『5』
英人が寮に戻ると、自室には昨晩同居するハメになったシンシアがキモチよさそうに眠っていた。
「こいつ、ここは俺の部屋ってことわかってんのか?」
寝袋に包まれながら、すやすやと寝息を立てるシンシア。
それを眺めていると、疲労しているせいか何となくイラついた。
「おい起きろ」
英人はシンシアの頬をつっつく。
それに彼女は少し顔を歪めたが、起床することはなかった。
「ったく、しょうがないやつだな」
一人ぼやいたのち、英人は靴を脱いだ足でグイグイと顔を踏みつける。
すると、ようやくシンシアの意識が戻ったようで、
「って、一体なにをしているのです!?」
「なにって、他人の部屋で堂々と寝ているお前を起こそうとしていたんだよ」
英人はそう言うと、もう一度シンシアの頬をグリグリと踏みつける。
「ちょっ! それやめてくださいなのですっ!」
シンシアが指摘すると、英人は渋々彼女の顔から足を離した。
「起こすにもやり方ってものがあるのです」
「だから一番効率の良い方法を用いたんだが」
「だとしても、他人の顔を踏みつけるなんて、どうかしているのですっ!」
シンシアが怒っていると、ふと英人の腕に何かで斬られたような擦り傷を見つけた。
「それ、どうしたのです?」
シンシアがソレに指をさすと、英人は初めて自分の傷に気付いた。
「たぶん打ち合いの時に、剣で斬られた時の傷だな」
木刀での打ち合いでは、カレンの攻撃を全て受け止めるか、回避した。
だが、彼女が固有武器でかかってきた際は、一度だけ攻撃が掠ったのだ。
おそらくその時に、英人の腕は傷つけられたのだろう。
「それはいけないのです。すぐに治療しなくちゃ」
「別にいいさ。こんなもん唾でも付けときゃ治る」
よく漫画の主人公が言っているセリフだ。
だが、大体の傷は唾なんか付けても治らない。むしろ悪化する。
そのことを知っていた英人だが、寮から医務室までは距離があるし、何より打ち合いで疲れていた彼にとっては、傷の治療より自室で休むことを優先したいのだ。
「よくないのです。跡になるのです」
「俺は女子じゃねぇんだよ。傷跡の一つや二つ残ることなんて大したことじゃねぇんだよ。それにそんなこと気にしてたら、魔獣と戦闘なんて出来やしない」
英人は魔獣を殺すために、家族の仇を取るために、この学校に入ったのだ。
それなのに傷跡ごときで喚いてなんていたら話にならない。
「面倒な人ですね。こっちに来るのです」
シンシアは正座をして、自身の前に来るよう促す。
「なんだよ? 言っておくが、うちには治療道具なんてないぞ」
「いいですから。早くこっちに来るのです」
このロリ巨乳は一体何をするつもりなんだ。
そう疑念に思いながらも、英人はシンシアの言葉に従い、彼女の前に座る。
「傷を見せるのです」
「わかったよ」
英人は腕をまくり、傷口を露わにした。
見る限りさほど大きくはない。
「ちょっと染みるので我慢するのですよ」
そう言ったのち、シンシアは傷口に手を当てた。すると、彼女の手からは翠色の優しい光が溢れ出し、それは温かく心地よい。
確かに、傷口が少しヒリヒリするが消毒液をかけられた時と同程度だ。何の問題はない。
「これでどうなのです?」
シンシアが手を離すと、なんと傷口が綺麗になくなっていた。それに跡も全く残っていない。
「お前、まさか治癒系の異能力者なのか?」
「そうなのです」
『治癒』
ある程度の傷や毒を治す異能。
また治癒系の異能力者は少なく、戦場ではかなり重宝される。
「そうか。だからお前に依頼の協力の誘いがやたら来るわけだな」
シンシアが英人の家に居座っているのは、受けたくもない依頼に毎晩のように誘われることを回避するためである。
ひどい時は借金取りのように寮の部屋まで追いかけてくるらしい。
それゆえ、現在彼女は不登校にまでなってしまったのだ。
「勇者の中でも珍しいのに、学生で治癒の異能を所持していたら、そりゃ奪い合いになるよな」
「わたしはこんな能力欲しくなかったのです」
顔を俯いて、悲しげな表情を浮かべるシンシア。
そんな彼女を見るなり、英人はぽんっと彼女の頭に手を置き、撫でた。
「まあそういうことなら、お前の気が済むまでここに居たらいい。怪我だって治療してもらったしな」
英人がそう言うと、シンシアの顔がぱーっと明るくなっていく。
「あ、ありがとうなのですっ!」
「別にいいさ。だけど、ベッドは俺が使うからな」
「それは知っているのです。わざわざ言わなくていいのです。せっかくの良い人だと思い込もうとしたのに、残念なのです」
「思い込もうとしたってなんだよ」
英人がツッコんだのち、二人は笑いあった。
この日、英人とシンシアは少しだけ仲良くなったのだった。
☆
翌日の昼休み。
カレンが模擬戦に指定した時間である。
既に英人とカレンはブレイブアリーナに姿を現しており、二人は自前の剣を手に持って対峙していた。
彼らの周りは、戦闘場を除いて、三百六十度観客で埋め尽くされており、そのほとんどがカレンを応援していた。
なぜなら、カレン・ベルージは容姿端麗、成績優秀、おまけに外国人という要素を持ち合わせており、同学年の間で男女問わずズバ抜けて人気があるからだ。
「全く。うるさい人たちね」
「おいおい。あれ全部お前の応援団だろうが。そんなこと言ったらバチ当たるぞ」
一方、英人に声援を送る人物は一人もいない。強いて言えば、師匠である麗が悪い顔をしながらこちらを見据えているくらいだ。
「しかし、いい設備ね。とても日本とは思えないわ」
「アホかお前。日本は設備だけが世界トップクラスなんだよ。それくらい知っておけ。この英国のバカ女」
「アンタ、まだ試合前なのにそんなに消えたいの?」
カレンは自身の身体の周りにメラメラと炎を燃え上がらせる。
『豪炎』
自身の身体、所持している武器から炎を発生させる。多少の水では消すことはできない。
「カレン・ベルージ。今すぐ異能を止めろ。まだ模擬戦は始まっていないぞ」
観客席中央の特別席に座っている麗がマイクを使用し注意する。
それを受けて、カレンは炎を消した。
「やっぱりその炎が異能なんだな」
「そうよ。アタシの炎でアンタを焼き殺してあげるわ」
「いや、模擬戦で人は殺せないんだが」
だが、彼女の異能は魔獣との戦闘で相当役に立ちそうだ。
特に複数の魔獣と遭遇した際は、彼女が言った通り全ての魔獣を焼き殺せる。
それに加えて、それなりの剣術。
改めて考えると、なぜ彼女が日本に来ているのか疑問だ。少なくとも、そこら辺の日本の勇者よりかは強いぞ。
「何を色々と考え込んでるのよ。そんなことしたって無駄よ。どうせアタシが勝つんだから」
「…………」
もしかして、性格に難があるから日本に連行されたわけじゃないよな。
だとしたら、こんな女。日本人には手に負えないぞ。
「グタグタ喋るな。特にカレン・ベルージ」
本日二度目の注意を受け、ようやくカレンが黙ると、麗は続けて話した。
「では、今からルールを確認する。持ち時間は五分。勝敗は対戦者のどちらかが戦闘不能、または場外になることによって決まる。
但し、場合によっては審判側が戦闘を止めさせ、勝敗を下すこともある。
以上が今回の模擬戦におけるルールだ」
全ての説明が終わると、観客から拍手が送られた。これは審判と戦闘者に対する礼儀みたいなものだ。
「では、両者構えっ!」
麗の声がドーム内に響くと、英人とカレンは互いに戦闘態勢に入る。
その瞬間、独特の緊張感に包まれる会場。
暫くの沈黙。そして――。
「始めっ!」
再び麗の声が響き渡ると、二人が一気に間合いを詰めた。
通常、二人の内どちらかが遠距離系の攻撃を主としていれば、ブレイブドームの楕円形の広がったフィールドを利用して、面積を多く使う戦いになる。
しかし、今回のケースは互いが剣士。
近距離系の戦闘者である彼らにはフィールドを利用した戦術という存在はなく、純粋に己の腕のみで戦うのだ。
「アンタ、この間みたいに手加減なんてしたら許さないわよ」
「前から言ってるだろ。俺は相手に合わせて戦うスタイルなんだよ」
唾競り合いになりながら、会話を交わす両者。
まだ様子をみているのか、互いにまだ全力というわけではない。
「ホントいちいちムカつくやつね。ならいいわ。アンタの本気を引き出させてあげる」
その瞬間、カレンが纏っている空気が変わった。
それを察知した英人は、瞬時に彼女の距離を取る。
「アンタ、やっぱりただのジャパニーズじゃないわね」
英人を褒める彼女の身体にはバチバチと音を立てながら、真っ赤な炎が纏わりついていた。
それはまるで彼女の全身を守っているよう。
「なるほど。炎の鎧ってわけか」
「そうよ。なかなかカッコいいでしょ。それにこの炎にはこんな使い方もあるのよ」
カレンが剣先を英人へと向けると、彼女の身体を防御していた炎が急速にこちらに向かってくる。
「あぶねっ!」
それを英人は横っ飛びで何とか躱すと、炎は後方から再び襲ってきた。
「またかよっ!」
それもギリギリのところで回避すると、炎は持ち主であるカレンのところへ帰った。
「なんだよそれ。追尾式か?」
「まあそんなところよ」
これは部が悪いな、と英人は思った。
普通、剣士は近距離系の異能の持ち主がなる部門。
それなのに、カレンは遠距離系の異能を所持している。
これは明らかに英人にとって不利な戦況だ。
「また何を考え込んでるのよ。そんな突っ立ったままじゃ、ただの的にしかならないわよっ!」
カレンが再び剣先を英人の方向へ。
すると、彼女を纏っていた炎が猛スピードで彼の方へと進む。
それを英人は辛うじて躱すと、先ほどと同じように後方から炎が接近する。
「くそっ!」
横っ飛びで回避を試みる。しかし、炎が足先に掠ってしまった。
そのせいで、靴のつま先部分が若干焦げてしまっている。
「まじかよ。また俺の新品の物が……」
黒く焦げた部分を見つめて、落ち込む英人。
そんな彼に対して、どこかふざけていると感じていたカレンが文句を飛ばした。
「ちょっとっ! アンタ、真剣にやってるのっ!」
「どう見ても真剣だろ。ふざけて靴を焦がすやつがどこにいるんだよ」
英人がそう叫ぶが、カレンはどうしても腑に落ちなかった。
「まあいいわ。どうせ次で終わりなんだから。いきなさいっ!」
カレンの声と共に炎が英人を襲う。
だが、ふと気がつくと今しがたまで立っていたはずの場所に英人の姿はなかった。
「っ! 一体どこにっ!」
カレンが動じていたのも束の間、彼女の背中に衝撃が走った。
「ぐはっ!」
今までに感じたことのない激痛が全身に伝わる。
どうやらブレイブドームの端に設置されているフェンスに衝突したようだ。
「い、一体なにが……」
脳震盪で揺れる視界の中、カレンはドーム中央で悠然と立っている青年を見つける。
「簡単なことだろ。俺がお前を剣でふっ飛ばした。ただそれだけのことだ」
そう言い放つと、英人は壁に張り付いているカレンを見据えてニヤリと笑った。。
「こ、このジャパニーズ……」
それを見て、彼女は憤慨するように彼を睨みつけた。