『7』
「……っ!」
模擬戦で倒れたカレンが目を覚ますと、初めに視界に入ったのは見知らぬ天井。
ゆっくりと身体を起こし、辺りを見渡す。
左側には窓ガラス、正面には机に医療用具が散乱して置いてあった。
そして、今まで彼女が寝ていた傍らにはオフィスチェアが一台。
(どうやらここは医務室のようね)
そう理解したカレンは不意に先ほどの模擬戦を思い出す。
フラッシュバックのように蘇ってくる屈辱的な敗北。
「歴然 英人……」
その名を口にしたのち、カレンは強く唇を噛みしめた。
「ようやく起きたか」
部屋の扉から現れたのは、桜花 麗だ。
彼女はカレンに近寄るなり、傍らに置かれていたオフィスチェアに座った。
「見事なまでに大敗だったな」
「っ!」
笑い交じりに発した麗の言葉が耳に入ると、カレンは彼女を睨みつける。
「そう恐い顔をするな。別に貴様が弱いと言ってるわけではない。あいつが強すぎたんだ」
「ふんっ! 何が強すぎるよ。途中なんてアタシにずっと押されっぱなしだったじゃない」
カレンが固有武器――炎神剣のスキルを発動した直後、確かに英人は押されていた。
「だが、英人は全力ではなかった。証拠に、ラスト貴様は彼がそれまで披露していなかった異能によって負けただろ?」
麗の挑発的な物言いにカレンはギリッと歯ぎしりする。
それだけ屈辱的だったのだろう。
「っていうか、なんでアイツは二つも異能持っているのよ。あれってつまり――」
「神に選ばれた者たちだ」
カレンが口にするはずだった言葉を、彼女よりも先に麗が言った。
それにややイラつくも、カレンは再度話し始めた。
「日本の勇者学校ごときに、なんであんな奴がいるのよ。それに学生で神に選ばれた者たちがいるのもおかしな話ね」
通常、一つ目の異能を開花させてから、戦場で相当な数の強力な魔獣たちと戦い、殺し合い、その中で偶発的に二つ目の異能が生まれたのち、神に選ばれた者たちは誕生する。
「でも、アイツはただの学生でしょ。一体どうやって神に選ばれた者たちになるくらいまで魔獣たちと戦ったのよ」
学生でも魔獣と戦闘する手段がないわけではない。
一番難しい依頼を受ければ、魔獣と戦うことは可能だ。
しかし、それは日々勇者たちが殺している奴らと比べれば、それほど強くはなく数も少ない。
それでも、魔獣討伐の依頼を受領した生徒たちの中からは、年間に多数の重傷者、数十人の死者が出るのだが。
「学生ごときが神に選ばれた者たちになるほど強い魔獣と何度も戦って生き抜くことなんて、そんなの不可能よ」
「いや、そうでもないさ」
カレンの言葉を否定すると、続けて麗は質問を投げた。
「貴様は北の死線を知っているか?」
「えぇ。たしか五年前にホッカイドウ? に魔獣たちが侵攻してきたんでしょ?」
「そうだ。そして英人はその戦争での生き残りだ」
『北の死線』
五年前。
英人が住む村に突如として大量の魔獣が現れ、英人を除いて全ての村人を食いつくした。
その後、その村を起点として、北海道各地に魔獣たちが散らばって、街を破壊し、多数の人々を殺した。
だが、北海道エリア担当の勇者たち、加えてアメリカ、ドイツの勇者たちの協力によって、二年後に北海道を襲っていた魔獣たちは全滅した。
「村で一人呆然としているところを私が保護したんだ。当時、私は北海道エリアを担当する勇者たちの長をしていたからな。
そして、英人は一度札幌の保護施設に預けられたんだが、私の力で彼を再び戦場へと送り込んだ。北の死線にな」
「ちょっと待って。意味わかんないわ。なんでそこでアイツが戦場へ駆り出されるわけ? それにアンタの力って」
普通、魔獣が出現するような戦場へは、少なくとも依頼が受けられるようになる十五歳までは出撃していけない。
なのに、英人は五年前――僅か十歳で戦争へと参加している。
それも北の死線という地獄よりも過酷な戦いに。
「その頃、私はそれなりの権力を持っていたのでな。たとえ十歳のガキだとしても、魔獣を殺せると思ったから、戦場へと出撃させた。
当然、私も英人に同伴はした」
だが、英人は子供ながらにして、数百体の魔獣を滅した。それも誰の助けも借りず、たった一人で。
「まあ一年経ったところで上層部に見つかって、英人は再び街の保護施設に戻されたんだが」
「アンタ……イかれてるわね……」
カレンは驚愕した。
こんな狂った奴が勇者学校の教師をやらせていいのかと。
(だから日本はダメなのよ)
そう思い、カレンは留学しに来たことをますます後悔する。
幾ら父の勧めだからと言っても、こんな国に来るんじゃなかったと。
「でも、これでアイツの強さの秘密がわかったわ。どれくらい強いのかもね」
英人はこの狂っている教師のせいで、幼い頃から強引に魔獣と戦わされて、他人よりも早く成長しただけね。
小学生の時は背がデカかったけど、その後は全く伸びなくて、結局大人になったら背丈が小さい方に分類される奴らとおんなじよ。
今後、アイツは伸びない。
まあ今は勝てないかもしれないけど、これから依頼をこなして、勇者学校を卒業して、勇者になって本格的に魔獣を殺しまくったら、きっとアイツなんてすぐ抜けるわ。
「いや、貴様は全くわかっていないな」
「はぁ? 何がよ」
麗の言葉に、カレンはイライラがマックスに達する。
彼女が手負いでなければ、今ごろ麗に斬りかかっていたところだろう。
「カレン・ベルージ。貴様は気づいていないかもしれないが、先ほどの模擬戦で英人は本気を出していない」
「っ! は、はぁ!? なにデタラメ言ってんのよっ! 二つ目の異能を使ったでしょうがっ!」
模擬戦の最後、カレンが放った青い炎を英人は剣で真っ二つに切り裂いた。
どんな効果かはわからなかったが、あれは彼の異能だ。
固有武器という線も考えたが、固有武器の力は自身が所持する異能を更に強化するモノ。
しかし、英人の『炎を両断する』という行為は彼の一つ目の異能――『身体強化には何の影響も与えていない。
ゆえに、英人が炎を両断したことは、二つ目の異能の効果であることが確定する。
「そうだ。確かにあいつは二つ目の異能を使用した。だが、誰がそれを彼の全力だと言った?」
その問いに、カレンは硬直した。
神に選ばれた者たちとは、複数の異能を持っている者たちのことである。
しかし、その大半が二つだけ異能を所持する者たちばかりであった。
だが、歴然 英人の場合は違った。
「まさか……三つ持ちってこと?」
「そういうことだ。英人は異能を三つ持っている。神に選ばれた者たちの中でも稀にしかいない奴らの中の一人だ。
故にさっきの模擬戦、英人は全力を出していない」
「な、なによそれ……」
カレンは元々掛けてあったシーツを強く握りしめた。
よくよく考えてみれば、英人は三つ目の異能を使用していない上に、固有武器の力すら使っていない。
これはつまり彼は最初からカレンなんて相手にしていなかったということだ。
確かに、英人とカレンには致命的な経験値の差がある。
だが、たとえカレンが幾ら戦場で魔獣と戦ってその差を埋めたとしても、彼女は英人を追い抜くどころか、追いつくことすらできないかもしれない。
「ジャパニーズに負ける? このアタシが? 貴族であり、現勇者であるアベル・ベルージの娘であるアタシが?」
それはプライドの高い彼女にとっては、到底許すことができないことであった。
「まあそう苛つくな。だから先ほども言っただろう。貴様は弱くない、英人が強すぎたのだ」
実際、英人は現役の麗と比べても遜色のない程度まで成長していた。
但し、規則に従い年齢的にシビアな戦場へ行くことはできないが。
「そんなの関係ないわっ! アタシは誰にも負けたくないのよっ!」
声を大にして叫ぶカレン。
それを麗は興味深そうに見つめる。
「ほう。では、こうしてはどうだ? 貴様はこれから英人と共に行動し、同じ依頼をやれ。そろそろアイツも依頼を受け出す頃だろうしな」
「は? なんでアタシがそんなことしなくちゃならないのよ」
「貴様は英人の勝ちたいのだろう? どうせあいつのことだ。魔獣がやたら出る依頼を受領するに決まっている。
そこで、貴様も同じ依頼を受けて、魔獣を何匹討伐したかで勝負すればよいではないか。勇者は基本、討伐数で給料が決まるからな」
麗が述べると、カレンは「なるほどね」と幾度か頷いた。
「いいわ。アタシはこれから英人と一緒に行動してあげる」
「そうこなくては。では、そのことは私からも英人に伝えておくとしよう」
そう告げると、麗はオフィスチェアから立ち上がり、扉へと足を進める。
「ちょっと待って。最後にアンタに聞きたいことがあったんだけど」
「なんだ?」
扉付近で麗が振り返ると、カレンは問うた。
「アンタと英人って仲良さげだけど、どんな関係なの?」
それが耳に届くと、麗は一瞬口元を緩めたのち、
「ただの師匠と弟子だ」
そう答え、医務室を後にした。
☆
これはまだ英人とカレンが模擬戦を行っている最中、ブレイブアリーナの出入り口付近で白髪の少女が一人、模擬戦の様子を眺めていた。
「素晴らしいですね」
そう零す彼女の視線の先は圧倒的な力を持つ歴然 英人。
その彼の強さに少女は惹かれていた。
「あの人が欲しい。何としてもあの人が欲しいです」
頬を朱に染めながら、彼女は特徴の一つでもある赤い瞳でじっと英人を見つめる。
それはもう彼に恋をしていると言っても過言ではないだろう。
「ですが、どうしたら彼は私のモノになってくれるのでしょう」
少女は考える。
だが、暫く経っても答えは一向に出てこなかった。
いや、少し違う。
手段は幾つか思いついていた。しかし、その中から選ぶことが出来なかったのだ。
「とりあえず、この国を亡ぼせば良いのでしょう。そうしたらきっと彼も私のモノになってくれるはずです」
そんな物騒なことを笑顔で呟いたのち、彼女は戦っている英人に向かって囁くように言った。
「頑張ってくださいね。お兄様」
その後、少女は忽然と姿を消したのだった。