桜が咲く下で〜和菓子と君〜
あたしは今日も桜を見てはため息をつく。
だって桜が満開だった季節--ちょうど一年前に長年付き合っていた彼氏にフラれたからだ。彼氏は名前を洋介といい、同い年だった。あたしは今年で高校三年生であった。洋介とは中学二年生の時から付き合っていたが。四年も付き合ったけど高二になってフラれた。なんでかと言うと「新しい彼女が出来た」という理由だ。当然、あたしは洋介に平手打ちをお見舞いしてやった。ふざけんなと思いながら。そうして誰とも付き合う気になれずに早くも一年が経ち、来年になったら卒業となったのだった。
次の日、同じクラスの親友である美由から「お花見に行かない?」と誘われた。あたしは驚いて美由を見た。
「……え。美由、彼氏と約束があったんじゃないの?」
「いいんだって。真奈もそろそろ彼氏がほしいかなって思ったんだよね」
「そ、そうかな。洋介の事はもう忘れたし」
あたしが焦って言うと美由は怪訝な顔になった。
「……本当に忘れたの。そんな風には見えないけど」
「……美由」
「真奈の事だから無理してたのわかってるんだよ。私で良ければ。彼氏の友達を紹介してあげる」
「い、いいよ。さすがに悪いから」
「そんな事言ってたら本当にすぐに卒業式になっちゃうよ。私に任せといて」
美由はそう言う。そして「じゃあ。また今週の日曜日ね」と手を振って自宅の方向へと行ってしまった。あたしは断るタイミングを逃してしまって唖然とする。まあ、美由の彼氏の三木君は信用できる人だけど。ふうと息をついたのだった。
三日が過ぎて日曜日になった。あたしは朝の四時半から起きて母さんと一緒にお弁当とデザートの和菓子で桜餅を作っていた。お弁当はごま塩入りとおかか入りの海苔付きのお握りが五個と鳥のから揚げ、ウィンナー、茹でたブロッコリー、プチトマト、カボチャのフライに沢庵漬けとボリュームのある感じだ。前日の夜から水につけて置いたもち米を炊飯器で炊いて食紅を入れて混ぜて。買い置きしていた漉し餡を出して小さな丸型に丸めておく。食紅を入れて混ぜたもち米を丸めて中に漉し餡を入れて形を整える。塩漬けにした桜の葉でそれをくるんで完了だ。
「……ふう。母さん。意外と桜餅も難しいね」
「でしょう。おばあちゃんから教わっておいてよかったわ。真奈がお弁当を作りたいって言うから一緒に作ったけど」
「ごめんね。つき合わせちゃって」
「いいわよ。久しぶりに真奈とお料理ができたから。気にしないの」
「……うん。わかった」
あたしはできたお弁当--重箱の上の段に出来上がった桜餅を六個ほど入れた。そうした上で重箱を風呂敷に包んだ。
「真奈。今は六時だから。もう一回、顔を洗ってきたらと思うの」
「そうだね。じゃあ、顔を洗ってくるよ」
「その方がいいわ」
あたしは母さんの言葉に頷いて洗面所に向かう。手を軽く石鹸で洗って前髪をピンで留めた。お水で顔も洗い、タオルで拭く。そうした後でお化粧水をつける。乳液も塗り込んでから薄くメイクをした。道具は母さんや友人からもらったり一緒に買いに行ったものだ。まずはBBクリームを塗ってアイブロウで眉毛を描いた。アイラインやマスカラを軽くしてカラーリップを塗る。チークもして最後に薄くフェイスパウダーを使った。メイクを終えたら汚れないように着ていたパーカーを脱ぐ。実はお出かけ用のシャツとジーンズを着て上から薄いパーカーにエプロンをつけていたのだ。髪につけていたヘアピンを外した。ブラシで髪を整えた。肩より少し長めの黒髪をヘアゴミで後ろに束ねる。そうした上で台所に向かう。包んでおいた重箱とペットボトルのお茶を大きめのトートバッグに入れた。お財布とスマホ、メイク道具などが入ったポーチも入れておく。ハンカチやポケットティッシュも忘れない。
「……じゃあ。行ってきます」
そう言って玄関に行く。母さんは行ってらっしゃいと答えた。あたしは玄関でスニーカーを履き、ドアを開けた。閉めて車庫にある自転車に乗る。重箱などが入ったトートバッグをカゴに入れてペダルを漕いだ。美由と三木君達が待つ自然公園へと出発したのだった。
自転車で十五分くらいは漕いだかもしれない。軽く身体は火照って汗をじんわりとかく。やっと自然公園が見えてきた。桜が満開に咲いているのが視界に入る。さあと風が吹いてくるくると花弁が舞った。日の光に照らされた桜の薄いピンクがなんとも言えない気持ちにさせる。
あたしは深呼吸して自転車を乗り場に停めると鍵をかけてから美由と三木君の姿を探す。すぐに「こっち、こっち!」と言う声が聞こえた。見ると美由が勢いよく手を振っていた。あたしは小走りで公園の中に入る。
「……美由。先に来てたんだね!」
「うん。楽しみ過ぎて先に来ちゃった。まだ朝の七時半頃だけどね」
「ていうか。こんな寒い中で待っててくれたの?」
「そうだよ。でも悠太君が温めてくれたから」
「……ごちそうさま。まあ、美由が風邪をひかなくて良かったよ」
そう言うと美由はくすくすと笑う。あたしもつられて笑った。
「……本当に二人は仲が良いよな」
「……三木君」
苦笑しながらやって来たのは三木君こと三木 悠太君だ。美由は彼を悠太君と呼んでいる。黒い短く切り揃えた髪とクリッとした濃い茶色の瞳が印象的な可愛い系の男の子であるが。三木君は意外と真面目で誠実な性格だ。今ドキに珍しい硬派な感じといえた。けど三木君の隣にいるもう一人の男の子に釘付けになってしまう。サラサラの黒髪は硬い髪質の三木君よりも柔らかそうで。眉目秀麗という言葉が合う目鼻立ち。すっきりとした頬から顎のラインが印象的だ。瞳は日本人には珍しい琥珀みたいな淡い黄色だった。イケメンというよりも正統派の美男子といえる人が佇んでいる。
「……鈴木さん。紹介するな。こいつ、俺の同級生でクラスメートの斎藤 海里。カイ、この子は俺の彼女の友達で鈴木 真奈さん。彼女の美由とはクラスメートでもある」
「……初めまして。三木の言う通りでクラスメートの斎藤 海里といいます。よろしく」
「初めまして。あたしは伊藤 美由さんのクラスメートで友人の鈴木 真奈です。よろしくお願いします」
「よっし。自己紹介はこれで終わったな。美由。まだ朝は早いし。近くのカフェでも行こうよ」
「そうだね。斎藤君。真奈も一緒に行こうよ」
あたしが頷くと斎藤君も「わかった」と同意する。こうして近所のカフェに行く事にしたのだった。
カフェのパルベージュに行くと既に開店していた。店主のお姉さんに四人分のカフェオレと軽食のアーモンドトーストを頼んだ。パルベージュはちょっとイタリアンな雰囲気の小洒落た内装だった。店主のお姉さんとアルバイトの女性二人の三人で切り盛りするこじんまりとしたお店だ。あたしと美由は休日に来てよくパルベージュのミルクティーを飲んでいた。それのおかげで顔なじみになっていた。
「……三木君も美由と付き合い始めてもう二年は経つよね。卒業した後はどうするの?」
「そうだなあ。俺はその。できたら結婚も考えてるよ」
「え。それ、初耳なんだけど。悠太君」
「初耳って。つれないなあ。美由、プロポーズは後四年は待ってくれ。大学卒業したら結婚しようよ」
「……そこまでは待てないよ。せめて二十歳にして」
仕方ないなあと三木君は苦笑する。二人は甘ったるい雰囲気を放ちながらいちゃいちゃしていた。すると三木君の隣にいた斎藤君が居心地悪そうにしている。あたしはカフェオレを飲んでふうとため息をつく。
「……ごめんね。斎藤君。ちょっといづらいよね」
「……いや。そんなに気にしてない。むしろ、鈴木さんの方がいづらくない?」
「うーん。ちょっといづらいかも」
はっきり言うと斎藤君はにっと笑った。
「それには同感。早めにカフェオレとアーモンドトーストを片付けちまおう。お代は割り勘だけど」
「……うん。そうだね」
あたしと斎藤君は頷き合うと急いでトーストとカフェオレを口に運んだのだった。
先にお代を払ってあたしは斎藤君とお店を出た。まだ美由と三木君は二人だけの世界に夢中だ。なのでお店に置いてきたが。ちょっと申し訳ない気持ちがある。はらはらと薄いピンクの桜の花弁が風に運ばれてこちらにやってきた。
「……綺麗だな」
「うん。斎藤君は桜が好きなの?」
「どうだろうな。この花を見ていると昔に世話になった婆ちゃんを思い出すんだ」
ポツリと溢れた斎藤君の独白にあたしはどきりとする。昔にお世話になったお婆さんって。訊きたくなったけど。それは我慢して自然公園へと向かった。
公園に着くと適当なベンチを見つけた。そこでやっとあたしはトートバッグを思い出したが。斎藤君にそれを指さして聞いてみた。
「……あの。お弁当を作ってきたんだ。お腹空いてたら食べる?」
「……え。いいの?」
「うん。どうせ、美由と三木君はしばらく戻ってこないだろうし」
「わかった。じゃあ、一緒に食べてもいいかな?」
「いいよ」
頷くとあたしはトートバッグをベンチに置いた。左側に斎藤君が右側にあたしが座る。トートバッグから重箱を出して包みを解いた。蓋を開けて上の段と下の段に分けて置く。中のおかずなどのボリューム感に斎藤君は驚いたようだ。
「すごいな。これ、鈴木さんが作ったの?」
「……えっと。母さんとの合作。桜餅もそうだよ」
「へえ。んじゃ。いただきます」
手渡した割り箸で紙製のお皿に斎藤君はおかず類を取ると一口食べた。目を見開いた。
「……うまい」
「そう。良かった」
斎藤君は黙々とお握りやおかず類を平らげていく。あたしもちょっとずつ食べた。半分よりちょっと多いくらいの量を彼は食べている。あたしは半分より少ないくらいの量だ。それでもお腹は満たされた。
「……嫌でなかったら。桜餅も食べる?」
「え。いいのか?」
「うん。こっちもあたしと母さん特製だよ」
「わかった。いただくよ」
「斎藤君、気持ちいいくらいに食べるね」
「……そうかな」
ふと言うと不思議そうに斎藤君はこちらを見る。琥珀の瞳があたしをまっすぐに捉えた。それにまたどきりとなった。
「うん。三木君よりも食べっぷりがいいかも」
「……かもな。俺、燃費が悪いから」
ボソッと言うと斎藤君は桜餅を食べた。葉っぱを取ってから口に運ぶ。
「……うん。こっちもうまい」
そう言いながら葉っぱも食べた。綺麗に平らげるからあたしもちょっとポカンとなった。でもすぐに気をとり直して一つの桜餅を手にする。葉っぱを取ってから口に運んだ。もち米についた塩味とあんこの甘味がちょうど良くて頬が落ちそうなくらいに美味しい。これは今までの桜餅の中でも傑作だ。そう思いながらモグモグと食べた。二個目と手を伸ばしたら既に桜餅は残り二個になっている。あたしはそれでも気にせずに食べ続ける。気がついたら重箱の中は空になっていた。お口直しにとお茶を飲みながらほうと息をつく。
「……ごちそうさん」
「うん。ごちそうさま。よく食べてたね」
「ああ。本当にうまかった。ありがとうな」
斎藤君はそう言って爽やかに笑った。その笑顔に見とれてしまう。ざあっと風が吹いて桜の花弁が視界を覆い尽くす。あたしは目を開けていられなくて瞼を閉じた。不意に頬に温かい何かが触れる。目を開けると斎藤君の綺麗な琥珀の瞳がすぐ近くにあった。
「……さ、斎藤君?」
「ん。ほっぺたに花びらがついてる」
そう言って頬についた花びらを取ってくれた。余計に胸の鼓動が速くなる。あたしは慌てて重箱やお茶を片付けてトートバッグに入れたのだった。
一時間後にやっと美由と三木君が戻ってきた。時刻は午前十時頃になっている。あたしは美由に「先に帰るよ」と言って自宅に帰る事にした。そしたら何故か斎藤君が付いて来る。
「……斎藤君。なんで付いて来るの?」
「なんでって。鈴木さんの桜餅、気に入ったからさ。また食べたいなと思って」
「斎藤君。あたしと君は初対面だったはずだけど」
そう言うと斎藤君は肩をすくめた。
「……確かにそうだけど。実はさ。三木には君が彼氏を探しているって聞いてたんだ。それで頼まれて来たんだけど」
「……え。三木君って斎藤君にそんな事を話してたの?」
「ああ。ごめん。前もって言っておいたら良かったな」
斎藤君は一転して眉を下げて謝ってきた。あたしは仕方ないなとそれ以上は文句を言うのをやめる。
「……わかった。斎藤君。桜餅もお弁当も残さずに食べてくれたから。お礼としてメルアドを交換してもいいよ」
「え。いいの?」
「うん。どうせ、断ったとしても付いて来る気でしょ。だったらおつき合いをした方が建設的だと思って」
「……まあ。それは言えてるな」
「じゃあ。これから改めてよろしく。あたしの事は真奈でいいよ」
「こちらこそ。俺の事は海里でいいよ」
あたしはにっと笑った。斎藤君もとい海里君も同じように笑い返した。振り返ると手を差し出された。あたしはそれに自分の手を乗せる。ぎゅっと力強く握られた。ひらひらと桜の花弁が散る中であたしは新しい恋に一歩を踏み出したのだった。
終わり