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リックは台所で湯を沸かしながら、走り去ったエイミーを考えていた。
本当は、ああいう時はそっとしておくのが良いのかもしれない。
(と言っても、見て見ぬフリをするのもなぁ)
ポットに湯を入れると茶葉の匂いが広がった。
嫌がられたら素直に引き返そうと決めて、茶葉を蒸らした。
リックはいつもティータイムを過ごしているテラスに足を向けた。
ティーカップに入った飲み物の匂いに、エイミーは敏感に反応して振り返る。
「どうしたの?それ」
「ミルクティーぐらい簡単に作れるよ。前にカフェで働いたことがあるんだ」
トレイを置いて、ソーサーをエイミーに差し出す。
「少なくともお兄様には無理だわ。性格は器用なのに、手付きだけは赤ちゃんみたいに不器用なんだもの」
「いや兄に対して厳し過ぎだろ」
エイミーはカップに口を付けると目を見開いた。
「甘い!美味しい!」
実はエイミーの分だけ角砂糖三つくらい入れてある。
「エイミーかなり甘党だろ。多分この位がいいかなって」
日頃からエイミーの角砂糖の消費量は人の三倍はあった。
逆にアーノルドは紅茶は無糖派だ。
「私に姉が居たら、こんな感じかしら」
リックはうーん、と悩んだ。
(姉に例えられるのは複雑だ)
そもそもだ。
「居るだろ?『お姉様』」
「一応ね。お姉様と妹の三姉妹。でも私だけ他人だから」
それは三姉妹のエイミーだけが国王の妹の子供だからだ。
「でも家族なんだろ」
「違うわ。小さい頃から一緒に居るのに、私とお兄様だけ何か違うの。同じ空気を吸っていても、いつも違う世界に居るみたいだった」
「どうして。血が繋がっているのに」
それがエイミーの地雷だった。
ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
リックは心底後悔した、今の発言は不適切だった。
エイミーは怒らず、淡々と言葉を吐き出した。
「だからよ。私と、特にお兄様は王位継承順位をあやふやにする。
お姉様はお兄様を疎ましそうにしていて、私には優しいけど、どこか壁があった。物心付いてから養子と知って、そこで納得したの。
私達は敵だったのねって」
けれどもエイミーはしゃくりあげながら、
「城はいつも、私をはみ出し者だって知らしめる。それが辛くて、お兄様に頼んで時々ここに連れて来て貰ってたの」
(それで遥々ここまでやって来たのか)
例の盗賊の件より昔から、アーノルドはここで過ごしていた。
もしかするとこの別邸の本来の目的はエイミーの為にあるのかもしれない。
「お願いリック、あなたも一緒に城に来て」
リックは驚いて、一瞬言葉が認識出来なかった。
「・・・・・・えぇ!?いや、俺は今ちょっと追われていて」
「リックはそう言うけど、本当はそんなことないってお兄様が言っていたわ」
「王子が?」
(どうしてそんなことを)
ストラントの内情をどうやって把握しているのか。
不意に脳裏に閃く月光の下の彼女。
(昨日の彼女は剣士、いや情報屋か?あれがストラントの人間だったとしたら、それはもはや情報漏洩の根源じゃ・・・・・・)
しかしまだ不確定事項だ。
それはひとまず置いておくとして。
「俺の一存じゃ決められない」
「私がお兄様に掛け合うわ。でも、無理強いはしたくないの。・・・・・・あなたは、城に付いて来てくれる?」
すがるようなその目に、リックは頷くことしか出来なかった。
「それで二人の力になれるなら」
アーノルドからはあっさりと許可は降りた。
リックは貴族なので身分も問題無い。
早速二日後の友好パーティーの為に、その日の内に別邸を出立することになった。
***
城に着くと、リックはまた着替えさせられた。
今度は貧民街の調査ではないので、それなりに身綺麗な格好を求められる。
つくづく与えられて生きているなと、自分の幸せな境遇を思い知る。
「そしてこれは身分証だ」
アーノルドの付き人見習いの身分証だった。
実質雇い主は国であり、付き人ということはアーノルドの身の回りの世話をする使用人ということになる。
元々働くつもりでいたので、リックは逆にホッとした。
「ありがとうございます」
「エイミーが迷惑をかけたな」
「いえ、自分で決めたことです。それに、エイミーを泣かせてしまって、申し訳ありません」
「エイミーは君に怒っていなかっただろう。なら私が怒る筋合いは無い」
それより、とアーノルドは眉根を寄せた。
「私の付き人となると、狙われることもあるだろう。私が居る時は大丈夫だが、基本的に自分の身は自分で守って貰うことになる」
「護身術は足の速さだけ自信があります。剣はちょっと自信無いです・・・・・・」
「勿論フィジカルの面でもだが、メンタル面の話だ。困難を切り抜けるには知恵と判断力が必要だ。もしも陥れられそうになったら、どう対処するか、それはリック次第になる」
なるほど、単に命を狙ってくる輩ばかりではない。
例えば公の場でリックに恥をかかせたり、策略に陥れることで、簡単に罪を被せることが出来るのだ。
アーノルドはそこまで言わなかったが、リックに何かあるということは遠回しにアーノルドの沽券にも傷が付くということになる。
それだけは避けねばならない。
「勿論、自分の責任は自分で取ります。もし俺がヘマをすれば、その時は俺が俺を切り捨てます」
「・・・・・・そうか。君はまだ若いのに、すでに大人のような定規を持っているんだな」
「そんなことありません。王子程じゃありません。と言っても王子もまだ二十歳ですけど」
「不思議なものでね、苦労をすると精神だけ老いてしまう。勿論、苦労さえしなければいつまでも子供のまま、ということもある。全員が全員そういうわけでもないがね」
子供っぽい、というところで一人ピンと来てしまった。
「その後者はカリーナ王女のことでは」
アーノルドは小さく笑った。
アーノルドはリックがどうして逃げて来たのか、すでに知っている。
ならばその前の段階の婿探しパーティーも知っているだろう。
そしてリックのカリーナに対するトゲトゲしい感情を理解したからこそ、笑ったのだ。
「そうだね、彼女も苦労をしていないわけではないが、少し親が甘やかし過ぎている。その点第一王女のエレノアは、良い意味でその甘過ぎる愛情に浸ることなく育った」
「エレノア王女って、去年王位復権されたんですよね」
十九年前に起こった大火事。
それによってエレノアは遺体すら焼け尽くされたとして、亡くなったことになっていた。
しかし一年前、弟君の第一王子ルークによって生存が確認された。
「そう。最初エレノアは名前すら与えられる間もなく、火事で亡くなったことになっていた。けれども密かに生き延びていたんだ」
含みのある言い回しに、首を傾げる。
「その言い方だと、誰かが火事を起こして、それを陰謀を見越して生きていたことを伏せていた人物が居る、ってことでは?」
「そう。でもこれは、安易に踏み込んでは、抜け出すことの出来ない沼のようなものだ。今の話は、その沼に飛び込む覚悟が出来てから調べるといい」
「調べる前提なんですね・・・・・・」
アーノルドはニヤリと笑った。
「いつかは知らなきゃならない日ってモノが、人生にはあるんだよ」