。こっちをニヤニヤと見やがって。
「……あるじ様は、優しい」
「旦那様に使役していただいて、わたくしは幸せです」
シナモンとユーカリはいい子だな。よしよし、頭を撫でてやろう。
「今はタクト様の近くにいても、平気になられたのです?」
「相変わらず威圧感を受けますが、その理由がわかりましたからね。原因さえ特定できれば、なんてことないです」
「一体どういうことなんだ?」
「私に発現したのは[魔導士]のギフトです。つまり他人の魔力を感知する力が、子供の頃から備わってたんですよ」
これはまた珍しいギフトを授かったな。それならマノイワート学園に留学してくるのもわかる。ニームのギフトを伸ばすには、ここが一番最適だ。
「それってさ、前にキミが言ってた魔素を感知できるやつ?」
「ああ、その通りだ。ニームのギフトなら、魔力に加えて魔素までわかる」
「そんな力のおかげで、私は幼い頃から兄さんの魔力に威圧され続けていたわけです。得体のしれない恐怖に怯えていた、私の気持ちがわかりますか?」
「俺を見たら隠れていた理由がわかってホッとした。わざとやってたわけじゃないが、悪かったな」
十五歳になったら発現するギフトは、あくまでも知覚できるのが、その年齢というだけ。特殊な力や感覚は、生まれたときから備わっている。もっともまだ未発達なので、自覚できる者はほとんどいないが……
それなのにニームは、小さい頃から魔力の感知ができていた。つまりギフトとの親和性が高い、かなり優秀な使い手ということ。魔導士のギフトなら、細かい魔法制御や、効率の良い事象改変が可能になる。魔法に関してなら、万能選手になれるだろう。
「謝罪だけで許したりしませんよ、ちゃんと賠償もしてください」
「従人と入れる店があったら案内してくれ。そこで好きなものを奢ってやる」
ニヤリと笑ったニームが、先頭に立って歩き始めた。従人をファッションアイテムの一つとみなすこの国では、一緒に入れる飲食店が多い。この街に関しては俺より詳しいだろうから、任せておけば安心だ。
作中に出てくる禁書の盗難が、ユーカリを洗脳したあの本です。
次回は個室喫茶に入る主人公たち。
「0103話 財布の出血を心配してるんじゃない」をお楽しみに!