07
「ラビ君……今、なんて……?」
「いい気味だって言ったんだよ。自業自得だろ。ぼくをぞんざいに扱った罰が下ったんだ」
そのままラビ君は、不自然に顔を歪めて、何をするでもなくわたしの隣を通り過ぎていった。
…………なんで? なんでそんなこと言うの?
わたし達、ずっと一緒だったよね?
一緒に、頑張ってきたよね?
「先にぼくを追放したのはお前らだ。アレッサちゃんも賛成したよね?」
「誰も追放なんかしてないです! あれは、お互い冷静じゃなかったから、1度頭を冷やそうって……!」
「すぐに次を見つけて、その後もパーティーを組んでたじゃないか」
「だから、誤解です! ちゃんと今回のクエストが終わったら迎えに行こうって、みんなで話してたの!」
「みんなの役に立つために一生懸命やってきたのに、ぼくがどれだけ絶望したかわかる?」
「――っ! お願い、話を聞いて!」
いつの間に、こんなに距離が開いてしまったのだろう。
ラビ君は全く振り向いてくれなかった。
「ねえ、待って……! あぐっ!?」
手を伸ばそうとしたわたしの肩を誰かが引っ張り、そのまま足を取られてわたしは床に転倒してしまう。
顔を上げると、アーシェという狩人の少女が不快そうな顔でこちらを見下ろしていた。傍には神官の少女もいる。
「見苦しいわよ。さっきから聞いてれば自分の都合ばっかり。みっともないと思わないの?」
「……どいて! わたしはラビ君と話を……!」
「ラビもそうやって必死で訴えたそうじゃない。アンタ達は無視して追い出したそうだけど」
「……! お願いだから通して! ラビ君と話をさせて!」
「いざ自分の番になったら感情的になってわめき散らすんですか。屑女から糞女に昇級です……ねっ!」
「!?」
少女の手にした長杖がわたしのくるぶしを思い切り打ち据えた。
骨を襲う痛みに耐え切れず、わたしは再び地べたに崩折れる。
「痛……っ! お……おねが……っ! ラビ……くん……っ」
「うぜーって言ってんだろ! 君付けで呼んでんじゃねーよ、カス女! いつまでも幼なじみ面してんな! ラビ様を酷い目に遭わせやがって! おらおらっ!」
顔をあげようとするたびに、わたしは何度も叩かれた。
動けば動いたところを叩かれた。
次から次に憎しみをぶつけられて、その内にわたしは抵抗できなくなった。
「おい……いつまでもそんな穢らわしい女に構うな」
「いいじゃないですか。《聖女》ならこのぐらいの傷、余裕で治せますよ。ラビ様の心の傷は一生治らないんですよ?」
「考えてみればそうよね。……じゃあ、わたしも遠慮なくっ!」
次の瞬間、背中を丸めて耐えるしかないわたしの腹部が下から押し上げられ、臓腑が押し潰れるような衝撃が走る。
「――っ!?」
ぐるりと歪む視界の端で見たのは、愉悦の笑みを浮かべながら脚を上げた《狩人》の姿。
お腹を思い切り蹴り上げられたのだとわたしが知った時には、胃の中からこみ上げてきた嫌な味のするものに呼吸を奪われ、悶えるしかなかった。
「げほっ! ごほごほっ! うげぇっ!」
「ほら、苦しい? ラビの苦しみはそれ以上なのよ。わかったら、2度と近づかないでね」
視界の端に映ったのは、こちらに見向きもしないラビ君の姿。
今度こそ後を追うこともできず、身動きの取れなくなったわたしはひとり坑道に残された。
「………………ひぐ」
孤独。
その事実が心にどんどんのしかかってくる。
つらくて苦しくて、涙が溢れてくる。
「……うぅ、ぐす……う……うぇぇ……っ」
何もできなかった。
ヴィクト君とカーナはもういない。
ラビ君には見捨てられた。
3人の幼なじみの誰ももう傍にはいない。
わたしは、ひとりぼっちになった。
☆★☆★
それから、どこをどう歩いたかはよく覚えていない。
気付けばわたしはラクシャの町に帰っていた。
ギルドに戻って、2人が死んだことを報告する。受付の女性は特に驚いた様子もなく淡々と手続きをしてくれた。
「あの辛気臭い女、《聖女》じゃねえか。ひとりでどうしたんだ?」
「仲間を見捨てて自分だけ逃げ帰ってきたんだってさ」
「まじかよ、最低な女だな」
他の冒険者から冷たい目を向けられたが、言い返せることはない。
ギルドの待合所にはラビ君達のパーティーもいたが、あの3人が彼を守るように立っていたためすぐに諦めた。
なにより彼の表情が近寄るなと言っていた。
仮宿に戻ったわたしは、部屋の隅で膝を抱えてうな垂れた。
「ヴィクト君……カーナ……」
2人の顔を思い浮かべても、すぐにあの時の光景が蘇る。
考えれば考えた分、辛い現実がのしかかってくる。
どうして、こんなことに。
いくら考えても答えは出て来ない。
涙も枯れ果てて、どれほどの時が過ぎただろう。
ふとドアがノックされ、わたしを呼ぶ声がした。
「アレッサや。おるかのう」
鉛のように重い体をどうにか起こしてドアを開くと、司祭様が立っていた。
「久しぶりじゃな。随分大変だったようじゃの」
「司祭様……わざわざ教会から来てくださったのですか?」
「心配でいてもたってもいられなくてのう。少し外に出てみんか。表に馬車が止めてあるんじゃ」
「……はい、ありがとうございます」
わざわざ遠くまで足を運んでくれた司祭様の心遣いが嬉しかった。
教会の紋章が入った大きめの馬車に乗ると、司祭様は馬車を出発させる。
「心中は察するが、塞ぎ込んでいるわけにもいくまい。そこで1つ提案があるんじゃが」
しばらく馬車を行かせた後、対面に座る司祭様がおもむろに口を開いた。
「以前も言ったと思うが、教会を預かってみんか?」
「それは……」
「孤児院時代からの友人と一緒に冒険者になるのがおぬしの夢だったはず。これ以上、拘る理由もないはずじゃ」
……そうだ、わたし達は4人で一緒に冒険者になりたかったんだ。
それをどうして、少しの間でも離れようなんて考えてしまったのだろう。
どうして、わたしは止めなかったのだろう。
「おぬしなら立派な聖女になれる。わしが保証するぞ」
「司祭様……」
そういう道もあるのかもしれない。
もうわたしの夢は、壊れてしまったのだ。
2人を悼んで祈り続けるのも、選択なのかもしれない。
「じゃがのう、おぬしが肩書きだけでなく教会の信徒として聖女となるためには1つ問題があってな」
その申し出にわたしは首肯しようとして、だけど、何故か司祭様は馬車の窓を閉めた。
まだ明るいから真っ暗になることはなかったが、嫌な空気が車内を流れる。
「……し、司祭様?」
「アレッサや。おぬしの仲間の中には若い男もおったそうじゃが……肌を重ねるようなことはなかったじゃろうな?」
「……は?」
何を言われたのか、わからなかった。
尚も司祭様はわたしの隣に移動し、必要以上に体を寄せてきた。
「知っていると思うが、教会は婚前交渉を禁じておる。おぬしが既に穢れた身ならば教会の聖女は務まらん」
「し、してません。わたしはまだ清い身です」
「そう言われてものう、もしやということがあれば、おぬしを聖女に推挙した儂の身も危うい。そこで、これは密儀なんじゃがな……」
それは愛しむような、慈しむような笑みだった。
瞳の奥にある暗い感情に気づき、わたしは初めて司祭様を初老の男性なのだと自覚する。
だけどその時にはもう、何もかも遅かった。
「……なっ!? い、いやっ!」
太腿に走るおぞましい感触。
司祭様の手が這い回っていると知り、わたしは青ざめる。
「聖職者のわしがお前の体を“清め”れば、下賤な男がどれだけ体をまさぐっていようと関係ない! さあ、洗礼を受けるんじゃ!」
「やめてください、司祭様!」
飛び掛かるように司祭様がわたしに覆いかぶさる。
スリットの中に手を侵入させようと、押し込めてきた。
「前から良い体をしとると思っておった。毎日おぬしと顔を合わせるたびにどれだけ辛抱したことか。なあに、悪いようにはせん。これは聖女になるため必要な――」
押さえつけられ、体をまさぐられるたびにおぞましさが襲う。
必死で抵抗するものの、男性の力の前ではどうすることもできず、どんどんと追い付められていく。
やがて服の肩口をはだけさせられたところで理性の糸が切れると、わたしは無我夢中で暴れた。
「もうやめてえっ!!」
手足をばたつかせて抵抗するとその内の一撃が、たまたまその股間に吸い込まれた。
「おごうっ!?」
男性のそこは急所だと聞いていたが、はたして司祭様は床に両膝をつく。
そのままぷるぷると股間を押さえてうずくまってしまった。
「あ……あの、司祭様?」
おそるおそる声をかけると、キッと司祭様は憎悪に歪んだ眼差しをこちらへ向けた。
「よ、よ、よくもやってくれたな、この雌豚が……! 優しく慰めてやろうと思えば、調子に乗りおって……!」
人格者だと思っていた人物から出た台詞とは思えなかった。
周囲の人間が次々豹変していく現実に、ずっと悪い夢を見ている気さえしてくる。
「おい、行先は変更じゃ! 近くの異端審問所へ向かえ!」
壁を叩いて御者に告げる司祭様。
悪夢はまだ続いていた。