第二話 相合傘
雨が降り止まない7月のことです。
美帆さんはいつものように仕事を終えてから買い物を済ませると、いつものように飼い犬のコージに夕飯をあげるために早めの家路に着きました。
途中ではまだ小さな黄色い傘の集団が目につきました。
美帆さんと近所の小学校の帰宅時間は似通っていますので、しばしば通学路を通る児童達が目につきます。
子供たちは水溜りを飛び越えたり、時にバシャバシャと音を立てて走ったりしています。
大人にとっては憂鬱なだけの雨でも子供たちにとってはこれも遊び場になるのですね。
美帆さんはそんな無邪気な様子に目を細めていました。
今は亡き旦那さんとの間に子供は残せませんでしたが、子供は好きでした。
それにかつては美帆さんも子供たちのように水溜りを見るとバシャバシャと男の子に交じって遊ぶような女の子だったのですからね。
(あ…)
一瞬お互いの目線が合いました。
言うまでもなく、児童の中の一人。
美帆さんだということに気付くと憲太は軽く会釈をしました。
ちょっと大人びた反応がよく躾けられてきた良い子なのを感じ取り美帆さんはにっこりと微笑みます。
美帆さんとしては何の気もなしの反応だったのですが、憲太にとっては美帆の笑顔は直視するにはあまりに照れてしまうほど綺麗なのです。
少し慌てたように憲太が目を逸らすと、美帆さんはその反応にも少年らしさを感じて嬉しくなります。
その少年は美帆さんの友人である憲子の一人息子である憲太でした。
まだ子供だと思っていた憲太も集団下校の輪の中に入ると最上級だけあって、背も高くて落ちついているように見えます。
お兄さんとして弟や妹のような低学年の子供たちが事故に合わないように目を光らせていないといけないのですからね。
ついこないだの様子を思うと、ずいぶんしっかりしているものだと感心しました。
他の子たちと別れ、憲太が一人になるのを待ってから話しかけます。
「偉いのね。小さな子達をしっかり引率して」
「…ううん。別に…そうでも」
どこか素っ気ない憲太の反応。
5月に二人で秘密の時間を過ごしてからいつも憲太はそうなのでした。
美帆さんも常識ある大人ですからあれから自分のしたことを反省し、思い出すと子供相手にあんな事をと赤くなるような思いをしたのですよ。
そして大人らしくなかったことのように接しようとしているのに…とはいえ憲太はまだまだ子供だから切り替えられなくて仕方ないことですけどね。
学校の事、勉強の事、部活の事…美帆さんが聞いて憲太が答える会話です。
雨は降り続き、二人の声はよほど近くにいない限り聞こえないくらいでしょう。
憲太のどこか素っ気ない態度が美帆さんは(美帆さんも自覚していませんが)ちょっとだけ不満でした。
(あんな秘密を共有しているというのにっ!)
憲太は美帆さんの態度に少し困っていました。
二人並んで歩いているはずなのに、美帆さんはどんどん近寄ってきます。
「相合傘…ね?」
ふと憲太が見上げると美帆さんはにこりと微笑むとそう言いました。
傍から見たら二人はきっと親子にでも見えてしまうのでしょう。
背の高さはまだ美帆さんの方が勝っていますし、いかにも落ちついた雰囲気ですからね。
憲太の母親である憲子は少し派手目な事もあって(憲子いわく息子と姉弟に見られる事が目標だそうですよ)、親子というより友達感覚で付き合う事もあるのです。
それに比べて美帆さんは憲子よりも少し年下なのに、より母親らしく落ち着いていて品の良い雰囲気があるのです。
憲太はあまりに近寄ってこられるので、自分の心臓がバクバクと破裂しそうなほど高まってることが気付かれてしまうのではないか心配でした。
でも冷たい雨でもお互いの体温が感じられるほど、寄り添っていると何とも言えない安心感に包まれます。
それは母親である憲子でも感じられないほどの。
何でこの人にはこんなに安らぎを感じるんだろう?
そしてなぜこの人を見ていると胸がどきどきするのだろう?
おそらく相手が美帆さんでなければ、憲太も自分が恋をしたと自覚するのかもしれません。
でも美帆さんと自分の年齢差を考えたら、それはないことだと思います。
美帆さんは大人で、自分は子供です。
誰もがそうだと思いますが、子供は自分がいつか大人になるという事が具体的にイメージする事は出来ないのです。
イメージ出来ない以上あまり考えても仕方ないので憲太はそこで自分で自分の思考を終わらせてしまいました。
でも…それは美帆さんも同じだったのですよ。
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