第三話 Summer Vacation
日本に生まれ育った少年少女にとって一番憂鬱な時期。
それは8月20日を過ぎてから10日間をおいて他ならないでしょう。
どんな楽しいことだっていつまでも続かないものですよね。
7月には永遠に続くかと思われた長い夏休みもいつかは必ず終わりが訪れます。
どんな夢見がちな子供でも世の儚さをこうして知るわけですね。
だいたい8月20日くらいを境に楽園が崩壊するカウントダウンが始まるのでしょうか。
カウントダウンが終わればもちろん一か月も休んだ代償を支払わなくてはいけません。
言うまでもなく、夏休みの宿題たちです。
きちんと毎日少しずつやってさえいればたいした事もないのですけどね。
毎日1ページ程度やっていけば終わるくらいの夏休みのワークブック。
おそらく子供達にとって一番最初に原稿用紙と出会うきっかけとなる読書感想文。
そして夏休みの宿題のメインとも言える自由研究。
膨大なようでいて、挙げてみればこれくらいなのですよ。
ちょっと遅い子供は8月20日になるまでろくにやってない子もいるでしょうし、さらにものぐさな子供は25日を過ぎるまで始めない子供もいます。
中には何もやらないまま9月1日の朝に登校する大物もいるようですね。
いえいえ、もちろん憲太は良い子ですので遅くとも8月20日までには全て終わらせているのが毎年の常なのです。
しっかりやっておかないと母親の憲子が許してくれないので遊びにも行けないし、9月の誕生日にはプレゼントがもらえなくなってしまいますからね。
しかしたとえ宿題をしっかり終えていても長い夏休みが終わる、ということはやっぱり一抹の寂しさは感じます。
毎年なんとなく寂しげに聞こえるひぐらしの鳴く頃にはどうしようもないほどの喪失感を覚えますからね。
とはいえ、今年の憲太にとって夏休みは例年よりも特別なものでありました。
それは彼にとって一生忘れられないとある事が起きたからなんです。
8月15日。
幼い憲太も遠い昔に何が起こったのかくらいは知っています。
この日はテレビでは朝から戦争の記憶を特集したドキュメントが溢れますよね。
テレビの映画さえも「火垂るの墓」など戦争をモチーフにした作品が流れますから。
8月15日は年中喧しい日本も一年間でもっとも静かな一日を迎える日です。
憲太はもちろん憲太の母である憲子もまだ生まれていなかった遠い昔、日本が戦争に敗けた日です。
憲子は両親が広島の生まれでしたので、自然とその影響を強く受けて育ちました。
そしてそれは憲子の息子である憲太にも同じことです。
そうして考え方というのは世代を超えて受け継がれていくのですね。
憲太の家は毎年お盆の時期は帰省していました。
両親とともに憲太と憲太の弟である憲人の四人家族全員で広島の憲子の実家に帰省することが毎年恒例です。
憲太の一家が暮らす新興住宅地では引越してくる家族が多いから珍しくない事ですけどね。
広島で暮らす憲子の両親はまだまだ元気です。
そして彼らも成長した孫の顔を見られるお盆を毎年心待ちにしているんですよ。
神奈川県に生まれ育った憲太にとっても広島で過ごす日々はとても新鮮で、また祖父母の話す言葉もまるで外国語のようにも思えたものです。
小さな頃から毎年行ってるのに未だに祖父母や地元の人が向こうの言葉で話していると、何を話しているのか憲太にはまるで分からないんですけどね。
「それじゃあ…お母さん達は先に行ってるからね」
「明日は朝いつまでも寝ていないこと」
「ラジオ体操には行くこと」
「庭の花には水をあげておくこと」
「お菓子の買い食いしないこと」
「夜更かししないこと」
「外出する時は家の鍵は必ずかけること…」
細々とした憲子の言葉にちょっとうんざりしながらも、まだ反抗期が始まっていない憲太は頷きます。
こうも母親から細かい事をくどくど言われたら数年後には頷きもしなくなるかもしれませんけれど、ね。
そうです。
今年はお盆の前の二晩だけ憲太は初めて一人で留守番をすることになったのでした。
というのは今年の8月15日に憲太は県の市民会館で開かれる終戦記念日の式典で作文を披露することになっていたからです。
しかし今年は17日には憲太の父の仕事が始まるため、お盆の日から出掛けてはたった二日間しか滞在できないのです。
やはり憲子の両親も年に一度の事ですから、娘の家族が二日間しか滞在できないのでは寂しがらせてしまいますものね。
そうした訳で今年に限って憲太は一人だけ遅れて出かけることになったのです。
それは今年の6月の事でした。
授業の一環で戦争をテーマに作文を書く事になったのです。
その中で憲太の書いた作文が先生の推薦を受け、コンクールに応募すると県の最優秀作品に選ばれたのです。
学校であまり目立つ機会のない憲太だっただけに、大変面映ゆい気持ちになったものです。
そして終戦記念日に県の式典で憲太が最優秀作文の作者として朗読する、という運びになったのでした。
おとなしく、目立たない子供のようでも本が好きな憲太にとって作文は決して嫌いではありませんでした。
とはいえ、良いことでも目立つのが嫌いな現代っ子らしくそうした場で朗読するのは気が重いのも事実でしたけどね。
良きにつけ悪きにつけ、出る杭は打たれるのが常ですから目立つことは現代の子供社会の中では死活問題なのです。
大人の目から見て実に窮屈で仕方ないと思いますけど…これも時の流れでしょうか。
だからこそ当日の会場はクラスメイトや後輩達もいないのが憲太にとっては救いなくらいでした。
一方憲子にとって息子がそういう賞を受賞した事が大変自慢でした。
今までこうした表彰などを受けた事がなかったからかもしれません。
もっともそんな賞なんてなくても、自分の息子である憲太のことを憲子は深く深く愛していますよ。
別に人より優れていなくても心優しく元気に育ってくれたら良い、と憲子も心から思っていましたからね。
それはどんな親だって思う事で、子供は元気で健やかに成長する事が何よりなんですよね。
とはいえ、やはり息子が人に認められる事は母親として大いに鼻が高い事なのです。
世の母親というのはたいていそうしたものでしょうね。
ですから大切な長男に二晩だけ自宅で留守番をさせることになってしまっても、そうした晴れの舞台に立って欲しいと思ったのでした。
憲太もまた母親が自分の受賞を喜んでくれているのを心の中ではとても嬉しく思っていました。
そのためあまり気が進まない式典で朗読をすることに決めたのです。
その後、式典が終わってから午後には駅から新幹線で家族の後を追うことになったのです。
8月13日の朝。
両親と弟が先に広島に出発するのを憲太は玄関で見送りました。
母親の憲子が別れ際に寂しげで心配そうな顔をしていたので、憲太も少しだけ心細くなります。
いくらわかっていたとはいえ、自分の家で一人きりになるのはなかなかないことです。
バタンとドアが閉まると、急に静まり返った家がやけに寂しく、そして怖くも感じました。
父の運転する車の音が聞こえなくなると憲太は自分の部屋に戻りました。
まるで一人暮らしのようですが、何の物音もしない家で留守番というのは置き去りにされたような気持ちにもなってしまいます。
なんとなくつまらない気持ちになった憲太はベッドに横たわると、携帯電話を取り出しました(憲太も今どきの小学生ですからね。携帯電話くらいは持たせてもらっているんです)。
それは少し時間が遡って7月の話です。
梅雨で降り続いた雨が引きよせた事なのかもしれません。
ある日の下校途中に憲太は近所に住む母の友人の美帆さんと二人で帰る事になりました。
いえいえ、それどころかふとしたことから美帆さんと相合傘で寄り添うように歩いたのですよ。
美帆さんは母憲子よりも少し若いとはいえ、それでも30をいくつか回っています。
そんな二人が一つの傘に入って歩くというのはなんとなく不思議なことのように思えるかもしれません。
しかし、それから時折下校の時に二人は一緒になることがありました。
ううん、違いますね。
憲太は美帆さんとなるべく一緒に帰れるように、美帆さんはなるべく憲太と一緒に帰れるように無意識でお互いの姿を探すようになりましたから。
もっとも無意識ですからその事を二人は自覚さえしていませんでしたけどね。
そして一学期の終業式の前日のことです。
その日も憲太は美帆さんと二人で帰る途中でした。
雨は降っていませんでしたが、美帆さんは日傘をさしていたためまた相合傘のように寄り添って歩きました。
二人で帰るのも少しずつ慣れてきていたため、初めての時と違って一方的に美帆さんが聞いて憲太が話すという事もなくなっていました。
美帆さんも少しずついろんな話を憲太にする様になっています。
あまり自分の事を話さない大人しい女性だと憲太は思っていましたので、ちょっとだけ意外に思いました。
けれど憲太からみたら美帆さんの別の一面を知って、憲太は自分だけの秘密が出来たようで少しだけ密かな優越感を覚えます。
美帆さんは山梨の出身だったため子供の頃山で遊んだ話や初恋の人の話もしてくれました。
もっとも美帆さんの初恋の人の話を聞いている時、憲太はなんとなく嫌な気持ちになりましたけれど…。
もっともその何とも言えないもやもやした気持ちの正体は憲太にはまだ分かりませんでした。
自分が今誰かに妬いているなんてそんな自覚は小学生には難しいでしょうし、美帆さんもそんな憲太の嫉妬には気付くことはありませんでしたけどね。
それでも一緒にいる時間が増えることで二人から少しずつ固さは消えていったのです。
一緒にいる間憲太も少しは美帆さんを見つめる事が出来るようになりました。
そしてすぐ隣にいる美帆さんにを感じるたびに胸が高鳴るのを何度も自覚するようになっていきました。
美帆さんもまだ幼さの残る憲太の表情と、時折見せる大人びた優しい瞳や気遣いを感じるとついつい目尻が下がってしまいます。
その日もごく自然に美帆さんの仕事の話やテレビの話、天気の話もしていました。
終業式を翌日に控えた通学路というのは実に気楽なもので、自然と足取りも軽く口も滑らかになります。
それでも憲太にとってはあまり嬉しいことばかりではありませんでした。
しばらく学校もお休みになるという事は美帆さんともしばらく逢えなくなるという事です。
それがなんとなく悲しいような気がして、ふと会話が途切れた時に憲太は黙り込んでしまいました。
その時美帆さんが急に思いついたようにバッグから携帯電話を取り出しました。
「…憲ちゃんのメールアドレス教えてくれる?夏休みの間なかなか会えなくなっちゃうから、そうしたらおばさん寂しいじゃない」
美帆さんはにっこりと微笑んでいました。
照れている、という感じではなくそれは本当に大人の女性の余裕の笑みという感じです。
メールアドレスを聞かれたこと自体は嬉しい事でした。
でも自分の事なんてちっとも異性として意識されてないな、とも憲太は思いました。
その事で憲太の胸はチクリと痛みました。
品があって落ちついた印象の美帆さんですが、その時は向日葵のように明るく輝いた笑顔なんです。
その陰りのない明るい笑顔がなんだか少し悲しく感じて、憲太は早く大人になりたいと願ったのでした。
いえいえ、本当は憲太が気付けなかっただけで本当は美帆さんの笑顔は強張っていたのかもしれません。
バッグから携帯を取り出す時手が震える思いだったこと。
メールアドレスを聞くときに勇気を出して声を絞り出したこと。
それら一連の動作を必死で抑えて何気ない様子を装ったことなんて、きっと鈍い憲太は一生気付かないでしょうね。
往々にして女性の努力に男性は鈍感なものですけれど、二人くらい年の差があったらなおさらなんでしょう。
そして夏休みに入ってから二人は毎日ちょっとずつメールを交換するようになりました。
もっとも今どき携帯なんて高学年ともなればもってない子の方が少ないのです。
既に憲太の同級生(特に女の子ですけどね)は携帯がないと不安で仕方ない、なんて子もいます。
中には授業中でも構わずに何度も携帯を取り出してはメール交換を誰かとしているような携帯依存の女の子もいます。
それに比べると憲太は高学年になってから買ってもらったため携帯こそ持っていましたが、ほとんど誰かとメールする事なんてありません。
一番多くメールを送りあう相手は母親の憲子で、それも大抵帰りが遅くなりそうとか1行だけの素っ気ないものでした。
美帆さんは家に帰ってから自分の携帯を開くと、さっき教えてもらった憲太のメールアドレスがたしかにそこに残っていました。
美帆さんは自分のしたことなのに自分で驚いています。
男の子にメールアドレスを聞いた事なんて生まれて初めてでした。
玄関の戸を閉めると抑えていた動悸がますます高まり、なんとか息を落ちつけようと深い息を吐きます。
kenken―@×××.com
それが憲太のメールアドレスです。
そうです。
間違いなく美帆さんからメールアドレスを聞いたからそこに残っているのです。
それ以来二人はメールを毎日交わすようになりました。
一週間、二週間が経った頃でしょうか。
最初は一日に一通だったものが少しずつ増えていったのですよ。
起きてすぐ、そして昼前、午後、夕方、夜、寝る前…それがほとんど毎日です。
美帆さんは何も仕事がない日はちょっと時間があるとすぐに携帯を取り出すようになっていました。
職場での昼休憩のときも学生みたいによく携帯電話をいじっているから、彼氏でも出来たのかとからかわれることもあります。
もっとも美帆さんもいい大人ですから、苦笑いして否定するだけでしたけれどね。
ちょっとまずい。
いえ…絶対にまずいのではないでしょうか。
憲太とのメールに夢中になりながら美帆さんはそう思い始めています。
これがただのメール交換ならちっとも問題ではないのでしょう。
実際二人の交わすメールの内容は極めて健全そのものです。
それでもあんな年若い男の子とこんなにも頻繁にメール交換をしていると、何かいけないことをしているような気がして仕方ありませんでした。
同じ頃、夏休みに入ってからやたら携帯を取り出すようになった憲太に母憲子は若干の違和感を感じ取るようになっていました。
それは母親としての勘であるとともに、女の勘でもありました。
もしかしたら変なサイトでも見てはいないかと思うと、母親としてやはり気が気でありません。
まだまだ子供の息子が道を踏み外すなんてとんでもないことです。
絶対にそんな真似はさせないと憲子は静かに、固く心に決めています。
しかし、一方で息子の事は信じてあげたいとも思っています。
親は木の上に立って見守るのが本来の姿だと、憲子は心に決めているからです。
ですから、夫の携帯は見ても息子の携帯は見てはいけないという不思議な自制心が憲子に働いていたために二人の関係は密やかに育まれていったのでした。
メールは顔を合わせていない分、誤解を招きやすいともいいます。
正確な感情を込めにくく、正しく自分の考えを伝えられないためにトラブルにもなってしまいます。
同じ言葉だって面と向かって言われるのとただ文字で伝えられるのとでは温度差が生じてしまいますから。
みなさんもそうした経験がありませんか?
笑いながら馬鹿じゃない?と言われるのとメールで馬鹿じゃない?と書かれるのはやっぱり違いますよね。
しかし、メールでのやりとりはこの二人にとても良く作用したのかもしれませんね。
憲太は文才もあり小学生にしては落ちついているためメールを書かせると本当に大人のように難しい言葉や表現を使ってきます。
実経験が不足していてちょっと頭でっかちなのは否めませんが、それも憲太の年齢を思えば美帆さんにとっては微笑ましいことでした。
美帆さんにとって気にいっている男の子が自分のためにちょっと背伸びをしてくれていることがなんだかたとえようもないくらいに嬉しかったのです。
さて話は憲太が一人になった8月13日のこと。
家族を見送ってベッドに寝転んだ憲太は携帯を取り出すと、美帆さんにメールを送りました。
その内容は大した内容ではなかったのでしょう。
今どこで何をしている、と何気なく憲太は美帆さんにメールを送ったのです。
「今、家族を見送って家に一人でいること」を。
本当に何気ない現在の報告です。
美帆さんだって危ない道を歩もうとは思ってもいません。
真っ当に誰かを愛する事が出来たなら、それはそれできっと素晴らしいことなのでしょう。
だからといって亡くなった旦那さんをないがしろに出来るものでもありません。
一人で生きていく覚悟も、それなりには出来ているつもりでした。
だけれども。
今、自分は一人で退屈しています。
そして連絡をとったもう一人も暇しています。
そしてそのもう一人は自分が最近気になって仕方ない相手なのです。
そうしたら?
美帆さんはなるべく平静を装って、極めて何気なく、自然にメールを送りました。
「今夜花火があるんだって。一緒に見に行かない?」
ご読了ありがとうございました。
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また機会がありましたらよろしくお願いします。